2014年8月27日水曜日

1974年4月 To Mexico

3月および4月前半のSanta Feパートは後回しにして、メキシコパートに入ることにします。サンタフェにはチカーノと呼ばれているメキシコ系の住民も多く住んでいる。歴史的にみれば、もともとメキシコだった土地なわけで、スペイン語を耳にする機会は多い。ここまで来たからには国境を越えてメキシコにも足を伸ばしたい。メキシコシティの南にあるCuernavacaという街にはFWCのセンターもある(はずだった)。というわけで、イースターで学校も休みに入るので、国境を目指すことにした。

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4月14日(日) サンタフェ発1030。BarbaraがワシントンD.C.に帰るLaurieをアルバカーキ空港まで送って行くというので、車に便乗させてもらう。アルバカーキからEl Pasoまでヒッチハイク。エルパソから国境(Rio Bravo)を徒歩で越えCiudad Juarezに入る。思った以上に英語が通じない、というか、いきなりスペイン語世界。2230発のバスでChuihuahuaを目指す。チワワ着午前3時。
4月15日(月) チワワ発0820の列車で鉄路(チワワ太平洋鉄道)太平洋を目指す。途中、カッパーキャニオン(銅渓谷)を通る。グランドキャニオンよりもでかいらしい。La Junta – Creel – (copper canyon) -Sufragio着2030。
(そうそう、このカッパーキャニオンのあたりが「走る種族」と呼ばれるタラウマラ族が住むエリアなのだ ⇒ Born to Run 。そもそもメキシコを目指した理由のひとつにカスタネダの影響がある。1973年の大学生の間ではカスタネダの本は必読の書であった。)

















4月16日(火) Sufragio発0300 –  Mazatlan 着0835
4月17日(水) Mazatlan, mexico 昨晩食べたエビがあたり食中毒。
4月18日(木) MazatlanからバスでCiudad Mexio(メキシコシティ)へ
4月19日(金)  メキシコシティ到着後、すぐにCuernavaca行きのバス停からクエルナバカへ
4月20日(土) Cuernavaca 終日、FWCラテンアメリカセンターを探すが見つけられず
4月21日(日) Cuernavaca ラテンアメリカンセンター探しは徒労に終わる。
 なんとグアテマラに移転していたのだ!
 (なんで自分は旅してるんだろう? というメモ書きがある。アホである。それはともかく、クエルナバカで覚えているのは鮮やかな緑。みずも滴るような樹木)
4月22日(月) Cuernavacaからメキシコシティに戻る
4月23日(火) メキシコシティ徘徊

















4月24日(水) メキシコシティからテオティワカン日帰り
















そして国立人類学博物館















4月25日(木) メキシコシティから汽車でエルパソに向かう
4月26日(金)
4月27日(土)エルパソに早朝到着。再びヒッチハイクを始め、夕刻SFCS到着
(旅は無意味だ!というメモ書きがある。やっぱりアホである。だって、このあともずっと同じこと繰り返すのだから...)