2016年4月22日金曜日

音読

ひとりで暮らすことのメリットは、
自分が音を発しても咎められないということである
ゲップをしてもオナラをしても文句を言われる心配がない
ただ、大きな叫び声を上げると、その声がお向かいの家まで届いて、
様子をみにくるか、110番される可能性がないわけではない

多和田葉子のエッセイのなかに、作者が自らの作品を朗読するという話が出ていて、
そういえば、本を声に出して読むという習慣から随分離れていることを思い出した
黙読自体、明治以降に広まった読み方で、それ以前は音読が主であったようだ
でも、貸本文化のあった江戸期、黙読がなかったわけではないだろうとは思う

夜中思いついて、読みかけの『雪の練習生』(多和田葉子著)を声に出して読んでみた
漢字の中から、ひらかなが破片となって飛び出してきた
紙に定着していた活字が、空中で舞いはじめた
吃驚したが、ほんとそんな感じなのです
マティアス、クリスティアンといったカタカナ名も声にすると角が取れて丸く感じる
調子に乗って、どんどん声にして読みすすめていった
なかなか先には進めないが、黙読とはちがう経験

いったい一頁読むのにどれくらいかかるのだろう
測ってみたら一頁3分
250頁の本なら12時間30分で読み終えられることになる
一回で読める分量にも限りがあるだろうから、黙読の二倍三倍の時間がかかるだろう
でも、「文章を味わう」ことが本を読むことであれば、音読という行為によって定められた速度こそが、適度ということになる

乱読家という呼び名を返上しよう