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2016年10月17日月曜日

旅の重さ

映画館でしか映画を見られない
DVDで映画を見ていると、ついipadを取り出して調べものをはじめたり、
怖い場面が来ると、思わずリモコンの停止ボタンを押してしまったり、
いささか集中力を欠いてしまう
映画館の椅子に座り、そこに他の観客もいて、場内が暗くなって、
という環境を自分に強制してはじめて映画に没入できる。

それでも、昔の映画をみたくなることは、ままある
近所にレンタルビデオ屋がないわけではないが、どうも肌にあわない
最近になって図書館ではDVDも貸し出していることを知り、時折借りはじめた
書籍・DVDを10件まで予約できる強み

「旅の重さ」を借りてきた
1972年の作品だから、もう44年前のもの
二十歳くらいのときに、映画館で見ているはずだ
家出して四国を歩いて回る16歳の女の子のお話なのだが、田園風景がほんとうに美しい
音楽は吉田拓郎
四国遍路のことを知ったのは、この映画だったかもしれない
僕自身も旅をはじめたころだ
映画館で一度しか観てない映画を何十年経っても覚えているということは、
それだけ集中していたということなのだな

2016年8月30日火曜日

垂直

関が原あたりまでは曇りだった天気が、
米原になるともう降り出し、京都に着いたら結構な降り
どのルートを取れば一番濡れずに済むのか?
山陰線・嵐電経由にして、まずは太秦へ
そこから嵐電の撮影所前駅まで歩き白梅町行きに乗って等持院下車
白山東京遠征を終えて一週間ぶりに等持院に帰ってきた

やたら上下動したというのが今回の遠征の印象
つまりは、泊めてもらった娘のところが三階建ての建物で、
階段を登ったり降りたりしないと何事もはじまらない
普段水平移動しかしてないから、都会の上下動に慣れるまで時間がかかる
地下鉄JR東急といった電車に乗るにしても、エスカレータやエレベータで上下する
デパートも然り
都会というのは垂直移動で成り立っているのだ
もっとも、東京駅など、丸の内側から八重洲口に移動すると、迷路のような地下道を延々と歩くことになる
たしかに東京の人はよく歩く

京都に引っ越してきてすでに11ヶ月
一年前は影も形もなかった孫という存在まで出現した
唯一の誤算は、東京に頻繁に行く回数が、この孫のおかげで増えてしまったことだ
年3回の研修会に行けば良いはずだったのに、すでに7往復
もっとも、これからは東京に行くのは4ヶ月に一度のペースで落ち着くだろう
西に向かわねば

雨の京都はさすがに涼しい
ただ予報ではまた暑い日がやってくるとのこと
冬の寒さに夏の暑さ
こんなに季節の変化を実感した一年はない
四季折々といった風雅を越え、サバイバル感の方が強い

2016年4月29日金曜日

万博公園

関西にやってきても観たいのは川崎フロンターレのサッカー
なので、ガンバ戦を観に吹田サッカースタジアムに遠征してきた
スタジアムのある万博公園は名前の通り70年万博の会場跡に作られた公園で、
実に46年ぶりに太陽の塔とも再会

万博公園の中には国立民族博物館もある
これは未見だったので、よくばって試合の前に訪問することにした
常設展を観るだけで、「世界は多様性にあふれている」ことがわかる
いや、「あふれていた」と過去形で表現すべきだろうか

ガンバの新スタジアム最高ですね
バックスタンドホーム側コーナー上段の席だったのだが、
コーナーフラッグが掴めそうなくらいピッチが近い
なにより、ピッチ全体が俯瞰できるというのは、試合を見ていて疲れない
フロンターレは随分守備がしっかりしてきた
ガンバの猛攻をしのぎ切った
ガンバに力強さが感じられないのはどうしてだろう
一年ぶりのサッカー観戦













2016年4月11日月曜日

三泊四日

初日は新横浜で降り、あざみ野で娘と待ち合わせ32℉へ
途中、妻の看取りでお世話になった在宅診療の先生・看護婦さんコンビと遭遇
32℉には旧ご近所さんも来てくれ、しばし歓談
夕食は吾妻橋の鰻禅へ
清澄白河泊

2日目3日目は二子玉川で整体操法講座
これまで学んできたことが総合される刺激的内容
向こう十年分の課題をいただく
ダン先生にもあと十年元気でいていただかねば
泊めてもらったみどり稽古場から二子玉川に向かう途中の郊外の風景がなつかしい

操法講座終了後、12人でお茶を飲むことになったはよいが、
日曜日の二子玉川にこれだけの人数をまとめて収容できるお店はない
アンクルサムズに電話して場所を確保、上野毛に向かってぞろぞろと歩き始める
関東組関西組東北北海道組が一堂に会する稀有な機会
一瞬自分がどこにいるのか見失ないそうになる

最終日は、現代美術館近くのナンディニという南インド料理店でランチ
深畑くんも合流し、むすめを含め3人でそれぞれの近況報告
木場公園を抜け、東西線の木場駅から大手町へ
東京駅で迷子になりながら新幹線ホームにたどり着く

三泊四日の旅を終えて京都帰着
やっと京都と東京が地続きになった
今週末は白山稽古会もあるし、ちょっとペースが上がってきたのかな

2015年12月14日月曜日

新婦の父

 新婦の父というのは思いの外やることがあって(あたりまえか)、写真を撮る余裕もなく一日が終わってしまった。液晶画面越しではなく、直に娘の晴れ姿を瞼に収めたかったし、むしろ被写体にされる方が多かった(どなたか写真送ってください)。結婚式というのは女のためのお祭りのようで、女と男の熱量の差は歴然としている。新婦がメインディシュなら新郎はその横に並んでいる人参カリフラワーの類かもしれない。さしずめ新婦の父など、つまようじみたいなものか。最後の挨拶を頼まれていたので、準備だけはしていたのだが、やはり上がってしまい、ずいぶん端折った内容になってしまった。それでも、ひとつ肩の荷が降りた感はある。今日は噂のブルーボトルコーヒーでコーヒーを飲み、今半のすき焼き丼ランチも食べたので、これから京都に帰ります。

2015年11月24日火曜日

一周忌

妻と父の一周忌終えた
ようやく、という言葉を付け加えたくなるような一年
これに合わせ、京都の新居に、まず娘が来て、次に婿さん(はじめて使う言葉だ)が来て、
そして、法事のあと、妹夫婦も泊まりにやってきた

京都から大阪のお寺に行くにはどうすればいいのだろうと調べてみたら、
京都から天下茶屋行きの電車が出ている
南森町という駅で乗り換えれば、お寺のある谷町六丁目まで梅田を抜けなくても行ける
帰りは同じルートをひとりで帰ってきたのだが、電車の中で爆睡してしまった
なんで電車の中って、あんなに気持ちよく寝られるのだろう

京都への引っ越しをはさんで、父の遺句集をまとめている
家族の原稿も揃ったので、なんとか来月の命日に間に合いそうだ
40句ほど選んだ父の俳句に句会のメンバーがコメントを寄せてくれ、
家族それぞれも、思い出を書いてくれた
姪っ子や妹までが俳句を作ってしまったのには驚いた
父が亡くなるまでの半年、家族が交替して句会に付き添った
それを通して、父の俳句パワーを受け取ったようだ

来月は娘の結婚式もあるし、年内は慌ただしさが続きそうです

2015年11月19日木曜日

適齢期の過剰さについて

8月の終わり頃だろうか
娘がしくしくと泣いている
まあ、めずらしいこともあるものだと訊ねてみたら
私は苦労を知らないのだろうか、と宣う
なんでも、同世代の集まりがあって、そこで出会った人たちに比べ、
自分は苦労してないのではなかろうかと思い至ったという

思わず吹き出しそうになってしまったが、そこは我慢
ここでちょっと苦労しておけば、もう少し人間としての奥行きが出るだろうに、
と思うような場面はいくつかあったのだが、
大概、スルリと避けていた
あるいは、苦労のほうが、失礼しましたといって逃げていってしまう
まあ人徳というか才能ですね

それにしても、泣いてしまうというのは、いかにも過剰である
つまり適齢期まっただ中
そこに、同じく、適齢期の男が通りかかれば、コロリと参っちゃうのだろうけれど、
親としては、もう暑苦しくて仕方がない

あれから三ヶ月経ってないというのが信じられない
娘は、ほどなく結婚相手をみつけ、さっさと入籍して、来月結婚式をやるという
脱帽です

2015年9月28日月曜日

前にすすむ 12 − 引っ越し

雨の金曜日、荷物を運び出す
お手伝いに来てくれたカンナさんに感謝
たちも来てくれたのだが、どうも当事者感に欠けている
そう、これは僕の引っ越しなのだ
引越業者のトラックが出た後、ご近所の方たちに見送られ駅に向かう
カフェ32°Fに立ち寄っていつものカフェオレ
新横浜から新幹線で京都
パレスサイドホテルにチェックイン
先発した娘たちは、家の状況を確かめにいってくれたらしい
奇しくもこのホテル、28年前、結婚式のお願いに亀岡西光寺を訪ねたときにカミさんと泊っている

土曜日天気は晴れ
早起きして等持院へ
まもなく引越屋さん現れ、荷物搬入開始
当然のことだけど、みなさん京都弁を話す
戸村さんも手伝いに駆けつけてくれる
大型家具は仏壇とチェストひとつくらいなので、搬入はスムース
2時間ほどで搬入完了
収納スペースはたっぷりあるので、荷物に埋もれてしまう感じはない
一区切り付いたところで、ご近所への挨拶回り
六請神社にお参りし、等持院を拝観
横浜で住んでいたところは、コンビニ・スーパーまで徒歩2分だったけど、
ここでは、神社・お寺まで徒歩2分だ
その足で、ダン先生に教えてもらった龍安寺駅近くのうどん屋へ
家から徒歩10分かからない距離になる
修養講座に出ていた山中さん来宅
訪問者第一号

日曜日
夜は静かだったし、昼間も静かだ
前日お留守だったご近所を周り、挨拶完了
池田さんが自転車をくれるというので烏丸丸太町の池田医院を目指す
バスと地下鉄を使ったのだが、乗り継ぎで歩く距離が長く、京都の人がタクシーをひんぱんに使う気持ちが分かった
帰京する娘と別れ、自転車で自宅に向かう
自転車を漕いでいると、この街を自転車で走り回っていた20代の記憶が蘇ってくる
20分ほどでたどり着く
このヒューマンスケール感が心地よい
暗くなってから徒歩で研修会館を目指す
google mapsのナビに従うと、まあ、細い路地をくねくねと歩くことになった
研修会館が徒歩圏内にあるって不思議な気分
大きな月が出ている
やることはいっぱいあるが、ひとつづつ片付けていくしかない
明日から、いや今日から三日間は稽古会だ

2015年9月22日火曜日

いつかは

いつかはやってくるであろうその日は唐突にやってきた
いまどきの娘が「お嫁にいく」なんて言葉を使うとは思わなかったが
一年前の今頃、妻の通夜葬儀で動揺しまくっていたことを思うと、一年で人生こんなに進んじゃうんだと感嘆するしかない

2015年9月20日日曜日

彼岸

彼岸
妻の一周忌
大井町での稽古最終回

2015年8月19日水曜日

西馬音内

土方巽の原点が西馬音内盆踊りにある
という説にはにわかには同意できないが、
8年ぶりに観に行ってきました西馬音内盆踊り

8年前に案内してくれた栗田さんは踊りの輪の中にあり、
京都から来た笛吹きの森美和子さんも踊っている
西馬音内に来るのは3回目で、
最初は会場周りをウロウロしながら、人垣の間から踊りを眺めていた
2回目は指定席ーといってもパイプで足場を組んだものーから観て、
今回はお囃子正面の桟敷という特等席

























雨が心配されたが、
始まる前に少しぱらぱらしただけで、最後まで保った
前日が体育館開催だったことを思うと、ラッキーとしかいいようがない
この西馬音内盆踊りを初めて見た時には、
伝統芸能継承のお手本を見せられたようで感激したが、
間を置いて来てみると、
やはり、その難しさにも目が行かざるを得ない

筋金入りの年寄りは消えつつある
おじさんたちは頑張っている
十代とおぼしき若者もそこそこ数は揃ってそうだ
しかし、その間の30代40代が手薄な印象
ことにお囃子、地口連
こんな状態で一定のレベルを保っていけるのか
観光、地域振興とも絡み合っているから、話は余計に難しくなる
おそらく

義妹は、50年前、高校生の時に西馬音内の盆踊りを観たという
篝火だけの明かりで、遅い時間には子どもは帰されたという
踊り手も地元の人たちだけで、まだ観光客はいなかった
盆踊りが盆踊りだった頃の記憶

西馬音内盆踊りが美しいことは変わらない
上手い人の踊りを観ていると飽きることがない
彦三頭巾姿の十代とおぼしき踊り手ものなかに、
それはそれは美しく踊る子がいて、もう希望の星
男踊りも女踊りと同じ所作なのに、なぜああも違った踊りになるのか
ー酔っぱらってるからですというだけでは説明にならない
角帯を締めた女の踊り手はなんだろう
衣装によって表出するものが違ってくる
謎だらけ

帰り道、
今年から笠を付けて踊るようになった栗田さんに
彦三頭巾とのちがいを問うてみると、
視野が全然ちがいますとのこと
とにかく、笠をかぶると、前の人の足しか見えなくなる
どんどんひとりの世界に入っていく
とのこと



(画面中央、紺地□模様の浴衣が栗田さん)

課題山積は明らかだけれど、
やはり、よくここまで続いてくれた、
これからも是非是非続いてほしいという、
一途最初に感じたのと同じ感想を胸に会場を後にした

2015年8月11日火曜日

骨の拾える距離

骨の拾える距離?
なんだよそれは
スープの冷めない距離ってのは聞いたことがあるが、
骨の拾える距離なんて言葉知らないぞ

操法を受けていると
あるいは操法をしている最中、
見馴れない風景が現れたり、
聞いたこともない言葉が浮かんできたり
そんなことは、特段珍しいわけではないけれど、
昨日操法を受けていて浮かんできた言葉がこれ

骨の拾える距離ね〜
当分、骨なんて拾いたくねーや
いったい誰の骨を拾うんだ
それとも誰かがオレの骨を拾ってくれるのか?
お盆も近いし...
うつらうつらしながら、そんな連想のなかにいた

2015年8月8日土曜日

前にすすむ 6 - 呼ばれる

5月の公開講話でのお話の中に「呼ばれる」というのがあった。ある大工さんにお茶室を頼んだのだが、適当な床柱となる木がなかなか現れず、工事が進まない。大工さんをせっついても、「木に呼ばれない」という答えが返ってくるだけで、積極的に木を探している様子もない。2年経ったとき、ようやく向こう(どこだ?)から木はやってきて、以後、工事はすらすらと進み無事お茶室は完成した。めでたしめでたしというお話。ダン先生にはこういう寓話的な、ありそうもないけど、あるかもしれない、いやきっとあるだろうというものが多い。究極の受動性というお話です。

月始め、稽古会のため石川に行った。二年前、フランスでお世話になった西田昭博さん一家が帰省中だったので、稽古会のあと合流して晩御飯をご一緒した。翌日も都合が合えば一緒に遊びましょうといって別れたのだが、翌朝電話してみたら、お墓の掃除等々やんなきゃいけないことを沢山抱えてそうなので、西田さんと遊ぶことは諦め、京都に向かうことにした。6月末の京都での稽古会に参加して以来、京都に戻ることを考えて始めていた。来年5月で私の東京暮らしも30年になるし、カミさんもオヤジも居なくなって、東京にいる理由がなくなってきた。金沢移住という案も温めてきたのだが、いかんせん横つながりの人間関係がとぼしいから、きっと淋しすぎる。その点、京都なら昔の繋がりがわずかながら残っている。

降り立った京都は暑かった。おお、これが京都の夏だ!と懐かしさを覚えたのは自分でも意外だった。前日、39.2度という最高気温を記録したとか。予め連絡してあった池田先生と合流して、蕎麦屋で昼食。あとは、コーヒーでも飲んで、その日のうちに横浜に帰るつもりだったのだが、ふと思いたって、旧知の知り合いである新海みどりさんに電話することにした。電話は通じなかったのだが、しばらくして返信があり、いま京都に来てるんだけど、と話したら、「今晩、片桐ユズルさんの話を聞く会があるから是非来てくれ」とのこと。でも、宿ないんだけどというと、私の仕事場に泊まれるよとのこと。これはもう参加するしかない。

午後7時、高野にある新海さんの仕事場にお邪魔したら、神田稔さんの顔もある。一気に1980年前後にタイムスリップ。そもそも、私を整体と結びつけた張本人が片桐ユズルだったりするわけで、このタイミングで京都に来てしまったというのは、もう「呼ばれた」と思うしかない。夕食に連れてってもらった花見小路の小料理屋さんで、久方ぶりに鱧を食べ、翌朝はこれまた、うん十年ぶりに北白川のドンクで朝食をとり、最後は、鞍馬口のカフェで戸村さんとお茶して(「臥法が先」はこのときの会話から)横浜に帰ってきた。まあ、手応えありという感じかな。

2015年8月5日水曜日

熱中症

金沢駅降りた時に、
「あっ、こっちの方が過ごしやすそう」と感じた
それで油断したらしい

翌日、稽古会の途中から、なんだか頭が回らなくなった
帰りの電車は、たった三駅なのに寝入ってしまい、
たまたま一緒になった会員さんに「着きましたよ」と
揺り起こされる始末

宿に戻ってシャワーを浴び、
ベッドに倒れ込んだ
気がついたら三時間経過していて、
食事のできそうなお店はすでに閉まり、
結局、コンビニのサンドイッチの夕食となる

こういうのを熱中症と呼ぶのだ

石川での稽古を終え、その翌日京都に移動
前日、39度超えの最高気温を記録し、あの熊谷よりも暑かったそうだ
たしかに暑い
実に懐かしい暑さ
京都に暮らしていた頃の記憶が蘇る

独法三日間参加される方、
くれぐれもお気をつけあそばせ

2015年8月2日日曜日

魯山人展

部屋に届けられていた朝刊をめくっていると魯山人展の記事。今月23日までとのことだから、見に行けるとすれば今日、土曜日の午前中しかない。

慌てて身仕度して、普段は乗らないタクシーを奮発して県立美術館へ。そしたらタクシーの運転手というのが面白い人で、なんと78歳。タクシー歴50年、しかも運転歴59年で無事故無違反。なんとも天然記念物のような人で、去年、叙勲を受けて皇居に呼ばれたとのこと。そんな話を聞けただけで元取った気分。

この魯山人展、去年、世田谷美術館で開催されていたはずだが、去年はさすがに観に行く余裕はなかった。魯山人って、書家、篆刻家として、そのキャリアをはじめてるのね。そんなことも知らなかった。

もっとアクの強い人だと思っていたのにーこの先入主はどこからきたのだろう?ー作品はどれも素直で気持ちよかった。バター入れとか小さな作品がいい感じ。あと、志野の洋皿っぽいもの。

この展覧会を観て、ここ20年くらいの間に本部道場で2回やった野口晴哉展を思い出した。やはり晴哉先生の書は素晴らしいし、なによりも裕之先生のプロデュース力の凄さをあらためて感じる。

2015年7月23日木曜日

前にすすむ 5 - ふろんてぃあ

日脚が短くなってきた
もう晩夏である

初盆を迎え、うかうかしてると一周忌という話になる
死んでいった人たちと一緒にいる暮らしはたのしいのだが、
ただ、あっちとこっちの境界があいまいで、ひょいと跨ぎ越えそうになる

これはいかん
我が身を現世につなぎとめているものは、
娘の存在と、体のかゆみくらいのもので、
もう少し重石がないと、どこかに飛んでいってしまいそうだ

負荷のないところに自由はない
というのは、稽古が教えるところだが、
さて、どのような負荷を求めているのだろう?

猫を飼う
車の運転をする
引っ越す
うーん、いまさらなものばかりである

新しいことをはじめる
これまでやってきたことをつづける
この二つを同時にやることが、先に進むキーワードになりそうだ

そう、どこをフロンティアに定めるか
ですね

2015年7月11日土曜日

初盆

東京式で新盆を迎えることになった
明日、お坊さんが来てくれる
7月のお盆に戸惑いはあるが、来てくださるのが東京のお寺さん
それで、こういう日程になった
神奈川というところは、7月のお盆と8月のお盆が混在している地域のようで、
スーパーにもお盆コーナーができている
提灯がどうとか、御膳がどうとか、昔からのしきたりはあるようだが、
お坊さんがお経を読みに来てくれるのが一番の供養と、
あまり、風習に拘泥するつもりもない

父のところから持ち帰った大きなご本尊を掛けてみた
ただ、これまで掛けられているのをみたことがない
保存状態も良いとはいえず、破れも目立つ
大正3年と書かれているから、百年前のものだ
曽祖父が当時の偉いお坊さんから頂いたらしい掛軸
縁というのは不思議なもので、そのお坊さんが最後に住職を務めていたのが、
明日来てくれるお寺さんなのだ

2015年7月3日金曜日

海街diary

金沢フォーラスで映画を観る習慣を復活させた
鎌倉が舞台の「海街diary」
予備知識なしに観たのだが、とてもよかった
古い家屋が主役といえなくもない
四姉妹それぞれ素敵だったが、母親役で出てきた大竹しのぶの凄さに感銘を受ける
メーキングビデオを見つけたので貼り付けておきます
本編を観てからの方がよいです



2015年7月2日木曜日

宿よ宿よ

京都三日間の稽古会がとても良かったので
毎月通うべしと、旅行サイトで宿を確保しようとしたら
デキナイ

いざ継続的に通おうとすると、
宿の確保が一番のハードルになりそうだ
宿泊費そのものも値上がっている

どうやら外国人観光客と競合しているらしい
JTBが月別の統計を出していたので、ここ三年間の3月の外国人観光客数推移を見てみる
http://www.tourism.jp/statistics/inbound/

  外国人観光客数 前年比 ドル/円
2013年3月 85万人  +25%    94円
2014年3月  105万人   +23%  102円
2015年3月  152万人   +44%  120円 

二年前に比べると、なんと70%以上増えている
これは全国の数字で、このうちの10%の人たちが京都を訪れているらしい
観光客数の増加のきっかけはビザ取得資格の緩和といった政策的なものもあるし、
これも、政策的と言えるが、円安
二年前と比べても、ドルベースで25%以上日本の物価は安くなっている
それが宿代を引き上げることにつながっている

宿の確保が難しくなったのは毎月通っている金沢がそうで、
こっちは、北陸新幹線開通とともに、日本人旅行者と外国人観光客の両方が増え、
空前の観光ブーム
これは、地元の旅行産業にとっては福音なのだが、
私にしてみれば、とばっちりを受けている感じなのだ
歓迎すべき観光客がライバルとは...

さてどうしよう

2015年6月7日日曜日

前にすすむ 4 − swingby

前に進むといいながら、後ろ向きの話ばかりしているではないかと言われるかもしれないが、「いやこれでも前に進んでいるのです」と言う他ない。これまで関わっていたものから離れていく動きはいまだ続いていて、ひたすら「ゼロ地点」に向かっている感じなのだ。なまじ、この動きに逆らって、あたらしい関わりを希求しない方が、自然におもえるのだ。屁理屈を付け足せば、ゼロ地点に向かっているというより、宇宙旅行で使われる、スウィングバイ地点に向かっているといった方が良いのかもしれない。つまり、次なる遠距離旅行に向かって加速する一点だ。

家の片付けは「遅々として」という形容詞付きながら進んでいる。モノを減らすというのは、次なる移動に向けての準備でもあるわけだが、モノが減ってくると、空間の快適性はまちがいなく増す。つまり居心地がよくなってきて、移動へのモティベーションは減じてくる。面白いものですね。

ずいぶん昔の話だけど、ある連れ合いを亡くして間がない女性と会ったとき、彼女の輪郭、ことに表情がフワフワと揺らいでいて不思議に思った記憶がある。後になって、人の輪郭というのも、ある安定した関係性のなかで定まるもので、人生の過渡期にあって、それは不定位化するのだということに気づかされた。今、私に起こっている事象も同様なのだ、きっと。

前稿で「失せもの現れず」などと書いたせいか、クレジットカードを失くしてしまった。梅雨って、忘れ物が多くなる季節ではあるのだが、これまでの例だと、大概出てくる。数年前、整体協会の会員証を2回続けて落っことしたことがあり、警察から事務局に連絡が行って恥ずかしい思いをしたことがある。が、今回は出てきませんでした。今、再発行の手続き中。