2021年9月9日木曜日

コロナと速度 1

人の移動とコロナ感染者の発生をプロットし、アニメーション動画にしたものを見た。今回、この文章を書こうとして探してみたのだが、見つけられない。人の活動を見事に可視化したもので、その動きは生命的で実に美しかった。人は移動し、人と会い、様々なものを交換してきたし、いまもしている。その動きが美しくなかろうはずがない。たまたまそこにコロナウイルスが紛れ込んだ。コロナウイルスの移動を止めようと、ありとあらゆる「交換」が止まりはじめた。角を矯めて牛を殺すことになりはしないか。

コロナ問題を突き詰めていけば、移動速度の問題にいきあたる。ということは、これはエネルギー問題であり、環境問題でもある。コロナ禍においても、僕自身あまり影響を受けていない(稽古に来る人は減り、収入も減っている、という意味では影響は受けている)のは、僕の移動距離が極小のせいだ。関東から京都に移って一番変化したものは、日常的な移動距離が激減したことだ。通勤距離は短かったとはいえ、20キロ離れた仕事場に電車で通っていた。単純計算すれば、週5日として200キロ。それに比べれば、職住一体のくらしという要素は大きいけれど、今はおそらく週30キロ動いてるかどうか。しかも、大半は徒歩か自転車による。

イリイチの「エネルギーと公正」を開いてみる。1979年刊行だから、イリイチの翻訳とすれば最初期のものといえるだろう。元になっているのは、1974年の論文。単行本にして60頁ほどの分量だ。読みはじめたのはよいのだけれど、訳のわからない単語が多すぎる。「連続的生産の非効用性の拡大」? しかたなくネットで原文をみつけてきて該当箇所と照らし合わせてみる。「growing disutilities of continued production」...。うーん、英語を読んでも意味わからん。これは、ちょっと読書会でもはじめて、何人かで読んでみるしかないのか。

(続く)