2021年4月30日金曜日

大法院

図書館からの帰り道、遠回りして妙心寺
境内を通り抜ける途中、お抹茶と和菓子の看板を発見
導かれるように大法院へ
ツツジは満開、露地庭園は新緑に包まれている
お茶をいただきながら庭を眺め、通り抜ける風の音に耳を澄ませる
お茶室にも座らせていただく
重心がずんと降りてくる
へぇー、ここでお茶の稽古もやってるんだ
静かな京都に風情が戻ってきた
長く感じた4月も今日でおしまいだ
 

4月の読書

Twitterと読書
なんでTwitterやってるんだろう、と時々思う。たしかにニュースや地震速報は有用だ。サッカー速報もTwitter経由でみることも多い。でも、最近になって僕にとってのブックガイドになっていることに気づいた。毎月、読んだ本のリストをここに載せてはいるけれど、半年も経つと、いったいどのようにその本との縁が生じたのか忘れてしまっている。振り返ってみると、Twitterでフォローしている人のツイートに触発されたものが結構ある。なので読書の感想などをツイートしてみることにした。本のタイトルをクリックすると、ツイートにたどり着くはずです。では、実験開始。

(4/9 )実験的に始めてみたものの、Twitterの投稿は修正が効かないことを発見。修正するには一旦削除して再投稿する必要がある。すると、その投稿にぶら下がっていた次の投稿が宙ぶらりんになってしまう。1パラグラフを140字にまとめて、それを繋いでいくスタイルは面白いのだが、我ながら誤字脱字、事実誤認の多さにあきれてしまう。

無冠、されど至強* 木村元彦 ころから 2017
金色の虎* 宮内勝典 講談社 2002
災害特派員 三浦英之 朝日新聞出版 2021
13坪の本屋の奇跡 木村元彦* ころから 2017
海とジイ* 藤岡陽子 小学館 2018

2021年4月25日日曜日

保津峡

東京での研修はパス
月に2回も新幹線に乗ってられないよ
ということにして、京都で静養 

保津峡に出かけることにした
孫たちが遊びにきた時の下調べを兼ねて、トロッコ列車に試乗
まずは始発駅ちかくのコーヒーヤマモトで腹ごしらえ
京都の喫茶店を特徴付けるものとしてタマゴサンドは外せない
そのボリューム感に圧倒される


























5両編成のトロッコ列車
これまでなら予約を取ることさえ難しく、
あれは観光客ものと、乗ろうとさえ思わなかった
緊急事態宣言前日とはいえ、そこそこにぎわっている
乗っている時間は30分弱
窓ガラスのない換気100パーセントの車輌から保津川の流れが眺められる
新緑が美しい

























終点のトロッコ亀岡から山陰線の馬堀まで歩き、次の京都方面行きの列車を待つ
昔一度だけ、この駅に降りた記憶はあるが、京都のベッドタウンとして開けてきたようだ
ほどなく列車が到着したので乗り込み、ひとつ目の保津峡で降りる
ここから嵐山に向かって歩くことにした
下流に向けて歩くのだから楽勝だろうという読みは甘かった
川面はどんどん遠くなり、結局、大きな峠をひとつ越えることになった
しっかりしたハイキングになった





2021年4月21日水曜日

節目

千葉通いが始まって丸一年

一年365日のうち121日、つまり一年の三分の一を千葉で過ごしたことになる

孫たちと過ごした一年ともいえる


孫たちにとって、僕は闖入者

行き来はあったものの、ジージは、たまに来る人

そういう存在だった

急に、一緒に過ごす時間が増えた

緊急事態に子供たちも緊張していたが、

僕にしても、いきなり、新しい環境に放り込まれることになった

最初の数ヶ月、勝手の違う台所で食器を何枚割ったことか

そんなジージが居る人として認められるまで同じくらいの時間がかかった


小さい人たちとの付き合いは大変だ

本気出さないと舐められる

お前は王子さまか?と向かっ腹が立つこともある

そのくせ、すぐ膝の上どころか肩にまでよじ登ってくる

男の子とは、動き続けるいきものだった

1年経ったら、二人だった男の子が三人に増えた


丸一年の節目

ちょっとひとやすみ


2021年4月13日火曜日

学びの原型

たのまれ講師」でやったzoom講義、90分喋りっぱなし。出来が良かったので(自己採点)、音声だけでいいからくれませんかと主催者にリクエストしたら、「あ、録画するの忘れてました」とのつれない返事。幻の講義になってしまった。整体における成長論を話してほしいとのことだったので、整体における育児の話を中心に据えたのだけれど、まず、僕自身がどのような経路で整体にたどり着いたかという話からはじめることにした。記憶違いがあるかもしれないけれど、以下が、このときの話の流れ。備忘録としてリストにしておきます。話そうとしていたけれど、実際には話さなかった事柄も事後的に付け加えているものもあります。タイトルは「学びの原型としての整体(育児論)」になるのかな。

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クエーカーの大学に飛び込む 1973

実験的大学における体験学習という方法

experiential learning at an experimental college

異文化の中に身を置くということ

混乱と葛藤と同化

フリースクール

体験するとは、体験を吸収するとは


学びの原型としての整体的育児

晴哉先生の著書

裕之先生の育児講座から

胎児期ー妊娠期

生後13ヶ月 腹が育つ時期

消化器としての腹、体験を同化するものとしてのハラ

1歳〜3歳〜5歳〜8歳〜思春期

成長病

今、育っているものを育てる


経過するという整体の考えかた

高温(発熱)低温(休息)平温

経過を妨げるもの

教育の書としての「風邪の効用」

体力とは

根拠のない自信


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現在進行形の身体教育研究所における稽古にまで立ち入る時間はなかったけれど、質疑応答を含め、充実の120分。予想していた以上に、「聞いてくれている」感が持てたのは収穫だった。ここ数年、読書会などで発表してきたことの総まとめの感じ。

2021年4月11日日曜日

連句の会

半年ぶりに連句の会に参加してきた。この会に通うようになって丸2年だが、ここ一年は、コロナ騒動での休会、ぼく自身の事情も重なり、実地に参加した回数は今回が9回目。この間、メールでの文音のグループに加えていただいたおかげで。途切れたという感覚は持たなかった。それでも、ひさしぶりの人が集まっての会は緊張した。初回のときの「脳味噌が捩れた感」(→連句会)には及ばないものの、帰りのバスの中で、うたた寝をしてしまうくらいの消耗感はあった。3時間で半歌仙を巻いてしまう速度に置いてきぼりをくらってしまう。幸い発句を採っていただいたので、肩身の狭い思いをすることはなかったけれど、まだまだ、連句的集注に入れない。

水流れ人も動きて春の雲(和宏)

会が終わって、三条方面へ散歩
行者橋という小さな石の橋を渡った
千日回峰行を終えた行者さんが、入洛するときに最初に渡る橋とのこと
柳の並木が綺麗だった



2021年4月4日日曜日

好来庵

石川合同稽古会初日
橋場町でバスを降り、浅野川を渡るとひがし茶屋街
そのひがし茶屋街を抜け、観音院の先にある急坂を左に登る
満開の桜の巨木が迎えてくれる
そこが蓮如堂 
その蓮如堂のはす向かいに開設間もない金沢稽古場がある 
足を踏み入れるのは初めて 
予想以上に立派 
稽古の場として使われている和室に坐る 
お茶室の空気 
長年、茶室として培われてきた時間の重なりを感じる
好来庵はこのお茶室の銘とのこと
理想的な出発点 
もう、稽古するのみ







2021年4月1日木曜日

退行か進化か

等持院稽古場での稽古内容がどんどん退行していっている
随伴行気を覚えることすら難題なのか、なかなか稽古が先に進んでいかない
白山稽古会然り
ぼくの指導力のなさに帰するしかないのだけれど、
「これが武器である」という自覚をみなさん持ってくださらない
20年前の自分もそうであった
しかたなく、腰椎5つの行気から、再スタートすることにした

 そもそも随伴行気は、この腰椎行気からはじまった
当初は腰部特定行気と呼んでいたと記憶している
 でも、この5種類の行気でさえ、ちゃんとやるとなると実際はなかなか難しい
意志による集注でなく、その行気が「自ずから」起こるようにしていく
でないと力にならない
そのような集注に向かって体位をとっていくことが「動法」であるし、
そのような集注が起こるよう体勢を崩していくことでカタが形成されていく

これは稽古の退行なのか
いや、師匠に倣って、基礎の進化と呼ぶことにしよう