2012年12月31日月曜日

もっと深く

深さなくして広がりはなく
基礎なくして応用もなし

カタなくして感応なく
他者なくしてカタは生まれず

我、還暦に至りて、ようやく整体の道に入る

2012年12月29日土曜日

年の瀬に

「20年前に四国を41日かけて歩きました」
最近大井町稽古場に通いはじめた方の口から飛び出てきた言葉
嗚呼、一年の締めもやはり四国遍路か!
その方、真言宗のお坊さんだから、不思議はないのだけれどね

なんで四国遍路を思い立ったんだろう
年が明けてからの話で、おそらく一年前の今頃はまだ
四国行の気配はまったくなかったはず
謎だな〜
たしかに、還暦の壁というか、稽古の壁にぶつかってたことは間違いないのだけれど

空海って、「超人」というかマッチョなイメージがあって
どちらかというと苦手
真言宗との縁も薄く、高野山に行ったこともなく、川崎大師すら行ったことがない
京都に住んでいた頃、一時期、東寺の近所に仕事場があったくらいか

結局、四国には旅立てず、
主夫生活を経て還暦を迎え、そして稽古復帰、みたいな一年だった
ちょっとだけタイに行ったりして
そうそう、チェンマイで稽古会を企画してくれた方は、
「御大師さまが遣わしてくださった」と意味不明のことを口走っておられましたが

今年一年、ずいぶん長い旅をしてきた
そんな印象
来年こそ四国の土を踏みたいですね

連座

 この春、専業主夫をやりながら、どう稽古復帰するか思案していた頃、Sさんから、「僕のやってる集団稽古に来ませんか」との誘いを受けた。連句めいた、あるいはお茶席のような稽古をやっているという話だけは聞いていたのだが、参加したことはなかった。四人一組で、ひとりが伏臥し、他の人は内観しながら、順番に気になったところに触れていく。たったこれだけ。

 ところが、この稽古を通して出会った「受け身の参加感覚」によって僕の整体観はひっくり返されてしまう。それくらいのカルチャーショック。同じ俯せの体勢とはいえ、操法を受けるときに出現する感覚とは別物なのだ。と同時に、「操法者」という存在の意味をはじめて理解した。だから、「稽古場でやろうとしてきたことのひとつの到達点」と表現した。

 連句に引きつけると、俯せに寝る人が「発句」の人で、最初に手を当てる人は「脇」を付ける人なのではないか。僕はこんな風に理解した。そうして、人が入れ替わるごと、世界が展開していき、やがて終わりがやってくる。この時には、まだ、この稽古法に名前はなく、「連座」と名付けられたのは、もう少し後のことではなかったか。連座という言葉から連想されるのは「連座責任」とか必ずしもよいものではない。それでも、何度か、この稽古に参加してみて、やはり「連座」だなと思う。

 先日、連座を言葉にするとどうなりますかとSさんに訊いてみた。このときの会話をヒントに自分でも連座の稽古をやってみることにした。中断していた連句の勉強も再開することにしようか。

2012年12月28日金曜日

活元運動以前

 「稽古としての活元運動」で書いたように、活元運動の「稽古化」に手を着けた。今月、「動法としての活元運動」とタイトルを付けた稽古会をやってみたのだが、新しい発見もいくつかあって、先につながりそうな気配。実際には2時間の稽古のうち、1時間45分を「活元運動以前」のところで費やすことになってしまった。活元運動ははじめてという参加者も何人かいたのは意外だったけれど、導入としては、よかったのではないか。来期、この稽古を「合掌行気と内観的愉気」とセットで大井町の定例稽古に組み込むことにした。ただ、このタイトルだと無理やり二つの単語を同居させた感じになってしまうので、稽古名は「活元運動以前ー稽古場的活元運動の可能性」にします。従来の活元運動の導入のしかただと、どうしても人に触れるという行為が安直になってしまう傾向がある。それを避けようとすると、カタの問題に触れざるを得ない。組稽古がデフォルトになるから、まず「触れかた」から稽古していくしかない。だから、やはり「活元運動以前」なのだ。

12月の読書と今年のベスト5

幕が上ル 平田オリザ 講談社 2012
驚きの介護民俗学* 六車由美 医学書院 2012
下山事件* 柴田哲孝  祥伝社 2005
知事抹殺* 佐藤栄佐久* 平凡社 2009
検察崩壊* 郷原信郎 毎日新聞社 2012
負け犬他流試合* 酒井順子 文藝春秋 2005
日本の歴史を作った森* 立松和平 ちくまプリマー新書 2005
ラジオ福島の300日* 片瀬京子とラジオ福島 毎日新聞社 2012


【2012ベスト5】

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか* 増田俊也 新潮社 2011
ピダハン ダニエル・L・エヴェレット みすず書房 2012
困ってるひと 大野更紗 ポプラ文庫 2012
短歌の友人 穂村弘 河出文庫 2011
脱出記*  スラヴォミール・ラウィッツ ソニー・マガジンズ 2005

<番外>
争うは本意ならねど 木村元彦 集英社インターナショナル 2011
たった独りの引き揚げ隊 石村博子 角川文庫 2012
知事抹殺* 佐藤栄佐久* 平凡社 2009

2012年12月21日金曜日

スキマ

チェンマイの旧市街を囲むように環状道路が走っている
ところどころに信号はあるが、数は少ない
車がビュンビュン走っていても人はどんどん道路を渡る
狭いとはいえ4車線
(tuktukの映像↓はこの環状道路のもの)
自動車、バス、トラック、バイクなどなど、いろんな速度で吹っ飛ばしている
交通法規に従順な住民が住まう国からやってくると最初は戸惑う

動いている車をみていると手遅れになっていつまでたっても渡れない
スキマをみるのだ
そうするとスイスイと渡れる
稽古の身につき具合を確かめるため
たまに、こういう経験をしに海外に行くのも悪くない

日本で実験するとすれば、渋谷のスクランブル交差点くらいか
ただ車より人のほうが怖い

2012年12月18日火曜日

四字熟語

筆動法。ときどき思い出したように四字熟語辞典を引っ張りだしてくる。言葉を探す。探すというより、辞典を後ろ手で開き、ページをめくり、指で位置を一点定め、そこにある四字熟語を書いてみるという趣向。一昨日の稽古で出てきたもの。「波瀾万丈」「縦横無尽」「精励恪勤「羽化登仙」。


「波瀾万丈」は私。12月も半ばを過ぎると、一年を振り返るモードに少し入ってくる。波瀾万丈とはちと大げさ過ぎるが、でも、これでもかこれでもかというくらい、事件勃発の一年。年のはじめに「四国巡礼」宣言したことが遥か遠い昔のことのようだ。「縦横無尽」は筆動法初体験のHさん。筆を持つのは小学生のとき以来とかーこういう人は結構多い。はじめてにしては、いい線が出てる。若いくせに(年寄りの口癖ですw)頑固なHさんに縦横無尽さが出てくれば、これはもう鬼に金棒。「精励恪勤」はSさん。これは、「仕事に力を尽くし、怠らないこと。精力を傾注して励むようす」の意とある。「恪」には慎むという意味がありとも。ご自分で納得されていた様子。「羽化登仙」は再高齢のTさん。筆動法の稽古だけにやってくるという不思議な方。でも十年もやっているとT風というのがにじみ出てくる。字面をみて、あれ解脱しちゃうのかしらと、一瞬心配しちゃったが、このカルミはTさんにぴったり。


筆動法の稽古はやっていて楽しい
「順逆」の意味を今更ながら発見!
来年も月1回程度の割合でテーマ稽古として筆動法の稽古は続けます

2012年12月15日土曜日

 先月末の大井町大掃除。若手中心に8名程が集まってくれた。手分けして、稽古場を掃除していく。今回、僕はひたすら一階の木の壁を空雑巾で拭いていた。大井町稽古場は木が潤沢に使われている建物で、一階の稽古場部分の壁面の大半は下から上まで木が貼られているから、面積としては相当なものである。脚立の上に立ち、壁の上半分を拭き、脚立から降りて下半分を拭くという作業を延々とやっていた。結局、ひとりで壁の8割くらい拭いたのではないかな。一見綺麗にみえる壁面も拭いたあとで雑巾をみると確実に汚れている。筆動法のときに、作品を押しピンで壁に留めてきたから、その小さな穴も無数にあいている。ちょっと申し訳ない気持ちになった。

 この稽古場も来年で20年になるのだな。僕自身が関わるようになって十年を超える。秋のはじめくらいに、壁にずっとかかっていた、嘉山たかねさんの絵がずいぶんくたびれてるように見えたので、一旦おろした。どういう理由でこの絵が、稽古場の壁にかかることになったのか、その経緯はよくしらない。当時、絵と書をミックスした創作活動を盛んにやっていた嘉山さんとも随分会ってないのだが、どうしてるんだろう。たかねさんの絵は陽の差し込む二階に置いておいたら、日の光を浴びて少し元気になったような気がしたので、元の場所に戻すことにした。絵の表面を指で少しこすってみたら、思いの他よごれていたのに驚き、ティッシュペーパーで丁寧にその汚れを落としていったら、また一段と力が蘇ってきた。

 大井町稽古場は電灯がやたらたくさんぶら下がっている。ずっと白熱電球を使ってきたのだが、その電球がまたよく切れる。気のせいかもしれないが、電球がよく切れてしまう担当者というのがいる。過剰に電気を帯びる人間っているのか? ただ単に温度差が大きいのが理由かもしれないが、電球の買い置きをしておかないと、いざという時に対処できない。白熱電球は少しずつLED電球に替えてきている。それでもまだ、白熱電球の方が多いくらいか。ただ、LED球はまぶしくて、光が直接目に入る位置には使えない。ずっとほっとらかしにしていたスポットライトにLED電球を入れてみることにした。LEDはスポットライト向けである。そのスポットライトを元に戻した絵に向けてみたら、なかなかよい。先日、はじめて大井町稽古場に足を踏み入れたひとが、「なんとアートなスペース」と感心していたが、たしかに、ギャラリー風である。そうなると、室内の暗さを強調する要因のひとつである黒壁もよく見えてくる。現金なものである。

2012年12月10日月曜日

稽古としての活元運動

 活元運動は僕にとっての宝物である。そもそも、整体に道に入るきっかけになったのも、活元運動、殊に相互運動における「感応」というものに惹かれたからだ。

 活元運動はいうまでもなく整体協会の宝である。その宝物をひとつの入口にして(あるいは踏み絵にして)活動しているわけだ。活元運動で検索すればおびただしい件数がヒットするし、それはkatsugen undoで検索しても同じである。ここ50年の整体協会の活動を通して、活元運動はひとり歩きをはじめ、この単語が世に浸透するに従い、それがどのような起源をもつか誰も気にしなくなった。

 稽古場ができた当初(うわっ24年前だ!)、活元運動も稽古種目に含まれていて、一日4コマ(当時は一日4コマが標準だった)すべて活元運動という日まで設定されていた。その頃だけで、もう一生分の活元運動をやったぞ、というくらいやり込んだ。その後、諸事情あって稽古種目から外されていき、活元運動を知らない稽古者も増えてきた。

 数年前、活元運動の会を主宰しているグループに頼まれて稽古会をやっていた時期がある。その人たちによると稽古会は毎回やることが違っているので難しいという。たしかに、毎回同じプロトコルに沿って会が進んでいく活元会に参加している人たちにとって、手を変え品を変え、いろんな角度から切り込んでいく稽古会のアプローチは面倒だと感じるらしい。彼我の間に横たわっている川はなかなか深い。

 活元運動を稽古化するのは、なかなか難しい。つまり、活元運動に対し、誰もがある「イメージ」を抱いていてーそれまでの活元運動体験のなかで形成された記憶ーそれからなかなか離れられない。僕自身そう。それでも、時折思い出したように「稽古としての活元運動」を試みてきた。要は、準備運動の三つの動作を動法的に解析してできるだけ丁寧に行うというものだったのだが、これだけでも、活元運動の質は大きく変わる。でも、継続的な稽古に加えるにはもの足りなくて、それっきりになってしまっていた。

 ここ数年の稽古の進化、特に接触におけるカタの問題ー稽古における永遠のテーマですねーをとりいれて、活元運動の稽古化に今一度取り組みはじめている。まだ数回試みた段階なのだが、今回の手応えはちょっと違う。週末の集注稽古もこのテーマでやってみようかしらね。

2012年12月9日日曜日

邸宅

そこそこ立派な家に住んでるんだろうなとは思っていたが、友人宅は想像を超えていた。これは博物館じゃないか、という代物。東南アジア研究者というより、ただのコレクターですね。その収集品を収める器としての家。それら収集品が調度品として、なかなかセンスよく並べられている。さすがイギリス人。この家に泊まること自体が「経験」になるくらい。僕とはベクトルとして真反対を向いている。人のお家だから勝手に紹介するわけにもいかないので、外観と私が泊めてもらった部屋の写真だけのっけます。







帰ってきたら、いきなり仕事モード突入で、タイの記憶が飛んでっちゃいそうだ。それにしても、なぜタイだったのかな〜。「タイ再び」シリーズはひとまずこれにて終了。

2012年12月6日木曜日

tuktuk

チェンマイ







2012年12月4日火曜日

稽古会

稽古会の様子がUPされています
http://www.studio-ring.net/linkpage/webLog_f/02dec2012.html

2012年12月3日月曜日

方位

今回のタイ旅行に持参したiPod touchも乾電池駆動のデジカメもお遍路用に用意していたものであることに気がついた。ひょっとしたらと思って、横浜とチェンマイを直線で結んでみた。帰国したらちゃんと確かめたいと考えているのだが、その線は、四国の上を通っている。どうやら四国遍路の延長線上、或いは代わりとして、今回のタイ旅行はあるらしい。方位学とか興味をもったことないのだけれど、この符合には吃驚だ。


*帰ってきて、横浜ーチェンマイで結んでみたら、四国の北の端(高松、今治あたり)をかすめるようです。12/5

2012年12月2日日曜日

チェンセン

ラオスとの国境の町チェンセンを案内してくれるという。歴史の専門家のガイド付きツアーとは贅沢の極み。メコン川も見られる。ゴールデントライアングルという名称はもちろん知っていたが、チェンセンに着いて、高台に登り、ここがゴールデントライアングルですと告げられた時には、ちょっと拍子抜けした。もっと山を踏み入った少数民族の住むエリアのことを想定していたのだ。たしかに眼下見えるのはミャンマーでありラオスであった。ミャンマーの土地にはカジノがつくられ中国人も川を下ってやってくるという。タイ人にとっては、文字通り向こう岸にすぎず、実際客を乗せた小舟が頻繁に出入りしている。



Hall of Opiumは王室関係の財団が運営するアヘン博物館。古代から現在までアヘンがどのように使われ、どのような歴史をたどってきたかが、ジオラマ、映像を駆使して多面的に展示されている。当然、東インド会社の行っていた三角貿易のはじまりからアヘン戦争に至る部分は大きく扱われている。アヘン戦争が1832年で明治維新が1868年。明治維新をどう評価するには、アヘン戦争がどのような戦争であったか、まず知る必要がある、と今更ながら思う。アヘンと軍隊は深く繋がっている。ガイド役のイギリス人である友人は、ベトナム戦争時の米軍、CIAのアヘン取引への関与がどうして触れられてないのだと不満げであった。



ロイカトーン

あてがわれた部屋の窓から空をながめていると、赤い点がいくつか光っている。タイでは星は赤く輝くのか。火星ではない。その赤い点はゆっくりだが動いている。しかし飛行機ではない。とうとうUFOと遭遇してしまったか?

すっかり暗くなってから、お祭りをやっているからと連れていかれたお寺で、ようやく赤い点の正体が判明した。紙で作った熱気球である。直径1メートル弱、高さ1.2メートルくらの上部が閉じられた円柱状の和紙の下部に、ドーナツ状の燃料を針金で固定し火を点ける。その炎で熱せられた空気で舞い上がるという仕組み。

さらにこの熱気球に導火線つきの花火を結びつけ、舞い上がった時点で着火し、光音煙を発生させる。水に舟を浮かべる精霊流し(これもやっている)の気球ヴァージョンである。気球は次から次へ打ち上げられ、編隊を組んで上昇していく。随分賑やかな精霊流し。燃料が燃え尽きる前に民家に着陸し、屋根を焦がすこともあるらしい。

この祭りのことをロイカトーンというそうだ。

2012年12月1日土曜日

チェンライ

チェンライに無事到着。空港に現れた友人の車はメルセデス。余裕の隠居生活だな。市内の名所を案内してくれる。といっても、特別なものがあるわけではない。Mae Fah Luang公園とホワイトテンプルの名で知られているワットロンクン(写真は帰国後にupします) 。前者は北部タイからミャンマーに広がるラナ地方の文化財を集めた公園・博物館。後者はビジネスマインドあふれるアーティストー村上隆を思い起こさせるーが再建したテーマパークのようなお寺。両者とも、まあ普通の観光スポット。



昼食に連れてかれた自然食のレストラン。野菜の炒め物と魚のフライというごく普通の料理が出てきたのだが、これが美味しかった。食べ終えた時には長旅の疲れが抜けていたのには自分でも驚いた。それとも女主人がチャーミングだったせいか。友人が「seitaiの先生」と私のことを紹介してくれたのだが、seitaiという言葉をどこかで聞いたことがあるようで、いたく興味をもたれてしまった。「自己完結的でない調和」という話も通じたようだ。

旅先でのブログ更新って無理ですね。しかもiPodでは。今日で三日目なのだけれど、ここに書いたのは、初日の前半分ですw。


2012年11月29日木曜日

タイ再び

henroと名づけたiPod一台を鞄に入れて空港に向かう。カミさん連れてどこか暖かいところへと考えたのが発端だったのに結局一人旅。なぜタイだったのかというのもいい加減。たまたまFacebookで繋がった30年来の友人がチェンライという街に住んでいることを聞いたからだ。チェンライという音の響きに惹かれただけかもしれない。

夜行バスならぬ飛行機の夜行便で羽田発。防寒着は鞄に放り込み、そのまま荷物を預けてしまったはよいが、飛行機までバスで運ばれることになり、軽装のまま寒い外気に晒されることになる。翌朝バンコク着で乗継便まで3時間。入国手続きを済ませ空港内をウロウロする。コーヒーを飲もうとしたら円が使えない。店員の対応もぞんざい。日本の存在感って薄くなってるのかしらねなどとつぶやきながら待合室で待つ。

で、チェンライ到着。

2012年11月26日月曜日

11月の読書

今月は読みかけの『ピダハン』で手一杯だと思うので、ちょっと早めにup

ピダハン ダニエル・L・エヴェレット みすず書房 2012
 やっぱりサピア=ウォーフでしょう
ウェブで政治を動かす! 津田大介 朝日新書 2012
時速250kmのシャトルが見える 佐々木正人 光文社新書 2008
弱いロボット* 岡田美智男 医学書院 2012 
ガラスの煉獄* 壇上志保 新潮社 2010
日本を捨てた男たち* 水谷竹秀 集英社 2011
美の壺ー魯山人の器* NHK出版 2006

2012年11月24日土曜日

ぼくが企画書を書けない理由

発信力の時代だそうで、外に向かって発信していかないと生き残れない、と皆が言う。うん、そうかもしれない。大井町稽古場は存亡の危機にあるし、ここはひとつ自分たちに何ができるか企画書を書くべきでしょうとパソコンに向かうのだが一向に筆が前に進まない。

これまで頼まれて外で稽古会は何度もやってきているはずなのに、いざ積極的に外に向け発信しようとすると、どう書きはじめてよいかわからない。生きているということは身体と共に生きているということで、つまり、僕らの稽古は万人に応用できるはずのものだし、実際、普通のお母さんたちから芸術家まで幅広い層を対象に稽古会を開いてきた。

ところが、いざ「発信」しようと試みると、そこで止まってしまう。僕の文章力に問題があるのかなあとも思うのだが、それだけでもなさそうだ。よく考えてみると、頼まれて稽古会をやるという場合、その時点である程度参加者の層が決まっていて、その顔を空想しながら稽古を組むという手順を踏んでいる。つまり、あらかじめ対象が想定されている。あと、もう一つは、ことのはじまりは常に受身なのですね。これって結構、僕らの存在理由にかかわる根源的な問題のような気がする。

実のところ頼まれ稽古会というのはなかなか楽しい。「こういう人たちを対象にした会をやりたいので稽古考えて下さい」という話を持ち込んでくるのは多少なりとも稽古に触れたことがある人なのだが、「じぁあこんな感じでやりましょう」と応じて、いざチラシが刷り上がったのをみて驚く。僕との話やメモ書きをもとに出来上がったものであるはずなのに、相当にズレているケースが結構多い。この企画者の曲解というか誤解のしかたというのが素晴らしい。ある時など、若い母親の会だというので出かけていったら、会場入口に「整体で美しくなる」と大書された看板が立っていた。いったいどこから、こういう題が出てきたのか謎である。で、あの看板に偽りありかというと、二時間びっちり動法の稽古をしたのだが、皆さん美しくなって帰っていかれた。ただ僕らの理念を理解してくれたかどうかは別次元の話である。

そうか、汎用的であるが故に、そして受身である故に、企画書という形に向かって行かないのだ。でもこれって言い訳にしか聞こえないだろうな〜。それが問題だ。

2012年11月20日火曜日

妄想

時々妄想することがある。整体協会の会員500人と一般人500人を抽出し、もちろん年齢性別等を揃えた上で一年間の医療費支出を比較してみる。はたして有意の差は観察されるだろうかという研究。うちの組織が厚生省管轄だったら多少の可能性はあったかもしれないが、いかんせん文科省なもんで無理筋なのか。今、内閣府に公益社団化を申請中ということのようらしいのだが、この「公益」とは何なのかがわかりづらい。上述の研究が実施され、有意の差が確認されれば、国にとって喫緊の課題となっている医療費削減への貢献という一点をもってして「公益性」を証明するものになる。こちら側としても、医療費支出とQOLは関係ないぞ、ということが証明されれば存在理由は補強されることになるだろう。実際これくらいの研究なら学部生の卒論で十分できることじゃないのかな。もっとも、有意の差が出るだろうというのは、私の身勝手な予断に過ぎないわけで、いずれにしても一度やってみる価値はあるんじゃないかな。差が出るのか出ないのか、もし出るとすればどれくらいの差が出るのか、ちょっと興味ある。万一、差がないという結果が出たら、次の戦略を考えればよい(笑)。最近観た劇作家平田オリザを追いかけた『演劇2』(想田和弘監督)の一シーンに平田氏がメンタルヘルス学会に呼ばれて講演するシーンがあった。文化に「投資」することでメルタルイルネスへの予防になりますよと主張しているのだが、それくらいの方便はオレたちも使っていいんじゃないかと思い、この温めていた妄想を思い出した次第。つまり、今の世の中、お金の使われ方が間違ってんじゃないのかなと主張したいだけなのです。

2012年11月19日月曜日

演劇1、演劇2


映画「演劇1」「演劇2」を観てきた
観察映画の想田和弘監督が劇作家平田オリザを撮ったもの
体調最悪で、一本だけ観てくるつもりで出かけたのだが、結局2本まとめて観ることに
2時間50分x2、延べ6時間、映画館のシートに座っていたことになる 

「演劇1」の冒頭で出てきたのが、「冒険王」という作品
アジアの安宿に集まった日本人バックパッカーの会話で構成されている
この会話劇でいきなり「既視感」ー正確に言うと、既視感ではなくて昔の自分の姿なのだがーがいっきに押し寄せてきて、体調の悪いことなど忘れてしまった
80年代のイスタンブールが舞台らしい
僕がイスタンブールを通過したのは74年のことなのだが、イランのビザを取るのに手こずり、十日間この街の安宿で過ごしたことがある
世界をさすらっている日本人の溜まり場で、日本を離れた期間が長いほど大きな顔ができる、妙な社会ができあがっていた
そのさすらい人たちの会話を聞いて「ちゃんと日本に帰らなきゃ」と決心した
そんな体験がいきなり甦った

平田オリザの名前はもちろん知ってはいるが、青年団の舞台って見たことがない
一方、想田監督の作品は、「精神」「選挙」と何本か観てきて、観察映画と呼ばれている方法論のもつ透過性に共感してきた
その想田監督が平田オリザを撮ったとなれば、観に行くしかない
半日映画館に座っていて、観察映画って、観客が体験する映画、
映画を体験するんじゃなくて、素材を体験する映画なんだろうと思い至った
きっと、「カタ」のもつ引き算の役割に注目している監督なんだろうね
そうそう、それと猫たち

2012年11月16日金曜日

Thailand 1980

タイにはじめて行ったのは1980年。より正確にいうと、その5年前、インドからの帰りに乗り継ぎでバンコクに一泊だけしているのだが、空港とホテルの往復だけだったから、とても行ったとはいえない。ただ、ホテルで出された肉をガツガツと食ってしまい、お腹をはげしく下したことだけは鮮明に覚えている。ほぼ菜食で半年過ごしてきた胃袋に肉は強烈すぎたのだ。


1980年のタイ行きは水先案内人がいたらから楽だった。バンコク、プーケット、チェンマイとタイ国内の三地方でそれぞれ一週間過ごした。ローカルの知り合いもいて、普通の観光旅行では見られないところも案内してもらった。プーケットが巨大リゾートとして開発される前の話である。


32年ぶりにタイに行ってみることにした。その時の水先案内人がチェンライというタイ北部の街に移り住み、遊びにおいでと声をかけてくれたからである。30年の間に東南アジアの旅行事情は大きく変わっていて、夜中に羽田を発てば、バンコク乗り継ぎで翌日の午前中にチェンライに着いてしまうのだ。航空運賃も30年前と変わらない。


30年前の旅行で撮った写真はおどろくほど少ないのだが、数年前にデジタル化してもらったネガのなかにかろうじて十枚ほどタイのものがあったので、このブログに載せることにした。撮影地は不明。私自身が写ったものもあるのだが、20代の私は、ずいぶんふっくらしている。
 



空間現代2

こいつら〜
http://kukangendai.boy.jp/top.html

2012年11月14日水曜日

お手本

指導者仲間のKさん逝去
先週水曜日の稽古会の途中でいきなり倒れ、
少しして意識を吹き返す
何人かの仲間の手で自宅まで送り届けられ、
「自分で階段を登って自室に入られました」というところまでは報告を受けていた
翌朝不調を訴え病院に運ばれ、そして土曜日の明け方に亡くなったとのこと
整体指導者とすれば理想的な逝き方
見事としか言いようがない
享年75歳

稽古中、私を含む何人かの人たちが前に出され、
その時、補助についてくれたのが、なんとKさん
普段組むことなんてなかったのにね
Kさんが倒れたのはその直後
しばらく傍で様子をみていたのだが、ちょっと頭痛がした
その日、稽古から帰り、夕食は食べたものの、すぐ横になりたくて布団にもぐりこんだ
まだ9時とか、そんな時間
結局、こんこんと眠ってしまい、目覚めたのが翌日木曜日の朝8時
頭痛は抜けていた

船橋稽古会があったのが、その翌日の金曜日
初参加の方も含め、これまでで一番多い8名が参加
実はこの稽古会、一年半前にKさんから引き継いだ会
「私はもう歳だから、若い人にお願いするわ」
と言われた私だって、すでにジジイを名乗っている

まあ、これも因縁なのか
「あれあれ託されちゃったよ」という気分
いいお手本を示して下さった
そんな逝き方だった

合掌

*今日になって、吉祥寺稽古会をお手伝いされていたTさんの訃報に接する。奇しくも、Kさんと同じ日に逝去されている。ご冥福をお祈りします。

2012年11月9日金曜日

なぜ身体教育なのか? 6

【客】

 先日、大井町稽古場を見学に来たスイスの人に、「あなたがやっていることは治療なのか」という質問を受けた。手を触れる人がいて、触れられる人はうつ伏せに寝ている風景を見れば通俗的な治療形態に見えてしまうのかもしれない。ただ、治療という概念には、あらかじめ治療する人と治療されるという役割分担が内蔵されている。そのような役割分担のない関係をつくりあげ、そのような関係の中で起こる出来事を体験することが、私たちの目指すところであり、そういう意味において私たちの行なっていることは治療ではない。
 動法の稽古等、動きものの稽古風景をみれば、私たちのやってることは体育として理解されやすい。しかし、前述の風景を含め、体育と称している。まず受ける側にそれ相応の嗜みを求めている。坐法臥法というものを定め、毛氈の上での立ち振舞をまず覚えていただく。いわばお茶室に入るように毛氈の中に入っていただく。お茶室に客として入った人間が、放縦に振舞っていたのではお茶会が成り立たず、客としての素養が問われることになる。それと同じである。この客としての嗜みを育てることこそが、私たちが体育とよんでいるものであるのかもしれない。
 いつから客という言葉が消費者を意味する言葉になってしまったのか。伝統芸能とよばれているものが衰退の道を歩んでいるのも、この客という感覚が薄れていっていることと対応している。客という言葉の本来の意味を今一度噛み締める必要がある。

2012年11月8日木曜日

漫才のような日々

娘の友だちのダンス発表会を見に行くという妻に
「今日の発表会に鳳なんとかさんもでるんだっけ」と訊ねると
「そうよ。元宝塚の...」
「鳳唄子だっけ?」
「えっ?」
「いや、あれは京唄子だ」(鳳啓助とまぜこぜになっている)
「ふたりとも口大きいよね」
「???」(東の人である妻に上方漫才の話は通じない)
「鳳蘭だったのか。そういえば、月刊全生の昭子さんの文章に鳳さんの名前が出てたよね? あれって、鳳蘭なの? 鳳蘭っていくつ?」
「50代じゃないの?」
(wikiで調べる)
「60代半ばじゃないか。それならアサちゃんが5歳として、年代的にはあり得るね」
(再びwikiで調べると、宝塚卒業後の初舞台が1981年になっている)
「ちょっと時代が合わない」
(再びwikiで「鳳」「宝塚」「劇団欅」で調べる)
「鳳八千代か? 知ってる? 水戸黄門に出てた人らしいよ」
「しらない」

と、こうやって文字化してみると、結構一方的な会話だ
しかも中身がない
この中身のなさこそが、夫婦の会話の真髄であるとも言えるw

*発表会じゃなくて「公演」と呼ばなきゃいけなかったようです
 主宰者は名倉加代子さんという著名な振付家だそう

2012年11月7日水曜日

why body education? III


[Colds and their Benefits]

 Noguchi wrote a book called "Colds and their Benefits" a half century ago. I think this book describes his philosophy well. Simplifying what written in the book in one sentence, "you catch colds because you need. And going through a pass-through process, you will be refreshed."  Sound good, doesn't it?  And many people understood and still understand Seitai as a natural healing art. I do not say this recognition of Seitai is wrong. But if you read the book carefully, you will find that this is the book on education. Over 30 years ago, I was working at an american college program in Kyoto as mentioned in part I of this essay.  Many students were experiencing what I called "culture shock fever" when they came into a new culture and this is what exactly happened to me in my intercultural experience. This phenomena can be explained easily as an adjustment phase one goes through. It interests me a lot  and eventually led me to the world of  Seitai.
 Now I have got to the starting point.
 (to be continued)

2012年11月2日金曜日

京都

二年四ヶ月ぶりに京都の稽古会に参加してきた
白山稽古会と日程が隣り合わせになったので、
公開講話初参加の人を含む白山の人たち三名と一緒に松任から京都に車で移動
駐車場から京都研修会館の建物に歩く途中でもう懐かしさ一杯

二年も間が空くと、顔ぶれも随分変わっているさ
顔見知りの人でも、若者だったと思っていた人が、オジサンぽくなっていたり…
その一方で、微塵も変わらない人もいる
この個体差というのは、どこに起因するのだろう
でも会全体が「大人」の雰囲気になってましたね

三日間、集注が保てるか若干の不安はあったものの、
(なんせ、夜中の特訓から宿に帰ると深夜2時というスケジュールなので)
無事最後までたどり着けました
三日間連続の稽古はよいですね

2012年10月27日土曜日

why body education? II

[Noguchi Haruchika]

I always find difficulties explaining what kind of work I do.  Before I go into this topic, I first try to describe Seitai Kyokai, an organization with which I have been working and Noguchi Haruchika, the founder of the organization. I tried to find what kind of information is available in English. Keywords I put to the Google window are, Seitai, Haruchika Noguchi, Katsugen Undo, etc. Then I found out that you won't get much through these keywords. Information from wikipedia is so limited and also outdated. You might get better results if you search in European languages, such as French, Spanish or German. It is because Noguchi's philosophy and practice have spread in Europe through his students. Seitai Kyokai has a web page < www.seitai.org> . But Google's translation system outputs unreadable English.  Best explanation of Noguchi's works I could have found so far is short descriptions of  Noguchi's translated books in English published by Zenseisha. They should give you some ideas of Noguchi's philosophy. http://www.zensei.co.jp/books/store?genre_id=7 
(to be continued)

なぜ身体教育なのか? 5

【カタ】

 石川で稽古会をはじめるきっかけになった白山市のワンネススクールの生徒たち対象の稽古会を先日頼まれてやってきた。生徒たちはどんどん入れ替わっていくから、年に一回やったとしても、ほとんどの子どもたちにとっては稽古に触れるのははじめてということになる。

 今回は、「人にふれる」というテーマではじめてみることにした。はじめてみることにしたといっても、即興なのだけれど。普通に触れても、「私に触れられた」という感覚は生まれない。掌に触れられれば掌に、肩に触れられれば肩という部位に触れられた感覚が生まれるにすぎない。動きの源を、手首、肘、肩と根本の方に移していくと、体の部位に触れられるという感覚からだんだん遠ざかってくる。つまり、僕らの言葉で言えば、だんだんカタが形成されてくる。

 おもしろいよね。カタとは非自己に向かうものであるのにもかかわらず、そのカタで触れられたとき、はじめて相手は、「私に触れられた」と感じる。じゃあ「私」という感覚っていったいなんだ?ということになる。つまり、わたしたちが「私」と感じるものは、通俗的な意味での「個」とは別のものを指し示しているのではないだろうか、という地点にたどり着いてしまう。ここから文化としての身体に目が向けられることになる。

2012年10月26日金曜日

10月の読書

今月はなにげにバタバタしていて
キーボードを叩いてる時間が長かった)
図書館に行く回数も少なかった
でも読んだ本はどれも粒揃い

中国ネット最前線* 渡辺浩平編 蒼蒼社 2011
さわり* 佐宮圭 小学館 2011
アフター・ザ・レッド* 朝山実 角川書店 2012
氷山の南* 池澤夏樹 文藝春秋 2012
通天閣* 西加奈子 筑摩書房 2006
悪党* 石川知裕 朝日新聞出版 2011
 昔ながらの徒弟制度が政治家のところではまだ生きていることがとても新鮮だった
人はなぜ<上京>するのか* 難波巧士 日経プレミアシリーズ 2012
「つながり」を突き止めろ* 安田雪 光文社新書 2010
絶叫委員会* 穂村弘 筑摩書房 2010
 穂村弘の文章はせつない。明治の歌人たちが壁に釘をたてるように書いたとすれば、現代の歌人は曇ったガラス窓に指で書く幼児のようだ。どちらが日本の伝統に則っているかといえば、無論後者だ。

2012年10月18日木曜日

why body education? I

[introduction]

A new gadget I recently got is a device called document scanner.  I bought it to reduce the amount of paper stacked in my shelves. It sounds odd to the people who live in spacious houses. But I have been living in a small house in urban Japan.  Also, I turned to the age of 60 and it is supposed to be a good time to review what I have been doing in my life. I scanned many writings I have done before, from FWC journals in 1970's to mini newsletters I had sent out to friends in 1980's and 90's. Scanning itself is not a difficult work to do. But at least you need to check whether scanning is done properly or not. As a result, I had to go through with my eyes what I have written in the past. I come to realize then, I have been running the same track as I was 40 years ago. I have been engaged in the field named Shintai Kyoiku - it is literally means Body Education past 30 years.  It can be translated this way - what is the role of the body in one's learning process and how one can assimilate their experience. See everything started when I came to know of an experimental college based on experiential learning back in 1973.  (to be continued)

2012年10月16日火曜日

女性に尻を叩かれて


9月に入って何人かの女性たちに同時多発的に尻を叩かれた

一人目は榎田智子さん
アースボイスプロジェクトを切り盛りする女傑である
その彼女が翻訳の仕事を回してきた
しかもよりによって医療器具メーカーの映像に英語字幕をつける仕事
人材不足とはいえ、英訳だよ〜
ところが、はじめてみるとなかなか面白い
翻訳の環境というのは20年前と大きく変わっていて
ネットで機械翻訳もあるしネット辞書も充実している
もちろんそれらがあればすぐできるかというと、もちろんできるはずはなくて
結局のところは自前の言語力だけが頼りなのだが、随分、効率は上る
英語でブログを書かなきゃと思っていた私にとって、すごくよいリハビリになっている
一つの素材を元に、掘り起こしする人、映像を編集する人、翻訳する人、その翻訳をチェックする人、それをコーディネートする人といった複数の人間がネットを介したチームとなって仕事を進めていく様は、なかなか刺激的である

二人目は三上賀代さん
大磯でとりふね舞踏舎を主宰している舞踏家
何年か前に一度、夏のワークショップに呼んでいただいたことがある
その彼女から「9月に一度少人数のワークショップ」をとお声がかかったので
出かけていった
何度かとりふね主催の公演も見にいっているのだが、
彼女の生徒さんたちの舞踏は好きで、湘南舞踏派のファンを自認している
稽古は楽しかったし、なにより、言葉が通じる人と会っているという実感があった
三上さんとの付き合いはそう長くないのだが、
はじめから仲間だと思われているのが不思議でならなかった
しかし、たしかに同類だった
調子に乗って、いつでも白塗りで舞台に立ちますからと言い残してきてしまった
還暦を過ぎるともう怖いものがない

三人目は橋松枝さん
私の長年のお茶の先生
夏の間さぼっていたお稽古に9月半ばを過ぎてようやく伺えた
その時、いただいたお茶があまりに感動的で泣きそうになってしまった
お茶を習っていると、稀に不思議な体験をするけれど、今回のお茶はもう別格
神秘家になりそうだった
いや、あらためてお茶はサボっちゃいかんと思いました
大井町稽古場の若者をお茶に連れて行く企画も再開しなくちゃ

こんな具合でなぜか元気になってしまった
来年にかけ、本業の組織改革とかで、環境が大きく変わりそうだ
こういう状況に面すると、
オロオロするタイプ、ウロウロするタイプ、ワクワクするタイプ
といろいろあるようだが、
意外なことに僕はワクワクしている

2012年10月14日日曜日

フランス戦ゴール

何度見返しても気持ちいい
فرنسا 0 : 1 اليابان 投稿者 kooralive

2012年10月13日土曜日

パソコンの奥から...

パソコンの奥からこんなものが出てきた
昔、稽古場の非公式サイトを運営していた頃のもの
当時はまだネットで動画を公開するのは回線速度の関係で無理だったので、動画をパラパラ漫画風にしてファイルサイズを小さくしていた
登場人物に許可を得ているわけではないので、期間限定ということで...




2012年10月11日木曜日

明け方の夢

飛行場に向かっている
稽古場の仲間と一緒らしい
場末の路地のようなところから大きな道路に出てタクシーを拾おうとする
おばちゃんに、タクシー乗るなら駅に戻ったほうがいいよとアドバイスされる
濃い緑色のジャケットを着たD先生も一緒
小雨が降っている
道路の少し先で誰かが車を停めたらしく、そっちに急いで行く
スポーツカーのような超近代的な車で、シートが三列あって寝そべって乗るようになっている
アメリカ人らしき男に招き入れられ左端のシートに座る

僕だけ寄り道をしている
古い大きな民家
知り合い家族が住んでいるらしい
小さな女の子が何人かいて、お父さんお母さんもいる
私は半ば家族として遇されている
空港に向かう時間になる
夕方6時半発の便なのだが、時計は5時を指している
庭先までお手伝いさん風の女性が見送ってくれる
家の前に立ってタクシーを待つがこない
反対側から遊園地の電車のような屋根のない乗り物がやってくるが空港には行かない
タクシーが来る

2012年10月5日金曜日

なぜ身体教育なのか? 4

【かた以前】

 かつて、カタとは「型にはめる」ものでしかなく、嫌悪の対象であった。自分の受けた教育は鋳型によるJIS規格製品生産ラインであると卒論の中で断罪しているほどである。この場合のカタとは学校教育を工場に例えたものであり、自分自身はそのラインの生産物であるという比喩である。この近代的大量生産モデルの問題が、カタこそが日本文化の特質であるという言説と混同され、その分別を20代の私はつけることができなかった。いま振り返れば、70年代に流行った日本人論ーその大半は『菊と刀』に代表される外からの視線を逆輸入したものなのだがーの影響を少なからず受けていることがわかる。なんども言及している某実験的大学ーFreinds World Collegeというクエーカーのはじめた大学で今はLong Island Universityのプログラムとして存続しているーの中ではリベラル急進を標榜していただけに、文化人類学的アプローチを援用することは当然の如く行われていた。当時、そこのアメリカ人学生に、「日本の教育は盆栽みたいだ。伸びようとするものをチョキチョキ切り刻んでいく」と言われ反論できずに悔しい思いをした記憶が40年近く経った今でも残っている。この近代生産モデルとしてのカタと文化の伝承装置としてのカタ。この混同はなぜ起こってしまったのだろうか。それとも、後者を前者に置き換える、あるいはすり替えるという行為は意図的に行われてきたのだろうか?整体におけるカタの問題というのは、後者に属するわけだが、このすり替えの問題をときほぐしておかないと、先に進めない、というか、すぐ元の混乱に戻ってしまうような気がするのだ。これは宿題。裕之先生の論文(The Idea of the Body in Japanese Culture and its Dismantlement)ももう一度読んでみることにしよう。日本語で読むとすれば、『これは教育学ではない』所蔵の文章か。

2012年9月29日土曜日

なぜ身体教育なのか? 3


【同化された体験としての体】

 ここまでは、風邪を例えに体験と身体ということを書いてきたが、食べ物の消化吸収の話の方が、わかりやすいかもしれない。食事をエネルギー補給だと思っているひとは多い。それにしても、人間の体を機械に例える習慣はなんとかならないものか。分かり易いといえばその通りなのだけれど…。思春期の子供たちの底なしの食欲などをみていると、食い物が体を作っていくという実感はある。ただ、栄養学的に足りないものを足すという考え方は偏りがすぎる。むしろ、食べるという体験、つまり、食べものという他者との邂逅によって生まれた体験をを同化することで体が作られていくという説明のしかたのほうが納得できる。しかも、料理って、材料をそのまま食ってるわけではなくて、料理する人が介在している。材料にしても、それを育てた人、あるいは捕まえた人だっている訳だ。料理する人だって、料理する過程で、食材と出会い、なんらかの体験をし、その体験が料理に反映されてて、それを僕らは口に入れ、そこでまた、体験が生まれて…という風に、体験の連鎖として僕らは食事をしている。じゃあ、体験の同化によって僕らの体が形成されているとしたら、その体の中に、当然のことながら「他者性」というものを認めていかざるを得なくなる。

 もっとも体には異化の働きもある。同化する見込みのないものは異化し、排除する。打撲ってありますね。打ち身。整体では打撲を恐れる、という言い伝えがあるけれど、この打撲ってなんだろう。打撲とは同化されないまま残っている未消化の体験と理解すればよいと思う。異化されたまま潜在している体験。体の基本的なはたらきは同化にあるから、季節の変わり目など、眠っている打撲が起きだしてくる。つまり、同化しようという働きが起こってくる。実際のところ、打撲のない人間はいないわけで、皆それぞれ古傷を抱えて生きている。打撲もうそうだし、挫折もそう。つまり中断されれ実現されなかった欲求の痕跡が、体中に散らばっている。それらをひとつひとつ同化のプロセスに流し込んでいく。これもまた整体の愉しみと呼べるかもしれない。つまり、同化のプロセスが進行することによって、体は刻々と刷新されていき、次々と新しい視点を得て、昔の体験そのものもバージョンアップされてくるのだから。自分探しとか、いまだ流行っているらしいけれど、新し自分を見つけるって、すごく簡単。古傷ひとつを同化しちゃえば、もうそこに新しい自分が現出するのですよ。

(あらためてお断りするまでもないと思いますが、ここで私がつらつら書いているものの全ては晴哉先生や裕之先生の受け売りです。もっとも誤理解ということはあるかもしれず、この誤理解の部分にだけに私のオリジナリティがあるということになります。)

なぜ身体教育なのか? 2

【風邪の効用】

  ここからいきなり整体の話になる。ここでいう整体とは、言うまでもなく、野口晴哉の整体のことであり、身体教育研究所の整体のことである。ただ、整体を学んでいる人たちといっても千差万別で、「私薬飲んでないから整体人」という人から、「健康なんてクソじゃ」という稽古場の人まで様々。それはそれでいいと思う。単に薬を飲まないということ一つとっても、無駄な医療費を増やしてないという意味で社会に貢献しているはずなのに、世間的には反社会的存在であったりする。へんな世の中だ。それはともかく、なぜ整体の人は薬を飲まないのかというあたりから、体験と教育というところに話を移していくことにしよう。

 たとえば、晴哉先生の「風邪の効用」を読めば、人が風邪を引き、熱を出し汗をかき、その後の低温期を上手に経過すると体はリフレッシュされると書いてある。それをただの健康法とだけ理解する人は多いのだが、教育の見地から見れば、実に重要なことが示唆されていることが分かる。つまり、「人は体験をどのように同化させていくか」のひな形がここに示されている。風邪を例えばインフルエンザとか外因性のものとしよう。人の体とウイルスが衝突するわけですね。発熱はその境界線上で起こる。疫学的な発熱のメカニズムはいくらでも説明可能であろうが、人が何かを経験するということは、そこに他者との邂逅というものがある。その他者というのはウイスルであっても、人間であっても構わない。それではウイルスや細菌を擬人化しすぎでしょ、という意見が出てくるかもしれないが、人を一個の統一体と捉えれば、これは擬人化でもなんでもなくて、当たり前のことである。「体験は他者との邂逅として生まれる」という定義はそう的は外してないはずだ。

 問題は「人は体験をどのように同化させていくか」という点なのだ。晴哉先生曰く、風邪を引いたときは、発熱ー低温期ー平温に戻る、という過程を経ることが自然であり、それを経過すれば新しい体になると仰っている。活元運動の場合の、弛緩ー過敏ー排泄も同様である。つまり、「新しい体」とは、体験を同化した身体という意味。そう考えれば、この同化の経過を邪魔するものとして薬の服用があったりするわけだ。そう、整体の人とは、薬を飲まない人のことじゃなくて、自分の中で起こっている同化のプロセスを心静かに見つめられる人のことをいうのです。

 そう考えると、「体験学習」ってものの難しさというのも浮き彫りにされる。体験主義がただの現場主義だったら、学習者を混乱させてお終いということになりかねない。その体験をどう吸収させるかという部分が制度としてないと成り立たない。1で書いた学校の日本センターで5年仕事したのだが、いま振り返ると、カウンセラー的な仕事が多かった。つまり、この同化のプロセスの部分のケアをよくわからないままやっていた訳だ。

 ・異文化を通してみえてくるもの 月刊全生 1987年

なぜ身体教育なのか? 1

【承前】

 スキャンした昔々の自分の書いた文章を読んで、なんだ20代の頃とぜんぜんブレないでやってきたんだということが確認できた。ブレてないというか、あんまり前に進んでないぞ。とはいえ、身体教育というものに関わってきて30年、その後の進捗度合いというか、少なくとも現段階でのまとめというものをひとつやっておかないとイカンなという気分になってきた。と、同時に、自分の仕事の領域を広げていくきっかけにもしたい。そんな訳で、これからしばらく、取り留めもなく、とはいえ、ある程度のまとまりを目指して、いま考えていることを文章にしていくことにする。

 かつて、私が在籍したのが、「体験学習」を元にした「実験的」大学 - an experimental college based on experiential learning であったということが、教育という分野に頭を突っ込むことになったきっかけである。「体験学習」というのは「現場主義」と言い換えてよいと思うのだが、つまりは、学生を現場に放り込み、そこで問題を感じとらせることを眼目にしていた。しかしながら、そこに確固とした方法論があったとは言い難く、体験→レポート→評価→体験→…..を繰り返しながら、いわば行き当たりばったりの体験をしながら卒業していくという仕組みになっていた。当然のことだけれど、当たり外れは大きく、ある一定のレベルを保つことは困難なシステムであったといえる。これを学校という枠組みの中で学費をとってやろうという野心はよしとするとしても、かなり無理のあるシステムである。今でこそ、大学生が夏休みを利用して研修旅行と称したツアーに参加することで単位を獲得するという制度は普通であるが、私のケースは1970年代のことであり、当然のことながらインターネットなどというものはまだない。それどころか、国際電話ひとつかけるにしても10分3000円とかの時代である。

 ・FWC JOURNAL 1974 SANA FE COMMUNITY SCHOOL 
 ・FWC JOURNAL 1974-75 INDIA 
 ・FWC THESIS 1976 

2012年9月27日木曜日

紙減らし

かつて自分が書いた文章を読んでいる
ドキュメントスキャナによる紙減らしの一環で、
昔出していたミニコミとか学校に提出したレポート等々
どんどんPDFにしている
その量、500頁
スキャンすると、抜けがないかどうかチェックした上でないと
元原稿を捨てられないから、結果、ひと通り読むことになる
これが面白い
一番古いものだと1974年のサンタフェ・ジャーナル
最も量書いていたのは1990年の頃
育児日記と称して書き散らかしている
すっかり忘れていた出来事が固有名詞とともに甦ってくる
うーん、それにしても縁遠くなってしまったというか
不義理してしまった人が多いな

2012年9月26日水曜日

9月の読書

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか* 増田俊也 新潮社 2011
 柔道史・プロレス史・戦後史・日系人史・ブラジル・ハワイ..... 実をいうとまだ700頁のうち550頁を読み終えた段階。でもまあ、よくここまで書き込んだものだと脱帽。
世界音痴* 穂村弘 小学館 2002
よみがえれ!老朽家屋* 井形慶子 新潮社 2011
白の民俗学へ* 前田速夫 河出書房新社 2000
春を恨んだりしない* 池澤夏樹 中央公論新社 2011
高峰秀子の流儀* 斎藤明美 新潮社 2010
神仏習合* 義江彰夫 岩波新書 1996
神々の明治維新* 安丸良夫 岩波新書 1979
原発危機 官邸からの証言 福山哲郎 ちくま新書 2012

2012年9月24日月曜日

結婚式

姪っこの結婚式
今風の結婚式場での今風の結婚式
着慣れない黒服に白ネクタイして雨の中お台場に出かけてった

おいおいこここはディズニーランドか?
という教会風の建物での挙式
神父らしき人が式を執り行い、聖歌隊らしき人が賛美歌を歌う
そう、すべてが「らしい」のだ
親族顔合わせの部屋を出ると、そこはもう結婚式の式場だったりする
ちょっと合理的、効率的に設計されすぎてるでしょ

新郎新婦とも25歳
幼馴染だという
新郎新婦が若いから集まってくる招待客も当然のごとく若い連中ばかりで、
新郎の方はヤンキー風地元つながり仲間、
一方の新婦の方はスポ根女子仲間で、どちらも元気いっぱい
その仲間たちがお祝いビデオを用意していたのだが、それが出色の出来栄え
料理が運ばれてきて口にしようとすると、
いきなり照明が落ちてビデオが始まってしまうのには閉口したが、
手作り感いっぱいの映像のセンスが素晴らしい
へぇー、最近の若者はこんな風にしてお祝いするのかと感心してしまった

姪っこと一緒にバージンロードを歩いてくる義弟の悔しそうな顔
こんな役目を仰せつかったら、僕は失踪するね
それはともかく、愉しい集まりだった

かつては、「結婚式、フン」
とか言ってた僕だが、人の体を観るようになって、
「式」の有効性を肯定せざるを得なくなり、
若い人には、「ちゃんと結婚式はやったほうが良いよ」
などとアドバイスしている(笑)

若さはすべてを許容する

2012年9月12日水曜日

秋らしくなったとはいえ暑い

先日ののんきの会で、水口さんが歌ってくれた「旅立てず今ここに」を聴いて、なんか区切りがついた感がある。水口さんの歌は、1月末にあった、第一回目ののんきの夕べで僕が読んだ「四国遍路宣言」に応えるかたちで作ってくれたもの。あれから7ヶ月、四国には行かず、病院通いをして、家の片付けをしているうちに還暦を通りすぎてしまった。

暑い日は続いているが、本部の稽古もはじまった。ふと気づいたのだが、僕がやっていた事務方を引き継いでくれた四方さんが働き始めて丸四年になるのだ。ということは、僕自身が卒業してすでに3年半経ったことになる。いまも、こうしてなんとか生き永らえられているというのが不思議でもあり、また有難いことだと思う。学生だった一人娘は独立し、同僚の松井さんは一児の父になり(先日、家に遊びに来てくれたのだが立派な赤ちゃんだ)、妻は長期の入院を体験し....。私の周囲に多くの出来事が起こってきたことになる。

スキャナを買ってしまった。ここ半年で家の中は随分片付いた。最終的に残るのが紙の類。いさぎよく捨てちゃえばよいのだが、なんの因果か、まだ執着がある。試験を兼ねて、昔の月刊全生からコピーしてあった裕之先生の「感応と内観」とか、戸村さんが自家出版した漫画「坐法」「臥法」などをスキャンしてみた。いろんな方からいただいた紀要なども溜まっているしね。じゃあ、スキャンしたら捨てちゃうのかというと、結局、押入れのダンボール箱に逆戻り。なにやってんだか。

仕事しなくちゃ、と思っているところに翻訳の仕事が舞い込んできた。映像に字幕をあてはめていくものなのだが、なかなか一筋縄でいかない。しかも、和訳ではなく英訳。月刊全生に載せるシュノーレポンさんの原稿を和訳していたのは20年も前の話だからな〜。今は、ネットに辞書はあるし、専門的な知識もある程度はネットから得られる。翻訳事情も随分変わってしまったわけだ。大磯にある舞踏舎からも半日講師のオファーもあった。本当は、本業がもっと忙しくなきゃいけないのに、なんか大井町暇(苦)。

さて、誕生日はケーキで誤魔化されてしまったので、食事会をリクエストしておいたのだが、今週あたりやっと実現しそうだ。

2012年9月4日火曜日

旅立たず今ここに

先日の「のんきの夕べ」で披露されたsunajiiのテーマソング
1月末の「のんきの夕べ」で水口きみやさんにお願いしたものが形になって返ってきた
あれから7ヶ月、旅立てなかったが、長い旅をしてきた、そんな気分だ


2012年8月29日水曜日

8月の読書

心臓に毛が生えている理由* 米原万里 角川学芸出版 2008
人間の叡智 佐藤優 文春新書 2012
現実入門* 穂村弘 光文社 2005
新リア王* 高村薫 新潮社 2005
失われた鮨をもとめて* 一志治夫 新潮社 2006
たった独りの引き揚げ隊 石村博子 角川文庫 2012
オオカミの護符* 小倉美惠子 新潮社 2011
家族の勝手でしょ* 岩村暢子 新潮社 2010
庄内パラディーゾ* 一志治夫 文藝春秋 2009
仏教教理問答* 宮崎哲弥 サンガ 2012
円朝の女* 松井今朝子 文藝春秋 2009
宮本武蔵* 魚住孝至 岩波新書 2008
日本のリアル 養老孟司 PHP新書 2012
ブラジルの流儀* 和田昌親 中公新書 2011
「言語技術」が日本のサッカーを変える* 田島幸三 光文社新書 2007
最後の冒険家* 石川直樹 集英社 2008

2012年8月28日火曜日

戸隠



石川で二日続けて白山稽古会をやり、
その足で新潟で開催された一泊二日の指導者研修会に向かう
晴哉先生が太平洋戦争時、会員の子供たちを連れて疎開していたという
妙高市にあるお寺が会場
30代の晴哉先生の書が残されていた
優しい筆遣いで、なにかに似ていると思ったらmame画伯の抽象画に通じていた

研修の後、そのまま帰ってくるのは勿体無いような気がするし、
少し涼しいところに行きたかったので戸隠神社に寄り道することにした
中社に泊まり(布団を掛けて寝た)、翌朝、奥社まで歩き、
そのまま鏡池に足を伸ばし、そしてまた中社に戻った
歩いたの距離は10キロほどなのだろうが、上り坂になると息が上がる
ちょっと体力が落ちているのかな

ここ十年くらい、どこかに出かけようとすると、山に向かってしまう
山に登ることに興味があるわけではない
でも、行ってみると修験の山であることに気づく
三徳山(投入堂)にはじまり、岩木山、出羽三山、早池峰、白山...
日本人の信仰心の源を遡っていくと山にたどり着く
水であり森であり、山なのだ

修験の山に行くと、そこが神仏習合の場所であったことがわかる
明治維新期、神道の国家神道化の過程で行われた廃仏毀釈によって、
神道と仏教の共存が壊され、これによって日本の信仰心も歪められていく
このあたり、松岡正剛が的確に評論している「千夜千冊」の一章をを発見
→ http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1185.html
ここに挙げられている書籍を手がかりに少し学んでみることにする

2012年8月20日月曜日

基礎

教えることに興味がなくなった
というか、少なくとも、もはや卸業者としてやってもつまらない
というふうに思うようになった
本部を上位に置いて、そこから下流に向かって何かを流していく役目
というものに興味がなくなった

ところが卸の役目というのをレゾンデートルにしてきたから、
それから外れたら実になにもできない
ということもわかった

稽古を進めていく上で、共有しておくべき最低限の技術、知識
というものはある
これはもう、学んでもらわないと話が先に進まない
でも、その最低限をどこに設定するかというと、
やはり最低限のところに留めていたほうがよい
というのが結論
痛し痒しの部分ではあるが、
でも卸業者の役目を捨ててしまえばなんのことはない

じゃあ、その最低限の技術、知識ってなんだ
というと、これがまたわからない
おそらく集注ということなになるし、
稽古でいうと合掌行気、坐法、臥法あたりになりそうだ

あらためて基礎と呼ばれている稽古と取り組んでみる
その後の新しい知見を盛り込める器を有するものこそが基礎である
ということがわかる
坐法1988と坐法2012は同型であるが内実は進化している

基礎を掘り下げる
自分の稽古はここから再スタート

2012年8月17日金曜日

夏野菜

お盆前の週、秋田(雄勝)に行って来た
義姉が一人暮らししているかみさんの実家
妹も近所に住んでいる
三人姉妹が雁首そろえて喋っているのをみると、
歳とっても(皆さん60代越え)かしましさは変わらない


(湯沢の七夕絵灯籠)


前回の東北行からすでに5年たっていることに驚く
5年前は、西馬音内盆踊り、出羽三山巡り、山寺研修と二週間の長丁場だった
筆動法でおくのほそ道を書いていた時期である

野菜が新鮮
トマトにパプリカにキュウリ
ほとんどご近所から回ってくるもので野菜は足りてしまう
とれたてトウモロコシを茹でたものがお昼に出てくると、
なんか半世紀前の夏休みに引き戻される

帰り道、肘折温泉に一泊
新庄から車で40分くらい
月山の懐に分けいって行く
宿の食事にも地元の野菜がぞろぞろ出て来る
通年営業というから、今度は雪の季節に来てみたい

面白い旅館で、廊下のところどころに本棚があって、
ジョブズ伝とか、東北学シリーズとか、亭主のこだわりが並んでいる
そのなかに『庄内パラディーゾ』という一冊を見つけた
奥山政行という料理人が庄内野菜と出会うお話

帰ってきてからちょっと夏バテ気味
スーパーの野菜売り場で買ってきた野菜を食っても元気が出ない
東北で食べた野菜のみずみずしさが必要だ

2012年8月14日火曜日

還暦

還暦到達
60代、はじけます

2012年8月5日日曜日

受けの美

オリンピックのサッカーが面白い
男女とも勝ち進んでいるしね

なでしこの真髄は粘り強い守り
耐えて守っている姿が実に美しい
似合っている
一方のブラジル
攻めてるときは美しいが
守る姿が美しくない
きっと嫌いなんだな
攻めるブラジル、守る日本
両者の特徴が遺憾なく発揮された好ゲーム

柔道って見ててつまらない
積極的に攻めないとすぐ注意とか受けてしまう
えっ、柔道ってそんな競技だったっけという印象
柔道って、本来、「受け」の武道じゃなかったのかしら
先に攻めるって、弱いものがやることじゃなかった
日本の柔道が金メダル取れなくて当然
だって、攻めるなんて美意識に反しているんだから
銅メダルで十分でしょう

2012年8月1日水曜日

オムレツ

「たまには朝御飯作って」
というリクエストに応えて、台所に立った
一家に主婦は二人いらないから、
このところ主夫業はサボリ気味だったのだ

メニューは簡単
トマトサラダ、オムレツ、トーストと紅茶
トマトはサイコロに切る
ドレッシングづくりはカミさんにまかせることにして、
オムレツにとりかかった
フライパンに卵を流し込んで火加減をみているうちに、
先日、ある人から受けた相談事をふと思い出した
そうか、料理に挑戦させればいいじゃないか

相談事というのは、その人自身のことではなく、
その元同僚から持ちかけられた、
「僕、動きがとろいんですけど、なんとかならないですかね」
という漠然としたもの
僕も、その人とは少しだけ付き合いがあって、
「同時並行処理が苦手な人」という印象が残っている
単純に「稽古しなさい」とは言えない距離なので、
アドバイスのしようがないなあと、聞き流していたのだ

料理って、ちゃんと段取りを踏んで複数の作業を並行してやんなきゃいけない
でないと、温かいトーストと紅茶とオムレツが同時にテーブルに並ばない
そいういう意味ではかなり修練のいる作業
加減とか塩梅とか極めてアナログな感覚的世界で、
オムレツなんて、追求していけば、とてつもなく深い世界

料理に挑戦しなさい
こんなアドバイスを伝えようかと思っている
でも、そのもとになる感覚的世界=身体という部分は手つかずのまま
隔靴掻痒感は残る

2012年7月30日月曜日

カウントダウン

あと数週間で還暦だ〜
映画はいつ観に行っても千円だし、
ビールくらい解禁にしちゃおうかな
などと思いながら継続中の部屋の片付けをしていたら
いきなり腰痛になった
月末恒例の白山稽古会の前々日のこと

この歳になるまで、ちゃんとした腰痛って、あまり経験してない
ついに来たかーーって感じだ
体をなだめすかしながら
羽田小松経由で金沢にたどり着く
一定の体勢を保っているときはどういうこともない
が、動き始めが・・・

金沢駅前フォーラスにある映画館で封切直後の
『ダークナイト・ライジング』をレイトショーで観る
予備知識ナシ
勧善懲悪のヒーローものだとばかり思っていたのだが、
随分深いテーマを扱っているのだ・・・
前作、前々作も観たくなる
三時間の後、椅子から立ち上がるときは大変だったが

稽古会当日、なぜかキツイ動法に入り込んでしまう
坐法・臥法をやり直すという流れはたしかにあった
もっと控え目に運んでいくやりかたもあるはずなのに、
どんどん深みにはまっていく
白山稽古会の場合、まだ自分がモデルとなって見本を示すしかないから
結果、自分自身を追い込む羽目になる
動法の理に沿って動けば、たしかに痛まない
ちょっとでも誤魔化すと、痛み百倍
冷や汗をかきながら最後までたどり着く

今年に入って随分いろんな出来事が起こり、
その集大成がこの腰痛ということなのか
体の再構成も進行中

2012年7月29日日曜日

7月の読書

月への梯子* 樋口有介 文藝春秋 2005
きものという農業* 中谷比佐子 2007
時には漫画の話を* 川本三郎 小学館 2012
短歌パラダイス* 小林恭二 岩波新書 1997
「森の長城」が日本を救う* 宮脇昭 河出書房新社 2012
新宗教ビジネス* 島田裕巳 講談社biz 2008
生きていく民俗 宮本常一 河出文庫 2012
311を撮る* 森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治 岩波書店 2012
宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み* 西岡常一棟梁の遺徳を語り継ぐ会 日本経済新聞社 2005
もしもし、運命の人ですか。* 穂村弘 メディアファクトリー 2007
アダムの呪い* ブライアン・サイクス ソニー・マガジンズ 2004

2012年7月17日火曜日

暑中お見舞い申し上げます

年頭「春になったら四国遍路に出るぞ!」と高らかに宣言したものの、3月末になって妻が入院することになり、以後、4月5月は専業主夫として病院に通いながら家事に励む事と相成りました。よって、四国遍路は実現しておりませんが、初体験の専業主夫業は、これまでないがしろにしてきた「暮らし」というものに目を向ける貴重な体験となりました。幸い、5月末、二ヶ月に及ぶ入院生活から妻は無事帰還し、日に日に体力・体調を取り戻しつつあります。長期の入院生活を経たのだから、生まれ変わって戻ってくるであろうと期待していたのですが、性分というのは誠に強固なようで、以前と寸分も変わらず、「正しく病む」ことの困難さを実感させられています。想定外の出来事続出の今年前半でありましたが、私自身は来月に迫った還暦をいったいどのような心境で迎えればよいのか悶々としながら、同時に社会復帰を目指しリハビリ中です。今年も暑い夏になりそうです。皆様のご健勝をお祈りいたします。
 二〇一二年夏

2012年7月10日火曜日

ほむほむ

ほむほむ、ほむほむ、
と若者が嬉しそうにつぶやくので、
「ほむほむ」とはなんだと問うてみたら、
穂村弘という歌人だという
どうやら、アイドル歌人、あるいはカリスマ歌人、らしい
本屋の棚を探してみたら、あったあった
『短歌の友人』(河出文庫)という本を見つけて読み始めた

これは名作だ
短歌にはまるで不案内なのだが、
ページをめくるたびにふむふむと頷くことになった
様々な媒体に折々に発表された文章を一冊にまとめたものなのに
まるで齟齬がない
270頁の文庫本にしては濃密すぎる

…我々が〈近代〉以降の時間を生きつつ、同時に〈戦後〉という時間を生きつつ、同時に、〈今〉を生きている、ということである。我々は三つの時間に同時に生きている。そして〈近代〉以前の時間からは大きく切断されている… (p.205) …斎藤茂吉の作品を頂点とする、このような近代短歌的なモードを支えてきたものは「生の一回性」の原理だと思う… (p.126 ) …次に戦後という時代性に対しては、…私見では、短歌は「言葉のモノ化」というかたちでもっとも鋭くこれに「対応」したと思う…(p.133 )…すべてがモードの問題に還元されるような感覚を突き詰めるとき、その根本にあるものは死の実感の喪失である..(p.131)

と、めずらしくたくさん引用してしまったが、
時代の変化と短歌のモードの変遷は、
当然のことだけれど、身体性の変遷と対応している

で、問題は〈今〉なのです
…決定的に〈酸素〉が足りない世界で生きていくために、人間は機械に〈進化〉したのだろうか…(p.107)
のような〈今〉
しかも、自分自身が拠り所としていたものは幻であったことが
露わになってしまった原発事故後の〈今〉

〈今〉の〈私〉は、
上で引用した「三つの時間」のレイヤーが
地震によって撹拌され、ぐちゃぐちゃになった液状化状態
再編成が進行中という感触はあるのだけれど、
形になるまで、もうちょっと時間がかかりそうだなぁー

2012年7月9日月曜日

2012年7月7日土曜日

一之江に父を訪ねる
だいたい月1のペースなのだが、
このところ間隔が空いてしまっている
二人してバス停で2つ先にある鰻屋に向かう
バス停まで200メートルばかり歩くのだが、
「最近はなんかふらついて…」と言いながら、
使いはじめて間がない杖を頼りにヨタヨタと歩いていく
父のその姿を斜め後ろから見ていて、「いい感じだな」と思う
たしかにヨタヨタしているし、歩道を疾走する自転車にはひやひやする
ありていに言えば、足腰が衰えて来たと表現されるべき現象で、
実際危なっかしいことこの上ない
でも、余分な力が抜けた、その「ヨタヨタ」感が実に佳いのだ
正しい「衰えかた」ってものは、間違いなくある
父と一緒に歩きながらそんなことを思った

2012年7月2日月曜日

お茶の稽古

白山稽古会でお茶の稽古をした
会場はいつものふるさと館
お茶を通しての動法・内観を教授しているOさんに来ていただいた
参加者の大半はお茶ははじめて
Oさんの教え方はなかなか大胆で、いきなりお茶を点てさせてしまう

これまで稽古会で「感応性」というものを提示してきたはずなのに
お茶という、設定された「場」における「お道具」を介した稽古によって
より「感応」の世界が明示されていくのは新鮮である

それにしても、雨に濡れた庭を望みながらお茶の稽古ができるとはなんと贅沢な
雨の中、道具を運び入れるのは大変だったが、この梅雨の時期にお茶の稽古を入れて正解だった
私も亭主の座にすわり、気持よくお茶を点てさせていただいた


























いつかお茶について書いたものがあったはずだと探してみたらここに置いていた
興味のある方はどうぞ


2012年6月28日木曜日

6月の読書

梅雨時は読書時、のようです

社長・溝畑宏の天国と地獄* 木村元彦 集英社 2010
困ってるひと 大野更紗 ポプラ文庫 2012
 こんなドライブ感のある文章と出会ったのは久しぶりだ
風雪の檻* 藤沢周平 講談社文庫 2002
飼い喰い* 内澤旬子 岩波書店 2012
母の遺産 水村美苗 中央公論社 2012
短歌の友人 穂村弘 河出文庫 2011
春秋山伏記* 藤沢周平 角川文庫 1984
なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか* 想田和弘 講談社現代新書 2011
僕が2ちゃんねるを捨てた理由* ひろゆき 扶桑社新書 2009
春秋の檻* 藤沢周平 講談社文庫 2002
ドラゴン・ティアーズ* 石田衣良 文藝春秋 2009
田舎暮らしに殺されない法* 丸山健二 朝日新聞出版 2008
女子学生、渡辺京二に会いに行く* 渡辺京二x津田塾大学三砂ゼミ 亜紀書房 2011
働かざるもの飢えるべからず。* 小飼弾 サンガ 2009
島国チャイニーズ* 野村進 講談社 2011
キップをなくして* 池澤夏樹 角川書店 2005
日本的感性 佐々木健一 中公新書 2010

2012年6月25日月曜日

つらつらと

だらだらと、あるいは、つらつらと書いていくというスタイルが思いのほか、いまの自分に適っていることを発見してしまったので、しばらく、こんなスタイルで、とりとめのない文章を書いていこうと思う。

野口晴哉公式サイトというのが立ち上がったことは、何日か前、このブログでもアナウンスした。私のところに「いいですね!」と感想を送ってくれる人もいるが、サイトを見れば分かるように、制作、野口晴哉公式サイト制作チームとある。整体協会も身体教育研究所も全生社も「制作協力」という立場で名を連ねているだけである。じゃあ、制作チームって誰だ?

整体協会とのつながりは、もう35年くらいになるのだが、私は生前の晴哉先生と会ってない。タイミングを外すというのは、僕の特技ではないかと思っているくらいなのだが、整体協会に入会したのは、晴哉先生が亡くなって数年後のこと。つまり、僕の出発点は「野口晴哉を知らない世代は、どのように整体を学びうるのか」という一点にある。はっきりいって、晴哉先生を知っている人たちは、それだけでo.k.なのです。それに比べて、出遅れてしまった私など、それだけでハンディを負っている。整体の勉強などまったくしたことのない私のカミさんは、なぜか生前の、しかも下落合時代の野口先生と会っている。それだけで、家庭内においてすら、カミさんは僕よりも優位な位置を保持している(笑)。

余談だけれど、なぜうちのカミさんが下落合の道場に行ったかというと、そこでお姉さんが働いていたからというだけの話。私にとっては義姉になるのだけれどTさんという。はい、泣く子も黙るTさんです。御年71歳のはずーと年齢を書いてちょっと違和感があるくらい若いなーだから、整体協会歴は50年+のはず。整体協会が社団法人になってからは、そこの職員ということになるのだけれど、そもそもの始まりは、洋裁をやっていた晴哉先生の妹さんところで働くことになったのがきっかけのようで、それが横滑りして晴哉先生の秘書みたいな立場になっていったらしい。雑談の中で、当然、晴哉先生の話は山のようにでてきて、面白い話もいっぱい聞いた。何度か録音機を回して話を聞こうとしたことはあるのだけれど、ダメですね。僕はインタビュアーとしては優秀なはずなのだけれど、ことT姉はダメです。ちょっとでも改まった感じがあると、何も出てこない。古い指導者もどんどん亡くなり、整体協会前史を知る人はどんどんいなくなってるから、今のうちにだれか、ちゃんと話を聴いておいたほうがいいですよ。

僕が整体を学び始めたころというのは、晴哉先生をよく知っているという人たちが大勢いたわけだけれど、その人達の話をいくら聞いても「私は野口先生に可愛がってもらった」ということは伝わってくるが、「群盲象を評す」ようなもので、晴哉像はいっこうに焦点を結んでくれない。結局のところ、偶像化だけがどんどん進んでいく。

つづく

2012年6月23日土曜日

2012年6月22日金曜日

お茶再開

五ヶ月ぶりのお茶の稽古だというのに遅刻だなんて
ユーロ2012のライブストリーミングと朝方の激しい雨音のせいだ
などという言い訳を考える暇もなく
がばと跳び起きて、五分で着替えてひげも剃らず家をとびだした
35分遅れで菊名到着

Hさんはちゃんと待っていてくださった
ありがたく、また申し訳ない
最近旅行されたというトルコのことなどを話題にしながら、しばし雑談
ノアの方舟で有名なアララト山など、今は観光地になっているのですね
40年近く前にアララト山を遠くからチラリと眺めたことはあるけれど...

まず、客としてお茶室に入り、お茶をいただくことにする
季節は変わって、風炉になっている
Hさんが点てた茶が置かれる
一対一のお稽古だから、当然のように正客の席に座っていたのだが、飲めない
茶碗を隣の席の前に移し、そっちに座り直す
これでようやく茶をいただける
だれか一緒に来たかったのだなと一人合点して茶をいただく
何十回と座ったことのある同じ場処に座ると、自分の状態がよくわかる
まだ病院と切れてない
合掌行気しなきゃ

入れ替わって、お茶を点てる
思いの外、お抹茶がバサリと入ってしまい大丈夫かいなと心配したが、
「美味しいお茶です」と言ってくださり、胸をなでおろす
空気は湿度に満ちているが、点てられたお茶はカラリと爽快である
なんだか「帰ってきた」感に満ちたお茶の稽古だった

来週は白山稽古会にOさんを招いてお茶の稽古会をやることになっている
さてどんなお茶がいただけるだろう

野口晴哉公式サイト

野口晴哉公式サイトがオープンしたようです
http://noguchi-haruchika.com/home.html
カッコよく仕上がっています
中川一政との対談録は必読
このブログのサブタイトルの謎も解明されますw

2012年6月19日火曜日

だらだらと本について

図書館が近くにあるから
この街に25年住んでいる
というのは、大げさだけれど
図書館なくして僕の読書ライフはない
ということはいえる

月に15冊借りるとして
年に180冊
25年だと4500冊
借りて読んでいることになる
おそらくこの数字は実際のものに近い

予約していた【飼い喰い】が用意できたというので、
図書館にでかけることにした
その前に、今、予約中のものを確認してみると以下の通り
ひとり6冊まで予約できるのだが、
カミさんの図書カードもフル活用すると12冊まで予約可

タイトル、予約日、待ち順
【選択の科学】 11.12.25    21
【木村政彦はなぜ力道山を殺さなかっ】 12.01.06    76
【社長・溝畑宏の天国と地獄】   12.03.29      1          
【飼い喰い】 12.04.10 ★ 用意できました。
【311を撮る】   12.05.11     8
【宮崎哲弥仏教教理問答】    12.05.11    2
【「森の長城」が日本を救う】   12.05.11     1
【オオカミの護符】  12.05.31       31
【日本を捨てた男たち】 12.06.11      112
【アフター・ザ・レッド】  12.06.15       20
【氷山の南】 12.06.15     74
【さわり】  12.06.17      40

あんまり予約した日から時間が経ってしまうと
予約したこと自体を忘れていたり、
予約本が届いた時には、関心がなくなっている
ということもあるが
こればかりは仕方がない
得てして予約本はいっときにまとまって押し寄せてくる

図書館で借りるか、本屋で買ってすぐ読むか、
というのは、テーマと関心の高さと懐具合との微妙なバランスの結果決まる
らしい
相対的にいうと
やはり本は買わなきゃだめ
ということは言える

予約本を受け取る前に、書棚を一周
貸出から戻ってきたばかりの本
つまり本棚に戻される直前の本たちが集められてるコーナーに
大田光の「向田邦子の陽射し」をみつけ、小脇に抱える
このところ続けて読んでいる藤沢周平の獄医立花登シリーズ四部作の二巻目を見つけ、
これも借り出しリストに加える
この立花登シリーズ、結果として4、3、1、2という順番で読みすすめてきたことになる
最初に読んだ第4巻がカラッとした成長潭風だったので、
きっとこれは、田舎から出てきた青年が一人前の医者になる話だと思って
巻を遡って行くと、獄中の暗さと湿気が出てきたので驚いた
「春秋山伏記」を読んだりー庄内弁が絶妙
このところ藤沢周平の気分なのだ

我慢できなくて昨日、水村美苗の「母の遺産」を近所の本屋で買って読みはじめた
大作だけれど、新聞小説として連載されたものだけあって、各章が読み切り風で読みやすい
「私小説 from left to right」「本格小説」「日本語が亡びるとき」と読んできて、
あと読んでないのは「続明暗」くらいかと、「み」の棚をたどっていくと、
「続明暗」の隣に水村節子の「高台にある家」が鎮座しているではないか
「母の遺産」の母が(どれほどまでに私小説かは不明だが)、水村節子のはず
これも手にしてしまう

この他、「イヴの七人の娘たち」などという本も借りることにして、
結局、リュックは重くなってしまった
これから食料の買い出しがあるというのに・・・

梅雨時は読書時である

2012年6月18日月曜日

リアルということ

三ヶ月近く続いた病院通いも終わった
妻が退院して三週間、今後の治療方針も決まったので、
僕が付き添って病院に行くことはしばらくないだろう

病院という未知の世界に足を踏み入れ、
医療のイメージはずいぶん変わった
ひとことでいうと、病院とは「医療」のテーマパーク
今日はCT、明日はMRIといった感じで、検査という名のマシンに並ぶ
手術にいたっては、
患者の側も「体を張っている」わけで、緊迫感がある
医者も看護婦も基本、善意の人たちで、献身的に一所懸命働いている
それはもう疑いようはなくありがたい

でも、なぜかリアル感に欠ける
この欠落感は謎で、いまだに謎である
病室に毎日通っていると、病室を舞台に悲喜こもごも、
いろんな出来事が起こっている様子を窺い知ることができる
でも、なんかみんな役割を演じている
そんな感じを拭えない

医療行為のベースに点滴というものがあることを知った
延命治療と呼ばれているものは自分とは無関係なものと思っていたが、
病院に一歩足を踏み入れると、すでに延命治療に通じる最初の階段を登っている
いつも懐に「生に関する御処置無用のこと」という一文を携えていながら、
気づかぬうちに最初の境界線を越えてしまう可能性があることを知った

妻は医療を受けるという選択をしたし、
そうすることで命を延ばすことができた
でも、僕自身は医療テーマパークとのお付き合いはここまでとしたい
青臭いといわれようとも

2012年6月11日月曜日

大井町ふたたび

ふた月半ぶりに大井町で稽古を担当した
白山や船橋での稽古会は再開していたものの、
ホーム大井町に復帰した気分は格別だ
素直に嬉しい

といって、今期(〜7月)はMさんにおまかせする予定にしていたから
復帰のしかたはなかなかむずかしい
空いた時間をみつけて
ゲリラ的に「テーマを定めた」稽古やることにした

初回は「ころぶ技術」でやってみるつもり
以後、合掌行気とか気合とかもやってみたいし
臥法チェックの会などもよいかも
詳細は大井町稽古場のページに掲載していく予定

2012年6月6日水曜日

白山稽古会

白山市に通いはじめて二年半になる
指折り数えてみたら、すでに30回に及んでいるではないか
稽古会のコアなメンバーは約十名
月一回の稽古会に根気よく付き合ってくれている
一回3時間の枠でできることは限られているが
それでも継続は力なりである

ここまで来ると、もう引き返すわけにはいかない
というか、ひとりひとりの顔を想い浮かべると
この人たちとならやってけそうな感触を持てるようになった
こうなると月のうち一週間でも稼働できる拠点がほしい

一年ほど前から拠点になる場所を金沢松任エリアで探してきた
候補になりそうな物件もいくつか見た
ただ如何せん土地勘がない、地元事情にも暗い
これいいかもと思って意見を聞くと、駐車場がないとね〜と却下されてしまう

ここまで、稽古の会場は市が管理する古いお屋敷の一室
大正昭和期に活躍した地元出身の豪商が所有していた建物を移築したという
木をふんだんに使った実に立派なもの
たしか文化財にも指定されている
いってみれば、ここが白山稽古会のホーム

駅から徒歩3分の物件を紹介された
これはジモッティコネクションのたまもの
早速、中を見せてもらったが、これが70年代に特徴的な和洋折衷の代物で
暮らすには申し分ないが、はっきり言って稽古場向きではない
ちょっとがっかりして帰ってきた

ところが、これ以上の条件
つまり、駅から徒歩3分、駐車場ありという物件が
この先出るだろうかと反問してみると
その可能性は低いのではないかという結論にたどり着く

着地点ではなく通過点
そんな風に考えれば、
この時点で拠点を確保しておくという選択肢もありでなかろうか
ホームはいつもの会場
そこから徒歩3分の仮稽古場、というのはありかもしれない

うーん悩ましい

(6/7 付記 結局、この話、流れてしまいましたorz. 機いまだ熟せず、なのか)

2012年5月30日水曜日

5月の読書

読書月間でした
藤沢周平を読んだりもして...
 
独立国家のつくりかた 坂口恭平 講談社現代新書 2012
「あなたの本はリトルモアという出版社からしか出版できない」とアドバイスした彼の友人はスゴいな
外国人力士はなぜ日本語がうまいのか* 宮崎里司 日本語学研究所 2001
こんな噺家は、もう出ませんな* 京須偕充 講談社 2011
パリの異邦人* 鹿島茂 中央公論社 2008
くさいものにフタをしない* 小泉武夫 筑摩書房 2005
江戸の女は俳諧師「奥の細道」を行く* 金森敦子 2008
人間の檻* 藤沢周平 講談社文庫 2002
オカルト 森達也 角川書店 2012
 森達也のウロウロぶりを好感する
犬儒派だもの* 呉智英 双葉文庫 2006
早春* 藤沢周平 文春文庫 2002
言葉を育てる 米原万里対談集* ちくま文庫 2008
 米原本は網羅していると思っていたが、読み残しがあった
毒婦 北原みのり 朝日新聞出版 2012
知の現場から* 原武史編 河出書房新社 2010
やっぱり昔ながらの家がいい* 辻垣正彦 晶文社2004
日本人の坐り方* 矢田部英正 集英社新書 2011
ぼくは猟師になった* 千末信也 リトルモア 2008
きみのためのバラ* 池澤夏樹 2007

2012年5月28日月曜日

帰還

先週水曜日に妻退院
私の介護遍路も一段落
とはいえ、まだ終わりではない

病院の空気を纏ったまま稽古はできなかったから、
ここから私も再稼働

ゆっくり歩く

2012年5月21日月曜日

皮算用

とらぬたぬきの皮算用、というものはある
いや、あった
辞書を引けば、「都合のよい計算 ・ 胸算用 ・ 机上の計算」とある

四国遍路を計画するにあたり、大まかな旅程を考えた
3月上旬のことである
四国八十八ヶ所の総距離は1200キロ
その距離を40日かけて歩くのが標準とされている、らしい
つまり、一日30キロ

40代のはじめ、野宿主体で30余日で歩き通したという知人がいる
お寺の開いている時間は限られているから、
野宿の方が効率的に回れるという理由だったらしい
このペースはぼくには無理
一応夜は宿に泊まり、だらだらと歩くというのがぼくの当初のプラン
とはいえ、歩き始めるとそれなりにペースは出るだろうという読みもあったから
50日から60日の間だろうと目星をつけた

出発は4月4日ということに決めていた
最初の一週間は緻密に計画し、あとはその都度計画し直す
というのが当初の目論見
四国遍路を終え、高野山に参り、大阪で墓参りを済ませ、
その足で5月末、京都稽古会に馳せ参じる
なんかいいかんじ
「とらぬたぬき」だとこんなふうに考える

妻は今週戻ってくる
入院から59日目
ぴったりぼくの計画していた四国遍路の旅程と重なるではないか

遍路していたのはいったい誰なんだろう

2012年5月19日土曜日

金環日食観測

国立天文台のページでみつけた日食観察法
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20090722/obs.html

2012年5月18日金曜日

自炊継続中

自炊もあと一週間で終了の予定
なんちゃって禁糖なもので、だらだらと禁糖中
料理は禁糖メニューです






























































2012年5月16日水曜日

時間感覚

手術から一週間
妻は順調に回復している
四日目に水を飲み、五日目からは重湯の食事がはじまった
人が食べている姿をみていて、こんなに嬉しくかんじたことはない
すると、それまで止まっていた時間がいきなり流れはじめた
時間感覚と消化器系の呼応関係なんて考えたことなかったな〜

(追記 ただし、この時間、随分と俗な時間のような気がする 5/18)

2012年5月12日土曜日

村中裕季ソロ

とりふね舞踏舎からお知らせをいただいたので紹介
三年前だったか、ここのワークショップに呼ばれていったことがある
村中さんとはその時が初対面だったと思うけど、以来、彼女のファンです
ところで「ぼっけもん」はどういう意味なんだろう

























引き受ける

やっぱりボクはお遍路しているのかもしれない
妻の入院に付き添って一月半、そんな風に思う

付き添うといっても、なにかをやってるわけではない
家事をして、洗濯物を届けに病院に行く
そして2時間か3時間一緒に過ごす
だらだらと話し、場合によっては、傍らで持ち込んだ本を読んでいる
これまで関わることのなかった病院という空間に身を置き、
そこで展開される人間模様の可笑しさ、哀しさをみているだけである

妻は入院以来、点滴だけで生きのびた
どんどんアクが抜けていき、少女のようになっていった
ひょっとして、こいつ本当にいい人だったの?と思えるほどに

手術前には輸血され
それでも気丈に振るまっている妻をみて
ぼくはプライドを捨てることにした
つまらないプライドだけど...
点滴しようが手術しようが、生きてくれさえすればいい
そんな風に思うようになった
術後は大変だろう
その大変さもまとめて引き受けることにした

そう、「引き受ける」ってことを、ぼくはこれまでしてこなかった

入院して45日目の午後、妻を手術室に見送った
小学校の修学旅行のように、ひとつひとつ名前を書き込んだ荷物と一緒に
娘と二人、殺風景な病院のロビーで待った

6時間半後、ようやく呼ばれICUに通された
ここは宇宙基地か?
SFじみた空間がそこにあった
隊員に導かれるまま、妻の横たわるベッドに行った


ぼくはもう土佐の国を抜け、伊予の国を歩いている頃だろうか

2012年5月6日日曜日

ベイビーズ

DVDで観たがよかったです
劇場公開されるらしい

2012年5月4日金曜日

受け身の参加感覚

1)昨日の稽古で体験した「受身の参加感覚」の発現というのは稽古場でやろうとしてきたことのひとつの到達点のように思える。

2)稽古場で育てようとしているものは、よき「演奏者」ではなく、よき「聴衆」なんだろうと思いながら20年間稽古を続けてきた。つまり、出来なかったことが出来るようになる技の追求よりも、出来なかったことがなぜか出来てしまうようになる技の追求と言い換えてもよい。

3)「技」といってしまうと個人の技になってしまうから、むしろ「稽古法」と呼ぶべきだろうし、実際そう称してきた理由もこれで納得できる。

4)よき聴衆となったとして、それは職業にはなりそうもない。職業として成り立てば面白いのだろうが、それは当面難しそう。しかし、これが教養として多くの人たちに共有されれば、おそろしく強靭な文化力となる。

5)かくして、これを職業にできるのは稽古法を編み出せる者ということになる。

6)なぜ古典なのか、という問いに対する答もここにある。古典は稽古法の宝庫である。

7)振りかえって我が身を見れば、「出来なかったことを出来るようにさせる」教師的役割に堕し、稽古法を編み出す努力が決定的に足りてない。還暦を前にしての壁は、このような壁でもあったのだ。

30年の後

4月の下旬、Facebookで30年ぶりに繋がったインド人の知り合いRから
メッセージが届いた
「あなたの師匠の英語論文を読んだ。いま、京都に来ているから教えにきてくれ」
おいおい、そう簡単にはいかないよ〜
「いま身動きとれないから、京都の同僚を紹介しようか?」
と返事したら、「是非」との答え
京都で稽古場を担当しているTに電話してみると、
「うまく説明できないと思うけど、いいですよ」と快諾を得た
「了解はもらったから、一度訪ねてみたら。ただし、英語は通じないよ」
と折り返し伝言する
単純に右から左へ振っただけで、無責任のそしりは免れないが、
かといって、これ以上出来ることもない
稽古場の空気だけでも体験してもらえればそれでいいか

一週間ほどして思わぬ人から電話をもらったーKさん
そうか、英語教師だったKさん、京都の稽古場に通ってたんだ
Tに乞われてだろうと思うのだが、Rが稽古場を訪ねていったとき同席したとのこと
顛末を聞いて笑ってしまった
Rが「インドでも近代化が進んで、伝統との乖離が進行中で、これは問題だと思う」
と話したというのだ
私がDに紹介したのは裕之先生の
"The Idea of the Body in Japanese Culture and its Dismantlement"
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ijshs/2/0/2_0_8/_article
つまり明治維新によっていかに日本人の身体観が変容していったかという内容

Rと私はアメリカ系ヒッピー大学(と呼ばれていた)FWCの同窓生
伝統的なるものからの脱出を30年前は目指していたのだ
それが30年の時を経て、「伝統的文化を・・・」などと二人とも話している
笑っちゃうではないか
しかも、筋が一本通っていると感じている
これは、Tも同様で、Tの「身体教育研究所に入らなければ、この歳でお茶やってませんよ」
という言葉は、そのまま私にも当てはまる
前述のKさんは、奇しくも30年前のFWCを知っている方
不思議な縁ではある

その後、RからもTからもナシのつぶてである
まったく・・・ 
本人たちの印象はどうだったんだろう

身体教育研究所HPの英語版の充実を切に望みます

2012年5月3日木曜日

禁糖メニュー

料理写真を楽しみにしている人が若干名いる(?)ようなので、
禁糖に入ってからの「作品」をアップ
禁糖をはじめたのはよいのだけれど、どうも今年はしくじってばかり
6日目に買ってきたしめ鯖、一切れ口にして甘酢であることに気づく始末
でも買っちゃったし、美味しいし、独りだし、食べるしかない
自炊派になってしまった今年は禁糖はやりやすいはずなのに・・・
「なんちゃって禁糖」になりそうな予感

鶏肉アボガドのわさび醤油炒め+トースト

海鮮アボカド丼

鶏肉の塩麹焼き+小松菜の炒め物+新タマネギと卵の味噌汁

禁糖の味方はホームベーカリー
砂糖なしフランスパンが定番