2013年5月20日月曜日

文化としての整体

整体はどのように日本以外の地に伝わっているのだろう?

整体協会としての組織だった活動は、25,6年前のパリでの活元会以来やってないのではないのかしら。僕が整体を学び始めたころ(80年代前半)は、フランスやスペインから活元会のメンバーが大挙押し寄せてきたり、交流は活発だった。では、その人たちは、どのように整体を知ったのだろう。

晴哉先生存命の時期ーということは、僕よりもずっと前の時代のことー晴哉先生に直接学んだ人たち(津田逸夫さんなど)が、ヨーロッパに渡り現地で道場を開いている。そこから派生したグループもヨーロッパには沢山あるようだ。駐在員またはその家族として一時期住んでいた人がはじめた会というのもある(竹居先生が始めた会は、ドイツ稽古会として継続している)。整体を学んだ音楽家が音楽活動の傍ら整体を教えているケースもあるようだ(タテベさんなど)。整体協会からスピンオフした人たち(ノムラさん、井本整体など)も、各地でやっているらしい。整体協会の指導者が個別で行なっている活動もきっとあるだろう。始まった時期もまちまちだろうし、地域も様々であるに違いない。つまり、整体がどのように広まっているのか誰も全体像を把握していない。

たった一つ、共通しているのは、野口晴哉がはじめた整体の流れのどこかに自分がいるということ。これってすごい事かもしれない。しかし、世界のどこかの街角で、「整体やってます」という人と出会ったとして、はたして会話は成り立つのだろうか? つまり、「文化としての整体」は共有されているのだろうか。これは国内においても同じことがいえる。整体を標榜して活動している人たちの数は多い。でも、文化としての整体はどれだけ伝わっているのだろう。そう、「文化としての整体」はあると私は思っているし、その文化は世代を経ることで作られるものだと思っているのです。