2019年1月31日木曜日

1月の読書

れるられる* 最相葉月 岩波書店 2015
空からのぞいた桃太郎* 影山徹 岩崎書店 2017
内山節の世界* 「かがり火」編集委員会編 新評論 2014
半市場経済 内山節 角川新書 2015
文明の災禍* 内山節 新潮新書 2011
たとえ明日世界が滅びようとも* 藤原新也 2013

2019年1月22日火曜日

団扇投げ

これから動法教授の資格を取ろうという人が現れて曰く、
「竹、団扇、筆の稽古をちゃんとやっておきなさい」との指示があったという
稽古場がはじまって初期の頃の稽古である
等持院でも筆の稽古はときたまやるが、竹、団扇の稽古はとんとごぶさたしている
第一、四畳半の稽古場では団扇を投げるという空想が浮かばない
とはいえ、せっかく稽古に来たのだからと、団扇投げとはどんなものか見せることにした
壁際に毛氈を丸めて置いて、一間半の距離から毛氈めがけて団扇を投げる
ちょっと気の毒な風景であるが、背に腹はかえられない
それでも、構えから投げるまでの一連の動きに、足さばきを加えていくと、
汗をうっすらとかいてくる

最初は見よう見まねでやっていた稽古に
カタを形成していく知見をふたつみっつ加えるだけで、
団扇投げがどのような稽古であったのか、その意味が理解できてくる
今年は、かつてやった、いわば古典となった稽古を取り上げてみようと思う
竹、団扇、一息脱力、等々

2019年1月4日金曜日

十年目

◾️去年は身体教育研修所創設30周年ということで、あれこれ、私的な記念企画など温めていたのだが、私事が慌ただしく、それどころではなくなってしまった。稽古場の三十年は、10年間を一区切りとする3つの期間に分けられる。最初の十年(1988-1998)が草創揺籃期とすれば、つぎの十年が成長成熟期(1998-2008)、そして直近の10年(2008-2018)は世代交代期と呼べるのかもしれない。◾️十年前の今頃、僕は、20年間裏方として仕事してきた稽古場の事務職員としての立場を離れようとしていたのだった。事務職からの離脱を宣言したのが、2008年の春の終わり。後任が決まったのが夏の終わりで、9月から2009年の3月までを引き継ぎ期間として、後任者と一緒に働いていた。娘はまだ現役の大学生だったが、残りの学費分の蓄えはあったので離脱実行。2008年秋には、リーマンショックが起こり経済は大混乱。給与所得者という安定的な地位を捨ててしまうことに不安がなかったわけではないが、あとの祭り。今年の春が来れば独立10周年を迎えることになる。◾️この十年って、いったいなんだったんだろう。日本が壊れてきた十年。東日本大震災があって、整体協会を屋台骨として支えてきたお歴々が次々と鬼籍に入り、自分の身の回りでいえば、妻が亡くなり父がなくなり、結果京都に舞い戻ってきた。娘は結婚して孫ができ、僕はといえば、……。「ジェットコースターのような」という、ありていのたとえそのままの10年だった。総括してしまえば、「よく生き延びてきたな」という一言に尽きる。

2019年1月1日火曜日

新年、そして読書会報告

空気は冷たいけれど、日差しは温かい元旦の京都です
本年もどうぞよろしくお願いいたします

11月の初め、そして12月末と2回にわたり読書会で報告する機会がありました。整体のことを知らない人たちに整体の話をするのは難しいのですが、自分史を縦糸として、いわば、ジャンル難民として整体とどう関わってきたかということを話したことになります。教育のひな型としての「愉気」によって「自己刷新力」が育てられる、というのは、われながら良い切り口であったと思うのですが、話し終えて気づいたのは、「自己」というもののとらえ方、とらえられ方が、時代とともに大きく変化してきたということです。「自己刷新力」という表現が可能なほどに、「個」というものが、孤立している、させられているのが現代という時代なのです。