2016年3月2日水曜日

30周年

 なんと、今年は、あざみ野通信30周年ではないか。実際には、宇奈根通信→あざみ野通信→dohokids web →sunajiiの公私混同と推移してきたわけだが、ともかく1986年から途切れることなく書きつづけてきたことになる。ミニコミという言葉はすでに死語になっている可能性もあるけれど、30年前、京都から東京に引っ越したあと、主に関西に住む友人たちへの近況報告として始めた。ワープロが普及しはじめた頃で、悪筆が活字に変換されるのが快感だった。もとより、キーボードは得意である。このあたりの経緯はすでに書いている→『復元』。

 たまに備忘録として読み返してみると、中味は同工異曲で繰り返しが多い。人は進歩しないという人間観を抱くようになったのは、自分自身を振り返ってそう思うからである。30年の間に、いったい何万字を垂れ流してきたのだろう。「知者黙」の真逆をいくわけで、きっとこのまま悟ることなく朽ち果てていくのだろうな。僕が父の遺句集を編んだように、USBメモリにテキストデータだけ残しておくので、だれか遺稿集でも編んでみてください。第1号は1986年9月16日発行とあるから、あと半年で30年。

 ともあれ、30年前のいまごろ、僕は前の仕事を辞め、沖縄、台湾を旅し、さてこれから、どのように整体の勉強を進めていこうかと思案していた。東京への引越話が出てくるのは4月になってからのことだった→『引っ越し1986』。当時、身体教育研究所もまだ始まってはいない。いやはや、ぐるーっと一廻りして京都に舞い戻ってきたわけだ。