2015年3月30日月曜日

同型転質

■昨夏、ロイ先生が亡くなって以来、本部道場での愉気法講座、活元指導の会は休会のままである。晴哉先生以来続いてきた整体協会の伝統が失われてしまうことは、ちょっと淋しい。愉気法にせよ活元運動にせよ、整体の基本というべきもので、少なくともそれらの様式はなんらかのかたちで残すべきだろう。■今は「カタと同調」という名称に統一してしまったが、数年前に大井町ではじめた「合掌行気以前」「活元運動以前」という稽古は、それぞれ、合掌という形に至るまでの経路、活元運動にける準備運動とは何かを動法的内観的に、つまり稽古場的に検討を加えたものである。■稽古用語で「同型転質」というものがある。つまり、形は変えず、その質を変えるの意。これに対して「転型同質」は、形は変わっても質は変わらない。これって、理念の話ではなくて技法の話で、例えば、邪気吐きひとつとっても、一つの様式ながら、百通りの吐き方が可能であるということを言っている。■稽古場ができた四半世紀前だと、「転型転質」の様相で「稽古」というジャンルを打ち立てようとしていた気がするが、すでに稽古という考え方は十分に浸透してきたから、やや先祖返り的な、従来の様式に則った、じっくり合掌行気するような稽古会をやろうと思っている。

3月の読書

古本屋にダンボール一杯分の本を送りつけ、今度は、振り込まれたそのお金を握りしめて、また古本屋にでかける。ところが、そこで買い求めた本のうち、一冊は文庫で読んだもののハードカバー版で、もう一冊は失敗作としか思えない小説。で、結局、本屋に行ってまた新しい本を買い込むという悪循環。

ベトナム語ーはじめの一歩まえ* 富田健次 DHC 2001
「生きづらい日本人」を捨てる*下川裕治 光文社新書 2012
動物感覚* テンプル・グランディン 日本放送協会 2006
俺に似たひと* 平川克美 医学書院 2012
そしてメディアは日本を戦争に導いた* 半藤一利・保坂正康 東洋経済新報社 2013
ぼくはスピーチをするために来たのではありません* ガルシア・マルケス 新潮社 2014
十二の遍歴の物語* ガルシア・マルケス 新潮社 1994
ベトナム町並み観光ガイド* 友田博通編 岩波アクティブ新書 2003
わりなき恋 岸惠子 幻冬舎 2013
捨てる女 内澤旬子 本の雑誌社 2013
身体は幻 渡辺保 幻戯書房 2014

桜咲く

開花三日目にして満開
今年ほど春を待ちわびた年はない

2015年3月25日水曜日

春を踊るー終了

青柳ひづるさんの舞踊公演無事終了
この踊りを振り付けた室野井洋子さんの
「春といっても春のはじめの動きを基にしてるから、季節がずれちゃうかも」
という言葉に納得
たしかに春というより「芽吹き」の季節
でも、春の動きに乗り遅れている私にはぴったりだったし、
春の芽吹きの動きを、これまで、読み損ねていたこともわかった
胸の奥がゴクゴクと押し拡げられるのが春なのだ

2015年3月20日金曜日

彼岸

妻が逝って半年、父が逝って三ケ月
この誰もいない(娘はいてくれるけど)生活に慣れてきたような、そうでないような
今年ほど春の暖かさを待ち望んだことはない
ようやく彼岸がやってきた


2015年3月13日金曜日

ぼくが紅茶を頼まない理由

紅茶はすきなのだが、外で紅茶を頼むことはほとんどない
どうしてなのかと考えてみたら、ティーカップ一杯では物足りない
という一点にたどりつく

家ではコーヒーも勿論飲むけれどもっぱら紅茶
ティーポットを温め、カップを温め、リーフを入れて
そこに、沸騰したお湯を八分目注ぐ

一人で飲む場合だと、このティーポットの紅茶をカップになみなみ注いでも
ポットにはまだ、二割くらい残っている
一杯目の紅茶をいただきながら、ポットに7分目くらいまでお湯を足してしまう
一杯目を飲み終えた頃には、二杯目が準備されていることになる
二杯目を注いでも、まだポットにはまだいくらかの紅茶は残っているから、
それが三杯目になる
あるいは、二回目に注ぐお湯の量を少なめにして、濃い目な紅茶にしておいて、
ミルクティーにすることもある

つまり、一回紅茶を淹れる度に、最低二杯、場合によっては三倍の紅茶を飲む
というのが、僕にとってのスタンダードなのだ
紅茶をポットで頼めるお店はあるけれど、妙に茶葉を節約していて、
お湯を足したところで、まあ二杯がせいぜいだし、いい値段とってくれるではないか

紅茶は家で飲むに限る

生きていくには技がいる

稽古場は「大人の躾けの場」である
という言いかたをこれまでしてきたが、ちょっと飽きてきた
これからは、「生きていくには技がいる」ってことを学ぶ場である
と言い方を変えることにしよう

躾けなし、技なしが是とされてきた大きな理由は、
もう、生理学にあるとしか思えない
機械論的身体観、脳中心主義と言い換えてもよい
なんかこう、構造が線形なのだ
単純化して言ってしまえば、
スイッチのオンオフ、インプットーアウトプット、刺戟ー反応
そういった関係性

ところが、実際の人間の身体というものは、そんなふうにはできてない
感覚、集注といったものに目を向けていかない限り、
自分の体と付き合うことさえむずかしい
立ち上がってしまった人間というのはなかなかやっかいな存在なのだ
そう、生きていくには技がいるのだ

2015年3月8日日曜日

春だ!

今日の大井町筆動法


2015年3月6日金曜日

北陸新幹線

二月末の石川行きは飛行機利用
羽田空港で手荷物検査を終えたら、すぐその先に小松便の出発ロビー
新幹線に流れる客を少しでも食い止めようという努力のあとは見られるが、
出発が30分遅れるとのアナウンスに、この努力も霞んでしまう

金沢駅前のホテルにチェックインし、
普段は見ないテレビをつけると、北陸新幹線開通の特番だらけ
観光客2倍増と鼻息も荒い
たしかに金沢はよいところだけど

石川に通い始めて5年
新幹線開通なんて随分先のことのように思っていたのにね
ホテル代とか値上がりし、私など却って割りを食っちゃいそうだ
二泊三日の日程も要再検討ということになってしまうのか

白山稽古会の参加者は少なめだったが、
富山石川福井の三県から集まってきた
いっそ北陸稽古会と名称を変えようかと冗談を交わす

次回4月の稽古会は新幹線利用になるのかな

MNPその後

ウィルコムに別れを告げ、OCNモバイルoneに移ってきて三ヶ月経過。MNP転入転出の記事はなぜかよく読まれていて、それなりに参考になったみたい。現在はOCNモバイルoneの音声通話(700円)+データ月4G(1450円)+追加データsim(450円)という構成で、基本費用は2600円+税ということになる。iphone5cとipad miniの両方にsimカードを入れている。初代ipadから始まった私のipad/iphone歴は、大きい方から小さい方へ移ってきた。iphoneとipad miniの2台を持ち歩く意味はあんまりないので、文字入力がしづらいと文句を言いながらも、結局、iphoneに触っている時間が一番長い。軽いものには巻かれろ状態。ウィルコム時代の電話番号を維持するためにMNPしたわけだが、携帯回線を使って通話することは実に稀で、わざわざMNPする必要があったのかと思ってしまう。こんな状態なら、iphoneにデータsimだけ入れて、通話は050plusで十分じゃないのか。両方の機械にsimカードが入っている状態は便利で、片方を低速(200k)でネットラジオに繋ぎっぱなしにし、あるいはアプリのアップデートをしながら(OCNは使用量の縛りがない)、もう片方は高速でウェブサイトを見るといった使い方ができる。動画再生には容量が足りないが、満足している。長年使ってきたADSLも解約し、野暮ったいモデムとその周りのケーブルが消えたのも嬉しい。通話にはイエデンが復活。受話器は落ち着きます。

2015年3月2日月曜日

春を踊る

一月の下旬だったか、
ひさしぶりに室野井洋子さんとお茶する機会があった
その時、室野井さんが青柳ひづるさんの踊りの振り付け
ーそれも春の変化を題材にーをしたという話を聞き、
是非一度見てみたいと思った
それから何日かして、大井町稽古場に青柳さんが現れた折、この話をしたところ、
1月末、ちょうど白山稽古会で僕が東京を留守する日に、公演があるとのこと
見に行けないじゃないか(笑)
じゃあ、一度大井町稽古場でやってよ、
という私の身勝手な希望から、今月末の大井町公演が決まりました
皆様のご来場をお待ちしています