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2026年5月1日金曜日

稽古日程更新

晴風学舎となって2ヶ月目に入ります。

最初のひと月はなかなか濃厚でした。
毎週、同じ時間に稽古するのはよいですね。稽古にリズムが生まれてきます。
入会の受付事務にも慣れてきました。
今月から三日間の稽古が月中に組まれたことで、1ヶ月の時間の流れ方も、変わってきそうです。

4月以降の変更点
*稽古会費を一部改定します。
*動法基礎を再開します。
*個別稽古と集団稽古各一回を組み合わせた月登録制を設けます。

稽古日程はこちらでご覧ください。

2026年4月4日土曜日

7時間遅れ

 定刻10時37分に京都駅を出発した敦賀行きサンダーバード、琵琶湖半分くらい北上した安曇川という駅で止まってしまう。倒木のため遅延というアナウンスはあらかじめ聞いていたので、すぐ動くだろうと高をくくっていた。これより早い便は米原周りとのことだっので、倒木処理の作業に目処が立ったのだろうと予想していたのだが、安曇川で止まってしまった理由は強風だったらしい。13時ごろ運転再開といってたものが、15時以降となり、とうとう再開時間不明になってしまった。一旦京都駅に戻って、米原周りの便に変更した方が、敦賀に早く着けるかもしれませんと、アナウンスの語調が変わる。乗客は次々に反対側のホームに移り、京都行きの電車に乗り換えていく。一旦、京都駅に戻り、みどりの窓口に行列して便を変えても、今日の個別は無理。予約してくれている方たちにキャンセルの連絡を入れ、今日のゴールを松任にたどり着くことに切り替え、メール書きと読書ー吉田修一の「国宝」を持ってきたーに入る。敦賀着18時40分。実に7時間10分の遅延。こういう場面には何度も遭遇しているが、なかなかの記録だ。まだ小松にもたどり着いてない。



2026年2月7日土曜日

禁糖2026

吉田神社の鬼やらいの神事に行った翌日、急遽思い立って禁糖を始めた。順調に行けば、旧正月には終えられるはずである。外食しづらい禁糖期間中に泊まりがけの行事を入れることはないのだけれど、今年は、ばっちり白山稽古会が入っている、というか、白山にやってきた。

そうなると、食料持参の出張ということになる。タッパーにカレーを載せた白米を詰め、もうひとつのタッパーにはサラダ。おにぎりにふかしさつまいも。さらには、バゲットにチーズ。果物、ティーバッグも入れた。ちょっと準備過剰という気がしないでもないが、これには理由がある。

この時期北陸に向かうと、天気予報と列車の運行状況と睨めっこすることになる。一年前の2月は、結局雪で来られなかった。来られないのなら諦めもつくが、問題なのは、来たはよいが帰れなくなるパターン。随分前のことだが、雪でホテルに48時間缶詰になったことがある。まだ、北陸新幹線が金沢までで、サンダーバード一本で通っていたころの話だ。

明日の天気予報は雪。交通機関もあやしい。
雪国に缶詰というのも悪くないとはいえ、今は禁糖中だ。

そう、禁糖の話でした。
今回、タイミングが合ったのか、変化が速い気がする。


 

2025年8月11日月曜日

京都十年 その4

白山稽古会との関わり方もずいぶん変わった。
なんせ、この会が始まった当初は、東京から上越新幹線で越後湯沢、そこからほくほく線で直江津。そこからさらに北陸本線で金沢というルートで、片道7時間くらいかけて通っていたのだ。その後、飛行機を使うことも増えたが、長距離遠征であったことは変わらない。

北陸新幹線が金沢まで繋がったのが2015年3月。京都に越してくる半年前のことで、新幹線の恩恵を受けることなく、京都から、今度はサンダーバードで通うことになる。東京から通うことに比べ、特急2時間で北陸にたどり着けるというのは極楽であった。のどかな琵琶湖の湖面を眺め、福井に入ってからは、白山山系の山並みを望む。新幹線に比べるとはるかに旅情を感じさせるものだった。ただ、雪や大雨には弱く、途中まで行って引き返すことになったり、逆に大雪で缶詰になり、京都に戻れなくなったことも、一度や二度ではない。北陸新幹線の敦賀延伸によって直通のサンダーバードは姿を消し、乗り換え2回しないと会場のある松任にたどり着けなくなってしまった。電車の中で眠る快楽も失われた。

白山稽古会、長くやっているせいで、まとまりがある。HUBとなって世話してくれている方のおかげである。振り返ると、この会は2009年に始まっているから、もう16年続いていることになる。

2025年7月12日土曜日

正念場

 整体の稽古会のため、毎月、石川に通っている。かれこれ一五年になる。金沢からローカル線で三つ目の松任という駅で降りる。松任は加賀の千代女の生まれ育った土地で、駅の近くに千代女の里俳句館もある。その目と鼻の先に中川一政記念美術館という小さな美術館がある。真鶴にあるものに比べると随分と規模の小さなものなのだが、空いた時間が生まれると立ち寄って、一政翁の作品に触れることにしている。

 この美術館で求めた一政翁の絵葉書をフレームに入れて机の上に置いて日々眺めている。「正念場」と書かれた墨書で九七歳の作とある。一政翁の作品は晩年のものほど素晴らしいのだが、それにしても九七歳の正念場って、いったいどのような正念場なのであろうか。


 ウォークマンが世に出たのが一九七九年のことだから、半世紀近くが経とうとしている。ウォークマンがiPodにとって代わられ、それがさらにスマホに置き換わって、イアホンで音楽を聴くのがすっかり定着してしまった風であるが、その習慣を身につけることなく七〇の歳を超えた。


 ところがである。この歳にしてイアホンをつけることになってしまった。原因は難聴にある。まさか老化が耳に現れるとは十年前には想像もしなかった。至近距離で会話している分に支障はない。ところが大勢の中にいるともうお手上げで、言葉が自分の上を飛び交っているのに、一人だけ無音のドームの中に閉じ込められているようで、まことにつらい。ふたば会に出席することも重荷である。それよりも、雨音が聞こえないのが寂しい。


 このような状況をどう受け止めるべきなのだろう。ここ数年は聴こえづらさという現象を受け入れ適応しようとしてきた。つまり孤独の道を選んで過ごしてきた。たしかに、年取ると共に行動半径は狭まり人付き合いも減ってはくるのだが、はたして、これを唯唯諾諾と受け入れるべきなのだろうか。聴覚補助機能を持つイアホンを使いはじめて気づいたのは、自分は聴くという行いを諦めていたという事実であった。外部補助に頼ることなく生きるという生活信条が逆に廃動萎縮ー使わなければ衰えるーを招いていた。


 それにしても、世界は音で溢れている。騒音だらけといってもよい。イアホンを付けていると、周りの音が均等に増幅され、音の嵐の中に放り出される。ここから必要な音だけを取り出して聞き取っていくなんて、なんと難易度の高い技を駆使して人は生きているのだろう。不思議なものでイアホンを用いて「聞こえる」とわかると、イアホンを外しても、少なくともしばらくの間は音の解像度が上がった状態で「聞こえる」のだ。さて休眠していた聴く力は蘇るのだろうか。それとも静かで平和な世界に引き返すのか。正念場である。


【初出 『会報 洛句』2025/7】 


7/12、時差ボケが抜けぬまま松任へ。美術館を覗いたら、「正念場」の現物が掛かっていた。初見ではないはずなのだが、思っていたよりも小ぶりの作品だった。また絵葉書を買ってしまった。




2024年8月5日月曜日

白山稽古会

8月の白山稽古会から帰還。石川もしっかり暑かった。
この白山稽古会、15年続いている。
京都に引っ越して9年になるから、京都から通っている期間の方が長くなってしまった。

この会が始まったとき、まだ北陸新幹線は開通してなかったので、東京から越後湯沢まで上越新幹線で移動し、そこから、直江津までほくほく線、そこからさらに北陸本線に乗り継いで金沢にたどり着くというルートだった。片道5時間。直江津で買った鱒寿司を日本海を眺めながら食べていた。飛行機と宿がパッケージになっている出張パックというものを見つけて、飛行機で小松に飛んでいた時期もあった。十年前、亡くなった妻が秋田で入院静養していた時期には、上野から山形新幹線で新庄、そこから奥羽線で院内という駅まで行き、そこからまた新庄に戻り、日本海に出て村上新潟経由で金沢。そして帰りは米原経由の東海道新幹線という、日本半周コースで移動していたこともある。交通宿泊費を考えると、黒字にもならず、かといって赤字でもない稽古会だったけれど、なぜか6年間通った。参加者の関心と僕自身の首都脱出欲求が合致したということなのか。



2015年に京都に引っ越してきてからは、金沢直通のサンダーバードが使えるようになった。便数は少ないが、会場であるふるさと館のある松任に停る便もあって、これは便利であった。窓から四季折々に姿を変える琵琶湖や白山を眺めながら、ときにはうたた寝をしながら石川に通った。金沢までの北陸新幹線が開通したのは2015年のことなので、それほどは利用してない。しかし、新幹線開通で金沢の駅は大きく変わり、観光客がどっと増え、金沢駅周辺のホテルが取りづらくなっていった。コロナ前の話である。

そして、とうとう新幹線が敦賀まで延伸してしまった。京都からサンダーバードは敦賀。そこから新幹線に乗り換えて小松または金沢。そして松任へ。乗り換えが2回。それぞれ電車に乗っている時間は1時間に満たず、つまり、うたた寝をしている余裕がなくなってしまった。時間は短縮されない。運賃は上がる。関西から北陸を目指す人間にはまったくメリットのない新幹線延伸である。おまけに、関東方面からの観光客とインバウンド客の増加で、また金沢駅周辺の宿が取りづらい状態に逆戻りである。

そもそもこの会は、松任で活動していたワンネススクールの森さんの要請で始まったもので、ここまで継続して稽古しているメンバーの顔ぶれをみると、なんらかのかたちで森さんと縁のある方たちである。森さんは本人は多忙すぎてフェードアウトしてしまっているけれど、しっかり気配だけは残していっている。月一の稽古でできることは限られていて、あまり前に進んでいる感じはない。それでも積み重ねられ、深まっているものがあることは疑う余地がない。15年もやっているのに、参加者の数が増えていかないのは、僕の力量の故である。

さていつまで、この会は続くのだろう。金沢に稽古場もでき、そっちで稽古してもらえればとも思うのだが、白山と金沢は、同じ加賀とはいえ気風が違ったりするので、当面、棲み分けるかたちになるのだろう。ここにきて、若い人が加わったりして、ちょっと活気も出てきてる。老骨に鞭打って、もう少し白山に通うことにする。今回は、往復とも小松経由で松任、宿泊も松任だったから金沢に足を踏み入れていない。