2026年5月31日日曜日

5月の読書

向谷地さん、幻覚妄想って、どうやって訊いたらいいんですか?* 向谷地生良 医学書院 2025
フェイスウォッシュ・ネクロマンシー* 栗原知子 筑摩書房 2026
私の明治時代史* 渡辺京二 新潮選書 2026
会話の0.2秒を言語学する* 水野太貴 新潮社 2025
詩あきんど其角* 別所真紀子 幻戯書房 2016

2026年5月30日土曜日

竹喬美術館

松山から福山へ高速バスで移動。
瀬戸内の島々を空中から眺め、日本は土建国家だなあと思う。
30年後、この橋、この道路は維持されているのだろうか。

福山は都会。ここからJRで笠岡へ。
笠岡に降り立つのは65年ぶりくらいになるのか。
父の同僚が住む笠岡沖の島に海水浴に連れられていった記憶がある。
そういえば、その同僚の名前が、白石さんだっとことをなぜか思い出した。

竹喬美術館は、予想以上に立派な美術館だった。
衣笠絵描き村に居を構えた画家の一人で、その我執がまるで感じられない画風が好きである。






2026年5月29日金曜日

道後温泉

お遍路をはじめた頃、松山にたどり着いたら、市内は一緒に歩くからねと、松山で育った妻に言われてから4年。ようやくそれが実現した。とはいえ、夫婦遍路というのは妙なもので、お大師さまと同行二人で歩くのとずいぶん勝手が違う。なんせ、会話しながら歩くわけで、愛媛の遍路道を歩いているのか、京都の道を歩いているのか判然としなくなる。

今回歩いたのは46番浄瑠璃寺から51番石手寺までの15キロ。その前後の距離を加えると1日の歩行距離は20キロになった。荷物は宿に預けて軽量。登り道の少ない遍路初心者コース。おまけに、石手寺のあとは道後温泉まで歩いて入浴というハイキング遍路。本来なら、このポストも遍路としたいところなのだが、二日続けて道後温泉に浸かったので、このタイトルにした。実際に入ったのは観光客で溢れる本館の隣の椿の湯。地元住民御用達といった風情の温泉。

城山に登り、松山風鯛めしもいただき、友人と旧交をあたためる。たまには、こんな遍路もあってよいだろう。





2026年5月23日土曜日

夏炉冬扇

妙心寺の塔頭を会場とした稽古会三日間を終え一息ついている。
思っていたほどの混乱もなく、むしろ順調といってよいくらいの三日間だった。

さて、どんな環境で連句の会は催されていたのか、別所真紀子の「詩あきんど其角」を読みはじめた。芭蕉門下に入り修行して立机(俳諧師となる)した其角の記録を元に小説仕立てにした一冊で江戸初期の俳諧界がよく描かれている。

俳諧界を支えているのは、裕福な商人層で、それに酔狂な武家も加わる。皆で集まり歌仙を巻き、それを選集にして版木に下ろして印刷配布する。いわば出版人でもあった。俳諧師が職業として成り立つためには、門人がいてパトロンがいてという風な、大きな経済圏が形成されていたわけだ。

俳諧師として立つためには、東西の古典の素養がなければ話にならないわけで、江戸の文化人たちの知的レベルの高さに舌を巻く。それに比べると、古典から切り離された時代に育ってしまったことを今更悔やんでも仕方がないが、十七季と電子辞書が手元にないと何もできないわが身の薄っぺらさに涙するしかない。師匠が古典に親しめ親しめと口を酸っぱくするのもわかる。稽古を深めるには、教養も深めるしかなく、近道はないということなのだ。

つまり、手遅れなのだ。そう言いながら、抜け抜けと稽古場などを開いていているのは、まだ化けの皮が剥がれてないだけの話で、人の上に立って何かを教えようとは露ほども思っていない。同行の仲間に見限られないよう日々精進するしかあるまい。夏炉冬扇とは、役に立たないものとして、芭蕉が自らの俳諧を称したものだが、無論、それは自信の表明でもあったわけで、凡人はこわくてとても使えない。





2026年5月20日水曜日

のぐちひろこ個展

われらがマメ画伯の個展が京都にやってくる。
これは楽しみ。

6/3〜14 (6/6,7はお休み). at @bench (左京区浄土寺)

なんだか、お知らせブログになってきた。
それだけ、周囲が動いてるということなのですね。


2026年5月19日火曜日

回り稽古

第一回晴風回り稽古の概要が発表されました。
詳細はこのページのQRコードからご確認ください。

かつて「衣笠絵描き村」と呼ばれていたこの地が、いまや晴風稽古村となってきたことは先月書いたが、早速、この特性を活用した「回り稽古」が発案された。毎日曜日全5回なんて濃密な稽古会に参加しようという猛者はいるのか?
























詳細、参加申し込みは、こちらから




2026年5月17日日曜日

靴の行方は

靴を間違えられやすい人というのはいるのだろうか?
もし、そんな人が居るとすれば、それは私です。

白山稽古会の初日、稽古を終えて、ふるさと館を出ようとしたら、靴がない。正確にいうと、靴が一足残っているのだが、私が履いてきた靴ではない。似たような黒のスニーカーなのだが、puma という買ったことのないブランド。ちなみに、私のはミズノで、ここ数年、同じタイプのスニーカーを履いている。お遍路にも使い、履き潰しては代を重ねている。

窓口の方に事情を話し、その残されたpumaのスニーカーを履いて出る。サイズは25センチで、ちょっと大きいが違和感を感じるほどではない。最近は、足袋+スニーカーという組み合わせもありだから、25センチでもOK。間違って履いてった人も、ちょっと中が広がった24半のスニーカーに窮屈さを感じなかったのではないか。

朝、家を出るとき、一旦は草履を履いたのだが、10メートルほど歩いてからなぜかひきかえし、わざわざ、スニーカーに履き替えた、そのスニーカーなのだ。

翌日もふるさと館での稽古会だったのだが、問い合わせの電話はだれからもなかったという。近隣の方ではなく、どこかからの観光客だったのだろうか? とすれば、私のミズノは、今ごろ、どっか知らない街を歩いているのかもしれない。この、底がフラットで、足袋との相性も悪くなさそうな、このpumaを履いて、私は京都の町を歩くことになりそうだ。ちょっと複雑な気分。

【追記 5/20】月末に松山市内のお遍路を計画中。消えたものと同じタイプのスニーカーをAmazonに注文。