2019年6月19日水曜日

とりのこようし

ソマティック関西フォーラムめがけて準備中
きっとアウェイだし、どういう流れで話するか考えておかねばと、
紙を継ぎ足しながらメモを書きつらねていると、
「とりのこようし」みたいね〜、と家人が声をかけてくる
なに、とりのこようし? いったい何だそれはと訊きかえすと、
なんだ、そんなことも知らないのかという風情で、模造紙のことよ、との返事
え、そんな呼び方聞いたこともない
小学校のグループ学習の時はね、云々という話からすると、世代の違いかもしれない
神戸、愛媛では、という話を聞くと、地域差のようにも思える
どうやら、「鳥の子用紙」、愛媛香川ローカルで流通している言葉らしい
机をかく(=運ぶ)、という表現もあるそうな

2019年6月18日火曜日

愉気

新しい命の誕生を人はずっと祝福をもって迎えたのではないか
逝ってしまった命を人はずっと悼みつつ見送ってきたのではないか
こうして、ずっと人は命をつないできたのではないか

愉気について考えている
愉気を受ける経験、それが整体の核となっている
これは確信を持っていえる
では、愉気を受けているとき、あるいは愉気を行なっているとき、
僕らはどのような感覚経験をしているのだろう
なぜ、愉気には修練が必要になるのだろう

太古の昔から風は吹いていた・・・
晴哉先生は、風という言葉を用いて、なにかを伝えようとしている
そもそも僕は愉気を経験したことがあるのだろうか
妻を見送ったときの経験が愉気だったのだろうか
それとも、娘が出産したあとの風景なのか

世界を、他者を、肯定的に迎え入れられる能力
これこそが、整体において僕らが体力と呼んでいるものだ
そして、その能力を育てるものとして愉気がある
世界は生きるに足りる愉しい場所である、と

ここから、なぜカタなのか、という問題に踏み入っていくことになる

2019年6月16日日曜日

お知らせ

いくつかのお知らせ

●6/22 ソマティック関西フォーラムという会で、稽古やります
              土足で出入りする会場でどんな稽古が可能なんでしょうね〜
              履物は脱いで稽古しますので、靴下、願わくは足袋をご用意ください
    http://somaticjapan.org/3rd-kansai-forum2019 

●7/13 白山稽古会の会場が変更になります  → pdf

●8/4-5 石川合同稽古会のお知らせです  → pdf 

2019年6月14日金曜日

専業主婦論争

専業主婦なりたいとおっしゃる
えっ、でも主婦力、私の方が高いんですけど

ご飯用意するというので待っていたら
パンと野菜と豆とチーズがお皿の上に並んでいた
これらは素材ではないでしょうか?
と疑念を素直に申し上げると、これで私は十分だとおっしゃる
たしかに...
でも、僕がドレッシング作って野菜にかけたら、
美味しいね〜と言ってむしゃむしゃ食べていたのはどなた

洗濯、アイロン掛け、お掃除はほどよく分担
料理は私に一日の長ありー料理は買物からはじまるのです
繕い物はお任せします

専業主婦って、高度成長期に出現した特異な現象なのね、と講義しても、聞く耳を持たない
でも、家事が主婦の専権事項であるという考えかたは到底受け入れられないし、
この愉しみを奪おうとする方とは一緒に暮らせない
結局、一緒に居るだけでいいよ、という一点で妥協
ようやく歯車が噛み合って前に進みはじめたところです

2019年6月5日水曜日

文音

連句会に出席したら知恵熱が出たという話は書いた。
来週が2回目の参加になるのだけれど、ちょっと出るのが怖い。
一度出席しただけなのに審査なしにメンバーに加えてもらえたようで、初心者対象の「文音」をやるのでどうですかとお誘いのメールが先生から届いた。「文音」とは手紙で歌仙を巻くこと。それを今風にメールを介してやるらしい。前句にたいして、長句なり短句なり三句を先生に送り、その中から一句、必要であれば一直と呼ばれている添削を加えて句を確定させていくという手順。なぜこの句を選んだか、なぜここを直したのか、解説とともに先生からメールが返ってくるので、連句初心者には実に勉強になる。

さて一巡目は随分ゆったりしていたものの、二巡目に入ると急に速度があがって、あっという間に順番が回ってきた。さて、僕のところに届いたのが「ダリの絵のゆらりと溶くる針二本」という長句。この句に短句七七をつけなけらばならない。季節はなく雑の句でとある。針二本から「箸」を連想。「左手に椀右手には箸」という句がまず浮かぶ。ゆらゆら、溶けるに棹差すように、体言で止めてみる。二つ目は、「豆つまみあげ煮加減をみる」。これも箸からの連想。うーん、箸から逃れられない。悶々としているところに小杉さんの訃報が届いた。こうなると連句どころではなくなってしまう。でも、頭の片隅に宿題の影が残る。

流れに棹ささないで、もっと流してしまおう。こうしてできたのが、「笹舟に乗せ友を見送る」という短句。最初は友でなく「御霊」としたのだけれど、これではお盆の灯籠流しのようで季節感がでてしまう。最終的に前掲二句と併せ、「笹舟に乗る友に手を振り」として先生に送った。早速、先生からの返信があった。笹舟の句を一直し、次の長句が添えられていた。唸った。
笹舟に乗る友へ手を振り
そろそろと亀仏心の貌を出す  

僕の中では、笹舟に乗っているのは小杉さんであり小杉さんの御霊なのだけれど、それを「仏心」で受けてくださっているのだ。連句おそるべし。

遺影の中の小杉さんはVサインしていた。最後までやるな〜。

2019年6月2日日曜日

追悼

小杉さんが逝っちゃった
あの甲高い笑い声を聞くことはもうないのか
戦友がまた一人いなくなってしまった
稽古仲間、同僚というよりは戦友という言葉の方がぴったりなのだ
ん、オレたち何かと戦ってた?

2011年3月11日14時48分、ぼくは横浜市営地下鉄の桜木町にいた
電車を降りたら目眩がする
その目眩と思ったものは地震で、早足で改札を抜け地上に向かった
ビルが揺れていた
15時に桜木町駅で会う約束をしていた父とは無事合流できた
そこに大井町で稽古をしている松井くんからの電話が携帯にあった
とりあえず、お互いの無事を確認
松井くんと話していると、向こうから小杉さんがひょこひょこと歩いてきたのだ
松井くんとの電話はそのままに、父を小杉さんに紹介
午前の稽古が一段落したので自宅に戻るつもりだという
なんでこんな時に、こんなところで、こんな人に会っちゃうんだ
小杉さんというと、この時のシュールな状景が蘇ってくる

鎌倉稽古場からスピンアウトして横浜関内に稽古場を開設したのはいつだろう
調べてみると2003年
その時の工事記録はまだネット上に残っていた → 横浜稽古場ができるまで
足繁く建設現場に足を運んだものだ
すでに故人となってしまった直江さんとの二人体制での稽古場運営がはじまった

なんだかな〜
寂しいよ

2019年5月31日金曜日

読書会メモー山本義隆の著作を通じて

山本義隆にたどり着いた経緯は散発的にこのブログでも書いてきたので省略
→ https://dohokids.blogspot.com/search/label/読書会

最初に読んだ、いや読もうとしたのが「磁力と重力の発見」
全3巻千ページに及ぶ大著
図書館で借りて読みはじめたが、結局ネット古書店で全巻購入
以下、「近代日本一五〇年」、「私の1960年代」と読み進めている
実のところ、「磁力と重力の発見」は第3巻三分の一のところで足踏みしている



























『磁力と重力の発見』の序文を山本はこう書きはじめる
本書は近代自然科学、とりわけ近代物理学がいかにして近代ヨーロッパに生まれたのか、という問題意識から発したものである。

更に、物理学二千年の歴史を次のように総括する
物理学の歴史は、煎じ詰めると、古代ギリシャの原子論が充実した物質としての原子と空虚な空間を見出し、二千年後の一七世紀に空間を隔てて働く万有引力にゆきつき、その後、一九世紀に場が発見されて力は場に還元され、そして二〇世紀の量子の発見をへて今日の姿をとるにいたったとまとめあげられる。

本書は、ギリシャの原子論とニュートンの万有引力の間の二千年という歴史を、磁石・磁力に代表される「遠隔力」がどのように理解されてきたかによって辿ろうとしている。
歴史上最初に現れる磁力理論はギリシャのエンペドクレス(前5世紀)と言われていて、
「磁石と鉄の両方から生じる流出物と鉄からの流出物に対応する磁石の通孔とによって、鉄が磁石の方へ運ばれる」というものである

こうやって山本は丹念に当時の哲学者たちが磁力をどのように理解していこうとしていたかを辿っていく。1巻2巻の目次は次のようなものである。








































科学と技術はまったく別物として存在していた
科学はラテン語で語られる事柄であった
技術は職人の間で継承されていくものであった
それが、ルネサンス、大航海時代に入ってくると、科学と技術に接点が生まれてくる
印刷術の発展とともに俗語による出版物が増えてくる
やがて「科学技術」というものが発生する

まだ途中までしか読み進めてないのだが、遠隔力としての磁力のは徐々に現代物理学に近づいてきた。ただ、力が及び方に関して、「近いもの同士は強く、遠ざかるに従って、その力は弱くなる」という説明に辿りついたところで、私の中で?が生まれてしまった。気の伝達は距離を問わないというのが整体の原則であるから、近いほど強く影響するという理論には素直に首肯できない(笑)。場の理論、素粒子論にたどりつけば、もっと整体に近づいてくるのかしら、と思いながら続きを読もうと思う。

*****

 『磁力と重力の発見』の第2巻を読んでいる時だったか、「大学ってもう終わってるな〜」となぜか思った。よくよく考えてみれば、著者は大学闘争を経て、在野の研究者であることを貫いてきた人であるからして、当然そう思っているはずで、行間から、そのような思いが伝わってきたのかしらとも思う。

 「ぼくはなぜラジオ少年となったか」という問いに対し、『磁力と重力の発見』が扱っている時間軸は長すぎるので、もう少し、時間軸を縮めることにした。そこで、『近代日本一五〇年』。明治維新以来、日本という国が、どのように欧米から「科学技術」を導入し、帝国主義化していき、戦争を戦い、福島の原発事故に至ったか。どう考えても、僕がラジオ少年化していったのは、この文脈のなかにすっぽりおさまりそうではないか。

科学技術なるものが形成されたのは、せいぜいが18世紀末以降のことで、それまでは、科学と技術は本質的に異なる営みであった。世界の理解と説明を目的とする科学は、大学アカデミズムの内部で論じられる哲学ないし思想としての自然観であ理、実践の学としての医学をのぞいて、何らかの実際的応用を意図していたわけではない。他方、製作や捜査を目的とする技術は、長年にわたる膨大な経験の蓄積をとおして形成されたもので、機械の制作にせよ金属精錬にせよ、力学理論や科学理論に裏づけられていたわけではない。(p26)

明治維新の日本人にとって、西洋文明とは科学技術であった。文明開化は科学技術、端的にいうと蒸気機関と有線通信技術と共にやってきた。そして、幸か不幸か、最新の科学技術を欧米諸国とさほど時間差を置かず、インフラゼロのところに導入することができたのである。ただ、民間資本の蓄積がなかったゆえ、政府主導ではじまる。科学技術振興の牽引役として工部省が創設される。

明治前期に上級学校に進んだのはほとんどが士族の子弟で、明治期の技術者はその大半が士族出身者で占められていた。しかし徳川の時代に「士農工商」の身分制ヒエラルキーの最上部にいた士族は、職人や商人の仕事を蔑んでいたのであり、士族に根強かったこのような階級的偏見を払拭するには、工部大学校、のちには帝国大学工科大学で教育されることになる技術を、舶来のものとして箔をつけ、お上のものとして権威づけ、こうして教育される技術者を、技術エリート・技術士官として在来の職人から差別化しなければならなかった。(p.52)

こうして大学は国策を実現するための人材育成機関として作られていく。産学軍の連合は日清日露戦争を経て強化され、第二次大戦においてピークを迎えることになる。

科学動員のかけ声のもとで研究者や技術者は優遇され、戦時下の理工系ブームがもたらされた。理工系の学者は、研究活動上も私生活においても、わが世の春を迎えルことになる。前述の宮本武之輔の一九四〇年の「技術国策論」には、「現に理科系統の大学卒業者に対する需要は供給の三倍以上、同じく専門学校卒業者に対する需要は五倍以上に達する状態」とある。(p.194)

そして戦後。

アジア・太平洋戦争の敗北によって、たしかに日本は、それまでの非民主的な政治思想や前近代的な国家思想の反省を迫られた。それゆえ、社会思想やイデオロギーが問題となる文系の研究者においては、戦時中なにがしか戦争に協力したならば、戦後の世界では、発言を躊躇われた。しかし、科学技術においては、大戦中、戦争遂行に必須であるとして科学動員が語られ、研究者にはさまざまな優遇措置が与えられ、科学者も率先してそれに応えてきたのであるが、それにもかかわらず、敗戦の直後、科学者の内部からはそのことへの反省は語られなかった。(p.204)

逆に、「科学が足りなかったから戦争に負けた」のであり、戦後は「科学振興をさらに進めなくてはならい」という意見に集約されていく。そして、それが国の政策となっていく。つまり、敗戦を経た後も、科学技術振興立国という明治はじめに設定されたゴールはそのまま生き続けた。

僕が十代だった1960年代、成績優秀な生徒は工学部に行けと言われて育った。高度成長がはじまった時代。そいう風潮の中に僕自身がいて、高専の電気工学科に入学したのだった。それが1968年。半世紀前のことである。

耳が遠い

最近、稽古会に出ると、人より三歩くらい前に座っている
あいつ、最近妙に熱心だな〜、などと思われているかもしれないが
要は耳が遠くなっているのだ
歳とともに、いろんな出来事が我が身に降りかかって来ているが、
耳が遠くなるというのは想定外だった
何十年も聴き続けている師匠の話についていけないというのはショックで、
人生の愉しみ半減である
師匠の声も小さいが、連れ合いの声がまた小さい
話を合わせているつもりなのに、全然違った話をしていたなんてこともしょっちゅうで、
これはこれで困ったものである
小さい声が聞こえづらくなったことは確かなのだが、
むしろ問題は音の分解能が低下していること
大勢の人間が喋っていると、その場に入っていけなくなってしまう
自分と世界の間に厚い膜があるみたいな感覚
こうして自分が生息する空間が狭まってくるのは自然の流れとはいえ、
この状況にどう適応していけばよいのか戸惑っている

5月の読書

隣の病い* 中井久夫 ちくま学芸文庫 2010
低予算でもなぜ強い?* 戸塚啓 光文社新書 2015
異なり記念日* 斎藤陽道 医学書院 2018
夜のピクニック* 恩田陸 新潮社 2004
私の1960年代* 山本義隆 金曜日 2015
平成史* 片山杜秀・佐藤優 小学館 2018
浮遊霊ブラジル* 津村記久子 文藝春秋 2016
空白の天気図* 柳田邦男 新潮文庫 1975
日本の伝統とはなにか* 梅原猛 ミネルヴァ書房 2010
理系という生き方* 最相葉月 ポプラ社 2018
現代の超克* 中島岳志・若松英輔 ミシマ社 2014

2019年5月27日月曜日

石川合同稽古会2019

石川合同稽古会2019  8月4日〜5日

下記の要領で石川合同稽古会を開催します。
会場となる湯涌創作の森は、金沢駅からバスで50分の森の中にある研修施設で、近くに温泉もあります。石川近郊の方のみならず、広く全国からの参加を募ります。参加希望者は7月20日までに、申込書に必要事項をご記入の上、担当者にお申し込みください。

石川合同稽古会要項・申込書(pdf)

日時
8月4日(日)
 I  13時〜16時公開講話* *公開講話は未会員の方も参加できます
 II 17時〜20時動法基礎
8月5日(月)
 III  10時〜13時内観基礎
  
会場
金沢湯涌創作の森 金沢駅より北鉄バス12番湯涌線 湯涌創作の森下車 徒歩10分

担当
 遠藤日向(金沢稽古会)
 角南和宏(白山稽古会・等持院稽古場)

会費 1コマ3000円 2コマ5000円  3コマ 7000円

宿泊 一人一泊 1500円 (シーツ代、宿泊税を含む)

湯涌創作の森 http://www.sousaku-mori.gr.jp/ 湯涌温泉観光協会 https://yuwaku.gr.jp

担当者より

 石川県金沢市「湯涌創作の森」で合同稽古会を開催します。普段、交流のない金沢・白山の稽古会の方たちが一同に集まっての合同稽古会です。改めて普段学んでいる技術や思想の面白さ、深さにたくさんの人たちと共感しあえる佳き会になりますことと、金沢・白山の会員の皆様や県外の会員の皆様にとっても新しい風や、視野が広がっていくそんな"場"を感じてもらえれば幸いです。また、今回は未会員の方向けに身体教育研究所の公開講話・動法基礎の時間を設けてあります。身体の歴史や身体技法、そのアプローチの仕方などの面白さを、頭でなく身体を通して知ってもらえる有意義な時間となると思います。(遠藤)

 石川に通いはじめて十年になります。この間、東日本大震災を経験し、整体協会にとっても私自身にとっても激動の十年でした。その間、私の中で変わらぬものとしてあったのが白山稽古会でした。東京から京都に活動の場を移してからも石川通いは続いています。顔ぶれも少しづつ入れ替わりながら継続している白山稽古会ですが、この先どうするか、迷いがないわけではありません。十年という節目を迎え、「交流の場」としての稽古会を企画することにしました。関東、関西で稽古をやっている人たちも巻き込んで、石川に新しい風を吹かせようと目論んでいます。(角南)

2019年5月22日水曜日

二人隠居 revised

ここまでの暮らしに名前を付けるとすると、二人隠居生活
ジイさんとバアさんの二人隠居生活
僕一人の隠居生活にすっと溶け込んできた相方は、
四十代とは思えないほどのバアさん力があって、
最近の妙に若々しいバアさんたちより、よほどバアさんらしい

隠居生活とは質素な暮らし
ジイさんは山に芝刈りに行く替わりに稽古する
バアさんが休憩時間にお茶を淹れてくれて、会話に加わることもある
いや一緒に臥法をやってたりもする
床の間に庭の草木が活けられるようになったのは有り難い変化

食事はご飯と味噌汁が基本
いや、紅茶にパンに野菜にチーズか
外食はたまに近所のおうどん屋さんに連れだって行くくらい
散歩はするが、図書館がせいぜいで、街中にはほとんど行かない
庭木の世話などしていると、出かけることを忘れる
最低二日に一度は山門のところまで歩き、世界が続いていることを確かめる

このようなのどかな生活に変化が現れた

2019年5月21日火曜日

【予告】石川合同稽古会

8月、金沢で「石川合同稽古会」を開催します
日程は8月4日〜5日の二日間
今月末の京都稽古会で詳細をお知らせできると思います

2019年5月20日月曜日

CD&LP

うーん、なんだか物欲回復してきてる
演奏会に行くたびにCDやらLP買ってきている

写真左は”GOT LOST”というCD
ドイツ稽古会に参加されている旧知のピアニストがオペラ歌手のリサイタルに
伴奏のため京都に来るからと招待状を送ってくださった
前半は有名オペラからの歌曲、後半は現代声楽曲という二部構成
最後に演奏された"GOT LOST"という曲
これが圧巻だったのだ
しかも、知人のパートナーの作曲作品だという

写真右は空間現代の最新アルバム”PALM"
ポーランド人アーティストとコラボし、その演奏を、しかも無料でやるというので、
のこのこと「外」に出かけてきました
そこに置いてあったのが”PALM"
LPなんだよね
レコードプレイヤー手放して随分時間が経っている
デジタル音源もダウンロードできるそうだが、
ターンテーブルに載っけて聴きたくなるではないか



2019年5月19日日曜日

自分さがし

自分さがしをはじめてしまった

昨年暮れ、参加している読書会で、私が整体に出会うまで、
そして、その後の展開を話す機会を得た
いってみれば、自分史の半分を語ったことになる

そこでふと思った
じゃあ、その前の自分
例えば、ラジオ少年としての自分は、どのように形成されてきたのか
ラジオ少年と整体オヤジはどのようにつながっているのか

最初に手に取ったのが「磁力と重力の発見」全3巻
筆者の山本義隆は東大全共闘の委員長として名前が知られている
というか、私など名前だけで、どのような仕事をしてきた人なのかまったく知らずにいた
1941年生まれだから、私とは、ぼぼ一回り上ということになる

「磁力と重力の発見」は、どのように、本来別々のものであった「科学」と「技術」が、
ヨーロッパにおいて「科学技術」として合体していったか、その経緯をギリシャの時代から辿っていく大著であり、すばらしい科学史の本でもある
3巻目にようやくたどり着いたものの、まだニュートンの章には行き着いてない

「磁力と重力の発見」がなかなか読み進まないのは、
同じ著者による他の書籍に寄り道しているせいである
たてつづけに、「福島の原発事故をめぐって」「近代日本一五〇年」「私の1960年代」
の三冊に手を出してしまった
私より一回り年上のぶん、1960年代(私の年齢でいえば、8歳から18歳)がどういう時代で、どういう空気を吸って人々は生きていたのか、大人の目で記述している
そこで、はじめて、なぜ、どのように僕がラジオ少年となっていったかが、腑に落ちたのだった

こうしてみると、自分というのは、ほんと「現象」だと思う
生まれ、親と交わり、近親者と交わり、他者と社会と時代の空気と交わりながら、
自分という輪郭がすこしづつ形成されていく
戦後教育の中で、ラジオ少年が生まれ、
そのもとには、明治政府の科学技術輸入政策があり、
そのもとには、16世紀文化革命がある

もちろん、みんなが僕のようなラジオ少年になったわけではない
それぞれが、それぞれの生まれ育った環境を取り込みながら「私」を形成していった
そう思うと、「なぜ」に終わりはない

あとしばらく、山本義隆氏の著作を地図として、「自分さがし」を続けてみようと思う

2019年5月17日金曜日

改元

改元があったらしい
らしい、と書いたのは、それを目撃してないからなのだ
テレビはないし、ラジオも最近は聴かないし、
わずかにネットのニュースを通じて、世の中の動きが伝わってくる
直接会う人も、4月と5月でなにか変化があったかというと、そういう風でもない
隠居生活にもほどがあると言われればその通りなのだけれど、
むしろ、こんな暮らし方の方が、おわりのはじまりの時代にはふさわしい

2019年5月5日日曜日

稽古日程 6月〜7月

最新版はこちら
下記カレンダーはクリックすると拡大されます

・複数人でのテーマ稽古も受け付けています

・等持院稽古場での公開講話再開します
 整体協会の会員でない方も参加できます
 事前の予約が必要です
 5月25日(土) 6月23日(日) 7月20日(土)
 時間は11時〜13時 会費は2000円です

・8月4日〜5日 金沢で石川合同稽古会を開催します









2019年5月2日木曜日

嵐電

映画「嵐電」もうすぐ公開だそう
よく利用してる電車が舞台の映画を観る気分って、どうなんだろう

動法入門

去年は子ども稽古会やりましたが、今年は大人向けです
ちょっと、大上段に構えすぎたかも
来月22日、ソマティック心理学協会という団体が主催する会でやることになりました

http://somaticjapan.org/3rd-kansai-forum2019

2019年5月1日水曜日

目に入れても

目に入れても痛くない、という表現がある。小さなゴミひとつ目に入っただけで大騒ぎするのに、目に入れても痛くないだなんて…。先日、研修で東京に行った折、娘一家の住む佐倉まで足を伸ばした。孫たちー男の子ふたりーと遊んでいるうち、自分の眼差しが随分と柔らかくなっていることに気づいた。この迎え入れ具合。こういうのを、目に入れても痛くないというのか。あらためて、この日本語表現に深くうなづいた。娘だと、もう、目に入れると痛い。

年寄り三人で、「性と文化の革命」論議ーというより、ただのおしゃべり会をはじめた。下手すると、70年代はよかったな〜、という話に堕してしまいそうになるのだが、最後は教育談義に落ち着いて行くのが常ーといっても、まだ2回しかやってない。先日の会では、承認欲求という言葉への違和感という話題が、日本の学校教育における減点主義という話に転じていった。人は認められた方向に育っていく、というのが晴哉先生の潜在意識教育の要諦なのだが、減点主義の教育においては、ダメを認めることになってしまう。

せっかくの連休、目に入れても痛くないものを見に行きましょう。その前に、迎え入れの稽古をしましょう。

2019年4月30日火曜日

4月の読書

奇跡の本屋をつくりたい* 久住邦晴ミシマ社2018
福島の原発事故をめぐって* 山本義隆 みすず書房 2011
近代日本一五〇年* 山本義隆 岩波新書 2018
戦争は女の顔をしていない* スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 岩波現代文庫 2016
磁力と重力の発見(1〜3) 山本義隆 みすず書房 2003
胎児のはなし* 増崎英明・最相葉月 ミシマ社 2019
村上海賊の娘(1〜4)* 和田竜 新潮文庫 2013
変調日本の古典講義* 内田樹・安田登 祥伝社 2017 

2019年4月27日土曜日

散歩

図書館に行こうと一緒に出かけた
途中、そうだ落花生の開いてる日だと気づき時計をみると11時10分
開店直後にカンパーニュだ食パンといった主食系のパンはすぐ売り切れてしまう週2日営業のパン屋さん
ダメ元でお店の戸を開けたら、食パンがひとつ棚に残っている
ラッキー

歩いていると空き地が目立つ
売り物件になっている古い家屋も多い

図書館で予約しておいた本を受け取り、次にニシナ屋珈琲を目指す
広島に本店のある珈琲豆焙煎所
40すぎとおぼしき元気な兄ちゃんがやっている
いつものベトナムと開店時(昭和8年とか)の味を再現したというブレンドの豆を購入
帰りに佐伯さんで野菜をみようと再び歩きはじめる

京都は和菓子屋さんの多い街だが、この季節はどこも柏餅が並ぶ
千本丸太町の交差点角にある和菓子屋さんー若菜屋さんといったーにはじめて入る
草餅とふつうの柏餅をひとつづつ購入

佐伯さんでほうれん草などをゲット
そのまま帰途に着くはずだったが、ここまで来たらお豆腐屋さんにも寄っていこうと、
進路を東に取り、とようけ屋山本を目指す
定番の油揚一枚豆腐一丁で432円
荷物がだんだん増えていく

朝、コーヒー一杯飲んだだけで出てきたことを思い出す
腹が減ってきたので、気になりながら一度も入ったことのない定食屋目指す
とびた食堂の戸を開けて中に入って驚いた
もっと奥行のある広いお店だとばかり思っていたのだが、狭い
驚いたのは、その狭さではない
なんと昭和がそのまま残っている
ひょっとすると僕の知らない昭和初期の空気
入口の戸はタイムマシンの扉だったのか
親子丼と玉子丼を注文
のれんの奥の厨房から調理している音は聞こえてくるが、中は覗けない
丼は美味しかった
小上がりの席で正座していただく
帰ってきてgoogle mapに載っている写真をみてみたが、店内の空気はまったく写っていない
実際に行って食べてみるしかない

ひと息ついて、両手に荷物をぶら下げ、一条通り商店街をぶらぶらと帰る
家を出てから三時間経っていた
歩行距離約8キロ
京都の街は歩いてみないとわからない

2019年4月19日金曜日

磁力と重力の発見

311が起こった翌月、師匠の操法を受けた
「しょぼんとしてるね」と言われた
たしかに、そんな感じ
でも、ぼくは何にしょんぼりしていたのだろう
8年経った今ふりかえる
僕の大好きだった電気の時代が終わってしまったことにしょんぼりしていたのだ

そもそも、なんで僕はラジオ少年になったのだろう
半世紀以上前の自分を思い起こす
高度成長期前の岡山の片田舎
家にあった電気製品は電灯、そして真空管ラジオ
電気アイロンもあったかもしれない
高度成長期が続くに従い、電化製品は増殖していく
ラジオが白黒テレビになり、洗濯機、冷蔵庫も加わる

ラジオは不思議だった
棚の上に鎮座したラジオのスピーカーから様々なものが流れてくる
ここでないどこかから発せられた音声が電波と呼ばれるものに乗ってやってくる
やがて僕は半田ごて片手に自らラジオを組み立て、海外からの放送を熱心に聴く、
そんな電気少年になっていった

*****

それから半世紀と少々
「磁力と重力の発見」を読み進めている
全3巻の大部
ようやく第3巻に取り掛かったところ
磁石の力は、どのように理解されててきたのかをギリシャの時代からたどっていく
磁石はなぜ鉄を引き寄せるのか
今だって不思議だし、説明せよといわれても、おそらくできない
元ラジオ少年、ましてや、高専の電気科に進んで電気のことをしっかり学んだはずなのに、
その元になる磁石の働きすら説明できそうもない

見えない力は魅力的だ
磁力は見えない、電波も見えない
なのに伝わる
ラジオ少年になったのも、のちのち気の世界に足を踏み入れたのも、
この見えないものへの魅力からだった、のかもしれない

2019年4月15日月曜日

連句会

はじめての連句会から帰ってきた日
脳味噌が捩じくれたかんじで、夜中じゅううなされる
このまま脳溢血で逝っちゃうじゃないかと思ったほど
一日たって、ようやく危機は脱したようだが、今度は眠くて仕方ない
参加者の皆さんの速度と密度に圧倒される
先生の捌きはかろやか
三時間ノンストップ
二十韻がみるみる巻かれていく
お手上げ感を経験したのは久しぶりのことだ
俳句の持つ速度感というのは、あんな感じなのか
いやはや

2019年4月3日水曜日

豆腐とマメのサラダのレシピ

前掲したレシピブックに載せてもらったものの文章部分です。

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京都に舞い戻ってきて三年と少々。豆腐屋で豆腐を買ってきて食べるという生活が当たり前になった。それまで、豆腐にしても油揚にしても、スーパーの棚に並んでいるものを買ってくることしかしてなかったから、街の豆腐屋で普通に木綿豆腐を買ってきてたべるという生活が新鮮だった。普通の豆腐屋で普通の値段の豆腐を普通に食べられる普通の生活である。この普通がありがたい。いま通っているのは、とようけ屋山本という、一応老舗と呼ばれているお店なのだけれど、ここもほとんど製造販売所という体で、形がちょっとくずれた豆腐を値引きしてくれたり、いたく庶民的なお店である。野菜も同様で、季節を問わず、スーパーに並んでいる多種多様な野菜の中から適当に選んで買ってくることが常だったけれど、佐伯さんという農家・販売所ーといっても自宅なのだがーで買いはじめて、野菜の旬というものを知るようになった。無農薬低農薬で、しかも旬のものしか並んでないから、とにかく美味しい。菜食の彼女の影響もあって豆を食べる機会が増えた。豆は楽天堂さんという、なぜか旧知の豆屋さんで買ってくる。豆料理というと、チリコンカンは昔から自分でもつくっていたが、豆をサラダに使うとか、あまり考えたこともなかった。大豆が美味しいなんて、これまで思ったこともなかったが、煮た大豆とお米を一緒に炊いた豆ご飯は、いまや主食と化している。

さて、とようけ屋山本の木綿豆腐と佐伯さんの野菜と楽天堂さんで買ってきた豆を使ってサラダを作るというのが、今回の宿題に対する答案なのだが、はたしてこれをDIYと呼べるのだろうか。自分で作ったものは何もない。材料を買ってきて、それを並べるだけである。第一、火も使わないから、料理と呼べるかどうかさえあやしい。さて、ここからがレシピ。

野菜は洗ってちぎり、皿に並べる。レタス、ほうれん草ー柔らかくていつも生で食べてしまう、赤カブといったところ。木綿豆腐は半丁分くらいをゆっくり手のひらでつぶしながら野菜の上に置いていく。そのわきに、煮豆ー大豆であったりひよこ豆であったりーを並べる。その上に、自家製ヨーグルトー自家製といっても、コープで買ってきたカスピ海ヨーグルトを種にして、牛乳と豆乳を半々くらいの割合で混ぜ二日ほど放置しただけのものーをかける。あとは適当に塩胡椒をふりかけ、さらにオリーブオイルとお酢ーこれは一条商店街のお酢屋さんで買ってきた玉姫酢ーを廻しかける。これでサラダのできあがり。このサラダに難点があるとすれば豆乳をAmazonを通して買っているところだな。チーズを載せることもあるが、これも成城石井とかジュピターで買ってくるものだ。

これをDIYと呼ぶかどうかはさておき、自分の体を動かすことで、皿の上にサラダが出現するという意味において、ほんのすこしだけDIYにカスるのではないかと思っている。豆腐のつぶし加減とか、お酢の廻しかけ具合とか、この即興感がたのしいのです。余談ですが、このサラダは身体教育研究所で毎年旧正月のこの時期行っている「禁糖」ー砂糖類を二週間程度断つことで「度合い」に対する感受性を取り戻す試みーにふさわしいレシピでもあります。

2019年4月1日月曜日

DIYレシピブック

読書会つながりの方からDIYのレシピブックを作るので寄稿してくださいという依頼がきたのが2月。そのレシピブックが出来上がってきた。50人のひとたちが、それぞれのDIYのレシピを書いている。DIYというと、自力で必要なものをつくりだしていく営みという理解でしかなかったのだが、この冊子に書かれているレシピの多様さにDIYの概念が打ち崩された。呼雷器を作って雷を落としちゃうとか、ニワトリと散歩する方法とか、信心のレシピとか、有形無形さまざまで意表をつかれるレシピ満載。ちなみに私のレシピは「豆腐とマメのサラダ」というもの。このブログでも公開しちゃいましょう。

https://sites.google.com/view/casaludens/home

2019年3月30日土曜日

3月の読書

小さな村のウルトラランナー* 大川卓弥 NHK出版 2015
北の海(上・下)* 井上靖 新潮文庫 1966
物語ること、生きること* 上橋菜穂子 講談社 2013
磁力と重力の発見1* 山本義隆 みすず書房 2003
朝日平吾の鬱屈* 中島岳志 筑摩書房 2009
トグヴィルが見たアメリカ* レオ・ダムロッシュ 白水社 2012
陸王* 池井戸潤 集英社 2016
路地裏の京都* 甲斐芙佐義 道出版 2008
京都猫町ブルース* 甲斐芙佐義 淡交社 2011
京都猫町さがし* 甲斐芙佐義 中公文庫 2000

2019年3月28日木曜日

あとがき

せうそこ冊子版1号〜3号はすでになく、新規に手にすることは難しそうなので、あとがき部分だけ、このブログに載せておくことにします。

【せうそこ1 「書」 平成28年11月発行】
身体教育研究所で指導者と呼ばれている人たちは研究員が30人と少々。動法教授資格者を含めれば70名くらいになるのか。稽古することが人生になってしまった人たちで、もうご愁傷様というかご同慶の至りというか、こういう仲間と巡り会えたことは非常に有り難い。ただ、夫々がどのような経緯で整体協会に、身体教育研究所に、あるいは野口裕之にたどり着いたかという、「前史」については、問わない、語らない、詮索しないという不問律があるが如く、お互いに知らない。まるで前科者の集まりですね。でもね、本当はこの前史が面白いのです。夫々の前史の中で異化されていたものを裕之先生が呈示される稽古を通して同化させていくかことが、指導者ひとりひとりのテーマになっている。今回のせうそこ#1の中で、安森さんに「芸術性は?」としつこく訊いていたのは、ボクの中で、安森さんは作家(陶芸か絵画かわからないけど)にならないで整体指導者になってしまった人、という印象あるいは予断をもっていたから。このことに、会を終えてから気づいた。もう少し、その転身の経緯を聞いておけばよかったな。

【せうそこ2 「育つ」 平成29年3月発行】 
電灯のスイッチを指で押さないでオンにする、という稽古を大真面目でやったことがある。刺戟ー反応関係を忌避するという趣旨なのだが、動法初期の時代であったとはいえ、あまりに稚拙で思い出すだけで恥ずかしい。今ならどうするだろう。検索窓にキーワードを入力することなく検索結果を得るというのはどうだろう。結局、三十年経っても、僕らは刺戟ー反応関係から脱することができていない。いや、インターネットの登場で、より内面化してしまったのではなかろうか。問いを発するという行いがすでに刺戟と化し、即座の答えが反応として戻ってくることを期待する。そんな、便利でせわしない時代に「育つ」を語るのはむずかしい。「整体三代」という言葉は育児講座の頃からダン先生がよく使われていたもので、整体が当たり前のものとなるまで三世代かかりますよという意味。身体教育研究所がはじまって三十年ということは、ようやく一世代分の時間が経過し、次の世代に引き継がれつつあるという段階。三代百年という時間軸は、「君一人ジタバタしてもできることは限られてるよ」と言われているようで淋しくもあり、また、このような時間軸が与えられることで安堵している私もいる。安森さんや大松さんと一緒に百歳まで稽古するしかなさそうだ。

【せうそこ3 「みとり」 平成29年7月発行】
 喪に服すとは逝った者たちと共に暮らしていくことであるが、それは同時に、逝った者たちに見守られながら生きているということであった。三年の喪が明けようとしているいま、ぼくは、その庇護を離れ、再び歩き出さなくてはならない。なんと難儀なことか。かつて両親の住む岡山の実家を離れるとき、まだ足を踏み入れたことのない異国での生活に心を踊らせていた。京都から東京に移り住むときもまた、ぼくの前途は洋洋としているように思えた。妻を送り父を送り娘を嫁がせ、単身京都に舞い戻ってきたが寂しさを感じることはなかった。そう、ぼくはまだ妻と父の庇護の中にいた。しかし、もう喪が明ける。かくして、ぼくは再び歩き出さなくてはならない。
 「みとり」をせうそこのテーマにしたいと告げられたのは一年前の春のことだったが、この私的領域の出来事について話すことには戸惑いと抵抗があった。ところが、私はすでに「出立記」をブログに記しており、そもそも「みとり」がテーマとして浮上した遠因はこの記事に遡る。結局、一年間、みとりについて考えつづけることになり、三月末、三回目のせうそこを迎えた。やがて「喪が明ける」ことを悟ったのは、この会を終えたときである。

2019年3月24日日曜日

正客

北野天満宮のお茶会で正客をつとめてきた。等持院稽古場に稽古に見えている若い人がお茶を習っている先生主催のお茶会で、後進育成の場となっている。昨年秋、その若い人が亭主デビューするというので伺ったのが最初で、今回は二度目。

待合から会場の部屋に通されると客同士の正客の譲り合いがはじまった。案内役の男性が、年季を積んでそうな常連のひとたちに声をかけるのだが、みなさん遠慮される。まさか、僕は声をかけられないだろうと高をくくっていたのだが、なんと声をかけられてしまった。男性で年配で稽古着姿でもあったので、それなりに貫禄ある人に見られたのかもしれない。正客が決まらないとお茶会ははじめられない。われながら厚顔にもほどがあると思ったのだが、その程度には厚顔だったらしく、ありがたく引き受けることにした。

正客の席に坐っておどろいた。風景がまるでちがって見えるのだ。炉の際で天井からぶら下がった釣り釜に手を延ばせば届くほど。なんとも贅沢。お道具をもって現れたのが例の若い人であったのには驚いた。炉を挟んだ向こう側で亭主がお茶を点ててくれる。お菓子をいただき、お茶をいただき、亭主とのやりとりの仕方は、隣に座ったご婦人に教えていただきながら、無事、お茶会終了。正客贅沢。

2019年3月22日金曜日

性と文化の革命

ミドリさんが「私たちの"性と文化の革命"」について話そうというので出かけていった。ミドリさん、ハジメさんと私の「ユズルにきく会」三人衆。

ハジメさんがライヒの「sexual revolution」についてユズルさんから教えられたのが1965年。その翻訳を「性と文化の革命」として勁草書房から出したのが1969年。復刻を迫るミドリさんに対し、ハジメさん曰く、当時のインテリたちは、すでにフロイドが何をいってたかという知識を有しており、それを踏まえてのライヒだったし、時代的にも読まれる背景があったから実際売れた。はたして、今、復刻する意義があるかどうか疑わしい、と。

話していて、70年代は、少なくとも今に比べると「開かれて」いた時代だったらしい。私がいた空間に引きつけていえば、「ほんやら洞」という雑多なグループが出入りする空間があり、ユズルグループを含む多くのゆるい中間集団があった。その中間集団空間の中で若者達はそれぞれ試行錯誤を繰り返していた。

そもそも、こんな面子が集まったのは、「自分たちの次の世代(30代〜40代)の女性たちが、自分の体ー社会的身体も含めてーに無知すぎるのではないか。自分たちが学んだことを後進の人たちに伝える義務があるんじゃないか」という問題意識がミドリさんに生まれたから。だから「性と文化の革命」再び、なのですね。

ミドリさんほどの危機意識は僕には欠けているのだけれど、話している中で、育つべきものが育ちにくい時代に入っていることだけは納得できた。稽古でやってることは、それに対するひとつの試みなんだが…。ピザをつまみながら3時間、この話はまだまだ続きそうだ。

2019年3月14日木曜日

ネットミニマム

iPad miniの不調暴走は、電池交換を依頼したとき、駆体に歪みが生じてしまったことに起因するようだ。ipad miniを長く使おうという目論見は結果的に失敗に終わってしまった。不安定なipadに触れる時間が激減し、かといって画面の小さいiphoneだと文字の入力もおぼつかず、結局、ネットで費やされていた時間が大幅に減るという効果を産んでいる。テレビも新聞もなく、ニュースをネット、SNSに頼っていたから、世の中との隔離度は格段に増したことになる。とはいえ、情報量が減ったからといって、世の中の動きに取り残されている感じもなく、むしろ、過剰なノイズにかく乱されることなく、読書生活は充実している。メールもパソコン(こっちのバッテリーもへたっている)で書くことが増え、ひさしぶりにキーボードを叩いている。新しいipad miniが間もなく販売されるという噂もあって、いざ新しいものをみてしまうと、喜びいさんでお店に走る、という可能性もあるのだけれど、なんせ、どんどん貧乏になってきているので、このままネット環境もミニマムな方向に進むことになるのかもしれない。

ロードムービー

続けてアメリカ映画を観てきた
「運び屋」と「グリーンブック」の二本
前者はイーストウッド監督作品
後者はアカデミー作品賞をとったものの、物議をかもしているそうな
共通しているのは、いずれもがロードムービーであること
「運び屋」はイリノイからメキシコ国境のエルパソへ
「グリーンブック」はニューヨークからディープサウスへ
当然、車の中のシーンも多い
ラジオからはポップソングが流れてくる
イーストウッドが車を運転しながら”Hang 'em On"を口ずさんているシーン
(聞きまちがいではないとおもう)には吹き出してしまった
”Hang 'em On"ー「奴らを高く吊るせ」はイーストウッド1968年の監督主演作品

『トグヴィルが見たアメリカ』(レオ・ダムロッシュ 白水社 2012)は面白い
「アメリカのデモクラシー」という名著(未読です)を著すことになる、
トグヴィルの9ヶ月に及ぶアメリカ滞在を一次資料を駆使しながら再構築したもので、
1830年のアメリカの風景ー人々が西へ西へ移動した様が活写されている
もっと早く、この本を読んでいたら、僕のアメリカ理解は深まったはずなのだが、
実際にこの本が出版されたのは21世紀にはいってからなのだ

ロードムービーって、アメリカ人の移動欲求を再現したものなんだ
そのように理解すると、いろんなものが腑に落ちてくる

集注稽古

10連休?
稽古するしかない

【日時】  4/27,29,30,5/1,3,4,5のべ7日 11時〜16時
【会費】  1日5000円 
【定員】  5名 予約制
【参加資格】 整体協会会員であること

【日程および稽古内容】

4月27日 カタと同調1 
4月29日 動法入門 
4月30日 合掌行気以前・合掌行気 
5月 1日 筆動法入門・筆動法 
5月 3日 カタと同調2 
5月 4日 活元運動以前・活元運動 
5月 5日 連座入門・連座


【申し込み問い合わせ】
等持院稽古場 075-465-3138  toujiin@keikojo.jp

2019年3月6日水曜日

長寿

人生100年時代、だそうである
最近、そんな記事をネットでも目にする回数が増えてきたような気がする
単純に年金支給年齢を先延ばしようという世論づくりではないかと疑っているのだが、
高齢者が増えていることは確かである

人生100年といっても、実際に百歳超えの人と知遇を得たのはひとりだけ
1911年生まれ、つまり晴哉先生と同い年の方で田邊さんという
90代後半から大井町稽古場に通いはじめ、
百歳になっても、ひとりで電車を乗り継いで月に何度か通われていた
包装機械関係で特許をいくつも持っていて、悠々自適の生活
ドイツ語講座を聴くのを日課とされていた
百歳が近づいてくると、会う人会う人、「百歳まで頑張ってくださいね」と
励まされることが増えたようで、本人も、百歳まで生きることが目標になってしまった
で、いざ百歳になってしまうと、気が抜けてしまうのですね
あるとき、百歳になった田邊さんと生まれたばかりの男の子が同じ時間に大井町稽古場にやってきたことがあって、ちょうど一世紀を隔てた二人が対面することになった
なかなか佳い風景でした

自分が人生どのあたりにいるのか、最近、ますますわからなくなってきた

2019年2月28日木曜日

せうそこ6

等持院での「せうそこ」シリーズもようやく第6号の印刷版が出て、一区切り。あしかけ三年やったことになる。自家保存用をのぞき手元に印刷版の1号〜3号はすでになく、新規に手にすることは難しそう。どこかの稽古場でほこりをかぶっている売れ残りがあれば、それは稀少版です。


2月の読書

七帝柔道記* 増田俊也 角川書店 2013
辛口サイショーの人生案内* 最相葉月 ミシマ社 2015
希望の格闘技* 中井祐樹 イーストプレス 2014
賞味期限のウソ* 井出留美 幻冬舎新書 2016
チェルノブイリの祈り* スベトラーナ・アレクシエービッチ 岩波現代文庫 2011
異教の隣人* 釈徹宗+毎日新聞 晶文社 2018
タコの心身問題* ピーター・ゴドフリー=スミス みすず書房 2018
ナグネ* 最相葉月 岩波新書 2015
旅人の表現術* 角幡唯介 集英社 2016
ぐうたら農法* 西村和雄 Gakken 2018
希望の教育学 * パウロ・フレイレ 太郎次郎社 2001
時間についての十二章* 内山節 岩波書店 2011

2019年2月21日木曜日

70年代

 図書館から甲斐(扶佐義)さんの写真集を集中的に借りてきて眺めている。1970年代から2000年代にかけて、ほんやら洞のあった京都出町周辺で撮られたものが多い。『Beautiful Women in Kyoto』と題された写真集に写っている美女群の中に知り合いのひとりくらい含まれているのではないかと頁をめくってみたが、見事なくらいいない。唯一の例外は、女の子を背負ったアイリーン・スミスの姿をみつけたくらいのもの。実に、美女たちとの知遇を得てなかったことを思いしらされる。ぼくが東京に居を移した86年以前のものが少なかったとはいえ、これは予想外。それでも、70年代の写真は、いかにも昭和である。和服姿の男性も多く登場する。当時、そんなに和服で歩いている老人がいたかしら、まったく記憶に残っていない。70年代は40年前の話なのですと言われてもピンとこず、ほんのひと昔という感覚しかない。


Beautiful Women in Kyoto 冬青社 2006
京都の子どもたち 京都新聞出版センター 2003
八文字屋の美女たち 2000 八文字屋本 2000
八文字屋の美女たち 1999 八文字屋本 1999
笑う鴨川 リブロポート 1996
地図のない京都 径書房 1992
狸橋の子どもたち 八文字屋 1991


2019年2月19日火曜日

体験するということ 2

読書会でのレジュメとして用意した一枚が、この図。


























FWCは体験の場、きっかけは用意してくれたけれども、その体験を吸収する手立ては与えてくれなかったのですね。フレームを壊す手伝いはしてくれたけれど、混乱した学生をどう再構成させるかというシステムを有しなかった。これをどう評価すればよいのだろう。それは個人の問題ですと言ってしまえば、それまでだし、はたして大学という4年という限られた期間で、その再構成が可能かといわれると、それも怪しい。FWCにおいて、学生はJournalという報告を大学に提出して単位を取得し、卒業リポートを書いて卒業していく。そのような制度設計。少なくとも、「書く」という行為が、再構成に有用だったことだけは評価しておこうと思う。いわば、体験するということを「フレームを壊すー再構築する」という一連のプロセスであると考えれば、このFWCでの体験した「よるべなさ」が、「身体教育」への接近につながっていったと言えるのだろう。

体験するということ 1

フレイレが発端なのだ。

一昨年の夏だったと思うのだが、亀岡でフリースクールを運営している知人がやっている勉強会に、「次回、P.フレイレをやりますから来てください」と誘われてのこのこ出かけて行った。その時、「整体協会で仕事してます」と自己紹介したら、「はい、わたし会員です」と名乗りを上げられたのが参加者のひとりであるYさん。それをきっかけに、Yさんは等持院で稽古をはじめることになったのだが、稽古のたびに、フレイレを含む教育談義になってしまう。下手すると、稽古している時間と喋ってる時間が同じくらいじゃないかというくらい、喋ってる。いまどき、フレイレを読んでいる人がいるんだ、というのが最初の感想だったのだけれど、逆に、僕はちゃんとフレイレ読んでないな、ということがあらわになってしまい、それこそ40年の時を経て、フレイレを読み直すことになった。フレイレとの出会いは1973年。フレンズワールドカレッジのオリエンテーションの課題図書として「Pedagogy of the Oppressed」が現れたことだ。英語力のろくにない私がこの本を十分に理解できるはずもなく、以来、いってみればトラウマーそれが大げさなら、のどに刺さった魚の小骨ーとして僕の体に住み着くことになったというわけだ。

そのYさんが中心になってやっている南区DIY読書会ーただし会場は京都市北区ーに誘われ、ちょっと読書会というものに関心があったので参加してみた。それがなかなか新鮮なのだ。報告者が一冊の本を読んで、それを参加者に報告するーレジメも用意されているーというだけのスタイルなのだが、そこでの話はどんどん本題から外れていって、逆にふくらんでいく。そのダイナミズムが面白い。何回か参加しているうちに、「角南さんも」という流れになって、「では、整体の話をします」ということになった。だから、何か一冊の本を題材に、それを紹介するという読書会のスタイルとは離れてしまったのだけれど、いざ、人に自分がいまやっていることを話そうとすると、「なぜ、いま自分はここにいるの」という自分史を開陳することになってしまった。11月と12月の二回、報告の場を持たせてもらったのだけど、つまり、「体験するってどういうことなの?」という20代の疑問を抱えて、僕は生きてきたのだということに行き着いたのだった。

これまで、このブログに書いてきたことと、大部分重複することになりそうだが、なぜいま、ぼくはここにいるのか、もう一度書きはじめてみようと思う。

2019年2月16日土曜日

更新

iPad mini 2不調
昨年末にバッテリー交換したばかり
とはいえ、買ってから丸5年たつ
もう寿命なのか

アプリが落ちまくる
iCloudとの連携にトラブル
再起動しても改善する様子なし

本体(matchbook air)ともども石川行きの荷物に入れる
ホテルの部屋備え付けのLANとwifiにつなぎ、
バックアップからの再生を試みるが不調
結局、フルリセットして工場出荷状態に戻す

iCloudとの連携はスムース
アプリの再インストールは、必要最低限のものに絞る
かなりのダイエットで、気のせいか、動きも軽快
もうちょっと頑張ってもらわなければ

ついでにと、本体に新しいOSを入れようとしたら拒否される
もう対象外になっていた
2012年モデルだと思っていたのに、2011年のものだった
8年間、買い換えることなく使っていたのだ
今年は種々更新の年になりそう

*ipad2の不調は治らず、さらに暴走中orz...
**バッテリー交換の時に躯体に歪みが発生したところが原因っぽい

2019年2月13日水曜日

留守番電話

半年ぶりに留守番電話復活しました
稽古中等で電話に出られないことが多いので、
予約申し込み等、御用の方は、伝言吹き込んでくださるようお願いいたします
折り返し、ご連絡いたします

2019年2月10日日曜日

春支度

気温は低め
今日は雪も舞っている
でも春
日差しが強くなるにつれ、火鉢に炭を入れる回数も減った
年末から出していたコタツもしまうことにした
鉢植えで買ってきた水仙も庭に移した
まだ寒いけど春

2019年1月31日木曜日

1月の読書

れるられる* 最相葉月 岩波書店 2015
空からのぞいた桃太郎* 影山徹 岩崎書店 2017
内山節の世界* 「かがり火」編集委員会編 新評論 2014
半市場経済 内山節 角川新書 2015
文明の災禍* 内山節 新潮新書 2011
たとえ明日世界が滅びようとも* 藤原新也 2013

2019年1月22日火曜日

団扇投げ

これから動法教授の資格を取ろうという人が現れて曰く、
「竹、団扇、筆の稽古をちゃんとやっておきなさい」との指示があったという
稽古場がはじまって初期の頃の稽古である
等持院でも筆の稽古はときたまやるが、竹、団扇の稽古はとんとごぶさたしている
第一、四畳半の稽古場では団扇を投げるという空想が浮かばない
とはいえ、せっかく稽古に来たのだからと、団扇投げとはどんなものか見せることにした
壁際に毛氈を丸めて置いて、一間半の距離から毛氈めがけて団扇を投げる
ちょっと気の毒な風景であるが、背に腹はかえられない
それでも、構えから投げるまでの一連の動きに、足さばきを加えていくと、
汗をうっすらとかいてくる

最初は見よう見まねでやっていた稽古に
カタを形成していく知見をふたつみっつ加えるだけで、
団扇投げがどのような稽古であったのか、その意味が理解できてくる
今年は、かつてやった、いわば古典となった稽古を取り上げてみようと思う
竹、団扇、一息脱力、等々

2019年1月4日金曜日

十年目

◾️去年は身体教育研修所創設30周年ということで、あれこれ、私的な記念企画など温めていたのだが、私事が慌ただしく、それどころではなくなってしまった。稽古場の三十年は、10年間を一区切りとする3つの期間に分けられる。最初の十年(1988-1998)が草創揺籃期とすれば、つぎの十年が成長成熟期(1998-2008)、そして直近の10年(2008-2018)は世代交代期と呼べるのかもしれない。◾️十年前の今頃、僕は、20年間裏方として仕事してきた稽古場の事務職員としての立場を離れようとしていたのだった。事務職からの離脱を宣言したのが、2008年の春の終わり。後任が決まったのが夏の終わりで、9月から2009年の3月までを引き継ぎ期間として、後任者と一緒に働いていた。娘はまだ現役の大学生だったが、残りの学費分の蓄えはあったので離脱実行。2008年秋には、リーマンショックが起こり経済は大混乱。給与所得者という安定的な地位を捨ててしまうことに不安がなかったわけではないが、あとの祭り。今年の春が来れば独立10周年を迎えることになる。◾️この十年って、いったいなんだったんだろう。日本が壊れてきた十年。東日本大震災があって、整体協会を屋台骨として支えてきたお歴々が次々と鬼籍に入り、自分の身の回りでいえば、妻が亡くなり父がなくなり、結果京都に舞い戻ってきた。娘は結婚して孫ができ、僕はといえば、……。「ジェットコースターのような」という、ありていのたとえそのままの10年だった。総括してしまえば、「よく生き延びてきたな」という一言に尽きる。

2019年1月1日火曜日

新年、そして読書会報告

空気は冷たいけれど、日差しは温かい元旦の京都です
本年もどうぞよろしくお願いいたします

11月の初め、そして12月末と2回にわたり読書会で報告する機会がありました。整体のことを知らない人たちに整体の話をするのは難しいのですが、自分史を縦糸として、いわば、ジャンル難民として整体とどう関わってきたかということを話したことになります。教育のひな型としての「愉気」によって「自己刷新力」が育てられる、というのは、われながら良い切り口であったと思うのですが、話し終えて気づいたのは、「自己」というもののとらえ方、とらえられ方が、時代とともに大きく変化してきたということです。「自己刷新力」という表現が可能なほどに、「個」というものが、孤立している、させられているのが現代という時代なのです。