2012年4月29日日曜日

4月の読書

遍路みち* 津村節子 講談社 2010
正しいパンツのたたみ方 南野忠晴 岩波ジュニア新書 2011
動員の革命 津田大介 中公新書ラクレ 2012
いま集合的無意識を、 神林長平 ハヤカワ文庫 2012
富士山噴火* 鎌田浩毅 講談社ブルーバックス 2007
死ぬな生きろ* 藤原新也 スイッチ・パブリッシング 2010
日本史の誕生 岡田英弘 ちくま文庫 2008
福島原発の真実 今西憲之+週刊朝日取材班 朝日新聞出版 2012
大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一 幻冬舎文庫 2012

2012年4月28日土曜日

等々力競技場

社会復帰するにはまず人ごみに馴れるべし
と、等々力競技場でリハビリに臨むことにした(すごい理由づけ)

サッカーを生で観るのは一年半ぶり
等々力競技場に足を運ぶのは二年ぶり
その盛り上がり方に驚くとともに、
自由席がどんどん削られ、指定席が増えていることに憤慨する

風間新監督への期待度は高い模様


かろうじて、アウェイゴール裏の一階に座る場所をみつけ試合開始を待つ
広島の選手がウォーミングアップをはじめると
佐藤寿人の充実ぶりに目が釘付けになる
尻の張り具合が素晴らしく、期待できそうな予感

結果は1−4でアウェイの広島の勝ち
佐藤寿人も2ゴールを挙げる
守りはしっかりしているし、ボールの奪いどころがよい
圧倒的に広島の方が、見てて楽しいサッカーをしている
一方の川崎は、冒険心に欠ける印象

風間監督がんばって

森ウルフ-零零から愛を植える

2012年4月27日金曜日

境界線

病院という未知の世界に通い始めて4週間
へぇー、こんな世界があるのだと感嘆することしきり
世間しらずといえば、まことにその通り

病院はディズニーランド
今日はこのマシン、明日はこのマシンと施設を回っていく
本人たちは気づいてないけれど、テーマパーク的娯楽性が潜んでいる

点滴の威力をなめていました
医療行為というと外科的な切った貼ったの世界を思い浮かべていたが
点滴こそ医療行為でした
4週間、点滴だけで人は生きられる
ちょっとカルチャーショック

自分の体にメスを入れることに対し、ものすごくハードルが低くなっている
医療の側から、そのハードルを下げる技術的努力が積み重ねられ
そして啓蒙活動が行われている

整体を志すものとして、司法解剖はいやだ、というのがある
ところが、世の常識はすでに、生きた体にメス入れて、それがどうしたの?
というレベルになっている
「まあ、いまどきそんな青臭いこと言って」
と一笑に付されかねない

その青臭いことに命を賭けようとしている
そんなバカものの一人なのだけれど、
彼我の境は、思っていたほど離れているわけではなく、また明瞭ではない
というのが、今回の教訓
ふと気がつくと柵を越えていた、ということにもなりかねない

褌を締め直すことにする

2012年4月24日火曜日

片付けはつづく

家の片付けを始めて数週間
ずいぶんとモノを捨てた
もう、いつでも引っ越し可能
といって、引っ越しのあてがある訳でもない
家の中が片付いてくると、
25年暮らしてきたこの家もまんざらではない
と思えてくるから不思議だ

とうとう禁断の食器と衣類に手を付けてしまった
つまり、基本的に僕の領域でないものにまで片付けを広げてしまった
鬼の居ぬ間に
それにしても、食器棚や押入れの奥に
箱詰めのまましまい込まれている食器の多いこと
普段使っているものより、よいモノが使われることなくしまい込まれている
たしかに、使いこなせそうもない立派なものもあるけれど、
ちょっともったいない

衣類は、とりあえず自分のものから
稽古着の多さには我ながらおどろいた
考えてみれば、20年近く稽古着を着ているわけだから無理もない
いただいたまま、ほとんど袖を通してないものもある
稽古着の形もずいぶん変化してきた
初期の頃のものなど、おくみもないから、もう着ることはないだろう
だんだん、自分の好みも定まってきているので、
当面、必要なものと予備のものを少し残して整理することにした

片付けもまた、日々の積み重ね
ですね

2012年4月22日日曜日

料理(朝食編)

まるで食ってばっかりみたいだけど・・・
でも、弧食はいかんですね

ツナサラダの朝食
パンは自家製なのだ

豆苗とトマトいりオムレツ















ほっけの干物
大根の味噌汁
ちょっと野菜が足りない


2012年4月19日木曜日

料理(夕食編)

料理のレパートリーは順調に増えている

ご近所からいただいた筍御飯
近所の肉屋で買ったポテトコロッケ
作ったのはしめじの味噌汁だけだな

すきやき

アスパラと卵の炒めもの
イワシ缶
キムチ

小松菜と豚肉の炒めもの
味付けは塩のみ
冷奴にキャベツと油揚げの味噌汁

レジ袋

やたらレジ袋が多い
台所のあちこちに分散してしまい込まれている
押入れを開ければ、こっちは紙袋にビニール袋
ケーキ屋さんだ洋服屋だと、大小取り混ぜてしまい込まれている
本来収納するものによってスペースが奪われるというのは主客転倒している

僕の父方の祖母は、レジ袋に埋もれて亡くなった
最晩年、一度訪ねていったことがある
六畳程の居室が、文字通りスーパーのレジ袋であふれていた
勿体無い世代ではある
捨てられない世代が、ものを捨てることをよしとする時代まで生きてしまった悲喜劇
子供たちは、そんな祖母の習性を矯正することを諦めた
祖母の世代のほうがまっとうだよね

ドイツの街角のスーパーで買物をして、レジを済ませたら、
袋類を一切なにもつけてくれなくて驚いたことがある
なまものは買わなかったから、そのまま手持ちのカバンに詰め込んで事なきを得たが、
肉野菜買ってたら大変だった

エコエコといってる割に、スーパーのレジ袋は健在のよう
一度、家の中のプラスチック袋を一掃して、以後増えないようにやってみよう

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昨日は病院行きを娘にまかせて、三週間ぶりに医療機関に顔を出さない一日
今朝はなんだかボーッとして目覚め、しばらくボーッとしてたのだが、
これはいかんと、裏庭の片隅に置いてあったコンポストの撤去作業に取りかかる
つまり、コンポストの隣の地面を掘って、コンポストを外し、
その内容物を穴に埋め込むという作業
シャベルを手に穴掘りなんていつぶりだろう?

2012年4月17日火曜日

主夫を三日やったら

主夫は三日やったらやめられぬ

主夫の生活は百姓に似ている
お天気と相談し、お日様の高さと相談しながら
その日一日の仕事の段取りを考え、
淡々とこなしていく
肉体労働であり、同時に高度に知的な労働でもある
工夫のしどころ満載で、
その工夫は、目に見えるかたちで、結果に現れる

楽しいじゃないか
25年間、騙され続けてきたような...

*昨日見つけた片付けの要諦 ー 部屋の隅を荷物で塞がないこと
*前言(↓)訂正
 よい人たろうとして病を得た人をよい人と認めるほどには私の器は大きくない

2012年4月16日月曜日

よい人

よい人というのは、「あなたはよい人ね」と言われても、その意味を理解しない。「あなたはよい人ね」と言われて、それを勲章とする人は、「よい人と思われたい」人にすぎず、よい人であったためしはない。まっとうな人間は、「あなたよい人ね」と言われると、「お前なんぞに言われたくない、馬鹿野郎」と悪態をつく。

気を使って気を使って、他人に迷惑をかけないように振る舞い、結果、病を得る。で、目一杯周囲を心配させる。これで収支は合っているのかな。自由に好き勝手やらかして、結果、妻が病を得る。で、25年分の家事をまとめてやることになる。この収支バランスも微妙。でも、もうちょっと、上手なやりかたがあったような気がする。

入院中の妻。「メメント・モリ」なんて馬耳東風。死生観の共有はなかったんだ…。目下最大の関心事は、退院時(転院する予定)、看護師さんたちに渡すお菓子をどう手配して、いつ手渡すか。この場に及んでも「よい人」であることを目指す。ひょっとして妻は本当に「よい人」なのかもしれない。

2012年4月13日金曜日

片付けの日々

まちがいなく妻が憑依している
人が変わったかのように綺麗好きになってしまった私
家の片付けに邁進している
片付けというよりはゴミ出しだな
家の片付けと妻の体調がリンクしているとどっかで思っている

妻は綺麗好きではあるが、お世辞にも片付け上手とはいえない
私はとっちらかっていても頓着しない方だから
(しなかったと過去形にした方がよいかも)
彼我ギャツプは大きかった
それが妻にとってストレスとなっていたことは、
ストレス説を信じない私も納得できるし、申し訳なかったと思う
気づくの遅かったけど・・・
捨てられない整理苦手の綺麗好きって無理だよな~

二年前、実家が人手に渡ることになり、一週間で片付けをした
その大変だったこと
文字通り悪夢
とるも取りあえず、必要なものだけ持ち出したという感じで、
95%はゴミとして処分した
リサイクルショップにも来てもらたが、ほとんど何も引き取ってもらえなかった

今の家も住みはじめて25年
こんなに長く住むことになるとはつゆ思わず、
結果、ゴミ予備軍に囲まれて、生活していた

来週金曜日は物置を、その次の週にはホットカーペットを粗大ごみに出す
片付けの日々はまだまだ続く

2012年4月11日水曜日

半径3キロメートル

半径3キロメートルの暮らしである
妻の入っている病院は、駅でいうと2つ先になるのだが、まあ徒歩圏内
距離にして3キロ、歩いて40分くらい
お遍路トレーニングとして片道は歩くようにしている
遍路は、一日25~30キロは歩くはずだから、トレーニングにはちょっと短い
買物等々あると、結局もう片道は電車になってしまう

これまでなら、毎日電車に乗って大井町なり二子玉川に出かけることが多かった
近距離通勤とはいえ、一日、20キロ、30キロは当たり前のように移動していたわけだ
それに比べると、今の行動半径は近年にない「狭さ」ということになる
それでも、人口密集地だから、この半径3キロ圏に20万人が暮らしているはずである
地元にはこんなお店があったのか、こんな風景があったのか、
この道とあの道はこう繋がっていたのか
新しい発見をするたび、に今更ながら、過去25年間の己の横浜都民ぶりに呆れてしまう

去年の震災のあと、これから先、職住近接が見直されるだろうという予感はあった
職の方はちょっとお休み中だが、徒歩圏での生活はなかなか充実している

2012年4月7日土曜日

ステーキディナー

ここ10日間、何を食ってきたかよく覚えていない
一日一回はちゃんとした食事をと思いつつ、
パンやシリアルでで間に合わせたり、ラーメン屋で済ませていたりする
ここ三日間コメを食っていない!
どこかに気の利いた定食屋はないかな〜、とボヤいたら
「自分で料理してみなさいよ」と、カミさんが言う
「お米も悪くなる前に使っちゃわないと」とも申される
うーん、と唸りながら、駅前のスーパーでステーキ肉を買い、野菜もちょっと買ってきた
困ったときのネット頼み
和風ステーキ、レシピと検索してみると、ぞろぞろと出てくる
これにしようと、玉ねぎをすりおろし、白ワインと混ぜ、肉に揉み込んで30分ねかせる
コメを研いで炊飯器にかけ、小鍋に水を入れ、そこに出し雑魚を入れるーこれは味噌汁用
具は豆腐とネギでいいことにする
ご飯が炊きあがったのを見計らって、ステーキにとりかかる
両面を軽く焼いて皿に載せておく
ソースは、さっき肉にまぶした玉ねぎに醤油、はちみつを混ぜたものを炒める
ほんとはオイスターソースも入れると書いてあったが、ないので醤油を少し増量
ついでに、豆苗というカイワレの親戚も炒めてしまうーこれはクレソンの代わり
なんとか夕食の出来上がり

花冷え

桜はもう八分咲
でも寒い
石油ストーブが必要
もう灯油の残り少いのに

2012年4月6日金曜日

アイロンかけ

アイロンかけって楽しいではないか
稽古着、襦袢、稽古袴にアイロンかけをする
アイロンかけというのは瞑想ですね
と同時に、着物を作ってくれた人とのコミュニケーション
稽古着だと縫ってくれた人が直接の知り合いだったりするから、
なるほど、この人ならこの感じかというのが直に伝わってくる
こわい世界でもある
古布を勉強をしている人が、その生地に触れることで、
古人との交流感を得るというのは、こんな感じか

2012年4月5日木曜日

顔面打撲

一昨日の大風
ニュースを見ながら各地の被害に驚いていた
翌朝、雨戸を開けて、物置が突っ伏したように倒れているのを発見
被害は我が家にも及んでいたのだ
で、今日は解体作業
設置してから年数が経っているので、ネジが錆び付いていて難儀している




2012年4月4日水曜日

主夫の一日

4月4日、出発予定日
この日のオーシャンフェリーで徳島に向かい、5日から歩き始めるはずだった
2月初旬時点での計画
しかし、出発はかなわず主夫業にいそしむ日々
まさに「出立にたどり着くまで幾千里」

* * * * *

主夫の一日はゴミ出しからはじまる
ようやく、収集品目と曜日のカレンダーがつながり、
こまごまとしたものを順次出している
収集されたゴミがどのように処理されているのか把握できてない、
という後ろめたさはあるが、
家の風通しをよくするためには、この細かな作業が必須となる
つまり我が家は隙間がゴミで埋まっていたのだ

朝食をちょちょっと取って、洗濯に取り掛かる
風呂から洗濯機に残り湯を移し、
カミさんに言われた通りのやりかたで洗濯を進めていく
すすぎは二回、白物と色物は分けて洗う等々、カミさんルールに従う
昼はすぐ来てしまう
掃除は毎日はできそうもない

* * * * *

そして3時前、カミさんの入っている病院に出動
そう、体調不良を訴えていた妻が入院してしまったのだ
医者に行くことを私の仕事を慮って遠慮していたらしい
そうなんだろうなと思う
入院し、ほっとした感のある妻の顔を見て、
そこまで追い込んでしまっていたのかと悔悟の念が生まれる

もともとがストレス説大好きな妻
癌だったら即切って繋いじゃいましょう、というノリの医師
単純明快、合わせ鏡のような人生観が病院の中では力を持つ
人生そんなに分かりやすくていいのか馬鹿野郎と悪態をつくも、
その分かりやすさから疎外され、無力感に打ちのめされる
と同時に妻の不在にうろたえている

* * * * *

こんな深夜まで起きている
そう、明日はごみの収集がないのだよ

2012年4月2日月曜日

消す技術

今年に入ってから、消す技、消える技について考えている
消すといっても、電気のスイッチのオンオフではなく、
消す速度、消える角度、密度感… 
そういった類のこと
考えていくと随分奥の深いテーマ

すると3月に入って不思議な出来事が続いて起こった

自転車が忽然と姿を消した
しかも粗大ゴミに出す算段をした直後に
我家は道路から少し入ったところにあるので、
通りすがりの人間が「ちょいと失敬」と持っていったとは考えにくい
第一、自転車は毀れていて、数メートルも進むとチェーンが外れてしまう
ゴミに出されることを悟って、自ら逃走したのか?

それから数日して、今度は身分証明書をなくした
なくしたこと自体気づかず、
警察ー職場ー私と連絡が回ってきてはじめて気がつく有様
どうやら最寄り駅の交番の前で落としたらしい
よりによって…

消すーつまり、空虚をつくるということなのだが、
もっとも大きな変化をもたらす消す技というものががありそうだ
極小の変化ーつまり、気付かないような消し方ほど、
根源的な変化を呼び起こす

そうこうしているうちに4月に入ってしまった