2017年4月29日土曜日

4月の読書

米朝快談* 嶽本野ばら 新潮社 2013
ニッポンの風景をつくりなおせ* 梅原真 羽島書店 2010
天国の国境を越える* 李学俊 東洋経済新報社 2013
いるか句会へようこそ!* 堀本裕樹 駿河台出版社 2014
熊野古道* 写真・山本卓蔵 淡交社 2006
認知症をつくっているのは誰なのか* 村瀬孝生・東田勤 SB新書 2016
坊っちゃんの時代* 1,2,3 関川夏央・谷口ジロー 双葉文庫 2002
「思想の科学」私史* 鶴見俊輔 編集グループSURE 2015
日本人はどう死ぬべきか?* 養老孟司x隈研吾 日経BP社 2014

2017年4月27日木曜日

足袋

【業務連絡?】
足袋をまとめて岡山の業者に注文しようと思います。希望者は等持院稽古場までご連絡ください。ゴールデンウィーク明けに発注の予定です。

帰着

■一週間の遠征から帰ってきたら庭の緑の勢いがすごい。ドクダミが一気にひろがり、南天の葉が密度を増している。去年あまりに道路側に花が落ちるので過剰なまでに刈り込んでしまったムクゲの木も枝を伸ばしはじめている。■今回の遠征は、白山と上越で稽古会、東京で操法講座と濃密なものだったのだが、そのあと2日ほど下町とモダンが同居する清澄白河エリアで少しのんびりできた。二子玉川に降りたときは、アウェイ感いっぱい。ぼくの知るニコタマはどこに行ってしまったんだろう。操法講座。これまでやってきたことを全否定されて嬉々としている我々は相当に変な人の集まりだ。■孫の顔をみていると、なんか赤ちゃんのオヤジがいるようで不思議な気分。なんか似てるんだよね。■京都に戻ってきたのは火曜日の夜。あと5日もすると4月が終わってしまう。3月末のせうそこ3。その十日後に「片桐ユズルにきく」。その間に同窓会も二回。そして遠征。いろんなものが4月に集まってきてしまった。■せうそこ3の掘り起こしが早速上がってきたので朱を入れている。これまでのせうそこは「テーマ」について語られているのだけれど、このせうそこ3は、企画者に煽られ、ちょっとはずかしいくらいに「ボク」がさらけ出されている。ま、僕自身踊りたかったのだね。■「こども稽古会」をやることになった。最近、稽古に通いはじめたお母さんが言い出しっぺなのだが、話がトントンと進んで、6月開催が決まった。気楽に「やりましょう」と言ってはみたものの、いったいなにをやれば子供に通じるのか見当もつかない。弘田さんあたりに相談してみよう。■暖房器具の片付けは5月に入ってからだな。


2017年4月21日金曜日

i am not your enemy

アメリカ人の古い友人に連れられて、BBQパーティー
長く京都に暮らした知り合いの帰国お別れパーティーとのこと
大勢の外国人が集まってきている
そういえば、40年前、京都のこういうボヘミアン的空気感の中にいたのだった
でも、気軽に自己紹介して、会話の輪に加わるという文化には、最後まで馴染めなかった
長年の謎が解けた気がする
出会い頭の自己紹介は、"i am not your enemy"と自己申告することなのだ
異人種異文化の多様な人間が集まってくる土地が産み出し育んできたカタにちがない
このことに気づいていれば、もう少し、社交的に振る舞えるようになれたかもしれないな〜
あとの祭りであるが、もし習熟していたら、いまここに私はいない

2017年4月19日水曜日

同窓会

「片桐ユズルにきく」会のあと、
ユズルさんに「出立記」のコピーを渡す
後日、メールがきて、あれは、art of dyingでしたね〜
まるで聖書を読んでいるようでした、との感想
あれは、詩でしょうか、と問うと
チャールス・モリスの分類によれば、小説です
という、英語の先生的答えが返ってきた
「あれは詩です」と言ってほしかっただけなのだが

だれと会ってもそうなのだが、
30年ぶりに会うKathiは、年相応に老けていた
が、中身はかわらない
なにより驚いたのは、彼女が話す英語がスラスラと入ってくること
そうか、40年前、初めて触れた英語はKathi とJackの英語だったことを思い出す
雛鳥が初めて出会ったものを親と思い込むように、
彼らの英語が僕の中に入り込んでいたのだ

他日、もう少し若い世代のアメリカ人と同窓会
Tiffany と Richard
そうか〜、松井くんや池田くんたちと同世代なんだ
立派なおじさん、おばさんじゃないか
二人とも日本は長いので会話はちゃんぽん






2017年4月14日金曜日

おしよせる

70年代が押し寄せてきた
いや、それ以外のものも押し寄せてきている
せうそこ3が終わったと思ったら、
連句の順番が回ってきて、
延期されていた「片桐ユズルにきく」もやってきた
その翌々日には、ハワイからやって来た旧友を囲んで70年代の同窓会
40年ぶりに会う人もいる
その上、土曜日には80年代の同窓会
いったいなにが始まろうとしているのだ?

2017年4月10日月曜日

今後の稽古について

等持院稽古場が活動をはじめて一年半
5月以降、少し、稽古のやりかたを変えようと思っています
名称の変更もあれば、稽古内容の変更もあります

1 日程変更
これまで主に1の日、6の日中心で行っていた個人教授・個別稽古枠を
偶数日全般にひろげます
テーマ稽古もこの枠で行います

2 坐法臥法 → 動法基礎
いうまでもなく、動法基礎には坐法臥法も含まれます
脱力動法等もこの稽古の中で行うことにします

3 合掌行気以前・活元運動以前 → 合掌行気・愉気
従来より少しだけ、合掌行気本体に重心を移します
随伴行気等を加えることで、合掌行気をより深く行えるか実習していきます
愉気の実習も行っていこうと思います

4 連座 → 連座入門
連座の前提となる稽古も行っていきます

2017年4月6日木曜日

断絶

なぜ、僕らの親世代は僕らを躾けることを忌避したのか
これは長年の謎だったが、「片桐ユズルにきく」会などを通し、
つまりは戦争

2017年4月2日日曜日

4月だ

4月だ
むこう半年が日本にとっての正念場になる
唐突だけど、そんな予感

さて、せうそこ第三回目終了
この企画が持ち上がったのが一年前の春
6月、11月とやって、三回目が3月31日
ひとつの会が終り、数カ月後に、それが印刷物になって再び姿を現し、
そして、また次の会がはじまる
ほんと「つづきもの」という感じで会が進んできた
企画者はえらい

ぼくに与えられたのは「みとり」というテーマ
最初のリアクションは狼狽といってもよいものだったが
このテーマと一年間付き合うことで、いろんなことを気づかさせられた
たとえば、
「出立記」って挽歌だったんだ、とか
それまで、ぼくは「なにかになろう」「なにかをなそう」としてたんだ、とか
句読点なし改行といったぼくのブログの文体は、どこかで「詩」を意識してたんだ、などなど
でも、3回目のせうそこ、これって印刷物にできるのかな〜
掘り起こしが上がってきたとき、自分がどんな反応を示すか、ちょっと予測不能だ

企画者は次なるシリーズを計画中らしい
でもね、秋までに何が起こるかわかんないですからね〜