2019年12月30日月曜日

12月の読書

名文探偵、向田邦子の謎を解く* 鴨下信一 いそっぷ社 2011
銃・病原菌・鉄(上)* ジャレド・ダイアモンド 草思社 2000

 ハノイ滞在中、戦争博物館というのがあるというので見学に行ってみた。軍直轄の博物館のようで、国威高揚を目的としている。展示のしかたなど洗練とはほど遠いものなのだけれど、フランス、アメリカを相手に数十年にわたる戦争を戦いつづけたプライドは伝わってくる。屋外に戦闘機、戦車が無造作に置かれているのだが、目を引いたのは、撃墜された米軍戦闘機(だとおもう)が地面に突っ込むかたちで置かれている「作品」だった。これまで目にしたことのなかった兵器を間近でみてー触ることもできるー戦争は金属によって戦われているのだと合点がいった。兵器は金属の塊であり、そして、美しくない。たしかに、鉄が使われるようになって、農業の効率は格段とあがったというのは、人類史の教えるところであるが、同時に、ヒトは簡単にヒトを殺せるようになってしまったのだ。なんと業深いことだろう。正月休暇の本として、ダイアモンドの著作を選んでみた。


2019年12月23日月曜日

石川合同稽古会(終了)

石川合同稽古会、終了しました。
年末の慌ただしい中の参加、ありがとうございました。
それにしても、湯涌創作の森、素晴らしい会場です。
(12/23)






















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石川合同稽古会、今週末です。
初日21日のコマ(13時〜17時)は、公開講話として、未会員の方の参加も可能です。ただし、前日までにご予約ください。
(12/18)

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地元組を中心に、申込者10名到達
まだ宿泊にも余裕があるので、関東関西からの参加があるとうれしいです
(11/19)

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受け付け、始まっています
宿泊を希望される方は、早目にお申し込み下さい
(10/28)

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石川合同稽古会 2019  12月21日〜22日        ⇨ pdf版はこちら

第2回目の石川合同稽古会を開催します。会場は夏と同じ金沢湯涌創作の森で、今回は、富山在住のライター田中聡さんを迎えての座学も予定しています。

前回8月の募集にあたり、金沢稽古会と白山稽古会のメンバーが一緒に稽古するという意味で合同という言葉を使ったのですが、いざ蓋を開けてみると、富山から関東からと、予想していた以上の広い範囲からの参加があったのは嬉しい誤算でした。こんな会を間延びせず続けられれば、一気に北陸の稽古力の底上げができるのではないか、そんな風に考え、鉄は熱いうちに打てとばかり、第2回目の合同稽古会を企画しました。導入的な内容となった前回からさらに稽古の森に分入っていければと思っています。また、田中聡さんのお話と稽古がどのように響き合うのかも楽しみです。前回の参加者だけでなく、はじめての方、遠方からの参加をお待ちしています。

参加希望者は11月28日までに、申込書に必要事項をご記入の上、お申し込みください。

【日時】
12月21日(土)
13時〜17時  稽古1* 動法と日本文化 (遠藤・角南)
18時〜20時  座学*  見立ての古層 (田中聡)
12月22日(日)
10時〜14時  稽古2  カタと感応 (角南・遠藤)

*印は未会員の参加可 ただし前回8月の会に参加された方は入会が必要です

【会場 】 金沢湯涌創作の森 金沢駅より北鉄バス12番湯涌線 湯涌創作の森下車
【担当】  遠藤日向(金沢稽古会)
     角南和宏(白山稽古会・等持院稽古場)
      田中聡(文筆家)
【会費】  (稽古1)  4000円 (座学)  2000円  (稽古2) 4000円
      全コマ参加の場合8000円
【宿泊】  一人一泊 1500円 (シーツ代、宿泊税を含む) 18名限定
【問い合わせ】
 遠藤     rakuendoh@gmail.com  090-3169-2806
 角南  dohokids@gmail.com       070-5592-0591

【座学について】
田中聡さんは日本思想に詳しく、著書に「ハラノムシ笑うー衛生思想の図象学」(河出書房新社)、「電源防衛戦争」(亜紀書房)等多数。狛江稽古場で二年にわたり様々なテーマで講義をされてきました。今回のテーマは「見立ての古層」。「見立て」は、江戸時代に俳句や浮世絵、歌舞伎などの諸芸で技法として用いられるようになりますが、それまでは「AをBに見立てる」というような用法はありませんでした。『古事記』の創世神話ですでに使われているその言葉の意味を、古代・中世に「見る」「立つ」ということがどのような意味をはらんでいたかということとあわせて考えてみます。「せうそこ」スタイルを採り、聞き手として角南も加わります。

【申込】
所定の申込書に記入の上、主催者にお渡しください
メールでの申し込みも受け付けます
締め切りは11月28日です
 1 氏名(よみ) 2 電話番号 3 メールアドレス 
 4 住所 〒        
 5 整体協会の会員であるかどうか
 6 希望参加コマ
 7 宿泊希望の有無

(10/8)

2019年12月18日水曜日

LCCで飛び、Airbnbで泊まり、Grabで移動する 5

ぼくが東京での講座に現れるかどうか、同僚は賭けしてたみたいだったけど、ちゃんと現れました。足止めを食らったタイでしばらく過ごし、年が明けたくらいに日本に戻ってくるという案が魅力的に映ったことは白状しておきます。でも、今回は、無理して帰ってっきて正解。京都に帰ってきて、その翌日から講習だったのだけれど、「ここまでたどりついちゃったの?」というレベルの素晴らしい講座だった。京都に帰っきた翌日、チェンマイの空港でドロナワ申請していたe-visaがメールで届いた。悔しいというか情けないというか、あとの祭りというか。今回の教訓。旅の下調べは十全に。このシリーズはここまでです。


2019年12月17日火曜日

五年前

講座で東京に行くことになったので、「のぐちひろこ展 respin」(22日まで)の会場をのぞいてみた。5年ぶりの作品展とのこと。そう、あれから5年経ったのだ。5年前の12月19日、娘と連れだって都立大駅近くの額縁屋さんで開催されていた「マメ展」に出かけて行った。その帰り道、九州から講座のために上京していた同僚とすれ違い、「じゃあ、また明日」と言葉を交わしたのだった。ぼくらは、その足で父のいる江戸川に向かった。そして、その日の夜遅くに父は逝ったのだった。翌日からの講座へは参加できなかった。画廊からの帰り道、ようやく、このことを思い出した。5年経ったのか。


2019年12月13日金曜日

LCCで飛び、Airbnbで泊まり、Grabで移動する 4

今頃はハノイの街角で最後のベトナムコーヒーを飲んでいるはずだったのに、まだ、チェンマイに居る。まるで、この街が僕らを引き止めているようだ。空港に行ってAirasiaハノイ便にチェックインしようとするとVisaなしではダメと言われてしまう。ハノイでarrival visaは取れるのかと訊いても、ネットでe-visaを取れとの一点張り。イミグレーションでも、ハノイ〜関空便の予約をしているvietjetのカウンターでも同じことを言われる。Webサイトを教えてもらい、速攻で申請を試み、申し込み完了までたどり着いたものの、ときすでに遅し。チェックインカウンターは閉じられてしまった。さて、どうする? 途方に暮れている場合ではない。帰りの航空券は捨てることにして、バンコク経由の関空便を探す。Airasiaのサイトに入り、チェンマイ〜バンコク〜関空で探すと、なんとか日本まで繋がりそう。こんな周遊になるんだったら、往復切符など買わず、はじめから片道切符でつないでおけばよかったのだが、あとの祭。13時の便に乗るはずが21時の便になり、空港で6時間過ごすのは苦痛なので、荷物を抱えて前日行けなかったTea Houseに向かうことにした。のんびりとアフタヌーンティーをいただく時間は贅沢。京都にたどり着けるのか俺たち。

双というOS

京都でものんびり暮らしているはずなのに
チェンマイにいると、のんびりの度合いが一桁増す
いったい、京都では何を思い煩わって暮らしているのだろう
おもしろいことに、ノイズのレベルが低くなると、
普段、捉えきれていない肝腎の事柄が、不意に浮き上がってくる
あるいは、降りて来る

双という世界観
それを表現する技
それを体験する稽古法
すべて此処にある
門をくぐれば、此処は技の世界
技を磨くとは受動の集注を学ぶことで、
外の世界にリーチアウトしようという欲求は消え、
我々は姿を消す
双の世界観を求めている人たちはいるらしい
はたして、その人たちは、此処を発見できるのだろうか
いや、そのような世界観を心底求めている人たちに発見されるほどに、
僕らは受動の技を磨くことが出来るのだろうか

2019年12月12日木曜日

LCCで飛び、Airbnbで泊まり、Grabで移動する 3

さて、今回の旅も終盤。最終目的地のチェンライの知人宅でほっとして風邪をひいてしまったが、足湯と行気で切り抜ける。あとは、再び、チェンマイに戻り、ハノイ 経由で関空を目指すことになる。二十代のバックパッカーのころは、大人になったら、もっとお金持ちの旅をしてみたいものだと思っていたのに、結局、今は老稽古着バックパッカーをやっている。バックパッカー歴半世紀(笑)。それにしても、旅のスタイルはインターネットの出現以来、大きく変わってしまった。今、京都の街は外国人観光客であふれているが、つまり、今回、僕らが経験しているようなスタイルで旅してるわけだ。ただ問題点がひとつ。このiPadの電池が切れたら、文字通り路頭に迷うことになる。

2019年12月11日水曜日

Talk in Chiang Rai

旅の最終目的地であるチェンライにやってきた。たどり着いたと言った方がより正確か。古い友人であるボゲットさんの自邸。30年教えた京都の大学を退官したあと、チェンライでパートナーと一緒に暮らしている。自分で設計して建てたという邸宅は博物館のようで、さすがイギリス人。最近は、日々、京都時代に集めた明治から昭和の「煙草カード」コレクションの整理に明け暮れているという。自伝を書く気はないの?翻訳は僕がするよ?と訊いてみたら笑っていたけれど、ここ半世紀の東アジア、東南アジアの現代史を目撃してきた証人として貴重な存在だと思う。その博覧強記ぶりは健在で、陳列展示して人形ひとつから、その由来、歴史についてのレクチャーが30分続く。さて、ここから、京都を目指して帰ります。今度は僕が風邪っぴきです。

2019年12月10日火曜日

LCCで飛び、Airbnbで泊まり、Grabで移動する 2

ハノイ行きVietjetの座席は窮屈で、うん10年も前のろくにリクライニングの効かない夜行バスの4列シートを思い出した。そうか、LCC(low cost carrier )とは夜行バスの別称だったのかと妙に納得。関空からハノイまで5時間だからよいけれど、8時間になるときついよな、と体を縮めていた。
ハノイ 、チェンマイとも宿はAirbnbで予約。数年前だったら、booking.comとかtrip advisorを使ったかもしれない。はじめての土地でどこに泊まるかを決めるのはむずかしい。観光地が近く、ホテルが密集しているエリアは、便利だが騒がしい。といっても、郊外にすると移動に問題を抱えることになる。今回は、ハノイ 、チェンマイとも正解だった。どちらも旧市街の中か、そこに近接しているエリア。ハノイ の宿の方が、Airbnb的といえるのかもしれない。街中の普通のアパート三階にあるワンルームの小洒落たスタジオ。小さなキッチンも付いていて、料理もできる。


LCCで飛び、Airbnbで泊まり、Grabで移動する 1

街を走っているTuktukの数が劇的に減っている。Grabというアジア版Uberのせいだ。ハノイで素晴らしいオリエンテーションをしてくれた鈴木さんも使っていたが、ベトナム用のSIMカードは用意してなかったので、利用するのはチェンマイがはじめて。アプリの地図で現在地と目的地を入力すると、即時に料金が表示される。予約ボタンを押せば、ものの数分で車がやってくる。ドライバーとのコミュニケーションは極少。乗客もドライバーもスマホの画面を眺めているという不思議な光景が出現する。一昔前までの、車に乗るまでの交渉駆け引きがすっぱりと脱落したかたちだ。言葉の通じない国で旅行する者にとって、これは福音なのか堕落なのか。タイでもGrabの法的な立場はグレーらしい。イギリスのUberドライバーの体験レポが載っている『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』(原題はただ”Hired”だが、この邦題はよい)と同じ問題を抱えているに相違ない。


2019年12月9日月曜日

Down in Chiangmai

チェンマイに着くと同時に連れ合いがダウンしてしまった。
より正確にいうと、ハノイで最後のコーヒーを飲んだあたりから、ちょっと調子へんだな、という感覚が生まれ、空港行きのバスの中ですでにダメで、かろうじて乗機したもののチェンマイ空港に着いた時には、自力で歩けないほどダメダメな状態。救護室で1時間横にならせてもらい、その後、タクシーで宿にたどり着いたものの、ベッドに直行。
ハノイの喧騒を面白がっていたようでいても、はじめてのアジアは刺激過剰だったようだ。僕がいうカルチャーショック熱が襲ってきたということ。こうなると休むしかない。最終目的地だったチェンライはかすみ、どうやって無事に京都に帰り着くかが、ぼくのミッションになった。
6年ぶりのチェンマイ稽古会。外国で暮らす日本人の目から見ると、日本が輸出すべきは「文化」である、ということになるらしい。であるならば、整体の「双」の世界観+技術体系+稽古法は無限の可能性を秘めていることになる。


2019年12月6日金曜日

Lost in Hanoi

ハノイの旧市街は入り組んでいて方向感覚が狂ってしまう。
街の真ん中にある湖が基準になっているから、まずはその湖を目指そうとするのだが、気がつくと90度ずれた方角に歩いていたりする。立ち止まってはiPadを取り出して地図で確認するのだが、交通量の多いところでやるのは危険きわまりない。なので、コンパスを首から下げて歩くことにした。バイクと車が両方向から走り続けているから、通りひとつ横切るにも命がけ。信号機はあるのだけれど、みんなが従っているようには思えない。ハノイ3日目にして、野性感覚が取り戻ってきた。