2021年9月30日木曜日

9月の読書

むずかしい天皇制* 大澤真幸・木村草太 晶文社 2021
人は100Wで生きられる* 高野雅夫 大和書房 2011
自然の哲学 高野雅夫 ヘウレーカ 2021
時給はいつも最低賃金 これって私のせいですか? 和田静香/小川淳也 左右社 2021
ヒトは食べられて進化した* ドナ・ハート ロバート・W・サスマン 化学同人2007
数の発明 ケイレブ・エヴェレット みすず書房 2021
チョンキンマンションのボスは知っている* 小川さやか 春秋社 2019

2021年9月28日火曜日

からむしのこえ

国立歴史民俗博物館の映像資料、映画「からむしのこえ」のDVDを借りられることになりました。下記の日程で等持院稽古場で上映します。会費無料。狭い空間なので定員制(max7名)とします。要予約。


9/27 (月) 18-20 (終了)
9/30 (木) 17-19



























 「からむしのこえ」という映画の存在を教えてくれたのは、僕が京都に舞い戻ってほどなく、「せうそこ」というイベントを企画してくれたIさんで、千葉にある歴史民俗博物館(歴博)所蔵のDVDを僕が窓口となって借りてほしいというリクエストを通してだった。歴博は娘が住んでいる佐倉市にあり、実際、何度もその展示を見るために足を運んだので馴染みはある。役所相手の交渉も昔とった杵柄で不得手ではない。そんなことで、「からむし」がなんなのか、よく理解してないまま、歴博に連絡し、「身体教育研究所」という名称も活用して、勿論、活動内容もちゃんと説明して、無事、このDVDを借りられる運びになった。

 この文章は、等持院で開催された一回目の上映会を終えた段階で書いている。からむしイラクサ科の多年草で、苧麻・ちょまとも言わる)、動力をたのむことなく布になっていく工程に見入ってしまった。まず、からむしを育てるための準動の段階があり、そして実際にからむしを育る時期があり、それを収穫する。そして、そこから繊維を取り出し、糸にして、織っていくという屋内での作業がはじまる。この年間を通しての一連の流れを記録した貴重な映像。
とにかく時間の流れ方がちがう。映像の最後の方になって、からむしの製品を売っているお店のある東京の風景が映し出されるのだけれど、福島・昭和村との乖離に目眩しそうになった。(9/28)

2021年9月12日日曜日

コロナと速度 2

 「エネルギーと公正」が出版された1974年は僕にとっては特別の年で、元旦をサンタフェで迎え大晦日をケララで過ごすという、人生最大の移動をした一年だった。インドで何ヶ月か過ごすうち、なぜか、僕は一生自家用車に乗ることはないだろうという確信を持ったのだった。20代後半、教習所に通って普通免許は取得したものの、いっときバイクに乗ってた時期をのぞき自家用車を持つことなく、今に至っている。おそらく、この先も自家用車とは無縁だろう。その分、関東で暮らしていた28年間、電車利用通勤者として、電鉄会社への隷属を強いられていたこともたしかである。

さて、「エネルギーと公正」である。
イリイチの文章には、頻繁に「限界」「境界」という単語が出てくる。「一人あたりにエネルギー量がある境界以下ならば、モーターは社会の進歩のための条件を改善する」(p.16)。「わたしが説きたいのは、一人あたりのエネルギーがある適正な水準をこえると、いかなる社会もその政治態勢や文化的環境が必然的に退廃するということなのである」(p.17)。では、イリイチが考えているエネルギー量の境界ー交通でいえば速度はどのあたりにあるのかというと、「公共の運輸機関の速度が時速15マイル(24キロ)をこえて以来、公正が低下し、時間と空間の不足が顕著になった」(p.23)と書いているように、人が自転車で移動できる速度の上限のあたりを想定していることがわかる。さて、この数字をみて、腑に落ちるか、それとも違和感を覚えるか。自分の速度中毒度を測る目安にはなりそうだ。ふたつ目の文章の「退廃」という訳語は、原文ではdecayなので、むしろ「劣化」という単語を充てた方が意味はわかりやすくなる。ここでいう退廃、劣化という言葉が意味するところは、民衆の力が専門家に吸い取られていく「技術権力体制(テクノクラシー)による支配」(p.14)を意味している。この部分こそがイリイチの真骨頂といえるし、例えば、グレーバーの「ブルシットジョブ」などに通じていくものだろう。

この稿をはじめるにあたり、コロナ=速度問題だと書いた。でなければ、イリイチの本を読み直そうとも思いつかなかっただろう。やっぱり、何人かで一緒に読んだ方が面白そうだ。

2021年9月10日金曜日

大文字山

思い立って大文字山へ
徒歩バス徒歩で、家を出てから50分後に銀閣寺脇の登口到着
初心者コースとのことだったので安心して登り始める
道は整備されているし、ハイカーの数も多いので迷う心配はなし
登る度に迷ってしまう左大文字とはおおちがい
50分ほどで、送り火の火床到着
見晴らし最高
遠くにアベノハルカスらしき姿も望める
ここから頂上へはさらに登ること20分
山科、奈良方面の眺望が素晴らしい
このまま歩き続ければ大津に抜けられるようだが、今日はここまで
来た道を引き返す





2021年9月9日木曜日

コロナと速度 1

人の移動とコロナ感染者の発生をプロットし、アニメーション動画にしたものを見た。今回、この文章を書こうとして探してみたのだが、見つけられない。人の活動を見事に可視化したもので、その動きは生命的で実に美しかった。人は移動し、人と会い、様々なものを交換してきたし、いまもしている。その動きが美しくなかろうはずがない。たまたまそこにコロナウイルスが紛れ込んだ。コロナウイルスの移動を止めようと、ありとあらゆる「交換」が止まりはじめた。角を矯めて牛を殺すことになりはしないか。

コロナ問題を突き詰めていけば、移動速度の問題にいきあたる。ということは、これはエネルギー問題であり、環境問題でもある。コロナ禍においても、僕自身あまり影響を受けていない(稽古に来る人は減り、収入も減っている、という意味では影響は受けている)のは、僕の移動距離が極小のせいだ。関東から京都に移って一番変化したものは、日常的な移動距離が激減したことだ。通勤距離は短かったとはいえ、20キロ離れた仕事場に電車で通っていた。単純計算すれば、週5日として200キロ。それに比べれば、職住一体のくらしという要素は大きいけれど、今はおそらく週30キロ動いてるかどうか。しかも、大半は徒歩か自転車による。

イリイチの「エネルギーと公正」を開いてみる。1979年刊行だから、イリイチの翻訳とすれば最初期のものといえるだろう。元になっているのは、1974年の論文。単行本にして60頁ほどの分量だ。読みはじめたのはよいのだけれど、訳のわからない単語が多すぎる。「連続的生産の非効用性の拡大」? しかたなくネットで原文をみつけてきて該当箇所と照らし合わせてみる。「growing disutilities of continued production」...。うーん、英語を読んでも意味わからん。これは、ちょっと読書会でもはじめて、何人かで読んでみるしかないのか。

(続く)

2021年9月6日月曜日

本棚

「本棚の本、全部読んだんですか?」と若者に問われた。読んでいるわけがない。ひょっとすると読んでない本の方が多いかもしれない。読んでみたいな、と思って買った本が本棚に収まっているだけで、実際に読んだ本は本棚には収まってはいない。自分で読んで面白いと思った本は、すぐ人に勧めて渡してしまうから、むしろ読んでない本、読みかけの本が手元に堆積していく。蔵書は小さな本棚に収まっているものだけで、最近は、そこからはみ出して、更衣室にまで広がってきているので、近々、処分せねばなるまい。

時代って五十年くらいでひと回りするのか、1970年代くらいに読んだ本をもう一度手にしたくなる。本棚を探してもそこにはなく、しかたなく図書館から借りるというケースも多い。コロナとは結局は「速度」の問題に帰着すると考え、イリイチの「エネルギーと公正」を読みたいと思ったが、誰かに貸したまま帰って来てない(京都に越してくる前の話ですーどこや〜?返却希望)ので図書館から取り寄せる。1979年晶文社刊。これについては、稿を改めて書きます。