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2014年11月30日日曜日

雪囲い

雪降る前の気分ってどんなの?
と義妹(年上ですが)に訊いてみたら、
雪降るまでは、いやだいやだと思うけど、
一旦降ってしまえば、諦めがつく、との答えが返ってきた

そうなんだろうな
この土地に暮らす限り
四季折々の行事が雪とともにある
何百年もの間、そのように暮らしてきた

雪囲いされた家をひと周りし、
雪掻きしていた日々を思い出しながら、
それからまだ一年経ってないことに驚く

無人の家を維持していくのは大変だ
水道管が破裂しないよう、水抜きをして元栓を閉じる
雪降ろしは誰かに頼むとしても
雪消しをしないことには家は雪で埋まる
人が暮らすことで、家はかろうじて保たれるのだ
来るたびに更地が増えていくのを残念がるのは、街人間の勝手な感傷
でも、もったいない

昨日、義姉の一周忌も済ませ、これでようやく一区切り
これから帰京するが、当地の天気予報には明後日あたりから雪マークが付いている
明日から12月

2014年11月21日金曜日

秋田

年内にもう一度
訪ねておきたい場所がある
いや、行かなくてはならない土地
秋田である

昨年末義姉が亡くなった家
娘が毎朝雪掻きしながらひと冬護った家
退院明けの妻が夏前まで暮らした家
僕がせっせと10回通った家
住む人のいなくなってしまった妻の実家
のある秋田

そこをもう一度訪ね、
墓に参り、
お世話になったご近所に挨拶し、
家の中をもうひと片付けする
それなしに年を越せない
そんな気分

オレってこんなに義理堅かったっけ?
まるでカミさんが乗り移ったみたいじゃないか

来週、次のしごとが本格化する前に、11回目の秋田を目指す

2014年4月10日木曜日

山笑う

今シーズン七度目の秋田である
前回からは丸一月空いてしまったので、
風景の変化は劇的で、もう春真っ盛りである
山の雪もだいぶ消え、雪解け水で勢いを増した川音が響いている
「山笑う」という季語を実感する春


散歩の季節がやってきた
小学校跡ー院内駅ー愛宕神社と歩いてみた
距離にすると2キロほどか
駅前の観光案内板によると、このあたりをジオパークとして売り出そうとしているようだ

【院内駅+異人館】



とはいえ、散歩しに来たわけではない
家の中の片付けも少しづつ進行中
暖かくなって、家の中の行動範囲が広がってきた
とりあえず蔵書の整理を始める
文庫が山のようにある
漱石の復刻版とか蕪村全集まである
意外だったのが、須賀敦子の本があらかた揃っていたこと
タブッキまである
でもこの本たちをどうしようか…

久しぶりに宮部みゆきを読みはじめた

2014年3月8日土曜日

雪掻き

西に行きたいと思っているのに
大阪から先に行けない
そこから先に行こうとすると、必ず邪魔が入る
岡山の実家を処分したのが四年前
以来、岡山の土も踏めていない
四国遍路も頓挫したままだ

コンパスは北を指している
昨年末の義姉急逝以来、秋田に通うこと六度
妻娘は秋田で越冬することになり、
私はひとり横浜暮らし
この逆単身赴任状態も三ヶ月目に入る

冬の秋田は初めてではないが、
暮らしたことはない
早起きして雪掻きして、
一日に何度もお茶を飲んで、
早々と布団に入る
横浜と秋田の時差は三時間

秋田の家の玄関を開け、
「ただいま」と声をかけて中に入る
というのも、そう奇異ではなくなってきた
雪掻き大変だな〜、という挨拶ほどには、ジモティたちは大変に思ってない
らしいこともわかってきた

実際、早朝の雪掻きは気持ち良い
ダンプと呼ばれている大きなスコップで雪を掻いては側溝に流していく
この冬降った東京の雪とちがい、秋田の雪はサラサラしていて軽い
30分も雪掻きすれば、玄関周り、前の道の雪はなくなり、
おお、一仕事したぞという気分になれる
時折、群れをなして旋回する白鳥の鳴き声に手を休め空を仰ぎみる

結構、贅沢な暮らしなのだ

2014年2月6日木曜日

雄物川

雄物川は秋田県を南から北に流れ日本海に注ぐ一級河川だが、
上流の湯沢市あたりだと、川幅はまだ狭い
昨年末から五度目の秋田



2014年1月30日木曜日

1月の読書

雪男は向こうからやって来た 角幡唯介 集英社文庫 2013
思想の落とし穴* 鶴見俊輔 岩波書店 2011
謎の独立国家 ソマリランド* 高野秀行 本の雑誌社 2013
イトウの恋* 中島京子 講談社 2005
探検家、36歳の憂鬱* 角幡唯介 文藝春秋 2012
貧乏だけど贅沢 沢木耕太郎対談集 沢木耕太郎 文春文庫  2012
言語小説集* 井上ひさし 新潮社 2012
メモリークエスト* 高野秀行 幻冬舎 2009
わら一本の革命* 福岡正信 春秋社 1983
100分で名著 松尾芭蕉ーおくのほそ道* 長谷川櫂 NHK出版 2013
100分で名著 世阿弥ー風姿花伝 NHK出版 2014

【番外編】

2014年1月28日火曜日

秋田弁の世界

義姉の葬儀の後、しばらく秋田に留まることになった
弔問客は次々に訪ねてくる
その弔問客にお茶を出しお菓子を勧める
相手をするのは、義妹だったり、お手伝いに入ってくれている本家のお嫁さん
私はその傍で話を聞いている
秋田弁ネイティブ同士の会話が展開していくのだが、聞き取れない
それでも三日も座っているとだいぶ理解できるようになってくる
文字表記不能の音と細やかな抑揚
どれだけ繊細に身体を使っているのか
その身体性にびっくり
この言葉でしか表現できない機微がある
普段自分が使っている標準語が実に平板なものに感じられる
初七日が終わるまでまでいた
時間とともに聞き取りはかなりのレベルまで到達可能だろう
しかし、永遠に話者にはなれないことを確信した
結局、隣に住む80歳のお婆さんの秋田弁には最後まで歯が立たなかった


(裏庭は屋根から下ろされた雪で埋れている  寒さは関東より厳しいが、こちらの方が春めいている 1/29)

2013年12月31日火曜日

雪国

12月21日、義姉急逝
その葬儀に出先の石川から秋田に駆けつけた
初七日の後、一旦東京に戻ったものの、また秋田に引き返し、
このまま年末年始を過ごすことになった

義姉は整体協会に長年勤めていた人で、
晴哉先生の時代をよく知る人であった
組織としての体裁が整う以前の、下落合に道場があった時代から
晴哉先生の秘書的な立場で過ごしてきた人である
内弟子育ちの古い指導者の人たちからも一目置かれる、そんな存在だった
晴哉先生が亡くなられたあとも、頼りにされつつ、時には煙たがられながら
定年を迎えるまで事務局で仕事していた
僕にとっては大先輩であった

晴哉先生時代の面白い話をたくさん聴かせてもらった
ただ、これは貴重な話だから書き留めて置こうと、下心を持って接すると
まったく話が膨らまなかった
そんなことを思い出した