2026年7月23日木曜日

フィールドノート 1

 このブログは何なのか。日記でもないし、稽古会の宣伝をする場でもない。うーん、ひとことで言ってしまえば、これは僕のフィールドノート。というのも、このブログの始まりをたどっていくと、40年前、1986年の「宇奈根通信」にたどり着くのです。京都から東京に引っ越し、そこから関西の知人友人たちに送った便りのタイトル。これが元々の元ということになる。じゃあ、フィールドは何ですかと問われると、「異文化としての整体協会」と答えることになる。そう、僕は整体協会事務局に入社するために東京に引っ越したのでした。あれから40年経ってしまった。宇奈根通信はワープロ+コピー+郵便で成り立っていた、当時の言葉でいうミニコミ、今だとZINEとでも呼ぶのか。50部くらい作っていた。

 なんで整体協会が異文化なのかというと、京都で僕が暮らしていたのは、京都の中の英語日本語ちゃんぽん文化圏で、実際には、こっちの方が異文化なのだけれど、整体協会に入るってことは、100%ガチな日本社会に脚を踏み入れるということで、それなりに緊張して入社したのです。宇奈根通信の第一号に、「英語世界から敬語世界へ」というフレーズが出てくるのですが、まさにそんな感じ。しかも、整体協会って、フィールドワークするにふさわしい奥の深い異国だったのです。

つづく

2026年7月22日水曜日

稽古会情報

受付に置かれた稽古会の種類の多様さに驚く。
古式泳法に気韻発生、はたまた2回目の回り稽古。
とうとう米子でも合同稽古会をやるらしい。
そのうち、特別稽古会一覧ページを作らねばと思って、晴風学舎のウェブページを念のため見にいったら、稽古会情報が拡張されていた。→ 晴風学舎の稽古会
これをどう発展させられるのか、注目しておこう。このページから数が2倍に増えたひとつひとつの稽古場たどり着く道筋はまだ作られてないわけですからね。ま、容易にたどり着かれても困るのだけれど…。写メをメールしたら、自動的に各稽古場のページにアップされるといったシステムの構築は難しくないと思うのだけれど。




2026年7月20日月曜日

苦行

日本-オランダ戦が妙心寺での稽古会の初日。
そしてアルゼンチン-スペインの決勝が、これまた妙心寺での稽古会の初日。
嫌がらせか。

アラームかけてないのに4時前に目が覚める。
スペインのサッカーは美しい。
球離れが異様に速い。

ハイドレーションブレイクは、見る側の集注を削ぐ。
おまけにハーフタイムショーだなんて。
ワールドカップ観るのこれが最後かも。

90分で決着つかず延長線へ。
アルゼンチン、ここまでシュートゼロ。しかも、ひとり足りない。
延長後半開始直後にスペイン、20本目のシュートで得点。

最後まで目が離せない。
そのままタイムアップ。
すごい試合だった。

蝉が鳴きはじめている。
今日も暑い日になりそう。

2026年7月19日日曜日

酷暑

明日から三日間、妙心寺での稽古会。
天気予報をみると恐ろしいことになっている。



2026年7月18日土曜日

旅学

 夏のこの時期になると旅心が付くのは、十代の頃、夏休みに入るたびに、リュックを背負って出掛けていた名残なのだろう。流石にこの歳になり、しかも猛暑日が続くと、出掛ける気力も失せ、せいぜいが図書館に行って旅の本を借りてきて読むくらいである。

 宮本常一が観光文化研究所(観文研)を立ち上げたのが1966年で、その活動は1989年まで続いたとある。数十年後、その活動を機関誌「あるくみるきく」を国会図書館に通って読み通し、修論にまとめたものが、さらに一般向けの書籍となって姿を表したのが、この一冊。宮本常一の旅学が、観文研の活動を通して、どのように若者たちを鍛え育てていったか。その過程を観文研に集った元若者たちをインタビューすることで浮かび上がらせている。その元若者たち多くは団塊の世代。ぼくより、ちょっとだけ上の世代にあたる。




2026年7月17日金曜日

ゴーヤ1号

グリーンカーテンとして植えたゴーヤ、今年も順調に葉を茂らせてくれている。
ゴーヤ1号を発見。去年は豊作だったけれど、今年はどうだろう。
苗をいただき、ゴーヤの隣に地植えしたオカノリも屋根に届く勢い。
ヘチマは、のんびり蔓を上に伸ばしてきている。はたして、実を収穫できるくらいまで育ってくれるか。



蹲踞

原稿書きしているなかで、稽古場最初期の動法の稽古、「蹲踞」に触れた。
「蹲踞」ってどうやってたんだっけ、と思い出しながら、この春から再開した動法基礎のコマで、女子2人を相手にやってみることにする。

冷房を入れてるにもかかわらず、3回やると汗が吹き出してくる。夏を乗り切るには、こういう汗をかかなきゃねとひとりごちながら、稽古を先に進める。

まずは、跨ぎの動法。うつ伏せに臥している人に跨り、そこから背中に手が届くくらいまで腰を下ろしていく。そして、またぎかえる。

こういう動きの稽古も楽しいけれど、ちょっとだけ内観を入れてみる。随伴行気をやってみて、どれで引き込まれるように腰が降りていくか。なるほど、同調を用いることで、「自分」という枠を拡げていく、あるいは壊していく。

そうたいした動法はやってないのに、脚の付け根が痛いとか、あれこれおっしゃる。ここでいう筋肉痛って、束になって凝り固まっていた糸が解けていく現象と理解すべし。

夏は汗をかこう。