2019年11月11日月曜日

冬支度

グリーンカーテンを外し(9メートルにまで育っていた)、
火鉢に炭を入れ、ガスファンヒーターを箱から出してきて、点火を確認する


2019年11月7日木曜日

高度経済成長

経済学の本を立て続けに読んでいる。宇沢弘文を読んでいるというべきか。「資本主義と闘った男」(佐々木実著)は、宇沢の生涯を追いかけた600頁を超える力作。ケインズもマルクスも読んだことのない、経済学の素人にとっては、よき経済学の入門書であり、どのような経済学理がどのような歴史的背景の中で生まれ、それぞれの学理を主張する人間たちが、どのように覇権争いを演じていたか。そして、宇沢自身、これらの流れの真ん中にいた。

高度経済成長期とはどのような時代であったのか。その時代を経ることで、日本人の身体はどのように変容していったのか。僕自身の興味は、ここに絞られてきたようにも思う。日本の高度経済成長期とは、1954年から1973年の間を指すようだが、1952年生まれの僕は、まさに、この高度成長とともに成人したのだ。宇沢弘文は1956年から12年間におよぶ海外での研究生活を終え、1968年日本に帰ってくる。高度成長期の日本を留守にしていた経済学者宇沢の目に、豊かさに踊る日本はどのように映ったのか? 宇沢が目撃したのは豊かさと対極にある国土の荒廃であった。

晩年の父と付き合っていて、その年金額に驚いたことがある。公務員を長年務めた結果ではあるのだけれど、なんで?という疑問は消えなかった。高度成長期を担ったのは、まさに父の世代で、太平洋戦争が終わったときに二十歳くらいだった人たち。どうして、彼らの年金額は、ぼくらが受け取れる額よりはるかに多いのかという疑問に対する自分なりの解釈は、高度成長期を通して、それまで換金することなどできなかった環境・公共物といったものをお金に換えてきたからだというもので、おそらく、大きくは外れていない。この換金できないものこそが、宇沢が経済理論に取り込もうとしてきた社会的共通資本というものに相違ない。

高度成長期が終わったとされる1973年、ぼくは高専を卒業し、同じ年、海外へ飛び出すことになる。この選択は、高度成長によって「豊か」になったからこそ可能となったものでもあった。1ドル300円の時代である。


2019年11月1日金曜日

稽古日程 11月〜12月

最新版はこちら
下記カレンダーはクリックすると拡大されます

・12月は、個人教授・個別稽古のみ行います
 個人教授・個別稽古に違いについては、こちらをお読みください
 複数人での稽古も受け付けます
・12月21日22日、第2回目の石川合同稽古会を開催します⇨石川合同稽古会




















2019年10月31日木曜日

10月の読書

プラナカン*  太田泰彦 日本経済新聞出版社 2018
天才たちの日課*  メイソン・カリー フィルムアート社 2014
宮本常一 伝書鳩のように 平凡社Standard Books 2019
日本発酵紀行* 小倉ヒラク D&DEPARTMENT PROJECT 2019
わがや電力* テンダー ヨホホ研究所 2015
錆びた太陽* 恩田陸 朝日新聞出版 2017
近代仏教という視座* 大谷栄一 ぺりかん社 2012
自動車の社会的費用* 宇沢弘文 岩波新書新書 1974
始まっている未来* 宇沢弘文・内橋克人 岩波書店 2009
人間の経済* 宇沢弘文 新潮新書 2017
資本主義と闘った男-宇沢弘文と経済学の世界* 佐々木実 講談社 2019
本気で5アンペア* 斎藤健一郎 コスモス 2014
北斎川柳* 田中聡 河出書房新社 2018

2019年10月28日月曜日

石川合同稽古会(続報)

受け付け、始まっています
宿泊を希望される方は、早目にお申し込み下さい
(10/28)

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石川合同稽古会 2019  12月21日〜22日        ⇨ pdf版はこちら

第2回目の石川合同稽古会を開催します。会場は夏と同じ金沢湯涌創作の森で、今回は、富山在住のライター田中聡さんを迎えての座学も予定しています。

前回8月の募集にあたり、金沢稽古会と白山稽古会のメンバーが一緒に稽古するという意味で合同という言葉を使ったのですが、いざ蓋を開けてみると、富山から関東からと、予想していた以上の広い範囲からの参加があったのは嬉しい誤算でした。こんな会を間延びせず続けられれば、一気に北陸の稽古力の底上げができるのではないか、そんな風に考え、鉄は熱いうちに打てとばかり、第2回目の合同稽古会を企画しました。導入的な内容となった前回からさらに稽古の森に分入っていければと思っています。また、田中聡さんのお話と稽古がどのように響き合うのかも楽しみです。前回の参加者だけでなく、はじめての方、遠方からの参加をお待ちしています。

参加希望者は11月28日までに、申込書に必要事項をご記入の上、お申し込みください。

【日時】
12月21日(土)
13時〜17時  稽古1* 動法と日本文化 (遠藤・角南)
18時〜20時  座学*  見立ての古層 (田中聡)
12月22日(日)
10時〜14時  稽古2  カタと感応 (角南・遠藤)

*印は未会員の参加可 ただし前回8月の会に参加された方は入会が必要です

【会場 】 金沢湯涌創作の森 金沢駅より北鉄バス12番湯涌線 湯涌創作の森下車
【担当】  遠藤日向(金沢稽古会)
     角南和宏(白山稽古会・等持院稽古場)
      田中聡(文筆家)
【会費】  (稽古1)  4000円 (座学)  2000円  (稽古2) 4000円
      全コマ参加の場合8000円
【宿泊】  一人一泊 1500円 (シーツ代、宿泊税を含む) 18名限定
【問い合わせ】
 遠藤     rakuendoh@gmail.com  090-3169-2806
 角南  dohokids@gmail.com       070-5592-0591

【座学について】
田中聡さんは日本思想に詳しく、著書に「ハラノムシ笑うー衛生思想の図象学」(河出書房新社)、「電源防衛戦争」(亜紀書房)等多数。狛江稽古場で二年にわたり様々なテーマで講義をされてきました。今回のテーマは「見立ての古層」。「見立て」は、江戸時代に俳句や浮世絵、歌舞伎などの諸芸で技法として用いられるようになりますが、それまでは「AをBに見立てる」というような用法はありませんでした。『古事記』の創世神話ですでに使われているその言葉の意味を、古代・中世に「見る」「立つ」ということがどのような意味をはらんでいたかということとあわせて考えてみます。「せうそこ」スタイルを採り、聞き手として角南も加わります。

【申込】
所定の申込書に記入の上、主催者にお渡しください
メールでの申し込みも受け付けます
締め切りは11月28日です
 1 氏名(よみ) 2 電話番号 3 メールアドレス 
 4 住所 〒        
 5 整体協会の会員であるかどうか
 6 希望参加コマ
 7 宿泊希望の有無

(10/8)

2019年10月24日木曜日

一粒万倍

アンコールワットといった巨大遺跡が、数世紀の時を経て再発見される。何万人という人間が暮らしていた痕跡が人の記憶から消え去ってしまう。どうして、そのようなことが起こるのか、合点がいかなかった。でも、今年、植えたゴーヤとフウセンカヅラの繁殖力を目の当たりにすると、人が住まなくなった建造物が、十年も経てば植物で覆いつくされてしまう様を空想できるようになった。まして、熱帯地方では、その繁殖力はより旺盛であるに違いない。

一株のゴーヤが蔓を伸ばし、稽古場の窓を覆うだけでなく、軒下から庭の木槿に張った紐を伝って、どんどん横方向にも伸びている。去年、株分してもらってきたフウセンカヅラから採った種を発芽させ、ゴーヤと並べて植えてみた。フウセンカヅラは大量の種を作る。風船状のものが乾燥して茶色に変色してくると、つるから外して種を取りたくなってくる。殻を破ると、中から黒白モノトーンのまん丸なかわいい種が姿を現す。一粒万倍という言葉は知っていたけれど、ジャムの瓶いっぱいになったフウセンカヅラの種の数は千を下らなうだろう。この種ひとつひとつが、長い蔦を伸ばしていく潜在力を秘めているとすれば、環境さえ整えば、この世界はあっという間に、植物で覆い尽くされてしまうだろう。

フウセンカヅラの白いちっちゃな花、ゴーヤの黄色い花。花めがけて、蜂が蝶がてんとう虫たちがやってくる。大きなアシナガバチが小ぶりのゴーヤの花に向かっている様は、滑稽である。花びらにとまって蜜を求めている昆虫たちは、人間に頓着するふうもなく、自らの作業に熱中している。蔦とはっぱが風に揺れる様、花と花の間を飛び交う虫たちの姿を眺めているだけで、飽きることがない。放射能にまみれた地球から人類がいなくなってしまったとしても昆虫や植物の営みは連綿と続いていくに違いない。

季節は夏から秋を過ぎ冬に向かおうとしている。いつ暖房器具を出そうかという相談を始めた。なのに、ゴーヤはまだ花をつけ蔓を先へ延ばそうとしている。小さな実もいくつか頑張っている。こうなったら葉が落ちるまで付き合う他ないではないか。


宮本常一

宮本常一(平凡社StandardBooks)読了。高度成長期以前に生まれた僕など、もはや歴史的存在になりつつあるのではないかという読後感。もちろん、宮本が歩きはじめたのは、戦争前の昭和のことで、僕が育ったときには、すでに消えてしまっていた習俗も多いようだけれど、それでもまだ、僕自身の記憶とつながっているものを、宮本の文章に見出すことができる。「共同井戸」に描写されている風景など、それが、戦前のものなのか戦後のものなのか定かではないのだけれど、僕自身の記憶と合致する。ちなみに、僕自身の一番古い記憶は、母親が他の女たちと一緒に川で洗濯している横で遊んでいるというもの。たかだかーあえて、たかだかという言葉を使うけれどー60年前までーつまり、高度成長期を迎える前の日本の田舎では、川で洗濯する風景は当たり前のようにあったということなのだ。で、おそらく、このような生活の風景は、戦前戦後をまたぎ、変わることなく続いていたにちがいないのだ。それにしても、平凡社のこのシリーズはシブイ。