2012年6月28日木曜日

6月の読書

梅雨時は読書時、のようです

社長・溝畑宏の天国と地獄* 木村元彦 集英社 2010
困ってるひと 大野更紗 ポプラ文庫 2012
 こんなドライブ感のある文章と出会ったのは久しぶりだ
風雪の檻* 藤沢周平 講談社文庫 2002
飼い喰い* 内澤旬子 岩波書店 2012
母の遺産 水村美苗 中央公論社 2012
短歌の友人 穂村弘 河出文庫 2011
春秋山伏記* 藤沢周平 角川文庫 1984
なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか* 想田和弘 講談社現代新書 2011
僕が2ちゃんねるを捨てた理由* ひろゆき 扶桑社新書 2009
春秋の檻* 藤沢周平 講談社文庫 2002
ドラゴン・ティアーズ* 石田衣良 文藝春秋 2009
田舎暮らしに殺されない法* 丸山健二 朝日新聞出版 2008
女子学生、渡辺京二に会いに行く* 渡辺京二x津田塾大学三砂ゼミ 亜紀書房 2011
働かざるもの飢えるべからず。* 小飼弾 サンガ 2009
島国チャイニーズ* 野村進 講談社 2011
キップをなくして* 池澤夏樹 角川書店 2005
日本的感性 佐々木健一 中公新書 2010

2012年6月25日月曜日

つらつらと

だらだらと、あるいは、つらつらと書いていくというスタイルが思いのほか、いまの自分に適っていることを発見してしまったので、しばらく、こんなスタイルで、とりとめのない文章を書いていこうと思う。

野口晴哉公式サイトというのが立ち上がったことは、何日か前、このブログでもアナウンスした。私のところに「いいですね!」と感想を送ってくれる人もいるが、サイトを見れば分かるように、制作、野口晴哉公式サイト制作チームとある。整体協会も身体教育研究所も全生社も「制作協力」という立場で名を連ねているだけである。じゃあ、制作チームって誰だ?

整体協会とのつながりは、もう35年くらいになるのだが、私は生前の晴哉先生と会ってない。タイミングを外すというのは、僕の特技ではないかと思っているくらいなのだが、整体協会に入会したのは、晴哉先生が亡くなって数年後のこと。つまり、僕の出発点は「野口晴哉を知らない世代は、どのように整体を学びうるのか」という一点にある。はっきりいって、晴哉先生を知っている人たちは、それだけでo.k.なのです。それに比べて、出遅れてしまった私など、それだけでハンディを負っている。整体の勉強などまったくしたことのない私のカミさんは、なぜか生前の、しかも下落合時代の野口先生と会っている。それだけで、家庭内においてすら、カミさんは僕よりも優位な位置を保持している(笑)。

余談だけれど、なぜうちのカミさんが下落合の道場に行ったかというと、そこでお姉さんが働いていたからというだけの話。私にとっては義姉になるのだけれどTさんという。はい、泣く子も黙るTさんです。御年71歳のはずーと年齢を書いてちょっと違和感があるくらい若いなーだから、整体協会歴は50年+のはず。整体協会が社団法人になってからは、そこの職員ということになるのだけれど、そもそもの始まりは、洋裁をやっていた晴哉先生の妹さんところで働くことになったのがきっかけのようで、それが横滑りして晴哉先生の秘書みたいな立場になっていったらしい。雑談の中で、当然、晴哉先生の話は山のようにでてきて、面白い話もいっぱい聞いた。何度か録音機を回して話を聞こうとしたことはあるのだけれど、ダメですね。僕はインタビュアーとしては優秀なはずなのだけれど、ことT姉はダメです。ちょっとでも改まった感じがあると、何も出てこない。古い指導者もどんどん亡くなり、整体協会前史を知る人はどんどんいなくなってるから、今のうちにだれか、ちゃんと話を聴いておいたほうがいいですよ。

僕が整体を学び始めたころというのは、晴哉先生をよく知っているという人たちが大勢いたわけだけれど、その人達の話をいくら聞いても「私は野口先生に可愛がってもらった」ということは伝わってくるが、「群盲象を評す」ようなもので、晴哉像はいっこうに焦点を結んでくれない。結局のところ、偶像化だけがどんどん進んでいく。

つづく

2012年6月23日土曜日

2012年6月22日金曜日

お茶再開

五ヶ月ぶりのお茶の稽古だというのに遅刻だなんて
ユーロ2012のライブストリーミングと朝方の激しい雨音のせいだ
などという言い訳を考える暇もなく
がばと跳び起きて、五分で着替えてひげも剃らず家をとびだした
35分遅れで菊名到着

Hさんはちゃんと待っていてくださった
ありがたく、また申し訳ない
最近旅行されたというトルコのことなどを話題にしながら、しばし雑談
ノアの方舟で有名なアララト山など、今は観光地になっているのですね
40年近く前にアララト山を遠くからチラリと眺めたことはあるけれど...

まず、客としてお茶室に入り、お茶をいただくことにする
季節は変わって、風炉になっている
Hさんが点てた茶が置かれる
一対一のお稽古だから、当然のように正客の席に座っていたのだが、飲めない
茶碗を隣の席の前に移し、そっちに座り直す
これでようやく茶をいただける
だれか一緒に来たかったのだなと一人合点して茶をいただく
何十回と座ったことのある同じ場処に座ると、自分の状態がよくわかる
まだ病院と切れてない
合掌行気しなきゃ

入れ替わって、お茶を点てる
思いの外、お抹茶がバサリと入ってしまい大丈夫かいなと心配したが、
「美味しいお茶です」と言ってくださり、胸をなでおろす
空気は湿度に満ちているが、点てられたお茶はカラリと爽快である
なんだか「帰ってきた」感に満ちたお茶の稽古だった

来週は白山稽古会にOさんを招いてお茶の稽古会をやることになっている
さてどんなお茶がいただけるだろう

野口晴哉公式サイト

野口晴哉公式サイトがオープンしたようです
http://noguchi-haruchika.com/home.html
カッコよく仕上がっています
中川一政との対談録は必読
このブログのサブタイトルの謎も解明されますw

2012年6月19日火曜日

だらだらと本について

図書館が近くにあるから
この街に25年住んでいる
というのは、大げさだけれど
図書館なくして僕の読書ライフはない
ということはいえる

月に15冊借りるとして
年に180冊
25年だと4500冊
借りて読んでいることになる
おそらくこの数字は実際のものに近い

予約していた【飼い喰い】が用意できたというので、
図書館にでかけることにした
その前に、今、予約中のものを確認してみると以下の通り
ひとり6冊まで予約できるのだが、
カミさんの図書カードもフル活用すると12冊まで予約可

タイトル、予約日、待ち順
【選択の科学】 11.12.25    21
【木村政彦はなぜ力道山を殺さなかっ】 12.01.06    76
【社長・溝畑宏の天国と地獄】   12.03.29      1          
【飼い喰い】 12.04.10 ★ 用意できました。
【311を撮る】   12.05.11     8
【宮崎哲弥仏教教理問答】    12.05.11    2
【「森の長城」が日本を救う】   12.05.11     1
【オオカミの護符】  12.05.31       31
【日本を捨てた男たち】 12.06.11      112
【アフター・ザ・レッド】  12.06.15       20
【氷山の南】 12.06.15     74
【さわり】  12.06.17      40

あんまり予約した日から時間が経ってしまうと
予約したこと自体を忘れていたり、
予約本が届いた時には、関心がなくなっている
ということもあるが
こればかりは仕方がない
得てして予約本はいっときにまとまって押し寄せてくる

図書館で借りるか、本屋で買ってすぐ読むか、
というのは、テーマと関心の高さと懐具合との微妙なバランスの結果決まる
らしい
相対的にいうと
やはり本は買わなきゃだめ
ということは言える

予約本を受け取る前に、書棚を一周
貸出から戻ってきたばかりの本
つまり本棚に戻される直前の本たちが集められてるコーナーに
大田光の「向田邦子の陽射し」をみつけ、小脇に抱える
このところ続けて読んでいる藤沢周平の獄医立花登シリーズ四部作の二巻目を見つけ、
これも借り出しリストに加える
この立花登シリーズ、結果として4、3、1、2という順番で読みすすめてきたことになる
最初に読んだ第4巻がカラッとした成長潭風だったので、
きっとこれは、田舎から出てきた青年が一人前の医者になる話だと思って
巻を遡って行くと、獄中の暗さと湿気が出てきたので驚いた
「春秋山伏記」を読んだりー庄内弁が絶妙
このところ藤沢周平の気分なのだ

我慢できなくて昨日、水村美苗の「母の遺産」を近所の本屋で買って読みはじめた
大作だけれど、新聞小説として連載されたものだけあって、各章が読み切り風で読みやすい
「私小説 from left to right」「本格小説」「日本語が亡びるとき」と読んできて、
あと読んでないのは「続明暗」くらいかと、「み」の棚をたどっていくと、
「続明暗」の隣に水村節子の「高台にある家」が鎮座しているではないか
「母の遺産」の母が(どれほどまでに私小説かは不明だが)、水村節子のはず
これも手にしてしまう

この他、「イヴの七人の娘たち」などという本も借りることにして、
結局、リュックは重くなってしまった
これから食料の買い出しがあるというのに・・・

梅雨時は読書時である

2012年6月18日月曜日

リアルということ

三ヶ月近く続いた病院通いも終わった
妻が退院して三週間、今後の治療方針も決まったので、
僕が付き添って病院に行くことはしばらくないだろう

病院という未知の世界に足を踏み入れ、
医療のイメージはずいぶん変わった
ひとことでいうと、病院とは「医療」のテーマパーク
今日はCT、明日はMRIといった感じで、検査という名のマシンに並ぶ
手術にいたっては、
患者の側も「体を張っている」わけで、緊迫感がある
医者も看護婦も基本、善意の人たちで、献身的に一所懸命働いている
それはもう疑いようはなくありがたい

でも、なぜかリアル感に欠ける
この欠落感は謎で、いまだに謎である
病室に毎日通っていると、病室を舞台に悲喜こもごも、
いろんな出来事が起こっている様子を窺い知ることができる
でも、なんかみんな役割を演じている
そんな感じを拭えない

医療行為のベースに点滴というものがあることを知った
延命治療と呼ばれているものは自分とは無関係なものと思っていたが、
病院に一歩足を踏み入れると、すでに延命治療に通じる最初の階段を登っている
いつも懐に「生に関する御処置無用のこと」という一文を携えていながら、
気づかぬうちに最初の境界線を越えてしまう可能性があることを知った

妻は医療を受けるという選択をしたし、
そうすることで命を延ばすことができた
でも、僕自身は医療テーマパークとのお付き合いはここまでとしたい
青臭いといわれようとも

2012年6月11日月曜日

大井町ふたたび

ふた月半ぶりに大井町で稽古を担当した
白山や船橋での稽古会は再開していたものの、
ホーム大井町に復帰した気分は格別だ
素直に嬉しい

といって、今期(〜7月)はMさんにおまかせする予定にしていたから
復帰のしかたはなかなかむずかしい
空いた時間をみつけて
ゲリラ的に「テーマを定めた」稽古やることにした

初回は「ころぶ技術」でやってみるつもり
以後、合掌行気とか気合とかもやってみたいし
臥法チェックの会などもよいかも
詳細は大井町稽古場のページに掲載していく予定

2012年6月6日水曜日

白山稽古会

白山市に通いはじめて二年半になる
指折り数えてみたら、すでに30回に及んでいるではないか
稽古会のコアなメンバーは約十名
月一回の稽古会に根気よく付き合ってくれている
一回3時間の枠でできることは限られているが
それでも継続は力なりである

ここまで来ると、もう引き返すわけにはいかない
というか、ひとりひとりの顔を想い浮かべると
この人たちとならやってけそうな感触を持てるようになった
こうなると月のうち一週間でも稼働できる拠点がほしい

一年ほど前から拠点になる場所を金沢松任エリアで探してきた
候補になりそうな物件もいくつか見た
ただ如何せん土地勘がない、地元事情にも暗い
これいいかもと思って意見を聞くと、駐車場がないとね〜と却下されてしまう

ここまで、稽古の会場は市が管理する古いお屋敷の一室
大正昭和期に活躍した地元出身の豪商が所有していた建物を移築したという
木をふんだんに使った実に立派なもの
たしか文化財にも指定されている
いってみれば、ここが白山稽古会のホーム

駅から徒歩3分の物件を紹介された
これはジモッティコネクションのたまもの
早速、中を見せてもらったが、これが70年代に特徴的な和洋折衷の代物で
暮らすには申し分ないが、はっきり言って稽古場向きではない
ちょっとがっかりして帰ってきた

ところが、これ以上の条件
つまり、駅から徒歩3分、駐車場ありという物件が
この先出るだろうかと反問してみると
その可能性は低いのではないかという結論にたどり着く

着地点ではなく通過点
そんな風に考えれば、
この時点で拠点を確保しておくという選択肢もありでなかろうか
ホームはいつもの会場
そこから徒歩3分の仮稽古場、というのはありかもしれない

うーん悩ましい

(6/7 付記 結局、この話、流れてしまいましたorz. 機いまだ熟せず、なのか)