2012年9月29日土曜日

なぜ身体教育なのか? 3


【同化された体験としての体】

 ここまでは、風邪を例えに体験と身体ということを書いてきたが、食べ物の消化吸収の話の方が、わかりやすいかもしれない。食事をエネルギー補給だと思っているひとは多い。それにしても、人間の体を機械に例える習慣はなんとかならないものか。分かり易いといえばその通りなのだけれど…。思春期の子供たちの底なしの食欲などをみていると、食い物が体を作っていくという実感はある。ただ、栄養学的に足りないものを足すという考え方は偏りがすぎる。むしろ、食べるという体験、つまり、食べものという他者との邂逅によって生まれた体験をを同化することで体が作られていくという説明のしかたのほうが納得できる。しかも、料理って、材料をそのまま食ってるわけではなくて、料理する人が介在している。材料にしても、それを育てた人、あるいは捕まえた人だっている訳だ。料理する人だって、料理する過程で、食材と出会い、なんらかの体験をし、その体験が料理に反映されてて、それを僕らは口に入れ、そこでまた、体験が生まれて…という風に、体験の連鎖として僕らは食事をしている。じゃあ、体験の同化によって僕らの体が形成されているとしたら、その体の中に、当然のことながら「他者性」というものを認めていかざるを得なくなる。

 もっとも体には異化の働きもある。同化する見込みのないものは異化し、排除する。打撲ってありますね。打ち身。整体では打撲を恐れる、という言い伝えがあるけれど、この打撲ってなんだろう。打撲とは同化されないまま残っている未消化の体験と理解すればよいと思う。異化されたまま潜在している体験。体の基本的なはたらきは同化にあるから、季節の変わり目など、眠っている打撲が起きだしてくる。つまり、同化しようという働きが起こってくる。実際のところ、打撲のない人間はいないわけで、皆それぞれ古傷を抱えて生きている。打撲もうそうだし、挫折もそう。つまり中断されれ実現されなかった欲求の痕跡が、体中に散らばっている。それらをひとつひとつ同化のプロセスに流し込んでいく。これもまた整体の愉しみと呼べるかもしれない。つまり、同化のプロセスが進行することによって、体は刻々と刷新されていき、次々と新しい視点を得て、昔の体験そのものもバージョンアップされてくるのだから。自分探しとか、いまだ流行っているらしいけれど、新し自分を見つけるって、すごく簡単。古傷ひとつを同化しちゃえば、もうそこに新しい自分が現出するのですよ。

(あらためてお断りするまでもないと思いますが、ここで私がつらつら書いているものの全ては晴哉先生や裕之先生の受け売りです。もっとも誤理解ということはあるかもしれず、この誤理解の部分にだけに私のオリジナリティがあるということになります。)

なぜ身体教育なのか? 2

【風邪の効用】

  ここからいきなり整体の話になる。ここでいう整体とは、言うまでもなく、野口晴哉の整体のことであり、身体教育研究所の整体のことである。ただ、整体を学んでいる人たちといっても千差万別で、「私薬飲んでないから整体人」という人から、「健康なんてクソじゃ」という稽古場の人まで様々。それはそれでいいと思う。単に薬を飲まないということ一つとっても、無駄な医療費を増やしてないという意味で社会に貢献しているはずなのに、世間的には反社会的存在であったりする。へんな世の中だ。それはともかく、なぜ整体の人は薬を飲まないのかというあたりから、体験と教育というところに話を移していくことにしよう。

 たとえば、晴哉先生の「風邪の効用」を読めば、人が風邪を引き、熱を出し汗をかき、その後の低温期を上手に経過すると体はリフレッシュされると書いてある。それをただの健康法とだけ理解する人は多いのだが、教育の見地から見れば、実に重要なことが示唆されていることが分かる。つまり、「人は体験をどのように同化させていくか」のひな形がここに示されている。風邪を例えばインフルエンザとか外因性のものとしよう。人の体とウイルスが衝突するわけですね。発熱はその境界線上で起こる。疫学的な発熱のメカニズムはいくらでも説明可能であろうが、人が何かを経験するということは、そこに他者との邂逅というものがある。その他者というのはウイスルであっても、人間であっても構わない。それではウイルスや細菌を擬人化しすぎでしょ、という意見が出てくるかもしれないが、人を一個の統一体と捉えれば、これは擬人化でもなんでもなくて、当たり前のことである。「体験は他者との邂逅として生まれる」という定義はそう的は外してないはずだ。

 問題は「人は体験をどのように同化させていくか」という点なのだ。晴哉先生曰く、風邪を引いたときは、発熱ー低温期ー平温に戻る、という過程を経ることが自然であり、それを経過すれば新しい体になると仰っている。活元運動の場合の、弛緩ー過敏ー排泄も同様である。つまり、「新しい体」とは、体験を同化した身体という意味。そう考えれば、この同化の経過を邪魔するものとして薬の服用があったりするわけだ。そう、整体の人とは、薬を飲まない人のことじゃなくて、自分の中で起こっている同化のプロセスを心静かに見つめられる人のことをいうのです。

 そう考えると、「体験学習」ってものの難しさというのも浮き彫りにされる。体験主義がただの現場主義だったら、学習者を混乱させてお終いということになりかねない。その体験をどう吸収させるかという部分が制度としてないと成り立たない。1で書いた学校の日本センターで5年仕事したのだが、いま振り返ると、カウンセラー的な仕事が多かった。つまり、この同化のプロセスの部分のケアをよくわからないままやっていた訳だ。

 ・異文化を通してみえてくるもの 月刊全生 1987年

なぜ身体教育なのか? 1

【承前】

 スキャンした昔々の自分の書いた文章を読んで、なんだ20代の頃とぜんぜんブレないでやってきたんだということが確認できた。ブレてないというか、あんまり前に進んでないぞ。とはいえ、身体教育というものに関わってきて30年、その後の進捗度合いというか、少なくとも現段階でのまとめというものをひとつやっておかないとイカンなという気分になってきた。と、同時に、自分の仕事の領域を広げていくきっかけにもしたい。そんな訳で、これからしばらく、取り留めもなく、とはいえ、ある程度のまとまりを目指して、いま考えていることを文章にしていくことにする。

 かつて、私が在籍したのが、「体験学習」を元にした「実験的」大学 - an experimental college based on experiential learning であったということが、教育という分野に頭を突っ込むことになったきっかけである。「体験学習」というのは「現場主義」と言い換えてよいと思うのだが、つまりは、学生を現場に放り込み、そこで問題を感じとらせることを眼目にしていた。しかしながら、そこに確固とした方法論があったとは言い難く、体験→レポート→評価→体験→…..を繰り返しながら、いわば行き当たりばったりの体験をしながら卒業していくという仕組みになっていた。当然のことだけれど、当たり外れは大きく、ある一定のレベルを保つことは困難なシステムであったといえる。これを学校という枠組みの中で学費をとってやろうという野心はよしとするとしても、かなり無理のあるシステムである。今でこそ、大学生が夏休みを利用して研修旅行と称したツアーに参加することで単位を獲得するという制度は普通であるが、私のケースは1970年代のことであり、当然のことながらインターネットなどというものはまだない。それどころか、国際電話ひとつかけるにしても10分3000円とかの時代である。

 ・FWC JOURNAL 1974 SANA FE COMMUNITY SCHOOL 
 ・FWC JOURNAL 1974-75 INDIA 
 ・FWC THESIS 1976 

2012年9月27日木曜日

紙減らし

かつて自分が書いた文章を読んでいる
ドキュメントスキャナによる紙減らしの一環で、
昔出していたミニコミとか学校に提出したレポート等々
どんどんPDFにしている
その量、500頁
スキャンすると、抜けがないかどうかチェックした上でないと
元原稿を捨てられないから、結果、ひと通り読むことになる
これが面白い
一番古いものだと1974年のサンタフェ・ジャーナル
最も量書いていたのは1990年の頃
育児日記と称して書き散らかしている
すっかり忘れていた出来事が固有名詞とともに甦ってくる
うーん、それにしても縁遠くなってしまったというか
不義理してしまった人が多いな

2012年9月26日水曜日

9月の読書

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか* 増田俊也 新潮社 2011
 柔道史・プロレス史・戦後史・日系人史・ブラジル・ハワイ..... 実をいうとまだ700頁のうち550頁を読み終えた段階。でもまあ、よくここまで書き込んだものだと脱帽。
世界音痴* 穂村弘 小学館 2002
よみがえれ!老朽家屋* 井形慶子 新潮社 2011
白の民俗学へ* 前田速夫 河出書房新社 2000
春を恨んだりしない* 池澤夏樹 中央公論新社 2011
高峰秀子の流儀* 斎藤明美 新潮社 2010
神仏習合* 義江彰夫 岩波新書 1996
神々の明治維新* 安丸良夫 岩波新書 1979
原発危機 官邸からの証言 福山哲郎 ちくま新書 2012

2012年9月24日月曜日

結婚式

姪っこの結婚式
今風の結婚式場での今風の結婚式
着慣れない黒服に白ネクタイして雨の中お台場に出かけてった

おいおいこここはディズニーランドか?
という教会風の建物での挙式
神父らしき人が式を執り行い、聖歌隊らしき人が賛美歌を歌う
そう、すべてが「らしい」のだ
親族顔合わせの部屋を出ると、そこはもう結婚式の式場だったりする
ちょっと合理的、効率的に設計されすぎてるでしょ

新郎新婦とも25歳
幼馴染だという
新郎新婦が若いから集まってくる招待客も当然のごとく若い連中ばかりで、
新郎の方はヤンキー風地元つながり仲間、
一方の新婦の方はスポ根女子仲間で、どちらも元気いっぱい
その仲間たちがお祝いビデオを用意していたのだが、それが出色の出来栄え
料理が運ばれてきて口にしようとすると、
いきなり照明が落ちてビデオが始まってしまうのには閉口したが、
手作り感いっぱいの映像のセンスが素晴らしい
へぇー、最近の若者はこんな風にしてお祝いするのかと感心してしまった

姪っこと一緒にバージンロードを歩いてくる義弟の悔しそうな顔
こんな役目を仰せつかったら、僕は失踪するね
それはともかく、愉しい集まりだった

かつては、「結婚式、フン」
とか言ってた僕だが、人の体を観るようになって、
「式」の有効性を肯定せざるを得なくなり、
若い人には、「ちゃんと結婚式はやったほうが良いよ」
などとアドバイスしている(笑)

若さはすべてを許容する

2012年9月12日水曜日

秋らしくなったとはいえ暑い

先日ののんきの会で、水口さんが歌ってくれた「旅立てず今ここに」を聴いて、なんか区切りがついた感がある。水口さんの歌は、1月末にあった、第一回目ののんきの夕べで僕が読んだ「四国遍路宣言」に応えるかたちで作ってくれたもの。あれから7ヶ月、四国には行かず、病院通いをして、家の片付けをしているうちに還暦を通りすぎてしまった。

暑い日は続いているが、本部の稽古もはじまった。ふと気づいたのだが、僕がやっていた事務方を引き継いでくれた四方さんが働き始めて丸四年になるのだ。ということは、僕自身が卒業してすでに3年半経ったことになる。いまも、こうしてなんとか生き永らえられているというのが不思議でもあり、また有難いことだと思う。学生だった一人娘は独立し、同僚の松井さんは一児の父になり(先日、家に遊びに来てくれたのだが立派な赤ちゃんだ)、妻は長期の入院を体験し....。私の周囲に多くの出来事が起こってきたことになる。

スキャナを買ってしまった。ここ半年で家の中は随分片付いた。最終的に残るのが紙の類。いさぎよく捨てちゃえばよいのだが、なんの因果か、まだ執着がある。試験を兼ねて、昔の月刊全生からコピーしてあった裕之先生の「感応と内観」とか、戸村さんが自家出版した漫画「坐法」「臥法」などをスキャンしてみた。いろんな方からいただいた紀要なども溜まっているしね。じゃあ、スキャンしたら捨てちゃうのかというと、結局、押入れのダンボール箱に逆戻り。なにやってんだか。

仕事しなくちゃ、と思っているところに翻訳の仕事が舞い込んできた。映像に字幕をあてはめていくものなのだが、なかなか一筋縄でいかない。しかも、和訳ではなく英訳。月刊全生に載せるシュノーレポンさんの原稿を和訳していたのは20年も前の話だからな〜。今は、ネットに辞書はあるし、専門的な知識もある程度はネットから得られる。翻訳事情も随分変わってしまったわけだ。大磯にある舞踏舎からも半日講師のオファーもあった。本当は、本業がもっと忙しくなきゃいけないのに、なんか大井町暇(苦)。

さて、誕生日はケーキで誤魔化されてしまったので、食事会をリクエストしておいたのだが、今週あたりやっと実現しそうだ。

2012年9月4日火曜日

旅立たず今ここに

先日の「のんきの夕べ」で披露されたsunajiiのテーマソング
1月末の「のんきの夕べ」で水口きみやさんにお願いしたものが形になって返ってきた
あれから7ヶ月、旅立てなかったが、長い旅をしてきた、そんな気分だ