2026年8月29日土曜日

糸瓜

ヘチマの花が咲いた!
百均で買ってくる台所用のスポンジは、マイクロプラスチックとなって下水に流れていく。ならば、それをヘチマで代替しようとこの春から挑戦してきた。種を買ってきて発芽させる。芽が出たと思ったら、虫にやられる。苗になった段階で地植えに変えると、また虫にやられる。こんなことを繰り返しながら、なんとか、鉢植えから一本、地植えから一本、それぞれ蔓を上に伸ばしはじめた。ヘチマのの葉はゴーヤに比べると大ぶりで美しい。さて、実をつけるところまでたどり着けるか。

ちなみに、糸瓜は晩夏の季語。先週の筆動法の時間に書いてみた。





2026年8月28日金曜日

順調

目覚めはゆっくりだ。
生理的欲求で目を覚ますのだが、その欲求の現れ方がずいぶんゆるやかになってきた。トイレに駆け込むわけでもなく、慌てて冷蔵庫のドアを開けるでもない。家人が巻いてくれている煙草に火を点け、ゆっくり煙を吸い込んでいく。これが目覚めの儀式。

順調に老いている、と我ながら思う。
行動半径は日に日に縮まってきている。暑さのせいもあるけれど、人の多い街中に出るのは億劫だし、徒歩20分のコープに行くのさえ面倒くさい。石川も遠いが、月一回のことなので頑張って行く。東京千葉はさらに遠い。先日の整体観法講座も欠席。

耳はますます遠くなる。
集団のイベントへの参加にも腰が引ける。かろうじて、三日間の稽古会には出ているが、果たしていつまで続けられるか。耳が遠くなるということは、耳からのインプットはもう十分ですよと体が言ってるわけで、むしろ、集団からは身を引いて、ひとり思索にふける、来る人だけを相手に稽古する段階に入っているように思う。

と言いながら隠居への道は遠い。

2026年8月25日火曜日

日本語のために

ちょうど十年前に河出書房新社から刊行された池澤夏樹編日本文学全集の最終巻。
これは面白い。古本屋で半額で買えるから、今のうちに手に入れておいた方がよい。
先人たちが日本語をどのように成り立たせようとしてきたかという奮闘の記録が500頁に詰め込まれている。どの頁を開いても面白い。






フォルダ

人の人生に自分から踏み込むことはしないが、人の人生がやってくることは、ままある。体の中には過去というフォルダがあって、さまざまな経験の断片が時系列おかまいなしに放り込まれているようで、その中で断片たちは勝手に繋がり、勝手に成長を始めるらしい。

2026年8月24日月曜日

帰還

ここ数年姿を見せなかったヤモリを台所のすりガラスの向こう側に発見。
台所の窓はヤモリの狩場になっていたのに、狩られていた蛾の姿も最近見ない。



2026年8月22日土曜日

マルチリンガル・コミュニケーション

晴風学舎のマルチリンガル・プラットフォームについて考えている。
今は自分が見ているウェブページを、そのまま他言語に翻訳してくれる。
最近、PDFさえホームページ上で変換されることを体験してびっくりした。

マルチリンガルでウェブページを運用する場合、日本語、英語のバイリンガル運用をまず考える。英語以外の言語は付け足しというか、日本語と英語を並列させ、西欧言語であれば、英語の定番から翻訳をすることになる。はたして英語を定番言語として扱うべきなのか、それとも、英語も含め多言語をフラットに扱うべきなのか?

日本語と英語のギャップについては、以前このブログでも書いた。

つまり、英語の定番文章を作ることも、なかなか難しい。
であるのなら、誤訳誤読を前提として、プラットフォームを作って良いのではないかという結論にたどり着く。日本語と他言語に翻訳された文章とのギャップを埋めていくプロセスそのものが、稽古になりうるのではないかということだ。

SNSには翻訳機能を持つものが多い。つまり、日本語だけの人と、ポルトガル語だけの人がいたとして、この2人はそれぞれの母国語だけを使ってSNS上で会話可能になっている。それがはたして会話なのか、見かけ上の会話なのか、こればっかりは実験してみないとわからない。

ここまで書いてきたことはAIの利用を前提としているわけだけれど、AIについては思うところも多々ある。この世界にどのように踏み入っていけばよいのでしょう。

2026年8月21日金曜日

稽古日程9月〜

9月から集団の稽古を増やします。
火曜日 11時〜13時 生観法基礎 月3回程度の開催になると思います。
随伴行気、観点といった基礎的知識も学べる会にしたいと思っています。

ブラジルから女性ひとり稽古にやってくる予定で、その方が参加の場合(おそらく全コマ?)、バイリンガル運用になります。

稽古日程 ↓