9年前の「せうそこ」を読み直しながら、道坂優さんを偲んでいる。
sunajiiの公私混同
瓦鏡庵主独白
2026年6月1日月曜日
2026年5月31日日曜日
2026年5月30日土曜日
2026年5月29日金曜日
道後温泉
お遍路をはじめた頃、松山にたどり着いたら、市内は一緒に歩くからねと、松山で育った妻に言われてから4年。ようやくそれが実現した。とはいえ、夫婦遍路というのは妙なもので、お大師さまと同行二人で歩くのとずいぶん勝手が違う。なんせ、会話しながら歩くわけで、愛媛の遍路道を歩いているのか、京都の道を歩いているのか判然としなくなる。
今回歩いたのは46番浄瑠璃寺から51番石手寺までの15キロ。その前後の距離を加えると1日の歩行距離は20キロになった。荷物は宿に預けて軽量。登り道の少ない遍路初心者コース。おまけに、石手寺のあとは道後温泉まで歩いて入浴というハイキング遍路。本来なら、このポストも遍路としたいところなのだが、二日続けて道後温泉に浸かったので、このタイトルにした。実際に入ったのは観光客で溢れる本館の隣の椿の湯。地元住民御用達といった風情の温泉。
城山に登り、松山風鯛めしもいただき、友人と旧交をあたためる。たまには、こんな遍路もあってよいだろう。
2026年5月23日土曜日
夏炉冬扇
妙心寺の塔頭を会場とした稽古会三日間を終え一息ついている。
思っていたほどの混乱もなく、むしろ順調といってよいくらいの三日間だった。
さて、どんな環境で連句の会は催されていたのか、別所真紀子の「詩あきんど其角」を読みはじめた。芭蕉門下に入り修行して立机(俳諧師となる)した其角の記録を元に小説仕立てにした一冊で江戸初期の俳諧界がよく描かれている。
俳諧界を支えているのは、裕福な商人層で、それに酔狂な武家も加わる。皆で集まり歌仙を巻き、それを選集にして版木に下ろして印刷配布する。いわば出版人でもあった。俳諧師が職業として成り立つためには、門人がいてパトロンがいてという風な、大きな経済圏が形成されていたわけだ。
俳諧師として立つためには、東西の古典の素養がなければ話にならないわけで、江戸の文化人たちの知的レベルの高さに舌を巻く。それに比べると、古典から切り離された時代に育ってしまったことを今更悔やんでも仕方がないが、十七季と電子辞書が手元にないと何もできないわが身の薄っぺらさに涙するしかない。師匠が古典に親しめ親しめと口を酸っぱくするのもわかる。稽古を深めるには、教養も深めるしかなく、近道はないということなのだ。
つまり、手遅れなのだ。そう言いながら、抜け抜けと稽古場などを開いていているのは、まだ化けの皮が剥がれてないだけの話で、人の上に立って何かを教えようとは露ほども思っていない。同行の仲間に見限られないよう日々精進するしかあるまい。夏炉冬扇とは、役に立たないものとして、芭蕉が自らの俳諧を称したものだが、無論、それは自信の表明でもあったわけで、凡人はこわくてとても使えない。
登録:
投稿 (Atom)





