2013年12月30日月曜日

12月の読書

慌ただしい年の瀬である
なぜ慌ただしくなってしまったかは近々報告することにして、
兎にも角にも今月の読書
ついでに今年のベスト5も選んでみることにした

15歳からの労働組合入門 東海林智 毎日新聞社 2013
辺境中毒 高野秀行 集英社文庫 2011
最後の忠臣蔵 池宮彰一郎 角川文庫 1997
随筆上方落語四天王* 戸田学 岩波書店 2011
随筆上方落語四天王の継承者たち* 戸田学 岩波書店 2013
日本沈没第二部 小松左京+谷甲州 小学館 2006
 オリジナル日本沈没(第一部?)と読み比べてみると、小松左京の文章には色気がある.
 この第二部はシュミレーション小説としてはよく書かれているが、ちょっとお勉強本みたい.
 しかし、地球は温暖化に向かっているのか、それとも寒冷化に向かっているのか?
空白の五マイル* 角幡唯介 集英社 2010

今年のベスト5
ザ・コールデスト・ウインター (上・下)  D・ハルバースタム 文春文庫 2012
アストリット・Kの存在 小松成美 世界文化社 1995
Born to Run - 走るために生まれた C・マクドゥーガル NHK出版 2010
西南シルクロードは密林に消える 高野秀行 講談社文庫 2009
日本沈没(上・下) 小松左京 小学館文庫 2006

2013年11月29日金曜日

11月の読書

人生のきほん* 佐野洋子対談集 佐野洋子/西原理恵子/リリー・フランキー 講談社 2011
山下清の放浪日記 池内紀編 五月書房 1996
遠くの声を捜して* 山田太一 新潮文庫 1989
異人たちとの夏* 山田太一 新潮文庫 1987
 映画は随分昔に観た.風間杜夫、秋吉久美子、片岡鶴太郎、監督は大林宣彦.
   47歳の中年男が、12歳で死に別れた30代の両親と出会う.
   あらためて原作を読んでみて、やはりいい作品だった.
山伏ノート* 坂本大三郎 技術評論社 2013
原発ホワイトアウト 若杉冽 講談社 2013
どこから行っても遠い町 川上弘美 新潮社 2008
 川上弘美の短編連作. 人物相関図をつくりたくなる.
想像ラジオ* いとうせいこう 河出書房新社 2013
限界集落株式会社 黒野伸一 小学館文庫 2013
俳優のノート 山崎努 文春文庫 2013
日本語は敬語があって主語がない 金谷武洋 光文社新書 2010

2013年11月5日火曜日

slideshow 遠征ブラジル編

【エンブー】

今回の最終目的地はサンパウロ郊外エンブにある田中さんの稽古場
田中さんが日本を出るとき、「必ず遊びに行くからね」と約束したのを覚えている
実現するまで19年の歳月が必要だった
普通の家のリビングに畳を入れ、稽古場に改装している
特筆すべきは裏庭で、土舞台、板舞台とふたつの舞台があり、
稽古に公演に使っている
日本の小さなお寺の裏庭の空気感がある
集まっている仲間たちも多士済々
愉快な連中で笑い声が絶えない



【クルツク】

田中さんが交流のあるグラニ族の住むインディオの村
サンパウロから一時間ほど高速を走り、そこから脇道に入ってさらに一時間
距離的にはサンパウロから遠いわけではないが、いきなり辺境の地にたどりつく



【ウブツバ】

サンパウロの雑踏を抜けて東へ、そして南へ
大西洋に面した海のリゾート
急斜面の山を降りていくと、いきなり砂浜にたどりつく

2013年11月4日月曜日

slideshow 遠征ヨーロッパ編

【ドイツ】

前回から三年半
自分はグンと老け込んだ感じがあるのに、
久しぶりに会う人たちは、まるで変わっていない
稽古会は充実していたと思う
集注が途切れることなく最後まで持ち込めた
ここ三年間のフツフツとしたものを一気に稽古に注ぎ込んだ感じだ



【パリ】

38年ぶりのパリ
前回が12時間の滞在だったとすれば、
今回は一泊できたし、稽古会の時間を含めれば24時間はパリにいたことになる
少しだけ観光客気分も味わった



【パリ郊外】

パリ郊外の農場に泊まることができたのは、
今回の遠征のハイライトかもしれない
お世話してくださった西田さんご夫妻に感謝
農園主のお嬢さんが使っていたという一室に泊めていただき、
農園主や、研修に来ているお嬢さん方ともお会いできた
庭先に実っているリンゴをもいで、その場で食べるというのは贅沢
ところで、西田さんとは昨年はじめて石川でお会いしたのだが、
双方の来歴を話しているうちに、30年前、京都で会っている可能性が高い
という結論にたどりついた
おそるべしカワシマユキコ

2013年11月1日金曜日

時差ボケ

時差ボケからじょじょに回復中
夕方とにかく眠くなる
電車などに乗るとてきめんで、
電車が揺れはじめると、もう舟を漕いでいる
頑張って寝ないでおいて、普段通りの時間に布団に入っても、
結局、夜中3時とかに目が覚めて却って寝不足になるし、旅の疲れが抜けてこない
眠くなったら、(状況が許せばだが)素直に眠ることにした

帰ってきた当初、寒くってしかたなかった
夏に向かうブラジル仕様の体になってしまったからなのかと思ったが、
他の人に訊いても、やはり寒いという
でも15°Cという気温をこんなに寒いと感じていたかしらね〜
やはりお風呂はいい
道中一ヶ月のうち、湯船に入れたのは2回
パリのホテルとブラジルの田中さんちに泊めてもらったとき
殊に田中さん宅では、わざわざ熱々のお湯を普段使ってなさそうな湯船にためていただいた

基本、どこにいってもお湯は上から落ちてくるし、床はタイル貼りで冷える
ブラジルでは、どこのシャワーも、UFO状の円盤が頭上にどんと据え付けられている
つまり頭からお湯を浴びるしかない
その根元に電気のコードが顔をのぞかせているところをみると、
電気で水を温めているらしい
漏電とか大丈夫かしらと心配になる

時差ボケを含めて、旅の一部
今日からなんと11月
大井町での稽古もぼちぼち再開した

2013年10月30日水曜日

10月の読書

不思議なキリスト教 橋爪大三郎x大沢真幸 講談社現代新書 2011
日本の起源 東島誠・輿那覇潤 太田出版 2013

日本文化の論点 宇野常寛 ちくま新書 2013
ハピネス 桐野夏生 光文社 2013

ブラジルの田中さんの奥さんの名をシサという
澄んだ目の持ち主であった
そのシサさんから、今年出版された"quando todas as folhas caem"という
俳句形式で書かれた詩集をいただいてきた
「葉がすべて落ちた時」というような意味らしい
もちろん、僕にポルトガル語の意味はわからない
だが、目を通してみたら、まごうことなく、これは句集であった



2013年10月26日土曜日

day 30 帰国

大遠征も終わりです
足かけ一ヶ月30日の旅となりました
最後はなんとビジネスクラスの席でフルフラットの状態で寝て帰って来ました
話として上手く出来過ぎていますね

いったい何人の人と会ったのでしょう?
多くの人に支えられての旅でした
まずは皆様に感謝
ヨコタさん、ホシノさんをはじめとするドイツ稽古会の皆様
パリでお世話になった西田さんご夫妻と農園主のクリストフ氏
そして、ブラジルの田中敏行さんとその愉快な仲間たち
ちょっと濃密すぎて、この経験を消化するには何ヶ月もかかりそうです

このブログをマメに読みに来てくださった方たちにも感謝
稽古にも来てくださいw

ブログの更新は、すべてipad miniでやりました
各国ともwifiが随分普及していたので、ほぼ日替わり更新が可能でした
日本との連絡はLineが一番確実
FusionのSMARTalkはネット環境によって使えないケースもありました
ブラジルの人たちはfacebookを活用してましたね

ということで、この"road to brasil"リアルタイム編はおしまいです
次はまとめ編書きます

【成田にて】

day 29 ヘルシンキ

袖すり合うも多少の縁
フィンエアーの用意してくれたホテルに向かうバスに
乗り合わせた日本人6人
中年のご夫婦2組+パリに留学予定のピアニストの卵+私
一緒に晩御飯を食べているうちに、
翌日一緒にヘルシンキ市内を回りましょうという話になる

三年前、ドイツ稽古会の帰り、
途中降機して何泊かしたことはあるが、
石の教会があったなという程度の記憶で、
ガイドとしては役に立ちそうもない

朝食を済ませ、ホテルをチェックアウトして、いざ出発
息が白くなるほどの寒風に震えながら市内往きのバスを待つ
まずは中央駅を起点に
大聖堂〜マーケットプレイス〜Suomenlinnaと呼ばれている海上要塞を
目指すことにする

ヘルシンキ一泊+半日観光というのは、
30時間の苦行転じて48時間の大名旅行となる
みたいな予期せぬ展開

これで日本へ軟着陸できそうだ




2013年10月25日金曜日

day 27-28 寄り道

サンパウローパリーヘルシンキー成田
地球を半周するわけだから、さすがに遠い

サンパウロ空港に向かう途中、公設市場に寄ってくれた
これが正真正銘のラストイベント
市場はどこの国に行っても活気に溢れている
特産品のお菓子をお土産用に買い込みバッグに詰める
二週間の間にサンパウロの気候は随分夏らしくなり30度超え

二週間ぶりのパリ
といってもCDG空港で乗り継ぐだけ
荷物はサンパウロから成田まで自動的に送られる手はずになっている
ちゃんと届くか不安はあるけれど…
サンパウロ空港でライターを没収されたのはショック
CDG到着後、喫煙所で煙草を吸っている人に火を借りて一服
パリはそれほど寒くない

ヘルシンキ便の出発が遅れ、成田便に接続できないという
なんと関空便に振り替えられ、その後、関空ー成田に飛べという
ところが、その関空便にも間に合わず、
なんとヘルシンキ泊に
帰国は一日延びることになりました
長時間の移動を覚悟していた身には、熱いシャワーと柔らかいベッドはありがたい
現在の外の気温は8℃

2013年10月23日水曜日

day 27 さよならサンパウロ

さて、4週間の遠征も終わりです
日本のことはいうまでもなく、
ドイツ、フランスに行っていたことさえ忘れています
ちょっとばかり旅疲れ=食べづかれも出てきたところなので、
引き上げるにはちょうどよいタイミングかもしれません

ここから最後の苦行が待っています
サンパウロから12時間かけてまたパリに戻り、
シャルルドゴール空港に数時間滞在
今度はヘルシンキ行きのフィンエアーに乗り継ぎ、
ヘルシンキで慌ただしく成田便に飛び乗って
日本到着は金曜日の午前8時
なんと30時間の旅程になります

無事日本にたどり着けるのか
ブラジルのゆるい空気にどっぷり使った体に
日本の空気は厳しすぎないか
まあ、心配は後回しにして、
最後の荷造りに取り掛かることにします

day 26 PUC

いよいよブラジル滞在も残すところあと一日
最後の行事として、田中さんが教えている大学を訪ねることにした
通称PUC(プッキ)と呼ばれている大学
フルのスペルは
Pontificia Universidade Catolica, Sao Pauloということになる


田中さんが教えているのは
Comunicação das Artes do Corpoというコース
身体芸術によるコミュニケーション、とでも訳すのか?
毎週火曜日2コマ担当しているそうだが、
驚いたのは、一コマ目が午前7時半開始であるということ

参観させてもらったのは、10時15分からの2コマ目
床の雑巾掛けから始まる風景は、もう稽古会
わーお、田中さんポルトガル語で授業してる!



おー、学生たち若い!
もう、それだけで満足


こういう授業がない日本の大学ってクソだな
などと思いながら、教室の壁際に座って観ていた
「身体教育」という言葉がはじめて腑に落ちた


(授業終了後リベルダージのカフェで)

2013年10月21日月曜日

day 23-25 Ubatuba

海の近くの宿泊施設で合宿を
というのでやってきたのがUbatuba
サンパウロから250キロくらい離れた大西洋に面したリゾート

ところが
休憩を入れ6時間かけて辿り着いたのが
ニューエージアンの巣窟のようなコミュニティ
しかも、ここの人たちも一緒に稽古する、らしい
おいおい最後の最後でこれかい?
まあ、自分の過去に落とし前をつけろという天の配剤、
と前向きに考える他ない

http://curadoresdaterra.com.br/home.html



二日目午前中に稽古
テーマは「度合」と決めていた
田中さんのところで稽古したとき、
触れたときの度合が足らず、
手が止まらないー深さが出ないー同調しない
という課題が見えていたから、これだけはやっておきたかった
手の甲に集注するー手を遠くから動かすー遠くからちからをもってくる
といった実習を混ぜながら、最後は接触内観点のところまで
やや力技ではあったけども持ち込んだ
相手を操作しようとせず、
カタを持って人との接触を図る稽古のことを動法と呼びます、
という主旨は伝わったのではないか

日英葡西4ヶ国語が飛び交い、
参加者の国籍も日本、ブラジル、ベネズエラ、コロンビア、アルゼンチンにまたがる
こんな多国籍な稽古会というのも珍しい
ここのスタッフ4人を加えたものにしては上出来だったとしておこう


そして海
ここの管理人をやっている男はヨットマン(本職は歯科医)で、
http://taoboat.blogspot.com.br/
自分のヨットで大西洋を渡ったこともあるという
丸太をくり抜いて造ったカヌーで彼のヨットまで案内してもらった
縄文山田くんに引き合わせたいくらいだ
静かな湾内を、この夏初体験したSUPでいく人をみると
親しみを覚えてしまう
大西洋の水に浸かったのは15分ほどだったが、
結構塩っぱかった



田中さんともゆっくり話ができた
ブラジルに渡って19年、
この発展途上の若い国に「動法」の土壌を着実に広げている
今回、来てみて、実際に人が動くことの大切さを改めて感じている

2013年10月19日土曜日

day 22 餅つき

一週間ぶりにEmbuに田中さんを訪ねる
一連の公演を終え、今日がその打ち上げということになるそうで、
午前中は活元運動、そしてその後は食事会へと続く

ブラジル名物シュハスコも供されると聞いていたので楽しみにしていた
シュハスコは炭火をおこして、その上に載せた網の上で肉野菜を焼く
肉の大きさが半端なくデカイ
サンパウロではベジタリアンのお宅に寄宿しているので、
ほとんど肉は食べておらず、ちょっと頬が緩む
(この顔を晒すと非難されそうなので、敢えて手だけにしておきます)
塩がよくきいていて美味い
芋の粉を炒り上げたファリーニャと一緒に食べる



食事の後は、しばらく昼寝
そして今度はなんと餅つき大会
田中さん手作りの臼と杵で交代でついていく
それぞれが慣れない格好でやるものだから可笑しくてしかたない
餅つきならば、薪割りもあるぞと、この夏、鳥越のワンネスでやった薪割り動画をみせたら大いにウケた


このあと更に、デザートタイムとなったので、
今度は、皆にお茶を点てて一日を締めくくった
実に陽気な仲間たちである

ブラジル滞在も終盤
これで終わりかと思いきや
明日からは海だそうです

日本を出て以来、胃袋は快調
体重は減るどころか、ひょっとして増えているかも
この上、日焼けして帰ったら
家族はもちろん、同僚たちにも「よく遊んで来たな〜」と嫌味を言われそうである

2013年10月18日金曜日

day 20-21 iki - respiração

田中さんとそのグループが9月から続けている"iki - respiração"連続公演の最後となるインディオの村での公演に随行。サンパウロから高速道路を一時間、そこからさらに穴ぼこだらけで、しかもぬかるんだ山道を一時間ほど入ったところにある集落。70家族300人が暮らす村ということだ。稽古会にきているホージェ(画像でシテを務めている大柄な男性)つながりで、この村での公演が実現することになったそうである。会場は村の儀式に使われている集会所のような場所。村の外の人間に使わせてくれるのは例外ということのようだ。



公演のあと、村の儀式を見せてもらったのだが、子どもたちの遊びと体操を兼ねているようで興味深い。合間合間に、大人が大きなキセルに詰めた煙草を手に会場の四隅を歩く姿によって、これが儀式として行われていることを思い出させてくれる。儀式はエンドレスに延々と続く。しかも毎晩やるという。棒を手にした指導役の大人の指示で、男の子たちがグルグル移動し、指導者は、その棒をある高さに水平に置いて、その上を飛び越えさせたり、あるいはくぐらせたりといったところからはじめて、その後、段々難易度を高めていく。体育としてはすごくよく構成されている。その間、女の子たちは、少し離れたところで、単純で振りは小さいが、骨っぽい動きで踊り歌う。年頃の男女が二手に向かい合って掛け合うものもあって、それなど歌垣を思わせる。

宿泊棟ーといってもただの広い部屋にマットレスを敷き、その上に寝袋を広げるーに戻ったら9時を回っている。準備してきた食料を皆(総勢15名)でいただく。あとはもう寝るだけ。静かだし、準備してくれた寝袋は暖かくて瞬く間に眠りに落ちる。

翌日(つまり今日ですが)は、その集落から分かれたという、もう一つの小さな集落を訪ね、そしてサンパウロに戻って来た。



2013年10月15日火曜日

day 18 オフ

昨日の月曜日はオフ
旅行者にオフがあるというのも妙な話だが、
稽古者としてはオフ日
近所の公園を散歩して、自然食のレストランで昼食
随分広い公園で、園内には現代美術館やプラネタリウム施設もある
ぶらぶら歩いているだけで、
ブラジルを構成する様々な人たちとすれ違う
少なく見積もっても1時間で50くらいの
文化人種的背景を持つ人たちがいたように思う
その共存のしかたがゆるい
このゆるさがブラジルの特徴かもしれない
これは楽だわ
この調子でブラジルの空気に浸っていると、
日本への再上陸が難しくなりそうだ



2013年10月14日月曜日

day 17 ワークショップ at Sesi

ワークショップと稽古会はどう違うのか
この風景だと、とても稽古会とは呼べないな
終わってから足袋の裏をみたら汚れひどかった
まあ、床に対する考え方が違うから仕方ないのだけれど

参加者は数えてみたら16名
休憩を入れて3時間
時折、日本語で話しはじめてしまい、
通訳役のジュリアーノのキョトンとした顔をみて
それに気づく場面が何回かあったくらいで
基本英語で会を進めることができました

今日のテーマは手を封じる
皆さんなかなかセンス良い
空気に集注するなんてのもちゃんとわかってくれた
どうやらサンパウロ市内で違うグループを相手に
もう一度やる予定になっているらしい

http://www.danca-acontecimento.com/oficinas



2013年10月13日日曜日

day 17 ピラシカバ

Piracicabaという街にやってきた、いや連れられてきた。
今回世話を焼いてくれている若者二人が立ち上げた一般市民対象の講座があって、この街でもやっているらしい。その会で動法の稽古をやってほしいとのこと。断る理由はみつけられない。十代から七十代まで、25人くらい集まるらしい。勿論ポルトガル語しかわからない人たちの集まりだから英語で話し、それをポルトガル語に通訳してもらうことになる。去年秋くらいから、大井町に現れる外国人参加者に拙い英語で稽古することはあったものの、稽古会まるごと日本語なしでやるなんて想定外。ただ、二年くらい前の七夕筆動法で、そんなことを念じたことを今頃になって思い出した。それがまさかブラジルで実現することとになるとは。他人には、「迂闊に念じると実現するから怖いよ」とアドバイスしているのにね。今更後に引けないし、やるしかないじゃないか。では、行ってきます。
【裏庭】泊めていただいたお宅の裏庭。イタリア系の家族だそうで。屋敷の中にいるとヨーロッパにいるみたいだ。街中に入ってくる途中、賑わっている通りを抜けてきたのだが、白人が多く、そういう歴史を持つ街なのかもしれない。

2013年10月12日土曜日

day 16 Embu 二日目

午前中は屋内で「合掌行気以前」、午後は公演に向けた田中さんの稽古を見学。稽古は屋外の土舞台。鳥が鳴き、池鯉が跳ね、横で寝そべっている犬がくしゃみする。なんだか、昔、山姥を作っていた頃を思い出す。室野井さん、竹平さんをブラジルに呼んで、"山姥2015"とかやればよいのに。夕方には、Piracicabaというここからは160キロくらい離れた街に移動し、明日午前中ワークショップをやることになっているらしい。今晩自分がどこに泊まることになるのか、その日にならないと分からない状況も楽しいものだ。ブラジル入りして四日目、肉の一切れも食ってない。ヨーロッパでの食べ過ぎを調整中といったところ。

day 15 Embu

今回の旅の終着点であるEmbuへ
田中さんの自宅兼稽古場
いつか遊びに行きますからと言い続け、
それが、ほぼ20年経ってようやく実現した

古い屋敷のリビングに畳を入れ稽古場にしている
裏庭には土の舞台、板の舞台が造られ、稽古に公演に使われているとか
日本の小さなお寺の裏庭のような空気感

奥さんのシサさんとは初対面
日本に来ていた16年前、数ヶ月大井町で稽古したことがあるという
核になっているメンバーと一緒に稽古する
田中さん夫妻を含め9名
アート系の人が多い
来週には、このメンバーと一緒にインディオの村を訪れることになっている



2013年10月11日金曜日

day 14 サンパウロ

金曜日に日本を発って金曜日に帰着予定なので、これでほぼ折り返し地点。二週間もブラジルでやることあるのかしらと思いながらブラジルにやってきたら、あれこれ計画を練ってくれていたようで、暇すぎて困る状態にはなりそうもない。ドイツ、フランスと稽古をやってきて、深めていきたいものも出てきたので、当地でも稽古できることがありがたい。

今日はさっそくLiberdadeという東洋人街に地下鉄で行ってみた。まず出迎えてくれるのが「ラジオ体操」のマーク。今でも毎朝やってたりして…。この渾然とした感じは、おそらくこれまで訪れたことのあるどの街にも似ていない。日系とおぼしき顔も多いが、中年以下の人たちの体つきは、ブラジル標準になっていて、つまり僕の1.5倍の幅と厚みある。丸海というスーパーに入ってみたら、日本食の食材が何からなにまで揃っている。豆腐なんぞを買ってきたのであとで味見してみよう。



2013年10月10日木曜日

day 13 ブラジル!

ほんとうにブラジル来ちゃった、みたいなノリでサンパウロ到着
こっちのバスは排気を上からするんだ、といったつまらない発見をしつつ空港から市内へ
この春、大井町に来てくれた若者二人が、あれこれ計画を立ててくれていて、
濃厚な二週間になりそうな気配
日差しは強いが、日陰はさらっとしていて心地よい

2013年10月9日水曜日

day 6 ドイツ稽古会

ドイツ稽古会の写真が参加者から送られてきたのでupしておきます
画質が悪く、適当にぼけているので丁度いい具合
稽古中は一緒に稽古に入ることが多く、写真を撮る余裕がなかった
これは最終日の「合掌行気以前」の稽古のものですね



2013年10月8日火曜日

day 12 ランブイエ

フランス最終日。ランブイエの古城に案内していただく。ランブイエってなじみのある地名だと思ったら、昔々、「よい戦争」というターケルの本の翻訳チームの一員として作業をやっていたとき、担当した章にランブイエがが出てきたのではなかったかな。ここに進駐してきた米軍の話だったと思うのだが…。ドイツ稽古会の感想などもボチボチ届いてきているのだが、おおむね好評。一方、パリの稽古会も面白かったという反応なのだが、やはり、通訳付きの会の難しさを改めて感じている。


2013年10月7日月曜日

day 11 パリ稽古会

昨日の日曜日の午後予定されていたパリ稽古会無事終了。少人数ながら縁あって集まってきてくれた人たちと一緒に2コマ稽古することができた。「つられて動く感覚」を理解してくれるか不安だったのだが、どことなくわかってくれたみたい。フランスでの日程もほぼ終了。それにしても、パリから50キロ離れた田園地帯で三日間過ごせたのはありがたい。ここの農園主が自力で建てた屋敷の一室に泊めてもらい、ここの農園で採れた野菜を食すという、これ以上ない贅沢をさせていただいている。明日夜にはブラジルに向けて移動します。

2013年10月5日土曜日

day 9 lost in Paris

整然としたドイツの田舎町の清潔感もよいが、
大都市パリの猥雑さもまた捨てがたい
パリに来て、ひさしぶりにコスモポリタンという言葉があることを思い出した

ホテルに荷物を預けて39年前に写真を撮った地点を目指して歩きはじめる
近くのオルセー美術館も覗けるかもしれない
ところがどうやら最初の一歩を間違えたらしい
歩けど歩けど水辺に近づいていかない
方向感覚にはいささか自信を持っていたのに…
いきなりバスティーユという地名が出現

南に行くべきところを東に向かっていたらしい
街角の地図を見てもまだ東西南北が分からない
しばらく迷った挙句、ようやく南の方角を見つけだす


39年前の写真はキャル―セル橋からシテ島を撮ったもの
今回はその手前に新しくできたPont des Arts橋から同じアングルで撮影してみた
おびただしい数の錠前が橋にかけられている様を見て、神社の絵馬を思い出した

【1974】

【2013】



2013年10月4日金曜日

day 7 最終日

トントントンと稽古会は進み最終日
集団の稽古は昨日終わったので、今日は個別稽古のみ
終わった人から、再会を約束しながら三々五々引き上げていく
気がつくと、稽古風景を一枚も撮ってないではないか…

2013年10月1日火曜日

day 5 紅葉

稽古会3日目がこれから始まります
目立った時差ぼけもなく、夜はちゃんと眠れて、
朝もシャキッと目が覚めます
気温は日本より10度くらい低く、
紅葉も大分進んでいます
ただ、建物の外でしか煙草を吸えない身にはちと寒い

稽古会も順調
長老組からのツッコミ、初心者からの質問が稽古をふくらませてくれます
なにより、いろんな国に住んでいる人の集まりなので、
休憩時間の語らいが、それぞれのお国事情を反映していて楽しい
昨日のお昼の時間は、シエスタ論議(スペインvs.ドイツ・イギリス)で盛り上がりました

2013年9月30日月曜日

day 3 栗の木

稽古会初日
出だしは少しばかり緊張した
でも、始まってしまえば前に進むしかない
三年半ぶりの再会となる人たちも多数
でも老けこんだ感じの人はおらず、なんだか自分だけ歳取った気分
「右手左手」の稽古から入ることだけは予め決めていたのだが、
それに「離れる感覚」「両肘への集注」を混ぜていくことで稽古に奥行きが生まれた
最後は坐法に持ち込んで一日目の稽古終了
日本語、ドイツ語はもちろん、それにスペイン語、イタリア語、英語も加わる
年2回開催されている会とはいえ、積み重ねの力というのはすごいもので、
グループとしてのレベルは随分上がっている
そのことに素直に感心してしまった

会場の中庭に栗の木が植えられていて、
あてがわれた二階の部屋の窓からよくみえる
この時期だと実をいっぱいつけていて、10月に開催された時には、
落ちてきた栗の実を稽古会の参加者が収穫してたこともあったのではないかな

 

2013年9月29日日曜日

day 2 #FreeShinji

ヴェストファーレンシュタディオン-Westfalenstadion
稽古会を明日に控え、僕はこんなところにいてよいのだろうか?
香川真司のいないボルシア・ドルトムント
こんなに多くのドイツ人を一度に見たのははじめてだ



2013年9月28日土曜日

day 1 長い長い一日

◼︎早起きして、朝6時過ぎにうちを出て、日本時間だともう日付が変わる時間になってようやくヘルシンキ経由デュッセルドルフ着。成田からのフライトは、隣の席が空いていたこともあって快適に過ごせた。でもやっぱりドイツは遠い。◼︎機内でつまみ読みしはじめた『日本の起源』がめっぽう面白い。みんなの党はなぜ"Your Party"なのか? 日本社会に金太郎飴的に現れる「空虚な中心」の起源を若い歴史家二人が説き起こしてくれるのだが、ここ三十年くらいの間に、歴史常識というのは、どんどんバージョンアップされているらしい。明治維新は「画期」ではないと断言されると、その旧い常識に多少なりとも依ってきた動法の説明も再考を迫られる。◼︎宿にたどり着いたのはドイツ時間で午後10時ちかく。ということは、日本時間だと午前5時。長い一日だったな。明日は調整日。

2013年9月26日木曜日

day -1 9月の読書

荷造りもできたし、大井町最後の稽古も終えたし、準備完了
今月の読書リストをアップしてから出発します

里山資本主義 藻谷浩介・NHK広島取材班 角川oneテーマ21 2013
デフレの正体 藻谷浩介 角川oneテーマ21 2010
修業論 内田樹 光文社新書 2013
声の狩人 開高健 岩波同時代ライブラリー 1991
セゾン文化は何を夢みた* 永江朗 朝日新聞出版 2010
検証福島原発事故記者会見* 日隅一雄・木野龍逸 岩波書店 2012
のぼうの城(上・下) 和田竜 小学館文庫 2010
ニッポンの海外旅行* 山口誠 ちくま新書 2010
貧困についてとことん考えてみた* 湯浅誠・茂木健一郎 NHK出版新書 2012
共謀者たち* 河野太郎・牧野洋 講談社 2012

今回の旅の伴としては、次の2冊を鞄に入れることにしました
 不思議なキリスト教 橋爪大三郎x大沢真幸 講談社現代新書 2011
 日本の起源 東島誠・輿那覇潤 太田出版 2013
         噂の「原発ホワイトアウト」はどの本屋さんにも並んでないようで断念

2013年9月25日水曜日

day -2 doho project

<稽古場の25年>を読んでくれた室野井さんから、「フランスでdohoが紹介されるのは厳密には初めてではありません」というメールをいただいた。まったくその通りで、1997年、室野井洋子・森陽子・田中敏行の三人でdoho project「山姥」パリ公演(在仏日本大使館広報センター)を実現させている。そう考えると、今回、ドイツからパリに移動し、その足で田中さんの待つブラジルに渡るのは必然のように思えてくる。どこかに田中さんがブラジル稽古会について書いたものがあったはずだと、探してみたら1996年の『風韻』にありました。まだ、ブラジルに渡って二年しか経ってない頃のもので、発行者も整体法研究所になっている。元編集者権限(きっとそんなものはありませんが)を行使して引用掲載しておきます。室野井さん曰く、「田中さんは、ある意味ではずっとdohokids projectをやっている」。たしかにブレてない。

day -2 ガジェット

旅に出かける度にガジェット増えてしまうのはなぜ? 一年半前、四国遍路に出かけようとした時には、モバイルwifiルータとipod touchを買い込んだ。つまり、どこでもインターネットを実現しようとしている。「長期留守にするのだから、連絡とれた方がよいでしょう」という弁明よりも、「あなたはネット中毒だから」というカミさんの憐れみの目の方が説得力を持つ。で、今回はのxperia tipo dualというsimフリー版小型スマホ。wifiルータとして買ったのだが、意外に単体でも使える。アンドロイド端末に触るのはじめてなのだが、違和感もない。iijmioのデータsimを入れてみると、これまで使っていたwifiルータよりも電波の掴みはよい。ip電話としても使えそうだ。あとは、ドイツでデータsimを手に入れられれば文句なし。

2013年9月24日火曜日

day -3 稽古場の25年

 パリでも稽古会をやることになったことはすでに報告済みですが、その会を準備してくださっているNさんから、当日どんな話をするのか、どんな稽古をするのか、事前に教えてほしいというリクエストが届いている。「doho」がはじめてフランスで紹介される会になるわけで、たしかに、事前にある程度の情報がないと主催者・通訳者としては困るにちがいない。この点、ドイツの会は長年の積み重ねがあるから楽ですね。
 さてどこから書いていくべきか。まず身体教育研究所25年の歴史からとき起こすことで、自分たちがどこを目指しているのかが明らかになるのではないか。そうすれば、自ずと当日の稽古の中身も定まってくるのではなかろうか。以下は試稿。

******

 整体は割に早い段階からヨーロッパに入ってきているようです。整体協会の古い機関誌ーzenseiといいますーなどを読んでいますと、40年くらい前、整体協会の創始者である野口晴哉先生ご存命の頃から、すでに、津田さんという方を中心にヨーロッパで整体が広がっていた様子が伺えます。津田さんは合気道もよくされた方のようですが、それ以外にも、ヨーロッパに留学していた音楽家を通しての広がりもあったようです。その晴哉先生は1976年にお亡くなりになり、その後を、晴哉先生のご子息たちが引き継ぎ、今日に至るまで整体協会の活動は続いています。

 私の師匠は野口裕之(Hiroyuki)先生ー晴哉先生の次男にあたられる方です。晴哉先生がお亡くなりになった後、三男の裕介(Hirosuke)先生と一緒に、本部講師として指導者育成、会員指導に当たられてきました。今からちょうど25年前、1988年のことになりますけれど、裕之先生は本部講師を辞め、「整体法研究所をはじめます」と宣言しました。この整体法研究所は何年かあとになって、「身体教育研究所」と名前を変えることになります。この研究所が創設されたとき、たまたま私が一番身近にいたものですから、身体教育研究所の運営・マネージメントを任されることになってしまいました。以後、4年前に指導者として独立するまで、身体教育研究所の運営に携わってきました。

 じゃあ、どうして、裕之先生は身体教育研究所なるものをはじめたのか? 野口晴哉という人は「天才」と呼ばれた人です。天才というのはやってみせることはできるが、それを説明できないーあるいは敢えてしない。学ぶ側は大変です。つまり、弟子たちは、見よう見まねで真似しようとするが、自分がやっていることに確証がもてない。これは、私なども整体を学び始めて30年以上たってしまいましたが、確証の持てなさ加減は同じです。指導者を育てる立場だった裕之先生にとって、これは切実な問題であったに違いありません。裕之先生は晴哉先生の技を理論体系化する役割を担わされていた訳で、それが、身体教育研究所の出発点です。

 整体というと、活元運動、愉気、整体操法といったものを思い浮かべることが多いと思いますが、身体教育研究所の活動が始まって、これらに「動法(doho)」と「内観(naikan)」が加わります。動法とは「身体を動かしていく理(ことわり)」です。1911年生まれの晴哉先生と、戦後生まれ(1945〜)の我々は、身体の捉え方=身体観が異なっているのではないか、故に、異なった原理で体を扱っていたのではないか、という仮説からこの動法研究ははじまりました。年数にして一世代、僅か30年ほどの違いに過ぎませんが、この間、社会環境は大きく変化し、日本でいえば、戦後ー高度成長期を経ることで生活環境そのものが大きく変わりました。伝統的なものが打ち捨てられ、いわゆる生活の西洋化が進んだ時代でもありました。時代によって身体観は変化し、身体観の変化によって、身体の使われ方は変化する。野口晴哉研究からはじまった動法研究は身体観の研究に転じていきます。

 現代を生きる人間にとっての身体観は科学的医学的身体観と呼びうるものでしょう。これはフランスにおいても日本においても共通しているのではないでしょうか。国民国家の誕生以来、そして工業化の進行とともに、外からの物差しで人間を測ることが常態化し、人はその客観的とされる数値によって形成される姿を内面化してきました。人は自由に感じることができるといわれても、その感じることが既に社会化されているのです。科学的思考の本家ともいえるフランスではどうなのでしょう? 文化の伝承というものを考えたとき、それを支えているのは共有された身体観ということになります。この「身体観」「動法」研究の成果は裕之先生の論文にまとめられていますので参照してください。 

 私たちが行っている「動法」というのは、狭義には日本人の間に伝わってきていたであろうとされる「身体観」を学ぶことと言えるでしょう。同時に、それは科学的医学的身体観以前のー前近代の「身体観」を学ぶことでもあります。私たちが25年間稽古してきた「動法」がフランスで紹介されることにどのような意義があるのか私にはわかりません。ただ、Nさんとのご縁で今回パリで稽古会が実現することのなったことを私自身とても嬉しくおもっています。これまで自明と思ってきた自分の身体の見方を問い直す機会になればと思います。


******

と、ここまで書いてはみたものの、言葉足らずというか、トンチンカンな感じは否めない。少人数の会なので、ここまで大上段に構える必要もないのかも。続きはドイツで考えることにしよう。

day -3 稽古場の25年

 パリでも稽古会をやることになったことはすでに報告済みですが、その会を準備してくださっているNさんから、当日どんな話をするのか、どんな稽古をするのか、事前に教えてほしいというリクエストが届いている。「doho」がはじめてフランスで紹介される会になるわけで、たしかに、事前にある程度の情報がないと主催者・通訳者としては困るにちがいない。この点、ドイツの会は長年の積み重ねがあるから楽ですね。
 さてどこから書いていくべきか。まず身体教育研究所25年の歴史からとき起こすことで、自分たちがどこを目指しているのかが明らかになるのではないか。そうすれば、自ずと当日の稽古の中身も定まってくるのではなかろうか。以下は試稿。

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 整体は割に早い段階からヨーロッパに入ってきているようです。整体協会の古い機関誌ーzenseiといいますーなどを読んでいますと、40年くらい前、整体協会の創始者である野口晴哉先生ご存命の頃から、すでに、津田さんという方を中心にヨーロッパで整体が広がっていた様子が伺えます。津田さんは合気道もよくされた方のようですが、それ以外にも、ヨーロッパに留学していた音楽家を通しての広がりもあったようです。その晴哉先生は1976年にお亡くなりになり、その後を、晴哉先生のご子息たちが引き継ぎ、今日に至るまで整体協会の活動は続いています。

 私の師匠は野口裕之(Hiroyuki)先生ー晴哉先生の次男にあたられる方です。晴哉先生がお亡くなりになった後、三男の裕介(Hirosuke)先生と一緒に、本部講師として指導者育成、会員指導に当たられてきました。今からちょうど25年前、1988年のことになりますけれど、裕之先生は本部講師を辞め、「整体法研究所をはじめます」と宣言しました。この整体法研究所は何年かあとになって、「身体教育研究所」と名前を変えることになります。この研究所が創設されたとき、たまたま私が一番身近にいたものですから、身体教育研究所の運営・マネージメントを任されることになってしまいました。以後、4年前に指導者として独立するまで、身体教育研究所の運営に携わってきました。

 じゃあ、どうして、裕之先生は身体教育研究所なるものをはじめたのか? 野口晴哉という人は「天才」と呼ばれた人です。天才というのはやってみせることはできるが、それを説明できないーあるいは敢えてしない。学ぶ側は大変です。つまり、弟子たちは、見よう見まねで真似しようとするが、自分がやっていることに確証がもてない。これは、私なども整体を学び始めて30年以上たってしまいましたが、確証の持てなさ加減は同じです。指導者を育てる立場だった裕之先生にとって、これは切実な問題であったに違いありません。裕之先生は晴哉先生の技を理論体系化する役割を担わされていた訳で、それが、身体教育研究所の出発点です。

 整体というと、活元運動、愉気、整体操法といったものを思い浮かべることが多いと思いますが、身体教育研究所の活動が始まって、これらに「動法(doho)」と「内観(naikan)」が加わります。動法とは「身体を動かしていく理(ことわり)」です。1911年生まれの晴哉先生と、戦後生まれ(1945〜)の我々は、身体の捉え方=身体観が異なっているのではないか、故に、異なった原理で体を扱っていたのではないか、という仮説からこの動法研究ははじまりました。年数にして一世代、僅か30年ほどの違いに過ぎませんが、この間、社会環境は大きく変化し、日本でいえば、戦後ー高度成長期を経ることで生活環境そのものが大きく変わりました。伝統的なものが打ち捨てられ、いわゆる生活の西洋化が進んだ時代でもありました。時代によって身体観は変化し、身体観の変化によって、身体の使われ方は変化する。野口晴哉研究からはじまった動法研究は身体観の研究に転じていきます。

 現代を生きる人間にとっての身体観は科学的医学的身体観と呼びうるものでしょう。これはフランスにおいても日本においても共通しているのではないでしょうか。国民国家の誕生以来、そして工業化の進行とともに、外からの物差しで人間を測ることが常態化し、人はその客観的とされる数値によって形成される姿を内面化してきました。人は自由に感じることができるといわれても、その感じることが既に社会化されているのです。科学的思考の本家ともいえるフランスではどうなのでしょう? 文化の伝承というものを考えたとき、それを支えているのは共有された身体観ということになります。この「身体観」「動法」研究の成果は裕之先生の論文にまとめられていますので参照してください。 

 私たちが行っている「動法」というのは、狭義には日本人の間に伝わってきていたであろうとされる「身体観」を学ぶことと言えるでしょう。同時に、それは科学的医学的身体観以前のー前近代の「身体観」を学ぶことでもあります。私たちが25年間稽古してきた「動法」がフランスで紹介されることにどのような意義があるのか私にはわかりません。ただ、Nさんとのご縁で今回パリで稽古会が実現することのなったことを私自身とても嬉しくおもっています。これまで自明と思ってきた自分の身体の見方を問い直す機会になればと思います。


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と、ここまで書いてはみたものの、言葉足らずというか、トンチンカンな感じは否めない。少人数の会なので、ここまで大上段に構える必要もないのかも。続きはドイツで考えることにしよう。

2013年9月21日土曜日

day -6 折鶴

菊名お茶室の脇に二重の折り鶴が置かれていた
尾っぽと繋がっていたり、くちばしから、もう一つのツルがぶら下がっていたり…
こんな事できちゃうんだと感心
肝腎のお茶は、夏の間さぼっていたせいでシドロモドロ
どうしてお茶の手順って僕の中で定位してくれないのだろう
客の座でお茶をいただき、遠征用のお干菓子をもらって帰ってきた
遠征荷物にお茶碗と茶筅を加えることにしようか

2013年9月18日水曜日

day -9 台風一過

出発まであと9日
台風一過で涼しくなったとはいえ、ドイツはすでに晩秋モード突入で、
最低気温は10°Cを切っているとのこと

出発までの予定表をみると、毎回のことながら、やけに行事が詰まっている
金曜日は休みだが、恐怖の音楽会が待っている
 なぜ恐怖なのかというと、これがオヤジにとって311のリベンジであるということ.
 僕の中では、ミーハーオヤジx辻井伸行=大地震+帰宅難民という図式で記憶されてしまっている
   今回はみなとみらいでなく渋谷だけれど...
土曜日は動法基礎 その前に、先月お休みしたお茶の稽古もお願いしてある
日曜日から一泊二日で白山稽古会
火木も稽古が入っているから、出発準備に費やせるのは水曜日だけだ

はたして4週間分の荷物を機内持ち込み可のバッグに納められるのか?
ブラジルからの帰途、パリで日本行きの飛行機に乗り継ぐのだが、乗り継ぎ時間3時間。身ひとつなら多少遅れても大丈夫なはずだが、荷物の引き取りに手こずって乗り継ぎをしくじると、寒いヨーロッパで越年ということにもなりかねない(そんなわけないか)。そういう理由で機内持ち込みにこだわっている。おみやげどうしよう。

2013年9月5日木曜日

Istanbul to Kathmandu for $50 - 1974

ニッポンの海外旅行』(ちくま新書)という新書を読みはじめたのだが、これがなかなか面白い。「若者と観光メディアの50年史」という副題の通り、「なんでも見てやろう」から「地球の歩き方」まで、ここ半世紀の若者の海外旅行のスタイルの変遷をメディアに絡めて通観している。その流れを現在進行形で体験してきた一人として、膝を打つ箇所も多い。思い出したのが、"Istanbul to Kathmandu for $50" という僅か36頁だての旅行案内本。これを頼りにパリからイスタンブール、そしてインドまで旅したのだ。PDF化してみたので興味のある方はこちらから。

2013年8月16日金曜日

本3題

■ふとブックオフでも冷やかそうかと改札抜けて普段とは逆方向に歩き出す。ピンと来るものに出会えず、最後に立ち寄った百円コーナーで、なんと晴哉先生の「誕生前後の生活」と「女である時期」の二冊を発見。無事救出して参りました。あまり読まれた形跡はなく、当然のことだけど、ずっと昔に買った私所有のものより状態はよい。せどり屋にでもなろうかしら。

■図書館の棚の間をクルーズしていて、時々、なんでこの本がこの棚に?ということがままある。例えば、小林信彦の週刊文春連載のエッセイ一年分をまとめた『定年なし、打つ手なし』が老人問題(367)のところにあったり、米原万里の『パンツの面目ふんどしの沽券』が衣食住の習俗(383)の棚に置かれていたりする。ふたりとも大好きな作家なので余計に気になる。100%的外れとはいえないけれど、一緒に並んでいる本と仲良くしているようには見えず、ちょっと気の毒。

■月刊全生8月号に掲載されている語録の最後の部分に「暑さを少なくする体操」として「倚坐して足を机上にのせ、そりかえることだ」という一文がある。倚坐とはどういう座り方なのか、跪坐とはちがうのか?という問い合わせが僕のところに舞い込んできた。たしかに倚坐はキザと読めるが、跪坐(足首を返して)したら足は机に載せられないだろう。編集部のSさんに訊いてみたら、倚坐は「いざ」と読み、普通に椅子に座った姿勢のことであるという。それなら納得。倚坐=いざとは僕も知らなかった。

2013年8月14日水曜日

誕生日

生きている限り、年に一度は誕生日は巡ってくるもので、今日がその日
歳食ってくると、もの忘れが激しくなるというか、最近失せ物が多くて困る
このクソ暑いのに、帽子は失くす、扇子は行方不明でトホホな状態
みるに見兼ねてだと思うのだけれど、家族から麦わら帽と扇子のプレゼント
ありがたや


今日は昼前に家を出て五反田のブラジル領事館へ
査証の申請したのは、それこそ何十年かぶり
ブラジル国民に日本政府が査証を要求していることの裏返しの措置だろうと思うのだが、
窓口は結構混み合っていて、ビザを捺したパスポートを受け取るまで40分
帰りは、先週見つけたオスロコーヒーに寄り道してから帰宅

日射しは強いが、風にはもう秋の気配


2013年8月12日月曜日

パリ稽古会

9月末のドイツ稽古会につなげて、パリでも一日だけ稽古やることになりました
そのチラシが届いたので(若干の間違いあったので訂正済)お知らせします
やはり、野口整体というくくりになるんですね
フランス語よくわからないのですが、どういう説明になっているのでしょう?
定員15名ということらしい
ドイツの場合、参加者の大半が日本人なので通訳なしでやってますが、
パリの部は通訳が間に入ることになるので、アウェイ感十分な会になりそう
予めどのような話をするのか知らせて下さいとのことなので、
夏休みの宿題として現在取組中