2026年10月24日土曜日

図書館派だが

図書館派である。
本を増やしたくないからである。
だが、本は増えるのである。
なぜか?
結局、買ってしまうからである。
なぜ買うのか?
2週間の貸し出し期間に読みきれないからである。
手元に置いておくべき本があるからである。
すると、困ったことが起きる。
古本は別にして、まっさらな本が来る。
当たり前である。
これが困る。
なぜか?
手垢が付いてない本ははじめから読んでいくしかないのである。
図書館で借りて途中まで読んでいたとしてもである。
つまり、読書体験とは、ページをめくる作業なのである。
もうひとつある。
手元にある安心感から、最後まで辿りつかないことがままある。
つい、返却期限のある図書館本を優先させるからである。
本棚は読みかけでの本であふれることになる。

2026年10月23日金曜日

呑み込む

六双の屏風に収められた漢詩を見て驚いた。
漢詩であるからして漢字が書かれているにちがいない。
でも、漢字には見えない。
漢字がかなに呑み込まれている。そう思った。

漢字から万葉仮名がうまれ、かな文字が考案され、女手として使われ、
男たちは漢字表記に留まった。
それがいつのまにか、男手が男手のまま女手化していた。
この見立てって、書道史上正しいのか?
良寛は漢詩をどのように詠んでいたのか?
専門家に一度訊いてみたい。
日本語おそるべし。

【追記】購入してきたカタログに収められている写真を眺めると、上に記した「かなにハックされた漢字」というニュアンスが希薄であることに気づく。実物とコピーの違いは大きい。


2026年10月22日木曜日

理会

 折口信夫の「日本藝能史六講」を読んでいるのだけれど、折口の言葉の使い方がすごく興味深い。たとえば、今では「理解」と書くところを「理会」という字を当てている。「ことわりをほどく」のか「ことわりとあう」のか。同じ「かい」でも「解」と「会」では、だいぶ印象が違ってくる。

 池澤夏樹が「日本語のために」のなかで、こんなことを書いていた。「right」の訳語としては、「権利」よりも「権理」の方がふさわしかったのでないかと。「利」の字を当ててしまったがために、「権利」は声高に主張するものになってしまったのではないかと。

 漢字ひと文字が背負っている歴史が、造語の中に滲み出てくる。連句を作っていても、そこを「柔らかい」と漢字を使うのか、それとも「やはらかい」とかな表記にすべきか、いつも迷う。言葉はむずかしい。



2026年10月17日土曜日

Art of Unlearning

 千葉に来ている。娘の机に置いてあった、五味太郎の「勉強しなければだいじょうぶ」という本をパラパラとめくっていたら、「中国の友人に、勉強という言葉は、無理して頑張るという意味で使うと教えてもらった」(p.19)という一文に行き当たった。これは別に、中国だけの話ではなくて、日本だって同じようなものだ。

 勉強が好きな人は多い。小学校中学校で優等生だったか僕なんかも、「勉強好き」だったと思う。でも、これって学校という明治以来の制度によく適応できていましたというだけの話でしかない。むしろ、その勉強好きを壊すことを20代から70代のにいたる今日までやってきた気がする。

 整体をお勉強にしている人は多い。勉強ってなんなのかを一言でいえば「体がない」。人間のことを知ろうとしているのに、そこに体がなければ、いくら勉強しても人間にはたどり着けない。こんなこと当たり前のことなのに、それに気づくまで10年20年かかったりする。それくらい、勉強=学校化の呪縛力は強い。

 もし、僕が今から本を一冊書くとすれば、タイトルは「Art of Unlearning」にする。



2026年10月16日金曜日

富士山

富士山拝むのひさしぶり。
いや、東海道新幹線乗るのもひさしぶりだ。


t

2026年10月14日水曜日

To Members Residing Overseas

Doho Internationalのページに、海外在住会員の手引きー"To Members Residing Overseas"の非公式訳(英語)を掲載しました。公式日本語版については、晴風学舎にお問い合わせください。

https://dohokids.blogspot.com/p/overseas-members.html

綾子舞

数日前から綾子舞のお囃子が家の中で鳴り響くようになった。

ブラジルからやってきているJulianaのアテンドとして綾子舞の稽古に付き添った妻がその場でその会への参加を決めたという。YouTubeで毎年柏崎で開催されている公開の会の映像を見つけ、そこから音声を抜き出して渡したら、iPod でひたすら聴いている。その何週か前に僕自身がJulianaに付き添い、はじめて綾子舞の稽古風景にふれ、その素朴な美しさに出会った感動を妻に話したこともきっかけになったのかもしれない。

1990年代、稽古場が立ち上がって、まだ間もない頃だったと思うのだが、北海道教育大の進藤貴美子さんたちがやられていた民俗舞踊研究会(この名称だったかどうかは不明)の人たちが稽古場に集まってきていた時期がある。大半は大学で教える体育教師たち。裕之先生が、日本文化としての動法を唱えはじめていた時期とも重なる。その付き合いは10年くらいは続いたのではないか。その過程で、進藤さんの生徒だった栗田完さんが、本格的に稽古会に加わるようになり、動法教授資格者となっていった。私にとっては、西馬音内盆踊り、早池峰神楽といった、東北に伝わる伝統芸能への得難い案内役だった。

京都の綾子舞の会を主宰されている方は、上述の進藤さんの系列に属する方で(おそらく)、稽古場の指導者仲間でもある。彼女が綾子舞の会をやられていることは以前から承知していたが、その綾子舞を目撃するまで十年もかかってしまった。これはJulianaのおかげ。進藤さん、栗田さんと、つながりつながって、そのつながりが、海外からの客人を媒介として、僕のすぐ隣にまでやってきた。長生きはするものだ。