2022年10月31日月曜日

10月の読書

ハングルへの旅 茨木のり子 朝日文庫 1986
隣の国のことばですもの-茨木のり子と韓国 金智英 筑摩書房 2020
みんなが手話で話した島* ノーラ・E・グロース 築地書館 1991
JKインドで常識ぶっ壊される* 熊谷はるか 川手書房新社 2021
忘却についての一般論* ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ 白水社 2020
「その他の外国文学」の翻訳者* 白水社編集部編 白水社 2022

2022年10月21日金曜日

リペアカフェ

 龍安寺商店街にあるカフェで「リペアカフェ」やることになったので一緒にやりませんかと誘われた。壊れた品物を持ち寄って、修理し、ほしい人に回すという、リサイクル市に「修理」という要素が加わったようなものらしい。元ラジオ少年として、簡単な修理はできそうなので、工具類を持って参加しようと思っている。興味のある方はどうぞ。
 日時 11月3日 10時〜15時。
 会場 HOME



2022年10月17日月曜日

AI時代の言語学習 2

 10/14 某語学学校見学。中級1のクラスを薦められたが、テキストをみると難しそうなので、初級2のクラスを見学。生徒の年齢層はやや高め。6人くらい集まっている。先生の声は聞き取れる。連用形の活用をテキストに沿って進めて行く。テンポよくというか、僕にはやや速すぎる。受講者との会話形式でのやりとりになると、皆さんの声が小さくて、やりとりをフォローできなくなる。ちょっと、この流れについていくのは無理だな〜。生徒の役割を演じるには、僕はもうすれっからしだし。90分マスクつけっぱなしというのもきつい。ということで、語学学校での韓国語学習は却下。こうなると自分用のカリキュラムを作るしかない。まあ、カリキュラムを作ることに関してはプロなんだけど。

というわけで、自分用のカリキュラムを考案することにした。
A ) 名文と呼ばれている平易で美しい韓国語のテキストをみつけてくる
B ) テキストをネイティブに読み上げてもらう
C ) テキストを書き写す 自分で声に出して読む
D ) テキストを辞書を引きながら訳していく
E ) 知らない用法を文法書を参照して、あるいは上級者に尋ねて学んでいく

なんだ昔ながらの寺子屋スタイルではないか。
でも、これを実行するためには、ふさわしい助言者が必要だ。
アドバイザー募集します。

2022年10月13日木曜日

AI時代の言語学習 1

 勢い余って、語学学校見学の申し込みをしてしまった。いえ、あくまで「見学申し込み」です。耳は遠くなり目はかすみ、着実に老化が進み、しかも、コロナの影響でマスク着用がデフォルトになっているこの状況で、はたして語学クラスへの参加って可能なのだろうか? 四十年ぶりに韓国語熱が再燃していることはたしか。これも、「韓国文学の中心にあるもの」を読んだせいである。でも、なんで、韓国語クラスに一気に跳んでしまうのか、自分でもよく理解できてない。七十になって、思っていたよりも残された時間は長いかもしれないとふと思ってしまったことが後押ししていることは間違いなさそう。

 韓国語の辞書など、とおの昔に手放してしまった。ただ、40年前と語学学習の環境は様変わりしている。インターネットのせいであるというか、お陰であるというか。翻訳サイトをつかえば、日本語を入力すると、すぐに韓国語が出力され、読み上げてくれさえする。至れり尽くせりというほかない。韓国映画だっていくらでも観ることができる。こんな環境があれば、独習だって可能だろう。オンラインレッスンという道もある。ただ、それらが身体性を欠いている限り、メインの学習法に据えようがない。

 ともかく明日見学行ってくる。

2022年10月11日火曜日

ゴーヤ白書2022

4月13日 ゴーヤの苗を稽古場窓下の土に植える
7月16日 ゴーヤ第一号収穫 素麺会でチャンプルーにして出す
8月10日 第一期収穫期終了 ここまで19個収穫
8月25日 第二期収穫期はじまる
9月5日   30個目収穫
9月14日 50個目収穫
10月9日 おそらく最後の収穫 66個目
10月11日 引き抜く 根本から突端までの長さ10メートル 総重量5.4キログラ

これまで4年続けてゴーヤを植えてきたが、かつてない収穫数
ただし、後半収穫したものは、小ぶり
半数は自家消費 ゴーヤメニューが増えた
酢漬け チャンプルー(油揚、豆腐、卵、豚肉)、ゴーヤチップス、干しゴーヤ
残り半分は知人友人にもらってもらう
感謝しかない



身体観 3

 ソマティックの会無事終了。予想参加者数が25名(主催者の勘)というので、2本同時並行セッションの裏番組に当たる僕の担当稽古への参加者数を10名と見込んでいたのだが、蓋を開けてみると、リアル会場に50名近くが足を運び、裏番組ながら27名の参加者があった。「意志の届かない領域のことを体と呼ぶ」をテーマに団扇を使った「かくす・かくされる」の稽古。リノリウムの床に立った状態で稽古するという、ありえない環境下、75分の稽古はあっという間に終了してしまった。

 前稿「身体観2』では、技法ー身体観ー世界観の関係について考えてみたが、今回のフォーラムで取り上げられたハクスリーの場合、三者の繋がり方が違っていて、自分の世界観を、その途上で出会ったアレキサンダーテクニークなどの体験やインド哲学を取り込んでいくことで構築していった、という流れのようだ。思索家らしく精神から身体への方向性は明らかで、日本のソマティック心理学というのも、この方向性を踏襲している。ぼくが感じた違和感は、この方向性の違いに由来しているらしい。

2022年10月9日日曜日

身体観 2

 ひとつの技法にはそれを支える身体観があり、その身体観にはそれを支える世界観がある。ソマティック心理学協会のWebページにいくと、ソマティックワークと呼ばれている、さまざまな技法が列挙されていて、そのなかほどに「野口整体」が顔を出している。つまり、大きな括りとしてボディというジャンルがあって、その中に多くの技法が包含されているという図式なのだ。

 ここにきてやっと、僕のソマティックへの違和感の源が見えてきた。それぞれの技法が、それぞれの世界観の上に立っているのであれば、その世界は技法の数だけあり、それぞれの世界の中で、誕生から死に至る生を営んでいけばいいだけの話であって、徒党を組む必要などはじめからないのだ。それとも、ひとつの技法からもうひとつの技法へ引っ越ししていく、あるいは並列させていくことが可能であると考えているのであれば、ちょっとお人好しが過ぎるのではなかろうか。整体の世界の住人として、ソマティックの会を前にそんなことを考えた。

 さて明日はなにしようか。「まなざす」がテーマなので、等持院の稽古会の人たちに付き合ってもらって、仕込みにかかったのだが、結局のところ、どう自分の体を観るかという一点に絞り込まれた。つまり、内観の世界。与えられた時間は75分。さてどこまでできるかな。

2022年10月5日水曜日

身体観 1

  「秋のソマティック京都フォーラム2022」(10月10日 主催 ソマティック心理学協会)が近づいてきたので、なにやるか思案中。そもそも、なんで呼ばれるのか謎。片桐ユズルのご指名なのでという以上の理由が思い浮かばない。三年前、やはり、この会に呼ばれたことあるのだけれど、「ソマティックス?」にも書いたけれど、もやもや感が残った。

 今回は、はからずも「まなざし」が共通テーマになっている。外の世界を見る以前に自分の体をどう観ていくか、というところから始めてみようか。つまり身体観の話。ひとつの技法の裏には、その技法を支える身体観というものがあり、その身体観の裏にはその身体観の基盤となっている世界観というものがある。内面化された支配的な身体観/世界観とどう対峙していくかという問題である。




2022年10月3日月曜日

70の風景

70になったら
どんな風景が見えるのか楽しみにしていたのだが、
思いのほか見晴らしがよい

ここまで生きれば、
もうあの人は短命だった
と言われなくて済むのもよい

気張りが抜けて
よりフラットになって
操法も上手くなった気がする

とはいえ、
耳は遠くなる目は霞んでくる
それに合わせた暮らし方を模索せねば

円が安くなって
外こもりは無理そうだから
しばらくは四国を歩くことにする

残された時間は思っていた以上にありそうで
40年中断していた韓国語を学び直そうか、などと考えはじめた
5年続ければモノになるかも

手に入れてしまった敬老乗車証
徘徊のルールが変わってしまった
バス停ふたつ分だけ乗るなんて、ありえんかったのに

古希に立ち踊場と識る秋の朝 (和宏)

敬老乗車証

敬老乗車証を手に入れしまった。
70歳って老人なのかというと微妙。古稀といったところで、生存率は80パーセントより高く、僕の世代は、もともとの母数が多いから、毎年、生まれてくる子どもたちの数よりたくさんの人間が古稀を迎えてしまう。まったく稀ではない。
これから先、適用年齢を75歳まで上げてゆき、値段も高くなっていくらしいが、年間6000円(来年以降は9000円)で京都市バス地下鉄乗り放題というのは、徘徊老人にとっては、ありがたい。これまで、バスの停留所ひとつふたつ分で降りてしまう乗客の姿が不思議だったが、この乗車証を使えば、そういうこともできるわけだ。
京都で暮らしはじめて丸7年。生活圏はどんどん狭まってきていたが、この魔法の杖を使って、未知の京都を探検していくことにする。