2019年2月19日火曜日

体験するということ 1

フレイレが発端なのだ。

一昨年の夏だったと思うのだが、亀岡でフリースクールを運営している知人がやっている勉強会に、「次回、P.フレイレをやりますから来てください」と誘われてのこのこ出かけて行った。その時、「整体協会で仕事してます」と自己紹介したら、「はい、わたし会員です」と名乗りを上げられたのが参加者のひとりであるYさん。それをきっかけに、Yさんは等持院で稽古をはじめることになったのだが、稽古のたびに、フレイレを含む教育談義になってしまう。下手すると、稽古している時間と喋ってる時間が同じくらいじゃないかというくらい、喋ってる。いまどき、フレイレを読んでいる人がいるんだ、というのが最初の感想だったのだけれど、逆に、僕はちゃんとフレイレ読んでないな、ということがあらわになってしまい、それこそ40年の時を経て、フレイレを読み直すことになった。フレイレとの出会いは1973年。フレンズワールドカレッジのオリエンテーションの課題図書として「Pedagogy of the Oppressed」が現れたことだ。英語力のろくにない私がこの本を十分に理解できるはずもなく、以来、いってみればトラウマーそれが大げさなら、のどに刺さった魚の小骨ーとして僕の体に住み着くことになったというわけだ。

そのYさんが中心になってやっている南区DIY読書会ーただし会場は京都市北区ーに誘われ、ちょっと読書会というものに関心があったので参加してみた。それがなかなか新鮮なのだ。報告者が一冊の本を読んで、それを参加者に報告するーレジメも用意されているーというだけのスタイルなのだが、そこでの話はどんどん本題から外れていって、逆にふくらんでいく。そのダイナミズムが面白い。何回か参加しているうちに、「角南さんも」という流れになって、「では、整体の話をします」ということになった。だから、何か一冊の本を題材に、それを紹介するという読書会のスタイルとは離れてしまったのだけれど、いざ、人に自分がいまやっていることを話そうとすると、「なぜ、いま自分はここにいるの」という自分史を開陳することになってしまった。11月と12月の二回、報告の場を持たせてもらったのだけど、つまり、「体験するってどういうことなの?」という20代の疑問を抱えて、僕は生きてきたのだということに行き着いたのだった。

これまで、このブログに書いてきたことと、大部分重複することになりそうだが、なぜいま、ぼくはここにいるのか、もう一度書きはじめてみようと思う。