2022年12月30日金曜日

12月の読書

ヤンキーと地元* 打越正行 筑摩書房 2019
本が語ること、語らせること* 青木海青子 夕書房 2022
ルポ 森のようちえん おおたとしまさ 集英社新書 2021
ほの暗い永久から出でて* 上橋菜穂子・津田篤太郎 文藝春秋 2017
僕の心がチューと鳴く 胃下舌ミィ KADOKAWA 2022
日本移民日記* MOMENT JOON 岩波書店 2021
太陽諸島 多和田葉子 講談社 2022

2022年12月24日土曜日

インスタグラムをはじめてみたら

ブログをやっている知人に、「最近更新されてませんが」と問うと、「インスタグラム中心に書いてます」という返事。その人の文章読みたさにインスタの世界に足を踏み入れてみた。アカウントだけは随分前に作ってはいたのだけれど、Facebook同様、開店休業状態になっていた。こわごわ使ってみることにした。文章の部分は「キャプション」と呼ばれていることを知った。つまり、まず写真があって、その説明としての文章というわけだ。Twitterのような文字数制限はないようだが、直にリンクを貼ることはできない。書影があれば、このブログで忘備録にしかなっていない「今月の読書」をもう少し読書雑感的なものに広げられそうで、試しに「韓国語シリーズ」からはじめてみることにした。スマホやタブレットでの運用を想定しているようで、文字入力の窓が小さくて、長文入力には向いていない(そもそもキャプションだし)。それでも、下書き保存は可能なので、投稿前のチェックは可能。写真俳句や、お遍路日記には向いてそうだ。しばらくインスタで遊んでみることにする。


2022年12月10日土曜日

俳句をあじわう

参加させていただいている連句会の機関紙『洛句』に寄稿した「俳句をあじわうー筆動法という試み」という文章を転載。このブログで書いてきたものに手を加えたものです。



2022年12月1日木曜日

庸子さんの器

11/30盛況でした。ありがとうございました。

12/10まで、等持院稽古場控室に「庸子さんの器」展示していますので、

手に取ってご覧になりたい方は、どうぞいらしてください、

稽古時間以外にご覧になりたい方は、あらかじめご予約ください。

片桐庸子さんの器頒布会をやります。
どなたでもいらしてください。

値札は付いていません。ご自分で値付けしてください。


日時 1130日(水)15時〜18

会場 等持院稽古場

京都市北区等持院北町8-

075-465-3138


片桐庸子 

1969年、明石工房陶光会(明石市 無量光寺内)入会

明石工房陶光会を主宰していたのは、河井寛次郎について陶芸を学んだ小川龍一氏。

氏の父は、当時の無量光寺住職は小川龍彦氏で民芸運動の後ろだての一人であった。





2022年11月30日水曜日

11月の読書

四季のない京都* 時岡洋一 明石書店 2022
死を想う 石牟礼道子・伊藤比呂美 平凡社新書 2007
徹底検証 日本の右傾化* 塚田穂高編著 筑摩書房 2017
自壊するメディア* 望月衣塑子・五百旗頭幸男 講談社+α新書 2021
あの人と短歌 穂村弘 NHK出版 2020
尹東柱詩集 空と風と星と詩 金時鐘訳 岩波新書 2012
韓国現代詩選 茨木のり子訳編 花神社 2004

2022年11月14日月曜日

群青の空から

 見逃していたのだけれど、11/20-21の方は見られそうです。

 linktr.ee/JardimdosVentos


2022年11月9日水曜日

日和佐

お遍路で日和佐
今回は22番平等寺から23番薬王寺
できれば、その先の室戸岬まで

お遍路をはじめて地図を見たときに日和佐という地名が目に飛び込んで来た。ここから室戸に向かう道は、僕が十代後半、ひとり旅をはじめた最初期の頃通った道なのだ。おそらく、初めての太平洋は、ここの海だった。山の中で育った僕にとって、川が海に注ぎ込む風景は実に新鮮で、その風景に長らく見とれていた記憶がある。この先、四国の東海岸を南下していく中で、その見惚れた風景がどこのものであったか確かめられるかもしれないという密かな期待もある。とはいえ、半世紀も経てば風景も違ってしまっている可能性が高いのだが。

先を急ぎたいのか、そうでないのか、判然としない。妙な宙ぶらりんの感覚にとらわれている。通り過ぎる町に再びやってくることはないだろう。かといって、遍路は先に進むことを求められている。その凌ぎ合い。それとも早く家に帰りたいだけなのか。

薬王寺境内から日和佐の町を望む




2022年10月31日月曜日

10月の読書

ハングルへの旅 茨木のり子 朝日文庫 1986
隣の国のことばですもの-茨木のり子と韓国 金智英 筑摩書房 2020
みんなが手話で話した島* ノーラ・E・グロース 築地書館 1991
JKインドで常識ぶっ壊される* 熊谷はるか 川手書房新社 2021
忘却についての一般論* ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ 白水社 2020
「その他の外国文学」の翻訳者* 白水社編集部編 白水社 2022

2022年10月21日金曜日

リペアカフェ

 龍安寺商店街にあるカフェで「リペアカフェ」やることになったので一緒にやりませんかと誘われた。壊れた品物を持ち寄って、修理し、ほしい人に回すという、リサイクル市に「修理」という要素が加わったようなものらしい。元ラジオ少年として、簡単な修理はできそうなので、工具類を持って参加しようと思っている。興味のある方はどうぞ。
 日時 11月3日 10時〜15時。
 会場 HOME



2022年10月17日月曜日

AI時代の言語学習 2

 10/14 某語学学校見学。中級1のクラスを薦められたが、テキストをみると難しそうなので、初級2のクラスを見学。生徒の年齢層はやや高め。6人くらい集まっている。先生の声は聞き取れる。連用形の活用をテキストに沿って進めて行く。テンポよくというか、僕にはやや速すぎる。受講者との会話形式でのやりとりになると、皆さんの声が小さくて、やりとりをフォローできなくなる。ちょっと、この流れについていくのは無理だな〜。生徒の役割を演じるには、僕はもうすれっからしだし。90分マスクつけっぱなしというのもきつい。ということで、語学学校での韓国語学習は却下。こうなると自分用のカリキュラムを作るしかない。まあ、カリキュラムを作ることに関してはプロなんだけど。

というわけで、自分用のカリキュラムを考案することにした。
A ) 名文と呼ばれている平易で美しい韓国語のテキストをみつけてくる
B ) テキストをネイティブに読み上げてもらう
C ) テキストを書き写す 自分で声に出して読む
D ) テキストを辞書を引きながら訳していく
E ) 知らない用法を文法書を参照して、あるいは上級者に尋ねて学んでいく

なんだ昔ながらの寺子屋スタイルではないか。
でも、これを実行するためには、ふさわしい助言者が必要だ。
アドバイザー募集します。

2022年10月13日木曜日

AI時代の言語学習 1

 勢い余って、語学学校見学の申し込みをしてしまった。いえ、あくまで「見学申し込み」です。耳は遠くなり目はかすみ、着実に老化が進み、しかも、コロナの影響でマスク着用がデフォルトになっているこの状況で、はたして語学クラスへの参加って可能なのだろうか? 四十年ぶりに韓国語熱が再燃していることはたしか。これも、「韓国文学の中心にあるもの」を読んだせいである。でも、なんで、韓国語クラスに一気に跳んでしまうのか、自分でもよく理解できてない。七十になって、思っていたよりも残された時間は長いかもしれないとふと思ってしまったことが後押ししていることは間違いなさそう。

 韓国語の辞書など、とおの昔に手放してしまった。ただ、40年前と語学学習の環境は様変わりしている。インターネットのせいであるというか、お陰であるというか。翻訳サイトをつかえば、日本語を入力すると、すぐに韓国語が出力され、読み上げてくれさえする。至れり尽くせりというほかない。韓国映画だっていくらでも観ることができる。こんな環境があれば、独習だって可能だろう。オンラインレッスンという道もある。ただ、それらが身体性を欠いている限り、メインの学習法に据えようがない。

 ともかく明日見学行ってくる。

2022年10月11日火曜日

ゴーヤ白書2022

4月13日 ゴーヤの苗を稽古場窓下の土に植える
7月16日 ゴーヤ第一号収穫 素麺会でチャンプルーにして出す
8月10日 第一期収穫期終了 ここまで19個収穫
8月25日 第二期収穫期はじまる
9月5日   30個目収穫
9月14日 50個目収穫
10月9日 おそらく最後の収穫 66個目
10月11日 引き抜く 根本から突端までの長さ10メートル 総重量5.4キログラ

これまで4年続けてゴーヤを植えてきたが、かつてない収穫数
ただし、後半収穫したものは、小ぶり
半数は自家消費 ゴーヤメニューが増えた
酢漬け チャンプルー(油揚、豆腐、卵、豚肉)、ゴーヤチップス、干しゴーヤ
残り半分は知人友人にもらってもらう
感謝しかない



身体観 3

 ソマティックの会無事終了。予想参加者数が25名(主催者の勘)というので、2本同時並行セッションの裏番組に当たる僕の担当稽古への参加者数を10名と見込んでいたのだが、蓋を開けてみると、リアル会場に50名近くが足を運び、裏番組ながら27名の参加者があった。「意志の届かない領域のことを体と呼ぶ」をテーマに団扇を使った「かくす・かくされる」の稽古。リノリウムの床に立った状態で稽古するという、ありえない環境下、75分の稽古はあっという間に終了してしまった。

 前稿「身体観2』では、技法ー身体観ー世界観の関係について考えてみたが、今回のフォーラムで取り上げられたハクスリーの場合、三者の繋がり方が違っていて、自分の世界観を、その途上で出会ったアレキサンダーテクニークなどの体験やインド哲学を取り込んでいくことで構築していった、という流れのようだ。思索家らしく精神から身体への方向性は明らかで、日本のソマティック心理学というのも、この方向性を踏襲している。ぼくが感じた違和感は、この方向性の違いに由来しているらしい。

2022年10月9日日曜日

身体観 2

 ひとつの技法にはそれを支える身体観があり、その身体観にはそれを支える世界観がある。ソマティック心理学協会のWebページにいくと、ソマティックワークと呼ばれている、さまざまな技法が列挙されていて、そのなかほどに「野口整体」が顔を出している。つまり、大きな括りとしてボディというジャンルがあって、その中に多くの技法が包含されているという図式なのだ。

 ここにきてやっと、僕のソマティックへの違和感の源が見えてきた。それぞれの技法が、それぞれの世界観の上に立っているのであれば、その世界は技法の数だけあり、それぞれの世界の中で、誕生から死に至る生を営んでいけばいいだけの話であって、徒党を組む必要などはじめからないのだ。それとも、ひとつの技法からもうひとつの技法へ引っ越ししていく、あるいは並列させていくことが可能であると考えているのであれば、ちょっとお人好しが過ぎるのではなかろうか。整体の世界の住人として、ソマティックの会を前にそんなことを考えた。

 さて明日はなにしようか。「まなざす」がテーマなので、等持院の稽古会の人たちに付き合ってもらって、仕込みにかかったのだが、結局のところ、どう自分の体を観るかという一点に絞り込まれた。つまり、内観の世界。与えられた時間は75分。さてどこまでできるかな。

2022年10月5日水曜日

身体観 1

  「秋のソマティック京都フォーラム2022」(10月10日 主催 ソマティック心理学協会)が近づいてきたので、なにやるか思案中。そもそも、なんで呼ばれるのか謎。片桐ユズルのご指名なのでという以上の理由が思い浮かばない。三年前、やはり、この会に呼ばれたことあるのだけれど、「ソマティックス?」にも書いたけれど、もやもや感が残った。

 今回は、はからずも「まなざし」が共通テーマになっている。外の世界を見る以前に自分の体をどう観ていくか、というところから始めてみようか。つまり身体観の話。ひとつの技法の裏には、その技法を支える身体観というものがあり、その身体観の裏にはその身体観の基盤となっている世界観というものがある。内面化された支配的な身体観/世界観とどう対峙していくかという問題である。




2022年10月3日月曜日

70の風景

70になったら
どんな風景が見えるのか楽しみにしていたのだが、
思いのほか見晴らしがよい

ここまで生きれば、
もうあの人は短命だった
と言われなくて済むのもよい

気張りが抜けて
よりフラットになって
操法も上手くなった気がする

とはいえ、
耳は遠くなる目は霞んでくる
それに合わせた暮らし方を模索せねば

円が安くなって
外こもりは無理そうだから
しばらくは四国を歩くことにする

残された時間は思っていた以上にありそうで
40年中断していた韓国語を学び直そうか、などと考えはじめた
5年続ければモノになるかも

手に入れてしまった敬老乗車証
徘徊のルールが変わってしまった
バス停ふたつ分だけ乗るなんて、ありえんかったのに

古希に立ち踊場と識る秋の朝 (和宏)

敬老乗車証

敬老乗車証を手に入れしまった。
70歳って老人なのかというと微妙。古稀といったところで、生存率は80パーセントより高く、僕の世代は、もともとの母数が多いから、毎年、生まれてくる子どもたちの数よりたくさんの人間が古稀を迎えてしまう。まったく稀ではない。
これから先、適用年齢を75歳まで上げてゆき、値段も高くなっていくらしいが、年間6000円(来年以降は9000円)で京都市バス地下鉄乗り放題というのは、徘徊老人にとっては、ありがたい。これまで、バスの停留所ひとつふたつ分で降りてしまう乗客の姿が不思議だったが、この乗車証を使えば、そういうこともできるわけだ。
京都で暮らしはじめて丸7年。生活圏はどんどん狭まってきていたが、この魔法の杖を使って、未知の京都を探検していくことにする。



2022年9月30日金曜日

9月の読書

自民党の統一教会汚染 追跡3000日 鈴木エイト 小学館 2022
けもの道の歩き方* 千松信也 リトルモア 2015
古代から来た未来人 折口信夫 中沢新一 ちくまプリマー新書 2008
アースダイバー 神社編* 中沢新一 講談社 2021
この国の戦争 奥泉光・加藤陽子 河出新書 2022
祝祭と予感* 恩田陸 幻冬舎 2019
家(ちべ)の歴史を書く* 朴沙羅 筑摩書房 2018
日高六郎 95歳のポルトレ* 黒川創 新宿書房 2012
アン・ソンギ* 村山俊夫 岩波書店 2011
疫病神* 莫言 勉誠出版 2014

2022年9月29日木曜日

踊り場

 孫たちと付き合っていると成長というものががいちようでないことがよくわかる。順調に成長していても、それが停滞する時期はある。踊り場と呼べるような時期。そんな状態になると、子ども心にも不安になるのか、「じーじ、面白いことない?」などと訊いてくる。そんな時には、「そうだね〜」と相槌は打っても、これはどうあれはどうと方向性を示すことはしない。この時期は、力を溜めている時間なのだろう。数ヶ月しないうちに、自分の興味をちゃんと見つけてくるものだ。

 大人にももちろん踊り場はある。この9月ひと月はそんな時期だった。月初めの白山稽古会行きが頓挫したこと。70になって見えてくる風景が変わったこと。耳が遠くなり、これから先どんなふうに稽古を進めていけばよいのか迷っていること。いろんなものが重なって方向性が見えなくなっていた。おまけに9月は毎年不調な月でもある。こういう時は、じたばたしても仕方がない。粛々と稽古して、読書に励み、あとは土いじりをして時を過ごす。

 ぼちぼち踊り場を抜け出す時期にたどり着いたようだ。月末三日間の稽古会が始まり、久しぶりに本格的な脱力動法などをやり、歩むべき方向が見えてきた。白山登山で得た教訓どおり、一歩一歩進むだけだ。

2022年9月17日土曜日

大型台風接近中

 猪もともに吹かるる野分哉(芭蕉)


2022年9月10日土曜日

アン・ソンギ

韓国文学の中心にあるもの」を読んで以来、韓国熱再燃。実現しなかった未来ーパラレルワールドとして、韓国韓国語というものが、僕の中であるらしい。その後ろに、曽祖父角三郎の姿もちらちら見える。

で、アン・ソンギ。韓国を代表する俳優。てっきり年上だと思っていたら、1952年生まれ。まったくの同世代ではないか。僕にとって、1976〜86の十年間が、一番、韓国が近しい存在であった時期。ソウルを訪ねるたびに、理解できない韓国語をものともせず、映画館に足を運んでいた。もっとも、アン・ソンギの姿をスクリーンではじめてみたのは、京都で自主上映された「風吹く良き日」だったかもしれない。

アマゾンプライムで韓国映画が結構な数見られることをしり、このところ、韓国映画を続けざまに見ている。「ペパーミント・キャンディー」「南山の部長たち」「黒水仙」「シルミド」「光州5・18」。いずれも、近現代史を題材にした映画。ここ70年の間、海峡を挟んで日韓の民衆が経験したものの違いに目眩を覚えるほどである。すくなくとも、僕らは、国が戦場になり、自らが難民となって右往左往した経験はないし、国軍に銃を向けられるといった経験もしていない。そのような経験をしている人たちを横目で見ながら、あるいは、見て見ぬふりをして、高度成長に邁進してきたのだ。

続けざまに韓国映画を見て、歴史の中で圧殺されてきた民衆の怨嗟の声を伝え、果たされることなのなかった同輩たちの未来を成仏させようという、映画人の強い意志を感じるのだ。「韓国文学の中心にあるもの」は「韓国映画の中心にあるもの」であり、なぜ、韓国映画は骨太なのかという素朴な疑問への答えでもあった。

2022年9月3日土曜日

a long and winding road

いつものように京都駅まで行き、サンダーバードの切符を発券し、志津屋でジャンボポテトサンドとカレーパンを買い、いざ改札。

改札を抜けようとしたところで、予約便運休の掲示。動物との接触が原因とある。あわててみどりの窓口に向かうが、そこはもう長蛇の列。2時間後の便で予約は取れたが、これでは稽古会90分の遅刻。白山稽古会のSさんに連絡。

朝ごはん食べずに出てきたので、買ったばかりのサンドイッチを駅の植え込みに座り込み、車内用に作ってきたコーヒーと一緒に食べる。時間あるので、駅前のヨドバシカメラ、地下にできたというスーパーをひやかす。

そろそろ時間なので再び改札。ぬぬ、予約変更した便が消えている。文句を言いに駅員のところに行くと、同じ時間に全席自由席の臨時便が出ますとのこと。おとなしく臨時便を待つ列に並ぶ。が、到着した臨時便はすでに満席で、デッキにも人が溢れている。こりゃむりだ。これで本日の稽古キャンセルが確定。

今日の稽古は諦めて16時の便に再び予約変更。一旦、自宅に戻ることにした。自宅に引き揚げたはよいが、家人外出中。こんな日に限って鍵を忘れている。入れない自宅玄関先にへたり込む。30分ほどして家人帰宅。すでに稽古着は汗まみれでシャワーを浴びる。新たにミルクティーを作ってもらい出かける準備。雨が降り出す。

土砂降りなれど、出発するしかない。大きめの傘をさしてバス停まで送ってもらう。再び京都駅。サンダーバードの遅延は続いていて、再予約した便の到着時刻は不明とのこと。しびれを切らして、京都〜金沢便のバスがあることを確認して予約。時間はかかるが、確実に着くだろう。三度みどりの窓口に並び、切符払い戻し。

これで一件落着と思ったが、まだ続く。宿にチェックイン遅れるかもしれませんと連絡したら、当ホテルのチェックインは22時までだとのたまう。以後、キャンセル扱い、つまり泊まれなくなるとも。バス便の金沢駅着時間を確認したら2153分とある。おれ、宿無しになっちゃう。バス便を窓口に行ってキャンセルし、再びサンダーバードを予約。

10分遅れでホームに入ってきたサンダーバード33号の座席に座ってこの文章を書いている。19時半くらいには金沢駅に着けそうーつまり宿のフロントはまだ開いている。先月は豪雨で稽古会初日をキャンセル。今回は動物。なんだかトラブル多し。次回から前泊前提に日程組まないと、だめかも。

右側に夕方の琵琶湖が広がっている。

おそろしいことに、続きがあった。琵琶湖北部で大雨のため運転見合わせとのアナウンス。近江舞子で止まってしまった。現在1755分。あと2時間は動かないとのこと。だいぶ粘ったけど、今回はここで撤退します。

京都駅で今日4度目のみどり窓口に並ぶ。人生最多記録だな。

帰ってきたぞ京都駅 ↓



2022年8月30日火曜日

8月の読書

彼岸の図書館* 青木真兵・海青子 夕書房 2019
白の闇* ジョゼ・サラマーゴ 河出文庫 2020
こびとが打ち上げた小さなボール* チョ・セヒ 河出書房新社 2016

2022年8月14日日曜日

古稀と腰痛

白山から降りてきて数日後、激しい腰痛がやってきた。
登山の疲れが出てきたのかと様子を見ていると、何年かに一度経験する、いわゆるギックリ腰とは質が違い、ズーンとした鈍痛感が主。腰痛というより仙椎痛。それでも腰の動きに先行し手が先に動くと、鋭い痛みが襲ってくる。腰痛とは正しく動法的に体を処する教師のような出来事であることは、いつも通りである。

これって誕生日特有の体になっているのか? 誕生日前後特有の身体があるということは経験上知っているけれど、これまで誕生日前後の自分自身の身体を観察したことがない。あわててダン先生の「形見」という文章が載っている月刊全生を引っ張り出してくる。2018年5月号。西を向き正座して仙椎を内観する。今回の腰痛、不思議なことに女の動法で動いた方が無理がない。母が亡くなって四半世紀近くになった今ごろ母の身体と出会っている。お盆でもある。

2022年8月12日金曜日

白山 4

ストックと杖は似ているようで、内含する哲学は真逆を向いている。
ストックは握るし、握り方さえ指定されている。腕の力で地面を押して推進力にする。四足歩行。一方、杖は固く握らない。滑らせる。地面に突き立てない。杖は感覚器で、あくまで二足歩行の延長。杖の先を地面に置くことで、自分の腰の一点をを出し、その一点を前に進めることで、身体全体を前進させる。地面を押しはじめると、それはもう草臥れてきた証拠で、体は休憩を求めはじめている。両手で杖にしがみついて地面を押しはじめたら、もう敗残兵の風情。

山は登山ファッションでキメた山ジジイ山ババアであふれている。軽くて機能的で快適そうな服装だ。一方、稽古着で登山に臨んだ私が直面した問題は汗対策。木綿の襦袢、稽古着はまたたく間に汗だらけになり重くなり、風に当たると冷たくなってくる。この先、お遍路を進めるにしても、登山用の速乾性のある下着の併用も考えて行った方がよさそうだ。

下山して三日目。筋肉痛はほとんど出てこなかったところをみると、まずまず上手に体は使えたのだろうと思う。願いはいつかは実現する。今回の経験を拠りどころにして70代に踏み入っていくことにする。

2022年8月10日水曜日

白山 3

別当出合から山頂までの標高差1500mの登山はお遍路で30キロ歩くよりもきつかった。でも一番きつかったのは、室堂から宿泊地の南竜山荘に至るトンビ岩ルートでの下り道。ガスは濃くなる、陽は落ちてくる、道は岩だらけ。難易度が高かった。

山を登る人は、眺望を求めて登っているのだと勝手に思い込んでいたのだが、そう単純ではないということが、今回の白山登山で分かった。山道といっても、ずいぶんいろんな種類の山道がある。それぞれに応じて、身体の使い方がちがう。結果として、文字通り全身全感覚を駆使した活動となる。

山頂にたどり着けたのは同行者のおかげである。最初のうちは調子よく登っていたのだが、2000mを超えたあたりから足が重くなっていき、休憩するたびにへなへなと座り込んでいた。それでも、ゆっくりでもかまわないから、一歩一歩足をすすめていくと、いつか頂にたどり着ける。これは当たり前にして新しい発見であった。



白山 2

白山稽古会開催予定の前々日、北陸地方で豪雨。北陸線武生駅水没の映像も流れ、当然サンダーバードも運休。復旧の見通し立たず、普通ならこの時点で白山稽古会休止の決定をするところ。でも、白山登山計画はどうする?

JR西の運休情報のページに振替経路の案内を発見。京都→名古屋→富山→金沢。東京経由だけではなく、こんな迂回ルートもあったのか。土曜日の稽古には間に合わないが、土曜日のうちに着ければ、日曜日の稽古はいつも通りやれる。フランスから帰省中のNさんとの夕食の約束も守れる。京都駅に出向き、みどりの窓口の長蛇の列に並ぶ。

名古屋駅に降り立つのは、いったいいつぶりになるのか? 1時間の乗り継ぎ時間を使って名古屋駅を探索ー喫煙所を探しただけですが。高山線は川に沿って下呂、高山を辿っていく。途中下車はできないけど、特急ひだは観光気分。でも、さすがに松任にたどり着いた時には草臥れてた。明日稽古会大丈夫なのか?

投宿後、Nさんと落ち合う。和食が良いというので、蕎麦で検索したら行善寺が出てくる。迷いながら行善寺。蕎麦を食べ、温泉にも入り、喋っているうちにくたびれが抜けていく。先のことは考えず、その日一日を最後までやる。それしかない。

白山 1

石川に通いはじめて十余年
白山登山を計画すること3回
いずれも流れて、ここ5年、計画することもせず

白山4度目の挑戦
先達は白山稽古会事務方担当Sさん
同行者は横浜時代のご近所T夫妻

別当出合の吊橋に来るのは3度目
渡るのは初めてで、砂防新道を歩きはじめる
稽古着に稽古袴に杖、足元はスニーカーという遍路スタイル
汗のかき具合が半端ない
リュックを背負っている背中はあっという間にぐしょぐしょ

仙人みたいですね、と声をかけられる
いえ、俗人です、と答えてしまったが、
次からは、いえ仙人ですと答えることにしよう

なかなかしんどくて何度か断念しかけたが、
同行者に励まされつつ、8月8日15時40分、標高2700mの白山の頂上に立つ



2022年8月2日火曜日

韓国文学の中心にあるもの

韓国映画はよく観る。映画の中で交わされる会話が時々理解できるのが嬉しい、と言った程度の韓国映画ファンなのだが、その質の高さ、感性の豊かさに彼我の差を感じてしまう。昨年だったか、「ハチドリ」を観て、こんな映画撮れる監督日本にはいないんじゃないかと、その瑞々しさに感銘を受けた。もっとも、その少しあと、「ドライブ・マイ・カー」を観て、前言訂正したのだけれど。それでも、全体のレベルでいえば、韓国映画が先をいっていることはまちがいない。骨格のたしかさが違う。この違いはいったいどこから来るのか謎だったのだが、「韓国文学の中心にあるもの」(斎藤真理子著 イースト・プレス)を読んで腑に落ちた。そう、映画の(当然のことだが、文学にも)社会的役割として、歴史を読み込んでいくことが作り手、受け手双方に自覚されている。

韓国に行けば、「ユギオ」という単語は日常的に耳にすることになる。ユギオ、韓国語で625、1950年6月25日、つまり朝鮮戦争勃発の日。ただ朝鮮戦争について僕らは知らない。知らなさすぎる。ソウルで短期間暮らし(40年前、3ヶ月だけ語学留学していたことがある)、人の会話の中に「ユギオ」という言葉を聴きながら、北に故郷をもつ人の話を聞きながら、その意味するところを、まったく理解していなかったことに、今更ながら愕然としている。朝鮮戦争特需によって太平洋戦争で疲弊していた日本の経済は立ち直り、高度成長への足がかりをつくっていく、といった通りいっぺんの理解しかもっていなかった。この朝鮮戦争の最中にこの世に生まれてきた僕としては、他人事ではないはずなのに、ずっと他人事にしてきたのだ。朝鮮半島で何百万という人たちが右往左往している姿を見ないことにして、高度成長に浮かれていたのだ。

しかも、安倍元首相狙撃事件で浮かび上がってきた統一協会という存在。これもまた、ルーツをたどると、朝鮮戦争が大きな分水嶺となっている。日韓間のグロテスクな闇が露わになった2022年夏。一冊の本よって自分が揺すぶられる経験は最近してなかった。この揺れはしばらく続きそう。この本にとりあげられていた「こびとが打ち上げた小さなボール」(チョ・セヒ著 斎藤真理子訳 河出書房新社)を読みはじめた。1978年の出版ということは、僕がはじめて韓国に足を踏み入れた頃に書かれた本だ。

2022年7月30日土曜日

7月の読書

ナチスのキッチン* 藤原辰史 共和国2016
韓国文学の中心にあるもの 斎藤真理子 イーストプレス 2022
ポストコロナ期を生きるきみたちへ* 内田樹編 晶文社 2020
撤退論* 内田樹編 晶文社 2022
上方落語の戦後史* 戸田学 岩波書店 2014
上岡龍太郎 話芸一代* 戸田学 青土社 2013
上方落語の四天王5 戸田学 岩波書店 2011
狩の思考法* 角幡唯介 アサヒグループホールディングス 2021

2022年7月26日火曜日

石川合同稽古会

 8月20日〜21日、金沢湯涌創作の森で石川合同稽古会が開催されます。
担当は遠藤、覚張。参加申込、お問い合わせは遠藤まで。



2022年7月24日日曜日

筆動法再開

今年になってから再開した筆動法の稽古が定着しそうでうれしい。
等持院稽古場をはじめた当初、筆動法は定例の稽古として組み込まれていたけれど、だんだん集まる人が減り、やったりやらなかったりという期間が長くつづいた。去年の秋くらいから、新たに稽古をはじめる人が現れ、その人たちに筆動法を提示したら、けっこう興味を持ってくれたので、このところ毎月の稽古に組み入れている。ようやく墨摺りという最初のハードルを超えたくらいのところで、まだ漢字一文字二文字書くのがやっとだけれど、一緒に俳句を書ける日もそう遠くない。杖使いの稽古からはじまった竹動法の進化バージョン(新聞紙の筒を使う)の稽古と併せて、筆動法の足捌きなどを稽古している。



2022年7月18日月曜日

日差しが戻ったので洗濯
盆手前の稽古に付き合い、反物の水通しを手伝う
夕方になってから北白川方面
いつぶりの空間現代?
攻めてる〜
重厚感が増し、随分と大人感が出てきた
「外」は盛況
宵々山でも感じたが、人は密を求めている
帰宅して、半乾きの反物生地にアイロンをかける
最後、反物を巻き戻しながら、その幅が正座した両膝の幅とぴったり重なることを発見
妙に納得
ホホホ座で、『韓国文学の中心にあるもの』(斎藤真理子著 イースト・プレス)購入
あの店なら置いてあるかも、という読みが当たり満足
かけてもらったブックカバーがカッコよい





2022年7月17日日曜日

グリーンカーテン

今年は緑の生育がはやい
ゴーヤはすでに立派な葉をつけ、稽古場の窓を覆ってくれている
実もつけはじめた
写真に写っているのは、2号と3号
第1号は収穫して、昨日の素麺会でチャンプルーにして食べた
第7号まで確認済
今年は豊作かもしれない
苗でいただいたヘチマもぐんぐん伸びて、軒まで届きそう
ミニトマトも今年は実をつけて、連日、食卓を賑わせてくれている



2022年7月16日土曜日

宵々山

祇園祭の宵々山に出掛けてきた
フルスペックで開催されるのは3年ぶり
普段なら宵々々山なら行くが宵々山は、こわくて出掛けられない
人が多すぎる
今回はドイツからの来客があったので、稽古のあと連れ立って四条烏丸に向かった
四条堀川でバスを降り、歩行者天国となった四条通を東に歩いていく
烏丸が近づくごとに人が増えてくる
狭い南北の通りは、文字通り芋の子を洗う密集状態
浴衣姿が多く、若い男の子たちの浴衣率が高い
観光客風の人たちの数も多い
ともかく、こんな大勢の人間を見るのはひさしぶりだ
堰を切ったように人が街に繰り出している
祭は必要だ





2022年7月11日月曜日

足掻く

70歳の節目を前に、足掻いている。なんで足掻くんだろう、なにを足掻いてるんだろう、と思うのだが、節目を前にすると、人間、自分の寿命などに思いを馳せ、足掻きはじめるよいにできているらしい。

十年前はどうだったか、二十年前はどうだったか? 振り返ってみると、それぞれに節目を前にしてやはり足掻いていたような気がする。そもそも、お遍路を企てたのは十年前、東日本大地震の翌年のことだし、二十年前の日記を紐解けば、「五十になったら好きなことだけをやる」などと曰うている。そこから、さらに十年遡ると、稽古場を足抜けしようと足掻いている。

大台に乗ったタイミングで、外から難題が訪れてきて、それまで足掻いたことら忘れてしまう、というパターンが多い。50台に乗った直後、父が旅先で事故入院。横浜と北海道と岡山を行ったり来たりしながら、実家の片付けやら、父の東京移住に奔走した。60台に乗ったあとは、妻が倒れ父が倒れ、二人を看取ることになった。京都に移ってきてからのことは、このブログにも書いてきたように、僕自身も渦を作り、娘の渦に巻き込まれ、孫の世話に明け暮れ…。怒涛の60代。

年をを追うごとに、歳を重ねるごとに、昨今の異常気象の如く、振れ幅が大きくなってきているようにかんじる。勘弁してほしい。平穏な70代を望みます。

2022年7月4日月曜日

10冊の本

20冊の本」と題した文章を書いたのが半年前。
その本屋さんに本を選んでもらう前に、まず、自分がこれまで感銘を受けた本20冊のリストを作らなくてはいけない。ところが、これまで何千冊という本を読んできたはずなのに、いざ20冊挙げなさいと言われると、思いのほか難しい。ずっと、このリスト作りに取り組んでいるのだが、とても20冊に届かない。ようやく、10冊のリストを作り上げた。時系列で並べてみるとこんな感じ。毎月末に備忘録としてブログの上げている「x月の読書」のリストにあるように、基本、乱読雑食系で読み終えたら、中味は忘れてしまう。いわゆる読書家ではない。さて、この10冊のリストから、なにが読み取れるのだろうか?

地底旅行 ジュール・ベルヌ 1955
コンチキ号漂流記 ヘイエルダール 1951
何でも見てやろう 小田実 河出書房 1967
How Children Fail   John Holt  1973
荘子 金谷治編 岩波文庫 1971
全東洋街道 藤原新也 集英社文庫 1982
マシアス・ギリの失脚 池澤夏樹 新潮社 1993
雪の練習生 多和田葉子 新潮社 2011
磁力と重力の発見 山本義隆 みすず書房 2003
分解の哲学 藤原辰史 青土社 2019

2022年7月2日土曜日

酷暑

70年の人生最強の酷暑を迎えることになりそうだ。
なんせ、6月末からすでに最高気温は35度越え、熱帯夜もすでにはじまっている。
7月に入ってからも、その勢いは衰えず、とうとう最高気温は38度を超えた。
夕方、6時近くになってから自転車で図書館を目指したが、熱風の中を走っている状態。
なのに、街行く人たちは律儀にマスクをかけている。危険ですよ。
片道10分の図書館とはいえ、冷たい水を水筒に入れて持ち出して正解。
この調子だと、京都史上初の40度越えの日がやってきても、驚くにあたらず。

7月は白山稽古会をのぞき遠出の予定なし。
腰を据えて京都の暑さと向き合いながら稽古していくしかない。
わざわざ、この時期を選んで、ドイツから稽古に来ようという人もいる。
祇園祭も通常の規模に戻してやるとのこと。
京都の夏は暑いに決まってるが、それにしても乗り越えられるんだろうか。

唯一の希望は、旧暦の秋が早くやってくること。
今月末29日が旧暦7月1日となる。つまり、秋のはじまり。
せめて旧暦に沿って季節が動いてくれれば、今月をやり過ごせば、一息つけるはず。
果たして、どうなることやら。

2日続けての38度ごえ。

2022年6月28日火曜日

6月の読書

建築が人にはたきかけること* 藤森照信 平凡社 2020
売上を、減らそう* 中村朱美 2019 ライツ社 2019
世にもおもしろい狂言* 茂山千三郎 集英社新書 2006
流浪の月* 凪良ゆう 東京創元社 2019
マキノ 第一巻 冨田 美香/監修 ゆまに書房 2013
四国辺土* 上原善広 KADOKAWA 2021
変* 莫言 明石書店 2013
伊勢神宮とは何か* 植島啓司 集英社新書 2015
みんな水のなか* 横道誠 医学書院 2021

2022年6月27日月曜日

すだれ

広縁外の軒にすだれをかけた。
これまで、あればいいな〜、と思いつつ、ようやく七年目にして重い腰を上げた。
すだれがかすかな風に揺られているだけで涼しげだ。

今年は、植物が元気。
ミニトマトはぐいぐいと枝を伸ばし、実をつけはじめている。
ゴーヤも、例年になく、軒に向かって蔓を伸ばし、黄色い花をつけはじめた。
いただいたヘチマも順調。
ちゃんとグリーンカーテンになってくれそうだ。

この植物の勢いはどっから来るのかとおもっていたら、猛暑がやってきた。
まだ6月というのに最高気温が35度だなんて。
雨も降らずに梅雨があけそうだ。




2022年6月25日土曜日

6月

今月、お遍路はお休み
なのに、もう月末
1週目は白山稽古会
2週目は福井県宝慶寺での田中真海和尚の本葬儀参列
3週目は、2ヶ月ぶりの千葉佐倉
あちこち出掛けているうちに今月が終わってしまった
いやまだ、月末三日間の稽古会が残っている

千葉の帰り、大井町稽古場に寄ってきた
4、5年ぶりのことではないかしらね
ガラガラと木戸を開けて中に入ったら、木と畳にちょっとだけ黴の香りも付け加わった
湿気た空気が懐かしかった
古顔の稽古者にも何人かお会いできたのは嬉しかった

大井町から二子玉川
二子玉川からあざみ野
最後はあざみ野から新横浜に出て、そこから新幹線
長年、通った路線とはいえ、もう別世界になってしまっていた

京都帰着
すごい湿気やな〜

2022年6月24日金曜日

懺悔文

お遍路さんは、どのお経を読んでもよいことになっているそうだ。
般若心経は必ず読むということなので一応は読んでいるのだが、どうもしっくりこない。
一番、読んでいて気持ちのいいのは懺悔文。はい、懺悔することは沢山あります。

我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋痴
従身語意之所生
一切我今皆懺悔

2022年5月30日月曜日

5月の読書

熊野 神と仏* 植島啓司ほか 原書房 2009
日本人にとって聖地とは何か* 内田樹ほか 東京書籍 2019
私は本屋が好きでした* 永江朗 太郎次郎エディタス 2019
ホホホ座の反省文* 山下賢二・松本伸哉 ミシマ社 2019
越えていく人* 神里雄大 亜紀書房 2021
目の見えない白鳥さんとアートを見にいく* 川内有緒 集英社インターナショナル 2021
三十の反撃* ソン・ウォンピョン 祥伝社 2021
小隊* 砂川文次 文藝春秋 2021
バイリンガル・エキサイトメント* リービ英雄 岩波書店 2019
死してなお踊れ* 栗原康 河出文庫 2019
ニッポンのサイズ図鑑* 石川英輔 淡交社 2020
種まく人* 若松英輔 亜紀書房 2018

2022年5月26日木曜日

筆動法から連句へ

僕らの稽古で筆動法というのがある。お習字の道具立てを使って行う動法の稽古。これについては随分前になるけれど「ぼくが筆動法を稽古するわけ」というタイトルで以前書いたことがあるので、そちらを参照のこと。

漢字というのは点と線で構成されている。この点と線の書き方をひと通り稽古すれば漢字が書けることになる。最初は漢字一文字からはじめ、回を重ねるごとに、半紙一枚に書く文字の数も増えてくる。もう少し沢山の文字を書こうとしていくと、俳句という素晴らしいお手本があることに気づく。そのころには、一度や二度はかな文字も書いてきているから、全紙一枚に五七五の俳句一句を書いて見る。こうして、芭蕉、一茶、蕪村といった江戸時代の俳人が残してくれた俳句を書くという稽古が始まった。「読む」だけでなく「書く」という俳句の鑑賞法のはじまりでもある。

活字として本の上に定着している俳句を、自分が手にした(左手で構える)筆に墨を含ませ(自分で摺ったもの)、しかも動法というルールに則って(書くという意志さえも封じて)、身体を通して和紙の上に移し替えていく。文字通り、全身で俳句を味わいながら書いていく。こうして僕は俳句の世界に踏み入っていった。芭蕉の「おくのほそ道」に出てくる俳句を全て書いてみるという稽古もやった。半年以上かけたのではなかったか。そこから、俳句以前に、連句という広大な世界が広がっていることを知った。

はじめて「猿蓑」を読んだときの衝撃は忘れられない。中身に衝撃を受けたのではなく、そのわからなさ加減に衝撃をうけた。隣同士の句のつながりが、まったく理解できなかったのだ。それでも連句を手本にして書いてみることにした。そして書いたものを壁に貼ってみた。まず発句を適当なところに貼り、次に、脇の句を貼っていく。さて、どこに貼るべきか。発句との距離は、高さは、角度は。脇の貼り位置が決まれば、続けて第三句。同様に、脇との位置関係をあれこれ試行錯誤し場所を決めていく。いってみれば、前の句との関係を空間的配列に置き換えてみるということをやっていたわけだ。

このようにして連句の世界に入って行った。仲間内での実作も多少試みた。でも実際に、連句の現場に足を踏み入れたのは三年前のことである。それはもう恐ろしく、かつ濃密な世界であった。

2022年5月22日日曜日

定型

 お遍路に定型はあるのかというと、おそらくない。遍路用品として挙げられているのは、金剛杖、白衣、菅笠、教本、輪袈裟、数珠、納経帳と続く(四国遍路ひとり歩き同行二人解説編 へんろみち保存協力会編)。このうち、しょっぱな僕が買い求めたのは、白衣、教本、輪袈裟、納経帳くらい。「南無遍照金剛同行二人」と書かれた白衣を着れば、これだけでお遍路さんに変身してしまう。これに菅笠をかぶり、金剛杖を手にすれば、変身は完璧だ。僕の場合、まだ白衣だけで、頭にはキャップを被り、杖は自分で用意したものだから、お遍路度は低い。稽古着姿だから、修行者に見られている可能性はあるかもしれない。実際歩いていると、日差しよけ、雨よけには、菅笠はあった方がいいのかなとも思う。

 この定型の姿は、そう昔からあったわけではない。四国遍路は、もともと宗教者が修行として歩いていたものが、江戸期ぐらいに一般化し、明治大正期くらいに、よりツーリズム的な要素が流入してくる。この現在の定型を作ったのは、昭和初期の「遍路同行会」という組織らしいことに行きつく。このあたりは『四国遍路』(森正人 中公新書 2014)からの受け売り。うーん、さもありなんというか、大正、昭和初期って、そういう精神修養が流行っていた時代だから、その流れの中に、四国遍路も組み入れられたということだ。伝統と呼ばれてるものって、案外、百年かそこらのものが多いのは、いつものことだ。

 ただ、白衣=遍路という記号化の働きは強力だ。個人の属性がすべて捨象されて、遍路という修行者に変身してしまう。そんな移動する人間を日常の生活の風景の中に迎えいれている四国のひとたちは、それだけで偉いと思う。遍路姿で歩いていると、通学途中の小中学生とすれ違い、トラックで仕事する人に追い抜かれ、自分ちの庭で花の世話をしているおばちゃんと挨拶を交わす。この見る/見られる関係における眼差しの交差は柔らかい。

 さて、遍路見習いも三回目。鶴林寺、太龍寺という二つの札所をめぐる遍路ころがしという難所ルートで、きっちり「ころがされ」てしまいました。前回の焼山寺道よりは楽と感じたものの、山を降りてきてから足の裏をみると悲惨な状態になっていました。結局、今回は22番札所平等寺で打ち止め。たしかに、遍路ころがしと呼ばれているところは、アップダウンが大きくてつらいしきつい。でも、本当の遍路ころがしは、舗装道路を歩くことだろう。ということは、四国遍路道の9割が遍路ころがしということになる。

【鶴林寺に登る途中から太龍寺山を望む。この写真に写っている川まで降り、そこから太龍寺に向かってひたすら登っていく



2022年5月6日金曜日

奇跡

稽古する人が一人いて、そんな人と一緒に稽古してみようという人が現れる。そんな気まぐれで物好きな人が、どこからともなく集まってくることで、この稽古場は成り立っている。公教育の外側にあって、まさに身体の教育が行われる。こんな稽古場が存続していること自体、ひょっとすると奇跡かもしれない。人を集めようとは思わない。多くの人に届け、とも思わない。稽古する人一人一人が、それぞれの生活の中で、ここでやっている稽古を使っていけばよい。自分の器に見合った人数を相手に、僕は粛々と稽古する。

煩悩

煩悩友に歩く山道

現在進行中の連句のために作った短句。
十年前に四国遍路を発願した頃に比べると、煩悩は随分と減った気がする。つまり、悩むエネルギーが枯渇してきた。悩む力=生きる力とも言い換えることができるから、ここ十年で生きる力が低下してきている。これを老いるという。まことに目出度い。悩む人を見ていると、そんなに生きる力があるんだと羨ましくなる。悩みから逃れようとか、捨てようとか考えない方がよいです。正しく悩む技を身に付けましょう。

2022年4月29日金曜日

4月の読書

四國遍禮道指南 眞念 稲田道彦訳注 講談社学術文庫 2015
他者の靴を履く* ブレイディみかこ 文藝春秋 2021
海をあげる* 上間陽子 筑摩書房 2020
廃仏毀釈* 畑中章宏 ちくま新書 2021
四国遍路* 森正人 中公新書 2014
愛と差別と友情と LGBTQ+ *  北丸雄二 人々舎 2021
寺院消滅* 鵜飼秀徳 日経BP社 2015
エンド・オブ・ライフ* 佐々涼子 集英社インターナショナル 2020

2022年4月27日水曜日

迷う時間

 お寺とお寺の距離はわかっているから、自分の足でどれくらいの時間が必要かは予め計算できる。お寺の中での定型のふるまいも大体掴めてきたから、一日にどこまで進めるかも見当がつく。ところが、これには迷う時間は含まれていない。地図をたよりに、道標をたよりに、あるいはGoogleMapsをたよりに歩いていくが、それでも迷う。一本道を下って分かれ道に差し掛かったとき、さてどっちの道に行くべきか、しばし立ち止まって考える。ガードレールに貼ってある小さな赤い矢印をみつけると嬉しい。ありがたい。この迷う時間というのが大事なのだ。前回のお遍路見習い初日、遍路旅は急いではいけない、ということだけは感得した。でも、宿の心配、バスの心配、先を急がざる得ない場面も出てくる。迷う時間、あそびの時間、これが肝要。歩くとは先を急ぐことではない。それにしても何故歩くのか? 先人たちも歩いていたから、という答え以外見つからない。

稽古者として歩く

 歩いていると次のお寺まで何キロという石の標識が立っていて目安になる。粁という漢字が使われていることもある。有難いのだが、このキロ表示が体に響いてこないことに気づく。なんでだろうと考えてみると、キロという単位が身体の寸法と無関係であるということに行きあたる。身体性を欠いている。4粁という表示を見て、何かに換算あるいは翻訳しようとしている。こんな作業をやっているなんて、これまで意識することはまったくなかったけれど、疲れてくると、この換算翻訳作業が負担になってくる。4粁より1里と表示されていた方が疲れた体には優しい。これは確信をもっていえる。

 遍路道といっても、昔ながらの山道よりもコンクリートで舗装された道を歩くことの方が多い。歩くという行為としては同じなのだけれど、くたびれ方がまるで違う。山道を長距離歩き、そこからコンクリ道に出ると、足が悲鳴を上げる。固い柔らかいという問題ではない。土には脚と響き合うものがあるのに対し、コンクリにそれがない。コンクリ道とどう折り合いをつければよいのか、脚が困惑している。

 山道を歩きながら気がついた。登り道はナンバの集注、下り道は逆ナンバの集注。ナンバが何なのかは説明しない。稽古している仲間には、これで通じる。

 お遍路さんは金剛杖というのを使っているが、今回、杖は熊野から借りてきた杖(→熊野詣2)を持って行った。布に「南無大師遍照金剛」と墨で書き、その布を杖に巻きつけた。雨に濡れて滲んでしまったけれど。門前で売られている金剛杖は角形のもので、杖としては使いづらそうだったので、熊野の杖にした。こちらは木の枝を切ったもので切断面は丸い。基本的に杖は運動器の延長として使ってはいけない。あくまで感覚器の延長として使うべきもので、そのためには固く握ってはいけない。遍路ころがしと呼ばれている焼山寺への山道、下ってくるときの山道ではほんとうに助けられた。杖使いの達人になりそうだ。








2022年4月26日火曜日

遍路見習い 2

 お遍路第二段。今回は第5番地蔵寺から17番井戸寺を目指す三泊四日。

 京都から高知行き高速バスに乗り、道の駅いたの下車。徳島バスで羅漢まで行き、そこから歩き始める。雨模様。お遍路をはじめればどこかで雨に会うことは覚悟していたが早速の雨。初日は脚慣らしのつもりで宿は6番安楽寺宿坊に予約。地蔵寺から奥の院五百羅漢を参拝ののち安楽寺へ。

 翌日は晴れ。6時起床。朝食ののち7時半出発。7番十楽寺、8番熊谷寺、9番法輪寺、そして10番切幡寺。それぞれによい佇まいのお寺たち。切幡寺は333段の急な石段を息切れしながら登る。そこから11番藤井寺を目指す。途中、八幡うどんで遅めの昼食。吉野川の広大な中洲を抜け、16時すぎ、旅館吉野到着。入浴、夕食。18時には一日の予定がすべて終了。7キロの荷物を背負って歩くだけで、普段の散歩とはだいぶ違った体験となる。道中、コーヒーを飲めるお店もなく、コンビニもなく、しかたなく、宿の冷蔵庫から缶コーヒーを買って飲む。

 三日目。遍路ころがしと呼ばれている難所。今晩宿泊予定のすだち庵の方が荷物を運んでくれるとのことなので、甘えることにする。小さなリュックに最低限の装備とおにぎりを詰め7時出発。11番藤井寺に参り、そこから12番焼山寺を目指す。いきりの胸突き八丁。それでもコンクリート舗装の道を歩くよりは気持ちがよい。大勢の人が歩いた気配が濃く残っている遍路道。整備もよくされている。鶯の声がすぐ近くに聞こえる。途中、目の前をマムシが横切った。13時半、ようやく焼山寺にたどり着く。こんな山の上に、こんな立派な伽藍。そこからは下り道。コンクリ道に出ると、途端足が悲鳴を上げる。一時間と少しで宿にたどり着く。出してくれたインスタントコーヒーが美味い。

 四日目。今日も雨。すだち庵7時半出発。最初の一時間は遍路道。ミニ遍路ころがしと呼べるくらいの上り坂。そこからは車道をひたすら下っていく。車もほとんど通らない。予報ほど雨脚は強くないのが有難い。神山の谷間の集落に霧がかかっている。まるで桃源郷だ。鳥が鳴き、道路を蟹が渡ろうとし、川の上をつがいの白鷺が飛ぶ。緑が濃い。川沿いの道をひたすら歩く。下界に降りてきたといえ街は静か。日曜日だった。13番大日寺到着13時。すでに20キロ歩いている。14番常楽寺、15番国分寺、16番観音寺。国分寺で納経をお願いしている折、住職とおぼしき男性と雑談しているうち、「せっかくだから、お庭を見ていきなさい」と誘われてお庭を拝観。岩で構成された立派なお庭に驚愕。あとで調べると有名なお庭らしいが、こうして誘われることがなければ見逃していただろう。今回の遍路は観音寺で打ち止めにし、JR府中(「こう」と読む)駅から電車で徳島駅に戻り、そこからまた高速バスで京都。



2022年4月19日火曜日

着物生活

 連れ合いが完全着物生活に入って4週間になる。仕事も家事も全部着物。おまけに、携帯電話も解約。その潔さは尊敬に値する。着物生活とデジタルデトックス同時進行中。片方が着物着ていると、相対している僕の方も着物でないと居心地がよろしくない。着物で座っている人の前でラフな洋服でいると、なんだか自分が貧相かつ幼稚ないきものに感じられる。おかげで僕の着物着用率も上がってきた。ただ、夏をどう過ごすか。いつも5月になると、短パンとTシャツ姿に変身してたから。

 着物生活を始めるということは、使い捨て消費型の経済と訣別するということ。衣の自給自足。古着は十分な数出回っているし、押し入れに眠っている着物や反物が人づてに回ってくる。着る人のところに着物や布は集まってくるようにできているらしい。あとは、自分で着物を縫う繕う技術さえ身につければ、鬼に金棒だ。そもそも稽古用の袴には既製品がない。こればっかりは、誰かに縫ってもらうか、自分で縫うしかない。とにかく手間がかかる。縫い手を尊敬します。




桜餅

桜の季節はあっという間に終わってしまった。
今年くらい桜餅を食った年はない。いや、和菓子全般よく食べている。
地元の長五郎餅を筆頭に、三平餅、笹屋守栄、亀屋重久、老松、仙太郎とつづき、最後は虎屋。いや、石川で寺井の和菓子屋さんの桜餅もいただいたから、都合8種類の桜餅を食べたことになる。どのお店の桜餅も美味しいのだが、基準はやはり長五郎餅か。
もう、柏餅の季節が始まった。

2022年4月8日金曜日

パラレルワールド

 連句仲間三人で歌仙をはじめた。仲間といっても、連句歴は僕が一番浅いから、年下の姐御二人から飛んでくるボールをぜいぜい言いながら打ち返している状態。時節柄メールをやりとりして巻を進めている。前の人から送られてきた三句のうち一句を選び、その選んだ句に付けの候補三句をつくり、次の人に回していく。こうしてあみだくじを辿るように一巻の歌仙が進行していく。作った三句のうち二句は反故として捨てられて顧みられることはない。今回、自分用に、この反故も一緒に並べて記録している。なぜこの句が採られ他の句は捨てられたのか。

 自分が好きな句を選ぶとは限らない。いくら気に入っても、歌仙のルールから外れるものは捨てざるをえない。前句との繋がりで、ちょっと離れ過ぎているな、とか、近すぎるとか、好きであっても捨てざるをえないものも出てくる。基準になるのはぴったり感、これしかない。つくる側からすると、苦し紛れでつくったものが採られ、えー、これ採っちゃったの、ということもある。

 連句って、ほとんど人生のアナロジーではないか。岐路はたくさんあった。なぜそのとき、そのような道を選んだのか、選ぶしかなかったのか。はたまた選ばれたのか。数限りない岐路を経て現在にたどりついているのだ。そう思えば、選ばれなかった反故句たちにも愛着が湧いてくる。連句ってパラレルワールド。そして人生もまたパラレルワールド。選ばれなかったもうひとつの人生を遊ぶことが連句の醍醐味なのかもしれない。

2022年4月4日月曜日

内観コーチング研究所

 丸2日外に出てなかったので、妻と二人、近所のイズミヤまで散歩することにした。妻が完全着物生活に入って半月、ずいぶん慣れてきた様子だが、歩き方が下手だ。手を繋いで歩きながら、膝をゆるめて、膝頭をちいさくして、腕と胴体を切り離すように、とアドバイスしていくうちに、下駄の音がどんどん小さくなり、ひょこひょこ跳び歩く感じが消えていく。内股同士が擦れる感じになって、お尻も小さくなってくるよねと本人も納得。そうか、池田くんの「からだ育て研究所京都」に倣って、飯の種に自前の研究所を立ち上げればいいんだ。即座に「内観コーチング研究所」という名前が降りてきた。メニューは手を繋いで先生とお散歩。30分3000円でどうだ。美女と手を繋いで散歩する。なんという役得。いやそれとも、介護を受けている老人に見られるのが関の山なのか。あと3日早く思いついていれば、「角南、身体教育研究所を離脱、新研究所立ち上げ!」と東スポの見出しに負けない素晴らしいエイプリルフールネタになったのに、と悔しがる。


 2割引きで買ってきたアップルパイを頬張り、おい、皮ばっかりでリンゴが少ないぞと悪態をつきながら、来年のエイプリフール用にささっと書いた前段の文章を読み返してみた。これでは、読んだ人がどこに食いついてくるか予想できる只の惚気文でしかない。しかも、重大な欠陥があることを発見。美女だけを相手にできるわけがない。来る人は拒まずだから、どんな年齢、性別、性指向に対応する覚悟がなければ、このプロジェクトをはじめるわけにはいかない。え、覚悟? そう、男同士で手をつないで外を歩くとなると覚悟がいる。美女だけを思い浮かべ、このことに気づかなかった僕はアホである。というか、偏った性意識がすでに露呈している。そう考えていくと、逆に稽古会という場の特異性が前景化してくる。稽古会で組む相手は男女いろいろ。というか、あまり相手が男性か女性か意識したことがない。稽古するとは触れることでもあるだが、稽古をしている限り、自分の中で性ということが意識されることがない。


 ところが、稽古場から一歩外に出れば、人の目を気にする、あるいは縛られている、つまり言い訳をしている私が出現するのだ。それなら、自動車教習中の車が「教習中」という看板を掲げて街を走っているように、「稽古中」というタスキをかけて街中を散歩すればよいかというと、これはもっと恥ずかしいだろう。稽古会で追究しているのは、どうすれば「カタをもってひとにふれられるか」ということだ。カタに入るとは、私を極小化していくということで、当然、性的指向といったものも極小化されていく。稽古場という様式もまたひとつのカタである。ふれるという行為はもともと性というものと結びつけられ易いものだ。そのような眼差しで見られると、そのような身体が浮き出てくる。そういう構造にある。逆にいうと、性的な眼差しから離脱する、自由になるヒントもきっと「カタ」のなかにあるに違いない。と、ここまで書いて、手を繋いで外を歩く覚悟が固まってきた。さあ来い。いや来ないかも。どっちにしたって、オレたちはマイノリティーではないか。


 もし「内観コーチング研究所」を立ち上げようという方いらっしゃれば、事前にご連絡ください。顧問料を申し受けます。

2022年3月31日木曜日

3月の読書

異世界の歩き方 地球の歩き方編集室 Gakken 2022
言葉を失ったあとで* 信田さよ子・上間陽子 筑摩書房 2021
月3万円ビジネス* 藤村靖之 晶文社 2020
必携!四国お遍路バイブル* 横山良一 集英社新書 2006
山頭火と四国遍路* 横山良一 平凡社コロナブックス 2003

2022年3月27日日曜日

春だ
桜も一気に開花
京都に人が戻ってきた
それでも、ピーク時の三分の一くらいだろうか
混み混みはいやだけど、街が活気を取り戻してくるのは嬉しい
客人がやってくるというので久しぶりに街中に出る
イノダ本店で待ち合わせ、一緒にブランチ
錦市場を通り抜け、MARUZENを覗き、鴨川に出る
まるで観光客として京都を歩いているようだ

MARUZENの平積み台で妙な本を発見
地球の歩き方x月刊ムーだって
この企画を思いついた人天才だね
つい財布の紐が弛んでしまった




2022年3月23日水曜日

デジャヴ

机代わりに使っているコタツの上が乱雑になっている
このところ連句の宿題が複数回ってきていて、日夜、呻吟しているのだ
季寄せに下書き用の紙とペンの類
おまけに、遍路関連の書籍
この散らかった風景どっかでみたことがある
このデジャヴ感
そう、晩年の父の部屋と瓜ふたつではないか
訪ねていく度に、この混雑なんとかしろよ
などと心のなかでつぶやいていた
あら、同じ穴の狢だったとは

2022年3月16日水曜日

韓日ダンスフェスティバル1995

韓日ダンスフェスティバル1995のDVDが回ってきた。
1995年、つまり27年前の映像。
室野井洋子さん、森(竹平)陽子さん、ふたりとも美しい。
楽屋でカメラに収まっている松井くん、榎田くんのハンサムぶりに驚愕。
え、こんなに男前だったっけ。

近々、等持院稽古場で上映会やります。

↓  当時の文章が出てきたので蔵出ししておきます。


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あざみ野通信 071 1995.11.13
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 韓国公演のための稽古をやっている最中に、何度か稽古場に足を踏み入れたことがある。なんとも形容しがたい空間がそこにあった。舞踏の室野井洋子さんと日舞の森陽子さんが一緒に踊る。こういう組み合わせは稽古場以外では考えられない。ダン先生曰く、室野井さんの踊りは、客体を消し、内観的身体だけを動かすもの、一方の森さんは逆に内観的身体を消し、客体だけを動かしていく踊りだと。僕が最初に稽古場で感じた、この形容しがたい空間はソウルでも出現した。そういう意味では、この公演は大成功と呼べるのではないか。踊りというものを「自己表現」として扱っている公演者が多かった中、稽古場組の出し物は異質だったと思う。「感応を用いた空間芸術」とでも呼ぶべきものだ。人は、その空間に形成される空気を感じることによってのみ、それを味わうことができる。

 室野井さんに「表現する自分というものを意識していますか」と訊いてみた。「昔は、あったかもしれないけれど、今はない。料理をつくるのと同じ感覚で踊っています。下拵えをして、それを横に置いて、次の作業に移り、といった感じです」なかなか説得力のある答えであった。ソウルでの公演を見ているとき、「室野井さんはプロだなあ」と、ふと思った。なにをもってしてプロというのか、そこのところははっきり意識しなかったが、あとで考えると、舞台の上で何が起ころうと、すべて自分一人で背負ってやるという心意気、覚悟、そんなものを室野井さんの姿から感じたらしい。かといって、気負いとは違う種類のものだ。

(1995/11/1記)

2022年3月15日火曜日

はじめの一歩

四国遍路を発願したのは十年前、311の翌年のことである。(遍路) その年の初めにふと思いつき、準備万端整えて出発寸前まで行ったのだが、実現しなかった。あれから十年。今の方が、出立する機は熟したといえなくもない。なんせ、ここ十年の間に、どれだけ多くの身近な人たちが鬼籍に入ってしまったことか。2013年の暮れに義姉のお亨さんが亡くなったのがはじまりで、翌年には竹居先生、裕介先生、妻睦子、父公一とたてつづけに近しい人たちが逝ってしまった。僕が京都に居を移した2015年以降も室野井さん、小杉さん、剱持さん、吉木さん、去年には栗田くん。親戚友人関係でも雅弘さん、修平さん、彰一くん、小栗栖さん、平田さん、そして先月には真海和尚まで逝ってしまわれた。そして伸幸くん。その他大勢。そりゃ、誰もいつかは居なくなる。ここに挙げた人たちがたまたま先に行ってしまっただけのことで、三年後、五年後、僕自身どっちの側にいるかわからない。そんなことを思いながら最初の一歩を踏み出した。

2022年3月14日月曜日

お遍路見習い

目覚ましを二時間早め遍路旅

朝6時に起き出して、京都駅発7時50分の高松行きの高速バスに乗ったら、11時には一番札所である霊山寺に到着。門前で遍路用品を買い求め、お参りの手順をお店の人に一通り教えていただき、そこから見習いお遍路開始。般若心経読むなんていつぶりだろう。納経帳にも朱印を捺していただく。二番札所に向かう途中、大麻比古神社の案内を見て、阿波の国にご挨拶と北に向かって歩く。同じ道を戻り、車道沿いに極楽寺へ。さらにこんどは、旧街道を三番札所の金泉寺を目指す。代わり映えのしない、昭和の空気を残したひなびた道。向こうから、スタスタと歩いてくる遍路姿の中年男性とすれ違う。ということは、逆打ちで回っているのだろうか。旧街道を歩きながら、「先を急ぐことは遍路の本分ではない」ことに気づく。

グーグルに道訊ききながら遍路行

金泉寺到着。ここからJRで徳島駅経由高速バスで京都に戻るつもりにしていたのだが、時計を見ると、まだ2時半。あと二つくらい回れそうと、最終便の高速バスを予約してから腰を上げる。四番札所の大日寺に向かう道は途中から山の中をたどる遍路道となる。登り坂ということもあり、思ったより時間がかかる。道標の距離が示す距離が減らない。大日寺に着いた頃には空気が冷たくなりはじめ夕方の気配。徳島駅行きのバスの時間が気になり始める。慌ただしく読経を済ませ、納経帳に御朱印をいただき、ちょっと急ぎ足でーすでに遍路の本分を失念ー五番札所の地蔵寺を目指す。下り道。地蔵寺にて今回のお遍路行はおしまい。次回来るときは、この地蔵寺からはじめることになる。羅漢というバス停から徳島行きのバスに乗車。

日帰り遍路なんてもったいない。
でも、とにもかくにも、最初の一歩を踏み出した。

冒頭の句、連句仲間三人ではじめた三吟の発句に取り上げていただいた。


2022年3月8日火曜日

脱液晶画面

 久しぶりに総武線に乗った。ひと昔前なら、紙に印刷された広告が掲示されていた窓上の場所に液晶モニタが埋め込まれている。しかも三画面。数年前までなら、ドア上にあるだけだった液晶モニタが、車両全体に広がっている。つり革につかまって立っている乗客からすると否応なしに視線が広告の流れているモニタに向かわざるを得ない。紙の広告であれば、目を閉じれば消える。しかし、液晶画面の上で点滅する広告は目を閉じても消えない。これでは逃げ場がない。ちょっと吐き気がしてきた。

 連れ合いが脱携帯電話を試みている。携帯は持ち歩かない。家にいるときも電源は入れない。連絡手段は家でんにする。携帯電話が普及したのは、ここ20年のことだから、時計の針をその時間巻き戻そうというわけだ。はじめて一週間ばかりたつが、「時間が増えた」とおっしゃる。たしかにそうかもしれない。一番影響を受けているのは私だ。彼女とのLINEでテキストメッセージをやりとりすることが消え、家でんを介しての音声通話と台所のメモ書きが伝言の手段となった。僕自身の時間も増えた。

 総武線の電車の中で感じた不快感は、キューブリックの「時計じかけのオレンジ」の一場面を思い起こさせる。そう、瞼を無理矢理こじ開けられ、不愉快な映像に晒される矯正教育のシーンである。朝起きては、iPadを開けてメールをチェックする。大半は、無料登録したサイトからのメルマガ。これらをゴミ箱に入れる。ニュースアプリを開けて、最新ニュースを見ているうちに、有名人のゴシップ記事に誘導されていたりする。これではまるで、自ら進んで、総武線の広告モニタに見入っているようなものではないか。

 デジタル機器との付き合いかたを検証中。

2022年3月5日土曜日

聴く稽古

月末三日間の稽古は「聴く」稽古でもある。おそらく稽古時間の半分は講話に充てられているから、その時間、僕はひたすらかすかに聴こえてくる師匠の声に耳を傾ける。基本、師匠の声は小さい。ピンマイクとアンプで拡大された声もなかなか僕には届かない。音のかたまりとしてやってきても、それが言葉として像を結ばない。断片的に聴こえてくる単語から、何について話されているのか類推していくしかない。まるで、圧倒的に語彙の少ない人間が外国語の海に放り出されたようなものである。僕の中にある三十年分の膨大なデータベースに照らし合わせて、内容を察そうとしていくのだが、無力である。もう、師匠の話は十分聞いたから、もういいではないかという兆なのだろうか。それでも三日間出ると、新しい発見があり、実際、身体も変わっていくから、苦行とはいえ、この稽古会を外すわけにはいかない。そもそも、この稽古会に出るために居を京都に移したのだから。かすかに聴こえてくる声をBGMに妄想の世界に入っていくことも多い。でも、全体的な集注感だけは増している。これもまたたしかなのだ。

2022年2月28日月曜日

2月の読書

菌の声を聴け* 渡邉格・麻里子 ミシマ社 2021
アーモンド* ソン・ウォンビョン 祥伝社 2019
くらやみに、馬といる 河田桟 カディブックス 2019
カーテンコール* 加納明子 新潮社 2017
世界のおすもうさん* 和田静香・金井真紀 岩波書店 2012
ポルトガル-小さな街物語* 丹田いづみ JTB 2002

2022年2月23日水曜日

千の抽斗(ひきだし)

ふたむかし前のことだ。日曜日に本部稽古場でやっていた初心者向けの稽古会に顔を出したことがある。そのぬるさに驚いた。動法をすっ飛ばして稽古している。「放し飼いにしている」と師匠は笑っていたが、動法なしの内観なんて宝の持ち腐れではないかと憤慨した覚えがある。

自分がたどった道筋をなぞるように教えていこうというのは、教える者の習性みたいなものかもしれない。まず動法ありき。動法なき稽古場はありえない。これは今でも正しい。基本はすり足であり、坐法であり臥法である。だが、それをいっと最初に持ってくる必然性があるのかどうか、今となっては、ちょっとあやしい。

千の抽斗があったとしても、普段使いしているものは十にすぎず、この十個を組み合わせながら日々稽古していることに愕然とする。人に適わせてふさわしい抽斗を開ければいいものを、知らぬ間に開ける抽斗の数が限られてきて、開ける順番も自分がたどった道筋をなぞろうとしている。ひとつの稽古を深めるといえば聞こえはいいが、その実、習慣性というループにはまっている可能性も大いにある。

せっかく千の抽斗があるのだから、組み合わせはもっともっと自由であるはずなのに。

2022年2月7日月曜日

千の技法

三十年の間に千の技法がうまれ、千通りの体験をして、千の新しい語彙を得てきた。それらは野口晴哉の技法と紐づけられ、整体の世界が再構成、再定義され、その世界が古典世界と響き合っていることに驚き、そのような感覚世界と言語空間の中に踏み入り暮らしていくことを僕らは「整体」と呼ぶようになった。

2022年2月1日火曜日

20冊の本

先月の石川。読む本がなくなって駅ナカの書店を覗いた。北海道の地方都市の小さな書店主がはじめた著者と読者をつなぐ「一万円選書」(岩田徹 ポプラ新書)という挑戦について書かれた新書を見つけた。滅法面白い。1ヶ月百名限定で、その人が読んだらよさそうな本を一万円分店主自ら選び、異存がなければ買ってもらうという試み。事前に調査票(選書カルテと呼んでいる)を出してもらい、それをもとに本を選んでいく。店主が提示する本の数々。びっくりするくらい、僕のアンテナに引っかかったことがないタイトルが並ぶ。一年百冊x60年として6千冊くらいの本は読んできたはずだけど、世に出回っている書籍の数からいえば、ほんと氷山の一角どころか、砂漠の数粒の砂に過ぎないことがわかる。「これまで読んできた本の中で印象に残っている本をベスト20を教えてください」という設問がある。さて僕なら、どの本を選ぶだろうと、わが読書歴を振り返ってみるのだが、20冊挙げるというのが、とんでもなく難しいことに気づく。僕など、読む端から忘却していく人なので、覚えていない。子供の頃から時系列に思い出そうとするのだが、5冊しかでてこない。1) 地底旅行(ベルヌ)、2) コンチキ号漂流記(ヘイエルダール)、3) なんでも見てやろう(小田実)、4) 荘子、ときて、いきなり直近で読んだ 5) 分解の哲学(藤原辰史)に飛んでしまう。20代以降、いったいどんな本を読んできたのだろう。この「一万円選書」、ブックガイドとしても秀逸。いつか、一万円選書、お願いしてみたい。まずは、ベスト20を選んでおかねば。

2022年1月31日月曜日

禁糖2022

1/31
15日目。禁糖終了。
さてどこから戻していこうか。コーヒー、ではなく蜂蜜を舐めたい。薄切りした全粒粉パンをトーストし、バターの上に以前新潟の山田さんが送ってくれた日本蜜蜂の蜂蜜を塗って噛り付く。

1/30
14日目。もう終わりが近いはずなのに、ぐずぐずしている。
チーズ、バナナといった輸入品に頼りすぎなのが問題?とつれあいと話す。
地産地消の方がよいのか??? さて。

1/26
10日目。中指の方がなじんでいる。順調。
量の適さえ間違わなければー存外ここがむずかしいー早く終点にたどり着けるかも。

1/24
8日目。後半戦突入。
腹の第二を見ると、まだ薬指の方がなじむ。
急に肩周りが動きはじめた。春だな〜。

1/23
7日目。禁糖淡々と進行中。
禁糖についてはさんざん書いてきたから()付け加えることとくになし。
度合の適を取り戻すためにやっているので、食べ過ぎちゃったら洒落にならないと自戒。
機度間の適を求めるのが整体であるとすれば、たしかに度というのは、そのベースになる。

1/20
禁糖4日目。
今回も助走なしに「うん、今日から」と唐突に始めてしまった。
このところコーヒー中毒みたいになってたのだが杞憂に終わる。
食欲旺盛。やたら腹が減る。

1月の読書

マル農のひと* 金井真紀 左右社 2020
パリのすてきなおじさん* 金井真紀・広岡裕児 柏書房 2017
コロナの時代の僕ら* パオロ・ジョルダーノ 早川書房 2020
ギフトエコノミー* リーズル・クラーク レベッカ・ロックフェラー 青土社 2021
手から、手へ* 池田昌樹・植田正治・山本純司 集英社 2012
責任の生成* 國分功一郎・熊谷晋一郎 新曜社 2020
月3万円ビジネス100の実例* 藤村靖之 晶文社 2016
「線」の思考* 原武史 新潮社 2020
ディス・イズ・ザ・デイ*  津村記久子 朝日新聞出版 2018
一万円選書 岩田徹 ポプラ新書 2021
アドルフに告ぐ* 1〜4 手塚治虫 文藝春秋 1985

*は図書館から借りて読んだものです。

2022年1月24日月曜日

マスク、パティション、セルフレジ

コロナ禍で増えたもの三つ
交換接触同調の拒絶
それらを担うプラスチックたち
ひとはコロナで死なずとも、プラスチックに埋もれて滅びるにちがいない
ワクチン義務化の動きも海外では始まっている
リベラルを標榜している政治勢力がワクチン推進派で、
右派勢力の側が慎重派というのが面白い
リベラルと目される論客たちが、ワクチン接種の旗振り役となったのは日本も同じ
科学主義対反知性主義の争いなのか?
ほんとうの知性はどこに行ってしまったのだろう
結局、自分をつなぎ止められる陸地はどこにもなく、
海賊放送局のように海の上を漂うしかない

2022年1月13日木曜日

始動

 年末年始を京都で過ごした娘一家を千葉まで送り届け、そこから北陸新幹線で金沢へ。今年も白山稽古会が稽古始めとなりました。去年は石川で大雪に見舞われ、三日間足留めを喰らったのですが、石川は雪もなく拍子抜け、無事京都に帰り着くことができました。
 等持院稽古場が動きはじめたのは10日から。年末年始の過酷な合宿生活の疲れをひきづりながらの始動でしたが、静かな稽古生活がゆっくり戻ってきました。今週末くらいから、少しづつギアを上げていきます。

 図書館にもやっといけました。今月の読書予定の本たち。