2012年10月27日土曜日

why body education? II

[Noguchi Haruchika]

I always find difficulties explaining what kind of work I do.  Before I go into this topic, I first try to describe Seitai Kyokai, an organization with which I have been working and Noguchi Haruchika, the founder of the organization. I tried to find what kind of information is available in English. Keywords I put to the Google window are, Seitai, Haruchika Noguchi, Katsugen Undo, etc. Then I found out that you won't get much through these keywords. Information from wikipedia is so limited and also outdated. You might get better results if you search in European languages, such as French, Spanish or German. It is because Noguchi's philosophy and practice have spread in Europe through his students. Seitai Kyokai has a web page < www.seitai.org> . But Google's translation system outputs unreadable English.  Best explanation of Noguchi's works I could have found so far is short descriptions of  Noguchi's translated books in English published by Zenseisha. They should give you some ideas of Noguchi's philosophy. http://www.zensei.co.jp/books/store?genre_id=7 
(to be continued)

なぜ身体教育なのか? 5

【カタ】

 石川で稽古会をはじめるきっかけになった白山市のワンネススクールの生徒たち対象の稽古会を先日頼まれてやってきた。生徒たちはどんどん入れ替わっていくから、年に一回やったとしても、ほとんどの子どもたちにとっては稽古に触れるのははじめてということになる。

 今回は、「人にふれる」というテーマではじめてみることにした。はじめてみることにしたといっても、即興なのだけれど。普通に触れても、「私に触れられた」という感覚は生まれない。掌に触れられれば掌に、肩に触れられれば肩という部位に触れられた感覚が生まれるにすぎない。動きの源を、手首、肘、肩と根本の方に移していくと、体の部位に触れられるという感覚からだんだん遠ざかってくる。つまり、僕らの言葉で言えば、だんだんカタが形成されてくる。

 おもしろいよね。カタとは非自己に向かうものであるのにもかかわらず、そのカタで触れられたとき、はじめて相手は、「私に触れられた」と感じる。じゃあ「私」という感覚っていったいなんだ?ということになる。つまり、わたしたちが「私」と感じるものは、通俗的な意味での「個」とは別のものを指し示しているのではないだろうか、という地点にたどり着いてしまう。ここから文化としての身体に目が向けられることになる。

2012年10月26日金曜日

10月の読書

今月はなにげにバタバタしていて
キーボードを叩いてる時間が長かった)
図書館に行く回数も少なかった
でも読んだ本はどれも粒揃い

中国ネット最前線* 渡辺浩平編 蒼蒼社 2011
さわり* 佐宮圭 小学館 2011
アフター・ザ・レッド* 朝山実 角川書店 2012
氷山の南* 池澤夏樹 文藝春秋 2012
通天閣* 西加奈子 筑摩書房 2006
悪党* 石川知裕 朝日新聞出版 2011
 昔ながらの徒弟制度が政治家のところではまだ生きていることがとても新鮮だった
人はなぜ<上京>するのか* 難波巧士 日経プレミアシリーズ 2012
「つながり」を突き止めろ* 安田雪 光文社新書 2010
絶叫委員会* 穂村弘 筑摩書房 2010
 穂村弘の文章はせつない。明治の歌人たちが壁に釘をたてるように書いたとすれば、現代の歌人は曇ったガラス窓に指で書く幼児のようだ。どちらが日本の伝統に則っているかといえば、無論後者だ。

2012年10月18日木曜日

why body education? I

[introduction]

A new gadget I recently got is a device called document scanner.  I bought it to reduce the amount of paper stacked in my shelves. It sounds odd to the people who live in spacious houses. But I have been living in a small house in urban Japan.  Also, I turned to the age of 60 and it is supposed to be a good time to review what I have been doing in my life. I scanned many writings I have done before, from FWC journals in 1970's to mini newsletters I had sent out to friends in 1980's and 90's. Scanning itself is not a difficult work to do. But at least you need to check whether scanning is done properly or not. As a result, I had to go through with my eyes what I have written in the past. I come to realize then, I have been running the same track as I was 40 years ago. I have been engaged in the field named Shintai Kyoiku - it is literally means Body Education past 30 years.  It can be translated this way - what is the role of the body in one's learning process and how one can assimilate their experience. See everything started when I came to know of an experimental college based on experiential learning back in 1973.  (to be continued)

2012年10月16日火曜日

女性に尻を叩かれて


9月に入って何人かの女性たちに同時多発的に尻を叩かれた

一人目は榎田智子さん
アースボイスプロジェクトを切り盛りする女傑である
その彼女が翻訳の仕事を回してきた
しかもよりによって医療器具メーカーの映像に英語字幕をつける仕事
人材不足とはいえ、英訳だよ〜
ところが、はじめてみるとなかなか面白い
翻訳の環境というのは20年前と大きく変わっていて
ネットで機械翻訳もあるしネット辞書も充実している
もちろんそれらがあればすぐできるかというと、もちろんできるはずはなくて
結局のところは自前の言語力だけが頼りなのだが、随分、効率は上る
英語でブログを書かなきゃと思っていた私にとって、すごくよいリハビリになっている
一つの素材を元に、掘り起こしする人、映像を編集する人、翻訳する人、その翻訳をチェックする人、それをコーディネートする人といった複数の人間がネットを介したチームとなって仕事を進めていく様は、なかなか刺激的である

二人目は三上賀代さん
大磯でとりふね舞踏舎を主宰している舞踏家
何年か前に一度、夏のワークショップに呼んでいただいたことがある
その彼女から「9月に一度少人数のワークショップ」をとお声がかかったので
出かけていった
何度かとりふね主催の公演も見にいっているのだが、
彼女の生徒さんたちの舞踏は好きで、湘南舞踏派のファンを自認している
稽古は楽しかったし、なにより、言葉が通じる人と会っているという実感があった
三上さんとの付き合いはそう長くないのだが、
はじめから仲間だと思われているのが不思議でならなかった
しかし、たしかに同類だった
調子に乗って、いつでも白塗りで舞台に立ちますからと言い残してきてしまった
還暦を過ぎるともう怖いものがない

三人目は橋松枝さん
私の長年のお茶の先生
夏の間さぼっていたお稽古に9月半ばを過ぎてようやく伺えた
その時、いただいたお茶があまりに感動的で泣きそうになってしまった
お茶を習っていると、稀に不思議な体験をするけれど、今回のお茶はもう別格
神秘家になりそうだった
いや、あらためてお茶はサボっちゃいかんと思いました
大井町稽古場の若者をお茶に連れて行く企画も再開しなくちゃ

こんな具合でなぜか元気になってしまった
来年にかけ、本業の組織改革とかで、環境が大きく変わりそうだ
こういう状況に面すると、
オロオロするタイプ、ウロウロするタイプ、ワクワクするタイプ
といろいろあるようだが、
意外なことに僕はワクワクしている

2012年10月14日日曜日

フランス戦ゴール

何度見返しても気持ちいい
فرنسا 0 : 1 اليابان 投稿者 kooralive

2012年10月11日木曜日

明け方の夢

飛行場に向かっている
稽古場の仲間と一緒らしい
場末の路地のようなところから大きな道路に出てタクシーを拾おうとする
おばちゃんに、タクシー乗るなら駅に戻ったほうがいいよとアドバイスされる
濃い緑色のジャケットを着たD先生も一緒
小雨が降っている
道路の少し先で誰かが車を停めたらしく、そっちに急いで行く
スポーツカーのような超近代的な車で、シートが三列あって寝そべって乗るようになっている
アメリカ人らしき男に招き入れられ左端のシートに座る

僕だけ寄り道をしている
古い大きな民家
知り合い家族が住んでいるらしい
小さな女の子が何人かいて、お父さんお母さんもいる
私は半ば家族として遇されている
空港に向かう時間になる
夕方6時半発の便なのだが、時計は5時を指している
庭先までお手伝いさん風の女性が見送ってくれる
家の前に立ってタクシーを待つがこない
反対側から遊園地の電車のような屋根のない乗り物がやってくるが空港には行かない
タクシーが来る

2012年10月5日金曜日

なぜ身体教育なのか? 4

【かた以前】

 かつて、カタとは「型にはめる」ものでしかなく、嫌悪の対象であった。自分の受けた教育は鋳型によるJIS規格製品生産ラインであると卒論の中で断罪しているほどである。この場合のカタとは学校教育を工場に例えたものであり、自分自身はそのラインの生産物であるという比喩である。この近代的大量生産モデルの問題が、カタこそが日本文化の特質であるという言説と混同され、その分別を20代の私はつけることができなかった。いま振り返れば、70年代に流行った日本人論ーその大半は『菊と刀』に代表される外からの視線を逆輸入したものなのだがーの影響を少なからず受けていることがわかる。なんども言及している某実験的大学ーFreinds World Collegeというクエーカーのはじめた大学で今はLong Island Universityのプログラムとして存続しているーの中ではリベラル急進を標榜していただけに、文化人類学的アプローチを援用することは当然の如く行われていた。当時、そこのアメリカ人学生に、「日本の教育は盆栽みたいだ。伸びようとするものをチョキチョキ切り刻んでいく」と言われ反論できずに悔しい思いをした記憶が40年近く経った今でも残っている。この近代生産モデルとしてのカタと文化の伝承装置としてのカタ。この混同はなぜ起こってしまったのだろうか。それとも、後者を前者に置き換える、あるいはすり替えるという行為は意図的に行われてきたのだろうか?整体におけるカタの問題というのは、後者に属するわけだが、このすり替えの問題をときほぐしておかないと、先に進めない、というか、すぐ元の混乱に戻ってしまうような気がするのだ。これは宿題。裕之先生の論文(The Idea of the Body in Japanese Culture and its Dismantlement)ももう一度読んでみることにしよう。日本語で読むとすれば、『これは教育学ではない』所蔵の文章か。