2018年10月30日火曜日

10月の読書

ダンサーは消える 室野井洋子 新宿書房 2018
吉本隆明が語る親鸞* 吉本隆明 糸井重里事務所 2012
なぜ日本は没落するのか* 森嶋通夫 岩波現代文庫 2010
SFを実現する* 田中浩也 講談社現代新書 2014
一茶* 藤沢周平 新潮文庫 2009
カレーな薬膳 渡辺玲 晶文社 2003
極夜行* 角幡唯介 文藝春秋 2018
虫樹音楽集* 奥泉光 集英社 2012

2018年10月23日火曜日

ダンサーは消える

もったいなくて、文章が終わってしまう前に頁を閉じてしまう
そんなことを繰り返している

publicとprivate

公私について考えている。英語で言えばpubicとprivateということになるのか。
一枚の絵画が来たことで、書斎として使っていたーつまりprivateな空間が、応接間ーpublicな空間に変身してしまった。ひとりで暮らしていた時は、privateな空間とはいえ、男子の更衣室としても使われていたから100パーセントprivateであったわけではない。二人暮らしを始めるにあたって、この書斎のprivate性は強くなるだろうと予想していたのに、事態はまったく逆方向に動きはじめた。実際、数日前、珍しく10名を超える稽古会をやった時には、参加者全てを書斎/応接間に招き入れ、そこが茶飲み場と化した。不思議な気分だ。この家に足を踏み入れたひとは、いったい僕らがどこで生活しているのか、見えてこないのではないか。日本家屋はもともと部屋が多機能に使われてきた。それでも、他人が足を踏み入れることのない空間は確保されていたのではないだろうか。この家の中に、そのような空間はない。僕らは、稽古場という小さなテーマパークのコスプレ住人になってしまったかのようである。

2018年10月18日木曜日

新潟・奈良・京都

大仕事を終えたばかりのヒスイ職人である友人が糸魚川から訪ねてきてくれたのが先週の水曜日。拙宅に一泊した翌日、奈良に向かうというので便乗させてもらうことにした。江戸末期〜明治初期の時代を生きた松浦武四郎という冒険家、好事家が残した大首飾りを再現してほしいとの依頼を松浦ゆかりの博物館から受け、半年がかりで取り組んだという。松阪で納品を済ませ、その後、四国、中国を回り、大首飾り一般公開の日に合わせて、再び松坂に向かう途中、京都に寄ってくれた。半年にわたる集注と納品を終えた安堵感からなのか、やや老けた感を漂わせていたが、ことばを変えれば、「大人になったな〜」という印象。本人も一世一代の大仕事だったと言っていたが、まさにそのような仕事だったにちがいない。奈良東大寺の一角に法華堂(三月堂)というお寺があり、そのご本尊の頭飾りにヒスイが使われているという。不思議なことに、装飾品としてヒスイが使われたのは、この法華堂の仏像が最後で、以後、忽然と美術史からヒスイは消えてしまう。新しい文明の象徴としての仏教と、それ以前の土着的なるものとのせめぎ合いがあったのだろうか。はじめて訪れる法華堂は東大寺最古の建造物だそうで、建物も中に収められている仏像も素晴らしいものだった。天河神社に向かうという友人とは近鉄奈良駅で別れ、京都に帰ってきた。

佐渡で民宿を営む友人夫妻が泊めてほしいとの連絡をもらったのは二週間ほど前。奈良大倭に行くという。はじめて大倭紫陽花邑を訪ねたのは、もう四十年も前のことで、当時、FIWCという毎夏韓国でワークキャンプをやっているグループが大倭の中に交流(むすび)の家という建物をつくり、そこを拠点に活動していた。はじめて韓国に行ったのは、このワークキャンプを通してのことで、記録をたどってみると、なんと1976年のことではないか。そのうちに、野草社という東京にあった出版社が大倭に引っ越してきたり、今回の友人夫妻も越してきて大倭の老人施設の職員として働きはじめたり、80年代半ばまで、つまりわたしが京都から東京に引っ越すまで、ちょくちょく大倭に顔を出していた。ここの会館をお借りして何度か活元会もやった記憶がある。ただ、関東に居を移して以来、疎遠になってしまい、今回の大倭行きは30年ぶりのことになる。交流の家はまだ残っていました。大倭で会った翌日、友人夫妻が京都にやってきた。新潟〜関空の間をピーチが飛びはじめてから、関西に来やすくなったようで、それは、関西から新潟に行きやすくなったということでもある。民宿をはじめて30年ということだが、毎秋開催されている佐渡でのトライアスロン大会の様子、四季折々の食べ物の話を聞いていると、また佐渡に行きたくなってしまった。前回行ったのは、まだ娘が小さかった時のことだから、これまた30年近く前のことになる。

2018年10月16日火曜日

フレイレから身体教育へ

11月1日、南区DIY読書会に発表者として登場します
座学です(笑
でも、番外で実技編が必要になってしまうかも
会場は北区です
地下鉄鞍馬口駅から東に徒歩5分くらいのところにあるシェアハウスの一室

以下のような三部構成で考えているのですが、とても一回では終わりそうもないです
1 フレイレから身体教育へ
2 整体的育児における「個」の育成
3 技法としての「個」の解体

関心のある方は、どうぞご参加ください
連絡先 casaludens@gmail.com
会場 ちいさな学校くらまぐち
         603-8146 京都市北区新御霊口町285−151
時間 19時〜21時くらい
参加費無料

2018年10月15日月曜日

稽古者のための活元運動

稽古場ネイティブの人たちも増えてきた
つまり活元運動を体験したことのない整体協会の会員が増えてきた
これ自体、まったくノープロブレムなのだが、ちょっともったいないと思ったりもする
活元運動を「稽古化」する試みを懸命にやったのは6、7年も前になる
折に触れて、このブログにも書いていたので、そちらを参照してみてほしい
「自発性」という言葉が再定義されることになったり、
わたくし的には発見の多い稽古になった
最近は、時折、「活元運動以前」をやるくらい
11月、三回シリーズで、「稽古者のための活元運動」と題して稽古してみます
稽古はしているが、活元運動は未体験の方、
あるいは、従来の活元運動とは違ったアプローチを体験してみたい方、
つまり、どなたでも参加可能です

2018年10月12日金曜日

合本

百万遍の製本屋さんに月刊全生12年分を持ち込んで合本にしてもらった
欠けていた何冊かは、知り合いのところで調達
今回、ソフトカバーにしてもらったら、一年分がだいぶ薄くなり、ページもめくりやすい


リスタート

等持院に稽古場を開いて丸三年経過
この夏以降、自分を取り巻く環境が大きく変わってしまったので、
集ってくる人たちの顔ぶれも変わるだろうの予感どおり、ここ三ヶ月で大きく変わった
端的にいうと、女の人の半数が消え、男だけが残った
これはもう自業自得
現状を素直に受け入れる
と同時に、新しい風も吹いてきている
リスタートである

2018年10月3日水曜日

9月の読書

月末、台風の影響で、三日間の稽古会が二日目で終わってしまい、そのドタバタで、この記事をアップすることをすっかり失念していました

生きなおすことば* 大沢敏郎 太郎次郎社 2003
外道クライマー* 宮城公博 集英社インターナショナル 2016
チャブ* オーウェン・ジョーンズ 海と月社 2017
火の誓い* 河井寛次郎 講談社文芸文庫 1996
食べごしらえ おままごと* 石牟礼道子 中公文庫 2012
新・冒険論* 角幡唯介 集英社インターナショナル 2018
世界一子どもを育てやすい国にしよう* 出口治明・駒崎弘樹 ウェッジ 2016
2020年の原発問題 中尾ハジメ SURE 2018
明治維新とは何だったのか 世界史から考える* 半藤一利・出口治明 祥伝社 2018
憂鬱な10か月* イアン・マキューアン 新潮社 2018

2018年10月2日火曜日

模様替え

一枚の絵を譲り受けたので書斎の壁に掛けることにした
三年前から稽古場として借りているこのお家、もともと画家の住まいだったそうで、
絵が掛けられるよう壁に凹みがつくられている
これまでは、筆動法の作品を貼り付けたり、友人たちから届いた絵葉書をピンで留めていた
絵を掛けてみると、凹みに置いていた写真やおもちゃが邪魔
どかすと、ややスッキリはする
しかし今度は、凹みの下の壁にくっつけて置いているカラーボックスが邪魔である
仕方なく、それらも撤去
すると、壁の左側に置いてある、小ぶりのタンスも目障りである
うーん、困った
これは、全面的な部屋の模様替えではないか

絵を掛けた側の壁から、すべてを移動させると、部屋の感じがまるで変わる
ただし、部屋の反対側に目を移すと移動させてきたモノたちでカオス状態
あらためて絵が掛けられた側の壁をみると、左側がやや希薄になる
カラーボックスを戻す
ただ、書類が詰まった状態はいただけない
空にして、廊下に置いてある本棚から大型本を移すとバランスがよくなる
さらに、これまで置き場所のなかった花瓶を載せるとぴったり
ようやく、収まりどころが見えてくる
あとは、部屋全体の片付け
ノートパソコンが置きっぱなしになっていたローテブルの上を空にする
これからは、パソコンは使うときだけ取り出すことになりそうだ

いや、絵が一枚くるだけで、こんな大事になるとは
はい、絵のちからを舐めてました