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2021年1月10日日曜日

1月10日朝

◾️昨年は、COVID-19に翻弄された一年でしたが、この様子だと、今年一年、またコロナと付き合うことになりそうです。 ◾️大晦日新年はは京都で迎えたものの、元旦には孫たちの住む千葉佐倉に空席の目立つ新幹線に乗って移動。一週間いて、緊急事態宣言の出た東京から今度は北陸新幹線で大雪の石川へ。白山稽古会が今年の稽古始めとなりました。 ◾️無事、稽古会を終えたものの、関西行きのサンダーバードは全て運休。結局、新年早々、足留めを食らうことになってしまいました、で、この文章は、金沢の宿で書いています。京都に帰り着くころには、関西にも緊急事態宣言が出ているのかもしれない。 ◾️東京五輪のごちゃごちゃに巻き込まれるのは嫌だと京都に越して来たはずなのに、なんで古希を迎えようとする老人(数えでいけばそうなります)に静かな隠遁生活を送らせてくれないんだと、悪態のひとつもつきたくなってきます。ともあれ、しばらくの間、息をぜいぜい言わせながら走ることになりそうです。◾️一夜明けても(1/10午前)北陸線は動いてなさそうです。今日もこのまま金沢に居ることになるのでしょうか。贅沢をいえば、缶詰になるなら温泉宿がよかった、などとつぶやいています。

2019年12月18日水曜日

LCCで飛び、Airbnbで泊まり、Grabで移動する 5

ぼくが東京での講座に現れるかどうか、同僚は賭けしてたみたいだったけど、ちゃんと現れました。足止めを食らったタイでしばらく過ごし、年が明けたくらいに日本に戻ってくるという案が魅力的に映ったことは白状しておきます。でも、今回は、無理して帰ってっきて正解。京都に帰ってきて、その翌日から講習だったのだけれど、「ここまでたどりついちゃったの?」というレベルの素晴らしい講座だった。京都に帰っきた翌日、チェンマイの空港でドロナワ申請していたe-visaがメールで届いた。悔しいというか情けないというか、あとの祭りというか。今回の教訓。旅の下調べは十全に。このシリーズはここまでです。


2019年12月13日金曜日

LCCで飛び、Airbnbで泊まり、Grabで移動する 4

今頃はハノイの街角で最後のベトナムコーヒーを飲んでいるはずだったのに、まだ、チェンマイに居る。まるで、この街が僕らを引き止めているようだ。空港に行ってAirasiaハノイ便にチェックインしようとするとVisaなしではダメと言われてしまう。ハノイでarrival visaは取れるのかと訊いても、ネットでe-visaを取れとの一点張り。イミグレーションでも、ハノイ〜関空便の予約をしているvietjetのカウンターでも同じことを言われる。Webサイトを教えてもらい、速攻で申請を試み、申し込み完了までたどり着いたものの、ときすでに遅し。チェックインカウンターは閉じられてしまった。さて、どうする? 途方に暮れている場合ではない。帰りの航空券は捨てることにして、バンコク経由の関空便を探す。Airasiaのサイトに入り、チェンマイ〜バンコク〜関空で探すと、なんとか日本まで繋がりそう。こんな周遊になるんだったら、往復切符など買わず、はじめから片道切符でつないでおけばよかったのだが、あとの祭。13時の便に乗るはずが21時の便になり、空港で6時間過ごすのは苦痛なので、荷物を抱えて前日行けなかったTea Houseに向かうことにした。のんびりとアフタヌーンティーをいただく時間は贅沢。京都にたどり着けるのか俺たち。

双というOS

京都でものんびり暮らしているはずなのに
チェンマイにいると、のんびりの度合いが一桁増す
いったい、京都では何を思い煩わって暮らしているのだろう
おもしろいことに、ノイズのレベルが低くなると、
普段、捉えきれていない肝腎の事柄が、不意に浮き上がってくる
あるいは、降りて来る

双という世界観
それを表現する技
それを体験する稽古法
すべて此処にある
門をくぐれば、此処は技の世界
技を磨くとは受動の集注を学ぶことで、
外の世界にリーチアウトしようという欲求は消え、
我々は姿を消す
双の世界観を求めている人たちはいるらしい
はたして、その人たちは、此処を発見できるのだろうか
いや、そのような世界観を心底求めている人たちに発見されるほどに、
僕らは受動の技を磨くことが出来るのだろうか

2019年12月12日木曜日

LCCで飛び、Airbnbで泊まり、Grabで移動する 3

さて、今回の旅も終盤。最終目的地のチェンライの知人宅でほっとして風邪をひいてしまったが、足湯と行気で切り抜ける。あとは、再び、チェンマイに戻り、ハノイ 経由で関空を目指すことになる。二十代のバックパッカーのころは、大人になったら、もっとお金持ちの旅をしてみたいものだと思っていたのに、結局、今は老稽古着バックパッカーをやっている。バックパッカー歴半世紀(笑)。それにしても、旅のスタイルはインターネットの出現以来、大きく変わってしまった。今、京都の街は外国人観光客であふれているが、つまり、今回、僕らが経験しているようなスタイルで旅してるわけだ。ただ問題点がひとつ。このiPadの電池が切れたら、文字通り路頭に迷うことになる。

2019年12月11日水曜日

Talk in Chiang Rai

旅の最終目的地であるチェンライにやってきた。たどり着いたと言った方がより正確か。古い友人であるボゲットさんの自邸。30年教えた京都の大学を退官したあと、チェンライでパートナーと一緒に暮らしている。自分で設計して建てたという邸宅は博物館のようで、さすがイギリス人。最近は、日々、京都時代に集めた明治から昭和の「煙草カード」コレクションの整理に明け暮れているという。自伝を書く気はないの?翻訳は僕がするよ?と訊いてみたら笑っていたけれど、ここ半世紀の東アジア、東南アジアの現代史を目撃してきた証人として貴重な存在だと思う。その博覧強記ぶりは健在で、陳列展示して人形ひとつから、その由来、歴史についてのレクチャーが30分続く。さて、ここから、京都を目指して帰ります。今度は僕が風邪っぴきです。

2019年12月10日火曜日

LCCで飛び、Airbnbで泊まり、Grabで移動する 2

ハノイ行きVietjetの座席は窮屈で、うん10年も前のろくにリクライニングの効かない夜行バスの4列シートを思い出した。そうか、LCC(low cost carrier )とは夜行バスの別称だったのかと妙に納得。関空からハノイまで5時間だからよいけれど、8時間になるときついよな、と体を縮めていた。
ハノイ 、チェンマイとも宿はAirbnbで予約。数年前だったら、booking.comとかtrip advisorを使ったかもしれない。はじめての土地でどこに泊まるかを決めるのはむずかしい。観光地が近く、ホテルが密集しているエリアは、便利だが騒がしい。といっても、郊外にすると移動に問題を抱えることになる。今回は、ハノイ 、チェンマイとも正解だった。どちらも旧市街の中か、そこに近接しているエリア。ハノイ の宿の方が、Airbnb的といえるのかもしれない。街中の普通のアパート三階にあるワンルームの小洒落たスタジオ。小さなキッチンも付いていて、料理もできる。


LCCで飛び、Airbnbで泊まり、Grabで移動する 1

街を走っているTuktukの数が劇的に減っている。Grabというアジア版Uberのせいだ。ハノイで素晴らしいオリエンテーションをしてくれた鈴木さんも使っていたが、ベトナム用のSIMカードは用意してなかったので、利用するのはチェンマイがはじめて。アプリの地図で現在地と目的地を入力すると、即時に料金が表示される。予約ボタンを押せば、ものの数分で車がやってくる。ドライバーとのコミュニケーションは極少。乗客もドライバーもスマホの画面を眺めているという不思議な光景が出現する。一昔前までの、車に乗るまでの交渉駆け引きがすっぱりと脱落したかたちだ。言葉の通じない国で旅行する者にとって、これは福音なのか堕落なのか。タイでもGrabの法的な立場はグレーらしい。イギリスのUberドライバーの体験レポが載っている『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』(原題はただ”Hired”だが、この邦題はよい)と同じ問題を抱えているに相違ない。


2019年12月9日月曜日

Down in Chiangmai

チェンマイに着くと同時に連れ合いがダウンしてしまった。
より正確にいうと、ハノイで最後のコーヒーを飲んだあたりから、ちょっと調子へんだな、という感覚が生まれ、空港行きのバスの中ですでにダメで、かろうじて乗機したもののチェンマイ空港に着いた時には、自力で歩けないほどダメダメな状態。救護室で1時間横にならせてもらい、その後、タクシーで宿にたどり着いたものの、ベッドに直行。
ハノイの喧騒を面白がっていたようでいても、はじめてのアジアは刺激過剰だったようだ。僕がいうカルチャーショック熱が襲ってきたということ。こうなると休むしかない。最終目的地だったチェンライはかすみ、どうやって無事に京都に帰り着くかが、ぼくのミッションになった。
6年ぶりのチェンマイ稽古会。外国で暮らす日本人の目から見ると、日本が輸出すべきは「文化」である、ということになるらしい。であるならば、整体の「双」の世界観+技術体系+稽古法は無限の可能性を秘めていることになる。


2019年12月6日金曜日

Lost in Hanoi

ハノイの旧市街は入り組んでいて方向感覚が狂ってしまう。
街の真ん中にある湖が基準になっているから、まずはその湖を目指そうとするのだが、気がつくと90度ずれた方角に歩いていたりする。立ち止まってはiPadを取り出して地図で確認するのだが、交通量の多いところでやるのは危険きわまりない。なので、コンパスを首から下げて歩くことにした。バイクと車が両方向から走り続けているから、通りひとつ横切るにも命がけ。信号機はあるのだけれど、みんなが従っているようには思えない。ハノイ3日目にして、野性感覚が取り戻ってきた。


2019年8月8日木曜日

糸魚川

合同稽古会を終えて金沢から糸魚川に移動
稽古仲間の縄文人見習いこと山田修さんを訪ねる
お世話になるのもこれで3度目
なんだか実家に帰って来たような気分になるのが不思議だ
荷を解くや、早速、温泉に向かう
車30分圏内に温泉が五つあるという
この日は笹倉温泉

2日目、懸案のスキンダイビングの手ほどきをお願いする
マスクにシュノーケルを付けて海に入る
水に浮いて水中を覗き込むだけで別世界が広がる
もとより泳ぎは苦手で、というか40の歳までカナヅチだった
40の手習いで始めたスイミングスクール通いのおかげで多少泳げるようになったとはいえ、
それはプールでの話で、うねりのある海は怖くてしかたがない

関東にいたころの話
一度だけ、水深5メートルのダイビングプールに連れていってもらったことがある
友人の指示どおり潜水を試みるのだが、何度やっても潜れない
挫折感とともに引き揚げてきた
そしてようやく再挑戦の機会が巡ってきた
しかも海で

どういう訳か、水平の状態から頭を降ろそうとすると、
足もいっしょに降りてきて、体がV字型に折れてしまう
これでは潜れない
何度か試みているうちに、上半身だけが沈んで、体が折れない状態で前に進んでいった
どうやら潜れたらしい
さらに何度か試みて、その動きを再現できることを確認したところで終了
60の手習いはスキンダイビングだな

海から上がり、温泉に直行ー今度は姫川温泉瘡ノ湯
塩水と汗を流したあと、そのまま糸魚川駅まで送ってもらう
稽古合宿、海遊び、温泉という豪華三点セットの夏の陣もこれにて終了
灼熱の京都に帰ってきた


2018年9月1日土曜日

内子 8/24-26

はじめての内子
15年ぶりの四国

内子座で文楽をみること
311の後、内子に移住していった知人家族と会うこと

7月の豪雨でJR線分断
いつ復旧するか分からないとのことだったので、関空からのピーチ便を予約
直前に台風がやてきてヒヤヒヤしたが、無事松山空港に着陸
京都から関空までが遠い

松山空港から松山駅経由で内子
今回は松山市はスルー
内子駅に友人家族が迎えにきてくれる
7年ぶりに会う子供たち
不安げだった小2が立派な中3のお嬢さんに育っていることに感無量
下の子は野性味溢れる小4

紹介してくれたゲストハウスに荷を解き、宴会が始まる
今回はいろいろとピンポイント
連れ合いのオジさんが宿から3分のところにある教会の牧師さんだったり、
その教会の行事に知人の子どもたちが参加していたり、
そのオジさんと知人が、僕らが着いたその日に初対面を果たしていたり、
おまけに、宿の若いオーナーが娘の通った中学の先輩であることが発覚したり
ありそうもない繋がりが、次々に可視化されていく

内子座文楽
伊予風鯛めしにアジ寿司
石畳地区

























内子リピーターになってしまいそうな予感
ここ7年間の変化を思えば、ずいぶん違った世界に生きている

2017年11月4日土曜日

智異山

智異山の紅葉をみるというミッション達成
いやいやなかなかのもの
結局五人組で動いているのだが、
私以外全員三十代ではないか
バス組合がストライキ突入とかで無事プサンにたどり着けるだろうか



2017年5月10日水曜日

熊野詣 3

ゴールデンウィーク明けなので混み合ってる感じはしない
それでも、そこそこの人出
京都ほどではないけれど、外国からのインバウンド客の比率が高い
熊野に来るだけでなく、熊野古道を歩いてる
那智の滝に向かうバスを待っているとき、30歳くらいの肌の黒い若者と話したら、
インドのチェンナイから来たという

大門坂でバスを降り、石段を登り那智大社を目指す
それにしても、よく歩いてるな〜
那智大社、青岸渡寺を参拝し、いよいよ那智の滝と対面
坂を下り、滝に近づいていく
落差133メートルというのは半端ない

























滝壺の近くまで登る
幸いなことにだれもおらず、一人で滝と対坐する
水の塊が落下し、途中の岩にぶつかり、そこから水の膜となって広がり落下していく
ひたすら、水の動きに集注していく
20分もそうしていただろうか

バスで紀伊勝浦
もう一泊する選択肢はあったが、もう満腹
最終の特急列車に乗り、大阪回りで京都に帰り着いた

2017年5月9日火曜日

熊野詣 2

稽古着姿で杖ついて歩いていると巡礼者に見えるらしい。

バスで新宮に出て、最初に目指したのが神倉神社。岩山が御神体で、急な石段を登っていかなくてはならない。登り口に杖が用意されていて、参拝客はそれを借りて登って行く。細身でやや長めの一本を借りて登りはじめた。

























神倉神社からは新宮市内が一望でき、その先には太平洋。さて降りようとしたときに横道発見。牛の背経由速玉大社と表示されている。登って来た石段を降りてコンクリ道を通って速玉神社に向かうより、山道を抜けてった方が理にかなってる。道は山の中腹をアップダウンしながら続いている。いかにも古道という雰囲気。今回、熊野古道を歩く予定はなかったから、プチ古道ウォーク気分。無事、速玉大社近くの駐車場に降り立った。ただ、神倉神社で借りた杖をまだ手に持っている。

























速玉大社は熊野三社のひとつ。どこかに杖を返せるところはないかしらと探してみたが、そんなものはあるはずもなく、かといって神倉神社に戻る時間もない。しかたなく、杖を手にしたまま那智大社を目指すことにした。

杖を手にして街中を歩いていると、人の視線がちがう。きっとこの人は熊野古道をずっと歩いてきたんだ、という好奇心と少しばかりの尊敬の混じった視線。ちなみに熊野古道を歩いてる人たちの大半は、いわゆるウォーキングスタイルで決めてらっしゃいます。

この杖を相棒に、電車に乗りバスに乗り、那智大社の参道を歩きー実に役に立ったー結局、京都まで連れかえってきてしまったのです。神倉神社さん御免なさい。必ずお返しに参ります。

杖おもしろい。杖に関してはいずれこのブログに書こうと思っている。

2017年5月8日月曜日

熊野詣 1

熊野に行こうと思った
那智の滝は一度は見てみたい
1日1本、京都から紀伊勝浦、新宮に特急が走っている
これを使えば、午後の早い時間に紀伊勝浦に着く
でも地図でこの海沿いルートを眺めてもピンとこない
いや拒絶されてる感じさえある
まだ熊野に行くのは早いのかな〜と
諦め気分で床についた

朝4時に目が覚めた
そうだ最初に本宮大社に行けばいいんだ
紀伊半島のど真ん中を縦断するバス路線がある
本宮大社ー速玉大社ー那智大社とつないで行けば、熊野世界に入って行けそうな気がする

京都駅から近鉄電車で大和八木
電車に乗っている間にみつけた民宿に電話して宿を確保
日本一長い路線バスという新宮行きの特急バスに乗る
5時間バスに揺られて熊野本宮大社到着

























(路線バスも途中休憩を入れながら走る。十津川村にある谷津の吊り橋)

特筆すべきは大斎原ーおおゆのはらと読むもともとの神社があった川の中洲
こんなに気持ちよい場はない
もっと厳しい場所かと思っていたが
空気がこまやかでやわらかく、女性的といってもよい
神域なのに慈悲という仏教語が浮かんでくる
河原に出て土手を越えて戻る途中、大きな黒蛇と遭遇した
神様に会ってしまったような気分








そうそう、本宮大社でおみくじを引いたら「大吉」だった

2016年12月22日木曜日

旅納め

今年も暮れようとしている
普段は京都で隠遁生活をしていて、家から一歩も出ないという日も結構な数ある
ことに日が短くなった秋から冬にかけて、そのような日が増えた
月例の白山稽古会、4ヶ月に一度東京である研修会がなければ完璧なひきこもりである
だから遠征に出るときには、ちょっとだけ欲張ろうとする

ひとふでがきの旅が好きということは以前どこかで書いた
今月の北陸・東京遠征も、当初は、京都〜石川〜東京〜京都というルートで考えていた
ただ、そのまま寒い京都に帰ってくるのではいつものパターンで能がないので、
他にどんな可能性があるか探ってみた
ここから先はもうほとんど頭の体操なのだが、
LCCを使って、成田ー台北ー関空というルートも考えられる
東京ー京都の新幹線費用を考えると、そうべらぼうな値段にはならない
でも、この年末に海外まで足を延ばす気にはならない

飛行機で大分に飛んで、友人を訪ねることにした
うまくすれば、別府温泉につかる時間くらいあるかもしれない
大分からは夜行の船で関西に戻る予定
そうそう、しばらくぶりに船の旅もしてみたかったのだ

2016年11月10日木曜日

永い言い訳

妻と父の三回忌が終わったら、急に寂しくなった。取り残されて置いてきぼりをくった幼な子が、いなくなった母親を探し求めているような、そのような寂しさ。でも子どももいずれ、親以外の世界があることを学んでいくのだ。

先月、西川美和監督の『永い言い訳』という映画を観てきた。まったく、この西川監督、侠気のある方で、男の情けなさをギリギリと突いてくる。長い結婚生活の中で、喧嘩したことのない夫婦者はまったく幸せな方で、それに文句をつける筋合いはまったくないのだが、たいがいは一度や二度一度、「こいつがいなければ」くらいのことは呟いたことはあるのではなかろうか。ただ、いざ実際に先立たれてしまうと、残された男は、続きの人生を言い訳しながら生きていくしかない。まったく、タイトルの付け方からして憎ったらしい。

今週は暇なので、白山稽古会の前に山中温泉に寄っていくことにした。ついでに、いつも素通りしている敦賀で途中下車し、気比神宮にも立ち寄ることにした。敦賀は奥のほそ道の終点手前。芭蕉の句碑も境内に建てられていた。山中温泉は三年半ぶり。ひょっとすると、あれが最後の家族旅行だったのかもしれない。前回は4月下旬なのに随分と寒かったのだが、今回はこの冬一番の冷え込み。山中温泉もまた、奥のほそ道、ゆかりの地である。

























月清し遊行のもてる砂の上

2016年10月11日火曜日

岡山行き 3

▪️岡山駅がお洒落に生まれかわっているにには驚いた。まずは腹ごしらえと、駅ナカの寿司屋で昼食。さてどうするか。このまま帰ってオーストラリア戦に備えるか、それとも倉敷まで足を伸ばすか。■大原美術館を訪れるのは、いったいいつぶりなんだろう。津山への帰省に合わせてアイビースクエアに行った記憶はあるのだが、まだ母が生きていた頃のことだから20年も前のことかもしれない。大原美術館はコレクションといい見せ方といい、スタッフの対応といい、押し付けがましさがなく、気持ちよく過ごせる。■帰路は相生、姫路と山陽線を乗り継いで京都に帰り着く。学校帰り、仕事帰りの人たちで車内はずっと活気がある状態が続く。内陸側のさびれ具合とのコントラストが著しい。▪️これで西に向け風穴が少し空いたな。




 


岡山行き 2

■津山は次回に回すことにして、岡山に向かうことにした。意地でも往復運動を回避。ホテルが岡山駅まで無料バスを出しているというので、それを利用することにした。出発は11時。それまでの時間を使って、生まれ育った町を散歩することにした。■おそらく20年も前のことになるが、同じようにこの町を歩いたことがある。子供の時の記憶に比べ、町は思っていたよりずっと小さく狭かった。その20年前よりも、さらに町はゴーストタウン化していた。夏草や強者どもの夢の跡。廃墟ツアーができそうなくらいだ。半世紀経つと、町はこのように変貌してしまうのか。日本の津々浦々で見られる風景に違いない。■河原に出てみた。この河原で遊んだのが、ボクの一番古い記憶。母親は他の女たちと一緒に、河原で洗濯をしていた。そんな記憶である。昭和30年−1955年前後、つまり60年前の記憶だ。水遊びして溺れかけたのも、この川だし、平らな石を向こう岸に向けて投げたのも、この河原だった。町の風景は変わってしまったが、川は同じように流れていた。▪️さて、もうすぐ岡山駅だ。