2020年8月31日月曜日

8月の読書

鹿の王 水底の橋* 上橋菜穂子 KADOKAWA   2019
ソフィーの選択*(上・下) ウイリアム・スタイロン 新潮文庫 1991
日本人の歴史意識* 阿部謹也 岩波新書 2004
じょうぶな頭とかしこい体になるために* 五味太郎 ブロンズ新社 2006
生きるちから、絵本の力* 柳田邦男 岩波書店 2014
一茶句集 金子兜太 岩波同時代ライブラリー 1996

2020年8月19日水曜日

お勉強

整体を学ぶことを「お勉強」にしている人が多くて困る。

そもそも、この「お勉強」というのはなんなのか?
長年の学校教育の中で形成されてきた、インプットの量とアウトプットの量は相関関係にあるという観念のことを揶揄して「お勉強」と呼んでいるのだろうと思う。このマインドセットは相当に強固で、いまの日本の学校教育における決定的弱点になっている。

とはいえ、稽古場が始まったころの自分自身を振り返れば、かなり重度のお勉強主義者だったことにいきあたる。つまり、正解欲しい病なのですね。そのようなマインドセットを自分で毀そう毀そうとしてきた割には、ぜんぜん毀れていなかった。一つのことを学ぶ。なにかができた気がする。すると、翌日、その学んだことをちゃぶ台をひっくり返すように否定される。この繰り返し。これを繰り返していながら、こころのどこかで、「ぼちぼち決定版がでてくるんじゃないのか」と正解を期待している。あるときーだから、稽古場がはじまって十年くらいしたころですーひょっとして、正解って永遠にでてこないんじゃないのか?という疑問が生まれた。

動きのなかだけに真実はあるんだ、というビジョンが観えたのはいつのことだったか。上で書いたような疑問が生まれてから、そう時間が経っていたようには思わない。夢の中だったか、起きているときだったか覚えてないけれど、一瞬だけ、「動いていることが本質なんだ」というビジョン(そう、視覚的なものでした)がやってきて、それはあっという間に消えた。どうにも言語化しづらい体験。稽古が楽しくなったのは、ここからかもしれない。

そう、努力は報われないのです。
といって、努力なしで結果が出るほど、都合のよい世界であるはずもないのです。努力して、随伴行気のチャートを覚えないとなにも始まらないのです。努力を怠ってはいけない。しかし、その努力が報われるかどうかは神のみぞ知る、という世界なのです。困りますね。

「偶然に賭ける」という表現を師匠はしていたように思うのですが、偶然なにかが起こったとき、学びという出来事が立ちあがるのです。

2020年8月17日月曜日

香炉

お誕生日のお祝いにいただいた素焼の香炉
この顔、誰かに似てるんだよな〜

2020年8月6日木曜日

ウイズコロナ

いまだ、マスクを持ち歩く習慣が身に付かない。玄関を出て、だいぶ歩いてから気づき、マスクを取りに家に戻るということを繰り返している。マスクすること自体が苦痛だから、結局、引き篭もることを選んでしまう。

ウイズコロナとかいってるけど、僕らはどのようにコロナウイルスと切り結ぼうとしているのか。感染者の数が日毎増えている状況からすれば、いくら忌避しようと試みても、いつか出会ってしまうことになるだろう。それを前提として暮らしていかないと窮屈になる。その準備として、あらかじめワクチンで体内に抗体をつくっておくという対処法を考えているようだが、変異し続けるウイルス相手に、はたしてどれだけの有効性を持ちうるのか? 第一、ワクチンが出回るようになるまで、どのように過ごしていくのか。

政治は当てにできない。その無能さはコロナ対応の中で突出している。無能であるならなにもやらないでおけばいいのに、繰り出してくる雑な対応策は状況を悪化させるばかりである。雑は無策に劣る。今頃になって、最初は非難轟々だったスウェーデンモデルが見直されているらしいけれど、モデルという言葉が有効性を持つ程度には筋が一本通っている。日本モデルというものは存在しない。見えないものにどう対応するかで民度のレベルは測れるのだろう。怖いのであれば家で布団かぶって寝てればいい。でも、無能な政治の片棒担いで自粛警察をはじめてしまうのは醜悪でしかない。ウイルスを怖がる以前に、村八分になることを恐れているようにみえる。

感染することと発症することは違うし、発症することと重症化することはちがう。なぜそこに違いが出てくるのか。運不運の問題なのか。感染者の総数が抑制されれば医療崩壊を招きかねない重症者の増加を抑えられるというのは正しい。出かける時にマスクを持参するのは、感染者増加のスピードを加速化させないためのエチケットと思うからであって、それ以上でもそれ以下でもない。

仕事中、マスクはしない。それを納得する人だけが来ればいい。理念というより美意識の問題と言ってよい。コロナウイルスによって生命は脅かされる可能性はある。しかし、自らの美意識に殉ずる覚悟のないものがコロナ後の世界を生き延びて行けるとは、とても思えないのだ。

2020年8月2日日曜日

白山を望む

宿の7階の部屋から朝の白山を望む
霞んでいたので、写真はちょっと青色を強調している
白山市に通いはじめて十年を超えるが、
霊峰白山は下から眺めるだけで、一度も登ってない
二度挑戦したのだが、準備不足と天候不良でいずれも実現しなかった
はたして3度目の挑戦はあるのか