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2015年9月28日月曜日

前にすすむ 12 − 引っ越し

雨の金曜日、荷物を運び出す
お手伝いに来てくれたカンナさんに感謝
たちも来てくれたのだが、どうも当事者感に欠けている
そう、これは僕の引っ越しなのだ
引越業者のトラックが出た後、ご近所の方たちに見送られ駅に向かう
カフェ32°Fに立ち寄っていつものカフェオレ
新横浜から新幹線で京都
パレスサイドホテルにチェックイン
先発した娘たちは、家の状況を確かめにいってくれたらしい
奇しくもこのホテル、28年前、結婚式のお願いに亀岡西光寺を訪ねたときにカミさんと泊っている

土曜日天気は晴れ
早起きして等持院へ
まもなく引越屋さん現れ、荷物搬入開始
当然のことだけど、みなさん京都弁を話す
戸村さんも手伝いに駆けつけてくれる
大型家具は仏壇とチェストひとつくらいなので、搬入はスムース
2時間ほどで搬入完了
収納スペースはたっぷりあるので、荷物に埋もれてしまう感じはない
一区切り付いたところで、ご近所への挨拶回り
六請神社にお参りし、等持院を拝観
横浜で住んでいたところは、コンビニ・スーパーまで徒歩2分だったけど、
ここでは、神社・お寺まで徒歩2分だ
その足で、ダン先生に教えてもらった龍安寺駅近くのうどん屋へ
家から徒歩10分かからない距離になる
修養講座に出ていた山中さん来宅
訪問者第一号

日曜日
夜は静かだったし、昼間も静かだ
前日お留守だったご近所を周り、挨拶完了
池田さんが自転車をくれるというので烏丸丸太町の池田医院を目指す
バスと地下鉄を使ったのだが、乗り継ぎで歩く距離が長く、京都の人がタクシーをひんぱんに使う気持ちが分かった
帰京する娘と別れ、自転車で自宅に向かう
自転車を漕いでいると、この街を自転車で走り回っていた20代の記憶が蘇ってくる
20分ほどでたどり着く
このヒューマンスケール感が心地よい
暗くなってから徒歩で研修会館を目指す
google mapsのナビに従うと、まあ、細い路地をくねくねと歩くことになった
研修会館が徒歩圏内にあるって不思議な気分
大きな月が出ている
やることはいっぱいあるが、ひとつづつ片付けていくしかない
明日から、いや今日から三日間は稽古会だ

2015年9月15日火曜日

前にすすむ 11 - ひとり

この前にすすむシリーズを始めたのが5月
京都への引っ越しというまさかの結末が待っていた
ところが、まさかは更に続くのだ

ほんの数日前、
娘が、「私は京都いかないことにする」と宣う
まあ、あの歳で、一緒に来ないということは、つまりは、そういうことだ
しかし、このタイミングで言い出すか?
もっとも今回の引越話が引鉄となったと言えなくもない

要約するとこういうことだ
29年前、僕はひとりで東京にやってきた(→引っ越し1986
結婚して娘ひとり育て、身体教育研究所の立ち上げを手伝い、
去年、妻と父を納得できるかたちで見送り、
あと十日したら、ひとりで京都に帰っていく

時代がぐる〜っとひとまわりして、ひとりに還る
まるで十牛図を眺めているようだ
もはや出家者の心境

2015年9月6日日曜日

前にすすむ 10 - 荷造り

引っ越しって命懸けなんだ
下手すると、引っ越したあと寝込みそうだ
いや、荷造りの途中で倒れそうだ

決断というほどのものもなく
ほんの軽く触れたつもりでいたのに、
その触れたものが巨大洗濯機のスイッチだった
といった風で、渦はどんどん大きく速くなり、
その渦に自分自身が呑み込まれそうになっている

こんなに多くの人たちと関わっていたんだ
ということを日々自覚させられている
根付いてなどいないつもりでいたのだけれど、
29年間はやはり長かった

ただ、引っ越し先は京都です
と伝えると、皆一様に、顔がほころぶ
京都のブランド力って有効なんだ
おっ、これで京都に行く口実ができたぞ、という空想が湧くらしい
無論、皆さん、遊びに、いや稽古に来てください

さて、荷造り荷造り

2015年8月31日月曜日

前にすすむ 9 - 京都again


6月末、三年ぶりに京都稽古会に出た
休憩時間の雑談の中で、関西に戻ってこようかなという話をした
無論、喫緊の話ではなく、数年という尺での話
もう少し京都での稽古会に通わなきゃと秋以降の宿を予約しようとしたら
全く取れない
ほんと、宿よ宿よという感じ


妻と父の初盆は東京式に7月に執り行った
南品川のお寺からお坊さんが読経に来てくださった
私と娘、そして妹の家族が揃った
読経がはじまった
妻の戒名は出てくるのだが、なかなか父の戒名が読まれない
家族は固唾をのんで待っている
結局、そのまま読経は終わってしまった
僕の連絡不行届きで、二人分の初盆を迎えるということが伝わってなかったらしい
オヤジは、普通に8月にお盆をやってほしかった
更にいえば、大阪の菩提寺のお坊さんにやってほしかった
というのが、僕ら家族の好意的後解釈で、
大阪のお寺に、一度、そちらでお経を読んで下さいという葉書を出した
そうか、死んでもなお、故人の想いというのは、こういうかたちで現れてくるのか


8月はじめ、白山稽古会のあと岡山の親戚を訪ねる予定にしていた
それが先方の都合で、岡山行は延期になり、結局京都に呼ばれていった
冷やかしのつもりで、ネットで下調べしておいた物件について不動産屋に連絡してみた
面白そうな物件は三つあって、
第一候補は天竜寺近くのモダンな一軒家、
二つ目が等持院ちかくの平屋物件、
そして、三つ目が左京区の古い家屋
結局、内覧できたのは等持院近くの平屋建ての物件


門から玄関までのアプローチが美人の一軒家で、
引き戸の玄関も素敵
入ってすぐの四畳半は稽古スペースとして使えそう
すっかり気に入って、特定小数の人間が出入りする教室として使えるかどうか
訊いてもらうことにした
人の出入りを嫌う大家さんは多くて、この段階で断られるケースは多い
しばらくして、o.k.の返事が来た
こうなると一気呵成にものごとを進めていくしかない


8月14日
誕生日、そして新月であることを娘に教えられる
新しいことを始めるにはよい時期なのか


コンビニ、スーパーまで徒歩3分、
図書館まで10分という便利過ぎる街暮らしをしている身からすれば、
等持院に住むなんて、田舎暮らしも同然である
家のつくりも昔風
この不便さに耐えられるか
冬の寒さ、夏の暑さに耐えられるか


京都研修会館には近いが、
街中からは不便なところである
駐車場もない
ただ、著名な観光スポットは近い
金閣寺、竜安寺は徒歩圏内、等持院も有名なお寺らしい
となると、稽古に来る人はいないが、
京都観光の拠点として、あるいは研修会館への足場として泊めてほしい
という人は大勢現れるのではないか
稽古場よりもB&B向きの物件なのかもしれない
悩ましいところだ


8月半ば、操法を受けた時、
骨を拾える距離という妙な言葉が浮かんできた
たしかに、関西には高齢の叔母たちがいるし、
京都の知り合いたちもみな高齢者と呼べるお年頃だ
他人事ではないのだけれど


娘を伴って日帰り京都行き
再度の内覧をお願いする
不動産屋に戻って契約の詰め
もう後戻りできない
クールダウンのために歩くことにする
烏丸今出川から同志社前を通り、鴨川を越え出町柳
電車で三条に出て、寺町通りを下り、そこから東進して八坂神社
やたら外国人浴衣女子が闊歩している
三十年の時を経て、こうして娘と一緒に京都の街を歩いている不思議

10
引っ越しは9月末の予定
とはいえ、まだ契約手続は未完了
ここまで書いて、京都行きが実現しなかったら
国外逃亡しかないぞ

2015年8月26日水曜日

前にすすむ 8 - 風をつかむ

がんばりが効かなくなったら、
がんばらなくともやっていけるすべを身につけるしかない
ひとはなかなか死なないものだが、かんたんに死んでいく存在でもある
歳取るとは、エンジン付きの飛行機が、グライダーに変身していくようなもので、
失速してしまう前に、次の風を捉まえるしかない
エンジンを吹かして加速上昇しようと思ったら、エンジンがなかった
というのでは洒落にならない
風の読みかたが生死を分けることになる

2015年8月24日月曜日

前にすすむ 7 - 引っ越し1986

外務省に勤める知り合いがいる
あの人たちは、国境をまたいでの転勤が日常茶飯事だから、
辞令が出てから一ヶ月以内に次の赴任先に移動する
なんて事態も普通に受け入れている
独身ならまだしも、家族持ちなどどうするんだろう

1986年のことを思い出す
縁あって整体協会の本部事務局に入ることになった
その話が持ち上がって、実際に事務局で働き始めるまで
つまり、住まいを京都から東京に移すまでを、わずか6週間で終えている
それが以後29年間続く私の東京生活の始まりだったのだが、
古い日記を広げてみると、知人友人親戚の家を泊まり歩き、
引越の荷物出しまで友人に頼み、じつに他力本願の引越し模様だった

時系列で辿ってみると、こんなかんじ

4/25 京都支部長のO先生から本部事務局員募集の話を聞く
4/26 O先生より本部に履歴書を送るよう指示あり
4/27 履歴書購入
       (永瀬清子朗読会in奈良)
4/28 本部に履歴書郵送
4/30 (韓国領事館査証申請)
5/7 局長と電話面接→内定
5/10 (大倭活元会)
5/12 上京 局長と面接→即決
5/13 不動産屋巡り開始
5/14 アパートは見つけられず 京都に帰ってくる 
5/15 荷造り開始
5/18 知人友人に声をかけてガレージセール
5/19 区役所に転出届 バイク廃車届 実家に荷物を送る
5/21 (伊丹からソウルへ飛ぶ 28日まで韓国 → 白雲山へ
5/28 ソウルから成田経由東京 荻窪の竹渕宅へ転がり込む
5/29 日生ホールで中等講習会 事務局として参加
6/1   アパート探し 宇奈根の物件に決定
6/2   仕事始め  道場泊
6/6   道場泊 夜中ダン先生やってきて研究生相手に明け方5時まで喋る
6/8   京都から荷物到着

ものごとが決まるときって、こんなものなのかも
それにしても、このフットワークのよさ
独身だったからできたんだろうな〜

さて、ここまで書けば次に何が起ころうとしているか、
察しのよい方には、もう分かりますよね

はい、引っ越すことにしました

2015年8月8日土曜日

前にすすむ 6 - 呼ばれる

5月の公開講話でのお話の中に「呼ばれる」というのがあった。ある大工さんにお茶室を頼んだのだが、適当な床柱となる木がなかなか現れず、工事が進まない。大工さんをせっついても、「木に呼ばれない」という答えが返ってくるだけで、積極的に木を探している様子もない。2年経ったとき、ようやく向こう(どこだ?)から木はやってきて、以後、工事はすらすらと進み無事お茶室は完成した。めでたしめでたしというお話。ダン先生にはこういう寓話的な、ありそうもないけど、あるかもしれない、いやきっとあるだろうというものが多い。究極の受動性というお話です。

月始め、稽古会のため石川に行った。二年前、フランスでお世話になった西田昭博さん一家が帰省中だったので、稽古会のあと合流して晩御飯をご一緒した。翌日も都合が合えば一緒に遊びましょうといって別れたのだが、翌朝電話してみたら、お墓の掃除等々やんなきゃいけないことを沢山抱えてそうなので、西田さんと遊ぶことは諦め、京都に向かうことにした。6月末の京都での稽古会に参加して以来、京都に戻ることを考えて始めていた。来年5月で私の東京暮らしも30年になるし、カミさんもオヤジも居なくなって、東京にいる理由がなくなってきた。金沢移住という案も温めてきたのだが、いかんせん横つながりの人間関係がとぼしいから、きっと淋しすぎる。その点、京都なら昔の繋がりがわずかながら残っている。

降り立った京都は暑かった。おお、これが京都の夏だ!と懐かしさを覚えたのは自分でも意外だった。前日、39.2度という最高気温を記録したとか。予め連絡してあった池田先生と合流して、蕎麦屋で昼食。あとは、コーヒーでも飲んで、その日のうちに横浜に帰るつもりだったのだが、ふと思いたって、旧知の知り合いである新海みどりさんに電話することにした。電話は通じなかったのだが、しばらくして返信があり、いま京都に来てるんだけど、と話したら、「今晩、片桐ユズルさんの話を聞く会があるから是非来てくれ」とのこと。でも、宿ないんだけどというと、私の仕事場に泊まれるよとのこと。これはもう参加するしかない。

午後7時、高野にある新海さんの仕事場にお邪魔したら、神田稔さんの顔もある。一気に1980年前後にタイムスリップ。そもそも、私を整体と結びつけた張本人が片桐ユズルだったりするわけで、このタイミングで京都に来てしまったというのは、もう「呼ばれた」と思うしかない。夕食に連れてってもらった花見小路の小料理屋さんで、久方ぶりに鱧を食べ、翌朝はこれまた、うん十年ぶりに北白川のドンクで朝食をとり、最後は、鞍馬口のカフェで戸村さんとお茶して(「臥法が先」はこのときの会話から)横浜に帰ってきた。まあ、手応えありという感じかな。

2015年7月23日木曜日

前にすすむ 5 - ふろんてぃあ

日脚が短くなってきた
もう晩夏である

初盆を迎え、うかうかしてると一周忌という話になる
死んでいった人たちと一緒にいる暮らしはたのしいのだが、
ただ、あっちとこっちの境界があいまいで、ひょいと跨ぎ越えそうになる

これはいかん
我が身を現世につなぎとめているものは、
娘の存在と、体のかゆみくらいのもので、
もう少し重石がないと、どこかに飛んでいってしまいそうだ

負荷のないところに自由はない
というのは、稽古が教えるところだが、
さて、どのような負荷を求めているのだろう?

猫を飼う
車の運転をする
引っ越す
うーん、いまさらなものばかりである

新しいことをはじめる
これまでやってきたことをつづける
この二つを同時にやることが、先に進むキーワードになりそうだ

そう、どこをフロンティアに定めるか
ですね

2015年6月7日日曜日

前にすすむ 4 − swingby

前に進むといいながら、後ろ向きの話ばかりしているではないかと言われるかもしれないが、「いやこれでも前に進んでいるのです」と言う他ない。これまで関わっていたものから離れていく動きはいまだ続いていて、ひたすら「ゼロ地点」に向かっている感じなのだ。なまじ、この動きに逆らって、あたらしい関わりを希求しない方が、自然におもえるのだ。屁理屈を付け足せば、ゼロ地点に向かっているというより、宇宙旅行で使われる、スウィングバイ地点に向かっているといった方が良いのかもしれない。つまり、次なる遠距離旅行に向かって加速する一点だ。

家の片付けは「遅々として」という形容詞付きながら進んでいる。モノを減らすというのは、次なる移動に向けての準備でもあるわけだが、モノが減ってくると、空間の快適性はまちがいなく増す。つまり居心地がよくなってきて、移動へのモティベーションは減じてくる。面白いものですね。

ずいぶん昔の話だけど、ある連れ合いを亡くして間がない女性と会ったとき、彼女の輪郭、ことに表情がフワフワと揺らいでいて不思議に思った記憶がある。後になって、人の輪郭というのも、ある安定した関係性のなかで定まるもので、人生の過渡期にあって、それは不定位化するのだということに気づかされた。今、私に起こっている事象も同様なのだ、きっと。

前稿で「失せもの現れず」などと書いたせいか、クレジットカードを失くしてしまった。梅雨って、忘れ物が多くなる季節ではあるのだが、これまでの例だと、大概出てくる。数年前、整体協会の会員証を2回続けて落っことしたことがあり、警察から事務局に連絡が行って恥ずかしい思いをしたことがある。が、今回は出てきませんでした。今、再発行の手続き中。

2015年5月31日日曜日

前にすすむ 3 ー 凶

先週二年ぶりに鎌倉に出掛けてきた
Tさんが指定してきたのは、お洒落なオープンカフェ
約束の時間より少しだけ早く着いたので、
入口の見える席に陣取って待つことにした
しばらくして、見覚えのある顔が入ってきたーTさんの娘
ずいぶん会ってないが、この春、高校生になったことは伝え聞いている
ほどなくTさんも現れ、Tさん、Kちゃんと三人でひとつのテーブルを囲んだ
制服姿のKちゃんを見られるとは...
なまじ赤ちゃんの頃から知ってるから、なんだか余計に気恥ずかしい
家族の誰よりもしっかりしてる子だったから、
普通の高校生の格好をしているというだけで嬉しい
ところで、このお店のシラスピザは美味かった

元気をもらった勢いで江ノ島まで足を伸ばすことにした
江ノ島は三年ぶり、江ノ電に至っては乗るの十年以上ぶりだ
午後の遅い時間だったから、帰途に着く人の流れに逆らうように参道入口にたどり着く
タコ煎餅に齧りつく姿を自撮りする若い中国人観光客を横目に参道を登り江島神社にお参りする
そうだ、前回妻と来た時におみくじ引いたなと
百円玉一枚放り込み、おみくじをひとつ
凶!
だいたいが僕は中吉、小吉の人だから、これまで凶を引き当てた記憶がない
失せもの戻らず、待ち人も来ずとないないずくし
何も期待せずいまを粛々と誠実に生きよ
まったく心憎いくらいぴったりではないか

思い出の場所を訪ねる
不在を確かめるために

2015年5月22日金曜日

前にすすむ 2


大井町の控室に坐って稽古が始まる時間を待っている。だれも現れない日が2回あれば、大井町引退を決めている。私自身この引退勧告を待ち望んでいる節もある。事務局を離れ、稽古場指導者として独り立ちして丸6年、これで七年目に入るわけだが、ここまで生き延びて来られたのが不思議である。この間、311があり、身近な人達が逝き、多くの出来事がありすぎた。組織を回す立場から離れていたから対応できたともいえる。ようやく身の回りのことが片付いたと思ったら独りになってしまった。これから先も稽古を離れることはないだろうが、拠りどころとしてきたこの場所から離れる時はいずれやってくる。


淡い期待を裏切るようにAさんがやってくる。普段、私の稽古に出たことのあまりないのにと苦笑する。「愉気&活元運動ー稽古場スタイル」という名称の稽古をはじめたのは最近のことだが、ここ2年くらいやってきた「活元運動以前」「合掌行気以前」の発展形の稽古である。「活元運動以前」「合掌行気以前」だと準備運動、あるいは、掌が合わさるところまでが稽古の9割を占めていて、活元運動や合掌行気そのものをやり込むところまで辿り着かなかった。古株のAさんにはぴったりの稽古かもしれない。結局、1対1の稽古会になり、再現法で邪気吐きを行うところからはじめ、最後は活元操法までたどりついた。終わった時の静寂感。さすがに、年季というものはある。話は変わるけれど、今後、整体協会は、自分たちの活動のなかで活元運動をどう位置づけていくつもりなのだろう?


稽古会の総量ということを考えてみる。無論、体験を量で捉えることなど不可能に決まっているけれど、例えばの話です。稽古量を測るため、「容積x時間x質」という計算式を立ててみる。これだと一体、何次元の話になるのか? これは独りの量だから、稽古会の総量というのは、それが人数分合わさったものとなる。では、どうすれば、稽古会の総量を増やせるのか? まず、ひとりひとりの総量を増やすこと。次に、総体量が増えるようなシステムを作っていく。具体的にいえば、ひとりひとりが良いものに触れ、また、できるだけ多くの人が師匠直接の薫陶を受けられるようにし、その邂逅が実りあるものとする準備を整える、等々。無論、稽古する人間も増えてほしい。なぜ総量にこだわるかというと、絶滅危惧種である整体部族を存続させたいからである。生物もそうだが、言語でいえば、毎年、数千という言語が消滅しているという。ひとつの言語を存続させていくために必要な最低人数というものがあるらしく、たしか、千人くらいの集団が必要とされているのではなかったか。


ここを終の棲家ときめたお姉様方と、早く本部で直接裕之先生の指導を受けたいという若者たちで大井町稽古場は構成されている。前者は高齢化が進んで先細っている。後者は補充が進まず、これまた先細っている。深刻な問題なのだが、こればかりは、我が身の不明を恥じる他ない。稽古の総量ということを考えたとき、若者は早い段階で裕之先生の薫陶を受けた方がよい。ただ、体ができてないのに先走って宝の持ち腐れとしては勿体ない。大体、みなさん先走るし、裕之先生の若者好き(この気持もよく分かる)が仇となることもある。


ここでまた脱線してしまうのだが、アメリカの刑務所ビジネスがすごいことになっているらしい。服役している囚人を使ったコールセンターなんてのもあって、これまでインドなどにアウトソーシングしていた業務を刑務所で法外な低賃金でやらせ、莫大な利益を上げている企業があるという。TPPが締結されて米国流のビジネスモデルが、グローバリゼーションという名目で、これまで以上に日本に流入してくることになれば、いったいどのような労働環境が出現してくるのだろう。考えるだに恐ろしい。そのような流れに諾々と従わない生命線となるのが身体であり、私たちがやっている稽古だと思っている。

あれ、なんの話を書こうとしていたんだっけ。そうそう、いかに前に進むかという話。続きは後日。

2015年5月9日土曜日

前にすすむ

5年連用日記を使っていて、
しかも、今年がその二年目だったりすると、
新たに書き込む度に、去年の同じ時期、自分がどこでなにをやっていたか
思い出されてくる
自分のことそっちのけで走り回っていた日々

それに比べ、今年の寄る辺のなさ
寒くて中断していた荷物の整理を再開させたのだが、
手紙や写真に行き当たると、そこで立ち止まってしまう
でも、唯一、モノを捨てていくことが前に進む方法のように思える

街に出れば、人々は忙しく立ち働いている
楽天バブルに賑わう二子玉川などに降り立てば、そこはもう別世界
でも、家の中の時間は、限りなく止まっている状態で、
平穏といえば平穏
のんびりしていた娘も動き始めたようで、
僕一人、街角に佇んで、車や人が行き交う様を眺めている
そんな風情だ

とはいえ
痒痒記に書いた変動は進行中で、
これもまた自分が前に進んでいるという実感をもたらせてくれている
七割がた終わったかなという感じ
明け方の発汗は続いている
うつらうつらしたら、汗で目覚め、
下着を替えて、ここから本格的な眠りに入るのだが、
時間はもうすっかり朝なので、仕方なく起き出すことになる
眠らなくても人間生きていけるものである
今は指の股が角質化して
それがボロボロと落ち始めている
やはり胸の系統
一側系の操法など苦手にしていたが、これで少しは上手になるかもしれない

半年一年といったスパンで変化を眺められれば、
大概の問題は問題ではなくなる
いわんや百年単位で眺めれば、
問題というものはほぼ無くなってしまう