数年前だと、Google翻訳をつかうと、「こいつダメだー」という言葉しか出てこなかったが、近年、随分とましになった。でも、もうひと頑張り。ブラウザの翻訳機能として使われているものは、圧倒的にこのGoogle翻訳が多いのではないか。このブログの一番下にも翻訳窓を置いてあるのだけれど、これで読んだつもりになってもらっては困るというの正直なところ。
以下、Googleは【G】、DeepLは【D】、ChatGPTは【C】とする。
まず、「探究」という言葉がどのように翻訳されているか。
これは、組織のありようを表現している文脈の中で使われている。
【G】の"focus on" というのは、まあ、わかりやすい。
【D】の”centered on”というのも、気持ちはわかる。
【C】の"dedicated to"になると、なかなかという感じ。
「場」という言葉には機械翻訳も苦労したようで、
【G】は"space" 、【D】は”source of”【C】は"site"という言葉をそれぞれ選んでいる。こういうキーワードほど多義的ということでもある。
いちばん、難しかったのは「稽古」という言葉。
稽古文化学なんて言葉は、今回つくられた新造語だと思うのだが、そもそも「稽古」という言葉は難しく、というか、含意の多い単語で、”training"という単語ひとつでで代替できるものでもない。”training"であれば、"trainer"と"trainee"という役割分担が前提とされていたり、どちらかというと対面的な関係。一方、「稽古」というと、皆が同じ方向を見ているような印象。
「理」も難しそうですね。なんせ「ことわり」ですから、それに"function"という言葉を当ててしまうと機械論に逆戻りした風で身も蓋も無い。
こうやって、日本語と英語を行き来していると、翻訳しづらい部分を通して晴風学舎の特長が立ち上がってくる。「稽古」「体の理」といった言葉にどれだけ英語で肉薄できるかが、鍵になってくる。ちょっと油断すると、構築物のような英語体系に絡め取られそうになるのだけれど、ここをどう耐え、もっといえば、英語の構造そのものを変えていくくらいの気構えがないと、安易な妥協に終わってしまう。きっと、英語の古典に通じていれば、もっと重なり合う領域は増えてくるのであろうが、いかにも力不足だ。
この週末は、テキストを使った稽古もやることにしよう。