2020年12月31日木曜日

大晦日

大晦日 
まあ、よく大晦日までたどり着いたものだ 
風邪っぴきになり、おまけにギックリ腰ぎみになったり、 
おやおやという感じだったけれど、それも落ち着き、
今年最後の稽古ー消えること動くことーもして、
行きつけの蕎麦屋で年越し蕎麦もちゃんと食べ、 
新しい気持ちで新しい年を迎えることができそうです 
さんざんいろんな出来事はあったけれど、 さんざんなだけの年ではなかった、
というのが今年最後の感想 
来年も精進、ですね
では、よいお年をお迎えください

12月の読書

持続可能な魂の利用* 松田青子 中央公論社 2020 
父が娘に語る経済の話。*  やにす・バルファキス ダイヤモンド社 2019
俵万智* 文藝別冊 2017 
網野善彦対談集4* 岩波書店 2015 
網野善彦対談集5* 岩波書店 2015 
エベレストには登らない* 角幡唯介 小学館 2019
料理と自他 土井善晴・中島岳志 ミシマ社 2020

今年最後の買物
結局、韓国もインドも、今生ではかすっただけで終わってしまいそうだな



2020年12月29日火曜日

嵐電

嵐山に住む知人を見舞うために嵐電ー京福電鉄に乗った。帷子の辻で北野線から嵐山本線に乗り換えるのだが、待ち合わせ時間が長い。駅のホームのラックに置いてある観光地図を手に取って広げてみた。 あらためて、自分が住んでいるエリアがいわゆる観光名所と呼ばれている寺社に囲まれていることに驚いてしまう。コロナ禍の今、インバウンド客もほぼいない状態なので電車が混み合うことは少ないが、去年の今頃であれば、これは観光列車か、と思うくらいの観光客が座席を占拠していたことを思い出した。この地に住みはじめて6年目に入るが、ほんとどこも行ってない。動線とすると、街中方面、つまり、東南の方向への移動は多いけれど、西方面といったら、月末の稽古会で宇多野に行くくらいで、まったくと言ってよいくらい探検してない。この観光地図を見ながら、嵐山、太秦エリアを少し歩いてみることにしようか。年の瀬に、そんなことをふと思った。



2020年12月23日水曜日

ジグザグ

京成佐倉の駅に降り立ち、娘孫たちの住む家に向かう。京都を出て5時間と少々。坂道を登りながらいつも不思議に思う。数週間前、この街を出たあとも、ここに住む人たちの日常は営まれていたのだと。家に着く。孫たちが、おかえり、という言葉で出迎えてくれる。あたりまえのように、荷物を2階に運び、所定の場所に置く。こんな生活がはじまって8ヶ月になる。

 「二つの家庭を持つ男」といったタイトルは、週刊誌の記事かテレビドラマの中だけの話で、現実にそんなことが可能であるとは思ってなかった。二箇所それぞれに妻子がいて、家庭生活を営むって至難の技のように見える。往き来する本人は混乱しないのか。どっちかが本当で、もうひとつは仮なのか。京都には自分の稽古場があり、ここ5年の間に形成された落ち着いた生活がある。一方、千葉に来ると、三人の男の子に囲まれたカオスの生活に放り込まれる。

常に時差ボケの中に身を置いている感じなのだ。千葉に行けば、前回終わったところから時を刻みはじめようとするのだが、子どもたちは数週間分成長していて、僕の知っている子どもたちはすでにいない。二、三日かけ、時計を早回しして、現在に追いついていく。京都に戻ってきても同じ。つまり、僕は、地理的空間を移動しているのみならず、タイムトラベラーとなって、過去に着地し、そこから時間を早回しして現在に追いつき、また、過去に向かって移動する。こういうジグザグな動きを繰り返しているのだ。 

ジグザグ
日本語でいえば紆余曲折
これも、今年を表象する言葉、だな

2020年12月18日金曜日

成田街道

佐倉滞在最後の日。皆出かけてしまったので、僕もお散歩。歴博を目指して家を出たのだが、途中、進路を東に取り成田街道を少し歩いてみることにした。 

佐倉は佐倉城を中心に発展してきた街のようで、高台にある佐倉城から西に伸びる台地の頂上の部分を尾根伝いに古い街並みが続いている。 佐倉宿を東に行けば、酒々井宿を経由して成田に至る。二車線ほどの狭い道路だが、バスも走っていて市民の生活道路といった風。市に記念物として指定された古い商家などもところどころ残っている。順天堂大の始まりとなった、順天堂記念館があり、その隣には小ぶりな順天堂医院などもある。

このまま一時間歩けば酒々井にたどり着くのだが、近くに本佐倉城跡があったことに気づき、進路を北に取る。 ゆるい坂道を下り、隠れ里のような集落を抜けると15世紀にきづかれた本佐倉城跡にたどり着く。城に登ると北に視界がさっと開け、筑波山も遠望できる。往時なら、この近くまで印旛沼が広がっていて、湖を往く舟が見えたのかもしれない。そこから、八幡社、将門口ノ宮神社を経由して帰ってきた。家を出て3時間、途中、蕎麦屋に立ち寄った以外歩き詰め。ほぼ10キロの長い散歩になってしまった。




2020年12月15日火曜日

東奔西走

まだ半月あるけれど、今年を振り返って、どんな四字熟語が当てはまるのか考えてみた。多事多難、紆余曲折、疲労困憊、二重生活…。それぞれの局面でふさわしいものは、あれこれあるが、代表させるとすれば、東奔西走、ということになるのだろうか。なんとか大嵐は乗り切った。ただ、来年に思いをはせると、前途多難という言葉しか思い浮かばない。

 大嵐庵暮らしを吹き飛ばし

2020年12月14日月曜日

白山稽古会2021

来年1月〜3月の白山稽古会の日程が決まりましたあのでお知らせします。

日時 1/9 (土)、2/7 (日)、3/7 (日)         10時〜12時
会費 2000円
会場 白山市松任ふるさと館(JR北陸線松任より徒歩3分)

詳しくは下記URL をご参照ください。

【付記】ふるさと館に隣接する中川一政記念美術館で画伯の書を中心した「正念場ー書を中心に」展が開催されています。nogichi-haruchika.comに中川一政x野口晴哉の対談が掲載されています。

2020年12月13日日曜日

カリキュラム

一対一の個人教授が主たる稽古形態になってしまった等持院稽古場にカリキュラムのようなものは特に存在しない。同じ時期に稽古をはじめる人が複数いたとしても、なにを入り口にするかはその人による。身体教育研究所として、基礎と呼ぶべき事柄、稽古はあるから、最終的には、坐法・臥法といったものは教えることになるけれど、それを必ずしも出発点としているわけではない。三年くらいかけて、ひとりひとりが、ぼくらが基礎としているものにたどり着けばよいくらいに考えている。

いろんなカリキュラムをつくることはできるだろうし、あらかじめシラバスのような形で提示してあげた方が、学びに来るひとたちにとっては親切な場合もある。どこかで書いたと思うのだが、皆が身体というものと一緒に日々暮らしているわけだから、ぼくらの稽古、というか整体は、老若男女、すべての職業人に向けて有効であるし、ある特定のひとたちを対象としたカリキュラムをつくりだすことも可能だ。

昔々、どこかにカリキュラム案をつくったことがあるなと、パソコンの奥をゴソゴソしていたら、出てきました。なんと2002年。対象は二十歳前後の学生で、中味も動法を中心に据えたものだけあって、ちょっと堅苦しい。いまなら、日本文化云々を全面に出すことはためらわれるし、表現も、もう少しソフトなものになるだろうな、とは思う。「蔵出し」として、このブログに挙げておいたので、興味のある方はどうぞ。

「動法」 ー 異文化としての日本的身体技法

2020年12月10日木曜日

忘れてもいいように

片桐ユズルさんの『忘れてもいいように』(アレキサンダー・アライアンス・ジャパン編)が刊行された。私も時々参加させてもらっている「片桐ユズルにきく」の膨大な音源をもとに、若い参加者/編集者が中尾ハジメさんの協力を得て一冊の本に編んでいった。ユズル史でありながら、自分史と照応し、そして、ここ半世紀の時代の空気の変化を片桐ユズルという「輸入業者」を媒介として上手く掬いあげている。近々、等持院稽古場にも置かせてもらう予定です。3千円+税。




2020年11月30日月曜日

11月の読書

 手の倫理 伊藤亜紗 講談社新書メチエ 2020

たしかに今月は本あまり読んでないと思ったけれど、一冊だけとは。でも、この本はおすすめです。

来月のこの欄に載る予定の本たち



2020年11月24日火曜日

やまがあるいたよ

千葉に通うようになって、絵本を毎晩のように読む
これを繰り返しているうちに絵本に目覚めてしまった
どれもこれも、SFっぽくて、シュールで、スケールがでかい
なかでも、長新太の「やまがあるいたよ」のスケール感には唸った

今日、5年前に編んだ父の遺句集をパラパラとめくっていたら、
寝返りをうって見せぬか眠る山 (昧波)
という句が目に飛びこんできた
なんと、山に寝返りを打たそうとしているではないか

絵本と俳句
意外な共通点があった

2020年11月21日土曜日

亀岡散歩

今シーズンのうちにサンガスタジアムに足を運ぼうと思っていた。新たに建設された京都サンガFCのホームである。京都サンガの試合は何度か西京極で見ているのだが、J1を狙う力はまだないようだった。いかんせん、ピッチが競技用トラックに囲まれた環境でサッカー観戦というのは興醒めである。今年の京都は、李忠成やピーター・ウタカといった実力派の補強があったから、ひょっとしてと期待したが、結局中位に沈んでいる。来季、湘南ベルマーレの監督をしていた曹貴裁(チョウ・キジェ)を招請というニュースがネットに出ていた。期待できそうだ。対戦相手は徳島。J2 の首位を走っている。おそらく来シーズンはJ1に舞台を移すことになる。若いスペイン人監督は、いったいどんなサッカーをみせてくれるのだろう。ピッチは近いし、お天気は良いし(ちょっと風は冷たい)、あったかいチャイは作ってきたし、いうことなし。練習風景を見ながら14時のキックオフを待っている。

2020年11月20日金曜日

自発の在処

今月の月刊全生に晴哉先生の活元相互運動についての講義が掲載されている。活元運動、相互運動を追求していく過程で発見したことのひとつに、僕らが自発性と呼んでいるものは、自分の内部からの動きではなく、むしろ他所から、外からやってくるものなのではないのかというものがある。出発点を他者、環境と響き合う存在として人間を捉えているのであれば、自発性を中からの動きと呼んでいっこうに構わないのだけれど、近代人たる我々は、この身体を一個の独立した存在とみなしているので、あえて、「自発性とは他者の欲求を動くことである」と言い換えている。 

これまでの活元運動の理解、イメージは、体の奥に生まれた小さな動きが、だんだんと全身的なものに発展していくというものだ。現象的にも体験的にもこの図式は間違ってはいない。この最初の動きのことを自発性と呼ぶ、そのように理解する。しかし、相互運動になると、少し様相が変わってくる。相互運動の原型は活元操法にある。整体協会が社団法人化されたとき、治療を連想させる活元操法を両者坐った形態で行う相互運動に切り替えたと、月刊全生に掲載された講義録(2018年11月号)の中でロイ先生が述べられていた。うつ伏せに寝ている人が坐った状態に移行したわけだ。外形的には、相互運動において後ろに座る人は働きかける人で、前に座る人(活元操法においてはうつ伏せに寝る人)が受けの人であるように見える。しかし、それって根本的な誤解ではなかったのか。

大井町でさんざんやった稽古に「活元運動以前」というものがある。活元運動を稽古化しようと準備運動を動法的、内観的にあれこれ追求していったものだ。そんななかで、従来の活元運動において軽視されていたものとしてふれるときのカタの問題にいきついた。カタに入るということは、自分の意志を極限まで希薄化することで、つまり、カタに入ってしまえば自分で自分の体を動かすことはできなくなる。つまり、止まった状態。そのような集注でひとにふれ、活元運動に入る。すると、動きの源は、自分ではなく、ふれている相手から伝わってくるものであることを体験することになる。活元操法とは、手が勝手に動いて相手の悪いところにふれていくことではなく、寝ているひとの運動欲求をふれている人が代わりに動いていくものであると考えたほうが腑に落ちるのだ。しかも、その方が、ひとりで行う活元運動よりも充足感が生まれる。他者の運動欲求を実現するには、自己完結的=習慣的動きを打ち破る方向に展開していくしかないのだから。

「だっこ」を再体験することで、自分の中で、うまく言語化しきれてなかったものが、すこしまとまった感がある。孫に感謝ですね。ここで一区切り。

2020年11月17日火曜日

Seitai as an Art of Living

だっこ」でつかった、「Seitai as an art of living」という表現に何人かから反応があったので補足。 

 面白いもので、日本語で表現するより、いったん英語にしたほうが、ストンと肚に落ちることがある。「生きる技としての整体」よりも「Seitai as an art of living」のほうが表現としてきれい。もっとも、この場合、最初に英語があって、それを翻訳した風がある。つまり、日本語としてこなれていない。おそらく、「技」という単語と「art」という単語のズレに起因しているのだろう。「技」がより緻密さに向かうのに比べ、artの方には、もう少しあそびがある。 

そんなことを考えているところに片桐ユズルさんがやってきたので、しばし翻訳談義。僕が、artという単語の不思議さに気づいたのは、E・フロムの「愛するということ」を読んだときのことだから、1970年代の前半にさかのぼる。原題が「The Art of Loving」と知ってへぇーと思った記憶がある。一方、ユズルさんが翻訳したいと思っているもののひとつに、A・ハクスリーの「The Art of Seeing」という本があって、むかしむかし、「眼科への挑戦-視力は回復する」というタイトルで邦訳出版されたことがあるとのこと。これでは、いかにもハウツー本と思われてしまう。もし、いま付けるとすると「ものの見方」くらいになってしまいそうだが、いささかインパクトに欠ける。やっぱり、カタカナで「アート・オブ・シーイング」かね〜、とユズルさん。

それはともかく、「生きるためには技がいる」といっても、みんなピンとこない。この技というものは、文化の中で伝承されてきたものであるはずなのに、文化なき民となってしまった僕らの世代のところで、その技は途切れてしまった。テクノロジーがartを駆逐した状態。子どもを育てるにも技がいる。ちゃんと死んでいくにも技がいる。日々の暮らしにも技がいる。野口晴哉の著作の中に、あるいは、僕らがやっている稽古の中には、生きるための技=artが溢れているではないか。僕らが身体教育を謳う所以である。

(追記 ワザとアートという二つの単語によって喚起されるイメージの違いって、結局、音韻的なちがいに遡ることになるのではなかろうか 11/24)

2020年11月16日月曜日

だっこ 2

赤ちゃんにも運動欲求はありーとうぜんですね、その運動欲求を代替するものとしてだっこがある。首がすわりはじめると、その運動欲求はどんどん亢まってきて、見たい方向に首を動かそうとする。動くということは、安定を崩してしまうということで、首を動かすことでいったん崩れたバランスを胴体を動かす事で取り戻そうとするのだが、赤ちゃんは、残念ながら、まだここが自力ではできない。そこからが、だっこしている大人の出番で、バランスが取り戻るようー首の向きにふさわしい胴体の位置に動かしてやる、というか自分の体ごとそっちを向く。赤ちゃんの首のひとふり、大人のワンステップ、といった具合。急いで追いかけてもいけないし、遅れてもいけない。首を右に振ったかと思うと途中で左に戻る、という動きにもついてかなきゃいけない。おのずと、二人でダンスをしている風になっていく。だっこしている大人の運動量と同じ分、赤ちゃんも運動しているのだ、ということが実感される。それにしても、重力に対して垂直を取りたい、という欲求の強さには驚かされる。

2020年11月15日日曜日

石川合同稽古会(続報)

 コロナ禍の影響で8月は開催できなかった石川合同稽古会を再開します。会場はこれまで同じ、湯涌創作の森です。今回は1日3コマの開催になります。遠藤、角南に加え、もうひと方、稽古担当をお願いする予定です。宿泊も可能なので、恒例となった稽古会終了後の湯涌温泉入浴+食事コースは催行の予定です。 

*三人目の担当者は佐藤朋弥(国立稽古場)さんになりました。(11/8)
*1コマ目(13時〜15時)は公開講話とします。未会員の方の参加も可能です(11/15)

日時 2020年12月5日(土曜日)13時〜20時 
会場 湯涌創作の森  
会費 1コマ2000 円 通日5000円 
担当 遠藤日向(金沢稽古会)
   角南和宏(等持院稽古場・白山稽古会)
   佐藤朋弥(国立稽古場)

2020年11月13日金曜日

だっこ

三十年ぶりに赤ちゃんをだっこしている。 
もちろん、これまで赤ちゃんを抱っこする機会は多々あったけれど、生活の一部として抱っこする時間を持つという意味では、やはり三十年ぶりといってよいだろう。 三十年前に比べて、だっこが上手くなっている。えへん。 

生後2ヶ月になって、孫の首の座りはよくなり、仰向けで寝転がっているよりも、抱っこされ、体を垂直にしている状態の方を求めるようになってきた。お兄ちゃんたちが食事しているテーブルに仲間の一員として加わりたがる。 接触はしても、拘束しない抱き方ー言い換えれば、さんざん稽古してきたカタをもって抱けば、赤ちゃんの快を妨げることなくーつまり、赤ちゃんが望む方向に体を向けることができる。赤ちゃんが、抱いている腕の中で寝落ちしてしまうというのは、抱いている側にとっても至福の瞬間で、どのように自分自身を内観すれば眠りが深くなっていくかを探求している。最後のところで、拘束感を少し強くすればーシメの感覚を使うということだがー深い眠りに入っていけるようだ、などなど。 

生きる技としての整体ーSeitai as an Art of Livingーこれは生活のあらゆる場面に適用できるものなのだ。

2020年11月7日土曜日

学ぶということ

1
いまここで、こういうことをしていることの始まりを探っていくと、1973年から75年にかけての海外での経験にたどり着く。岡山の田舎から、ポッとアメリカに飛び、次、インドで過ごし、日本に戻ってきて京都で暮らしはじめた。この数年の間に自分自身が攪拌され、ぐちゃぐちゃにされた。このような状態から、どのように自分自身を再構成していくかという試行錯誤が半世紀近くたった今に至るまでつづいている。つまり、テーマが、その時の自分の能力では解決するに大きすぎ同化吸収できなかったものがライフワークになっていく。きっとそういうことだ。

 2 
もっとも、なにかが毀されるためには、まず毀されるべきなにかが形成されていることが前提になる。ひとはどのように、自分自身を形成していくのだろうか。そのような疑問を抱いていたときに出会ったのが、野口晴哉の育児論。おそらく、この育児論・成長論と出会っていなければ、ここまで整体に深入りすることはなかっただろう。僕が整体協会の事務局で働きはじめたのは1986年のことなのだが、最初に任されたのが、裕之先生の育児講座の受付だった。妊娠期に始まり思春期に至るまでの子どもの成長を、整体的視点で講義された。1日3時間x14日間というマラソン講座だった。 

 3 
身体教育研究所が誕生したのは1988年。当初は整体法研究所と呼んでいた。整体の技術を伝承していくには、なにが必要なのか、それを追求するために設立された。追求には稽古というスタイルが採られた。つまり、「いにしへについてかんがえる」。稽古は、とりもなおさず、学びというものが、どのような過程を経て生成されていくのかの追求でもあったといえるだろう。そして、整体の体っていったいなんなんだ、という問が最初に置かれる。 

 4 
このように、自分自身の半世紀をふりかえってみると、異文化教育ー育児講座ー身体教育という流れに乗って、いまにたどり着いている。もちろん、これは私のたどってきた道筋がそうであったというだけのことで、いま一緒に稽古している人たちは、またそれぞれの流れの中に身をおいた結果、それぞれの今にたどりついたということになる。生きるというプロセスに身体というものが不可欠である以上、身体教育はだれにとっても開かれているジャンルといえる。

 5 
これまで、このブログで書いてきたことは、多かれ少なかれ、上に挙げた事柄とリンクしている、というか一断面を切り取ったものの集合体が、このブログであるといえる。ただ、それぞれの断片がどのように繋がっているのかは見えづらいし、僕自身、ちゃんと見えてなかったように思う。しばらくの間、この断片を繋げていく作業をやってみようと思う。

2020年11月6日金曜日

糸魚川ヒスイ展

盟友、山田修さんが、来週、東京谷中で個展を開くそうです
開催中は在廊とのこと
東京の方は是非

2020年10月31日土曜日

走ってる

日曜日に千葉から戻り

月曜と火曜は静かに仕事

水木金はダン先生の稽古で

稽古会が終わった金曜日の夕方石川に移動

なのにサンダーバードは100分の遅延

土曜日の白山稽古会を終えて

帰りの電車の中で連句の宿題に取り組んでいる

来週一週間京都で仕事して、その次の週はまた千葉

転ばないように気をつけなきゃ

2020年10月30日金曜日

10月の読書

アナーキスト人類学のための断章* デヴィッド・グレーバー 以文社 2006
民主主義の非西洋起源について* デヴィッド・グレーバー 以文社 2020
また、桜の国で* 須賀しのぶ 祥伝社文庫 2019
荒城に白百合ありて* 須賀しのぶ kadokawa 2019
網野善彦対談集2 多様な日本列島社会* 岩波書店 2015
網野善彦対談集3 海と日本人* 岩波書店 2015

2020年10月2日金曜日

眠り

小さな男の子二人(43ヶ月、2才8ヶ月)と何日か一緒に寝たら、劇的に眠りの質がよくなった。男の子というのは、いっときたりともじっとしていない。それでも、まるで電池が切れるように、寝るときはコトっと寝てしまう。それで、翌朝にはフル充電されて蘇ってくるのだから、付き合っている大人は大変だ。一緒に寝てみると、奴らの寝相はすざましい。こっちが目を覚ますごとに違う場所にいる。二人遠く離れて寝ていると思ったら、数時間後には、重なり合うように眠っていたりする。一緒に寝ていても、数時間ごとに目を覚まし、子供たちの様子を見て布団を直したりする。こんなふうに眠りが細切れになっても、短いながらも眠りの質は良いらしく、ぐっすり眠った感はあるし、子供たちが起き出す前にちゃんと目が覚める。子供たちの眠りの深さにつられてしまうからにちがいない。この眠りの質の良さは、京都に戻って来てからも続いていて、夜中の12時になると眠くて布団に潜り込む。本を読もうとしても、ものの10分で灯を消して眠りにつく。そして、翌朝にはスッキリ目が覚めるのだ。

2020年9月30日水曜日

9月の読書

帝国日本の植民地を歩く* チェキルソン 花乱社 2019
街場の日韓論 内田樹編 晶文社 2020
女と文明 梅棹忠夫 中公文庫 2020
地球にちりばめられて* 多和田葉子 講談社 2018
星に仄めかされて 多和田葉子 講談社 2020

2020年9月25日金曜日

コロナにかかる自由

この疲労感、そして安堵感はどこからくるのだろう。

子ども疲れ、移動疲れ、理由はもろもろ考えられるけれど、最終的に、ここ5ヶ月間、僕には「コロナにかかる自由」がなかったのだという一点にたどり着いた。そう、僕はコロナにかかってはいけなかった。妊娠中の娘のところにコロナを運んではいけなかった。妊婦がコロナ感染した場合、帝王切開となる、そんなニュース記事がインプットされてしまっていたのだ。


コロナの最中は引きこもっていればよい、そのようなスタイルでコロナと向き合うつもりでいたのに、思わぬ出来事のため、移動自粛のさなか移動を余儀なくされてしまった。基本僕のスタンスは、「病気は必要な人がかかる」「病気によって、その人の体は改革される」というものなのだが、娘の出産に関しては、医療機関と関わらざるを得ないから、そっちの土俵に上がるしかない。つまり、全力でコロナに感染しないように努力するしかなかったわけだ。


そしてようやく、ぼくは「コロナに感染する自由」を取り戻した。

2020年9月21日月曜日

iPod touch

京都に帰ってきたら、無性に音楽が聴きたくなった。このところCDプレイヤーがやや不調なので、抽斗の奥からipod touchを引っ張り出してきて、macから音楽データを移し、dockの出力端子とアンプの入力端子をつないだ。容量8ギガしかないipod touchだけれど、普段、CDで聴いているものの枚数はそう多いわけではない。4ギガ分入れれば、丸二日かけっぱなしでもお釣りがくるくらいだ。一時は売り払ってしまおうかと思っていたipod touchだけど、あらためて触ってみると結構な名機に見えてくる。dockに載せると使い勝手もよい。涼しくなって、アンプから出る熱もそう気にならない。一日中、かけていた。


150日

千葉に通うきっかけになった出来事から150日目の朝、元気な男の子が生まれてきた。この150日の間に、京都と千葉を往復すること8回、のべ70日近くを千葉で過ごしたことになる。こうなると、「暮らした」という方が適切かもしれない。究極の二重生活。小さな男の子たちとの暮らしは、住環境も食生活も京都での暮らしとぜんぜん違っていて、戸惑うことも多く、体調を崩しかける場面もあったが、なんとか乗り切った。これで、ひとやま越えた。

といっても、これで終わりというわけにはいかない。むしろ始まりだ。この二重生活は当分の間続くことになりそう。四連休の初日、帰りの新幹線に乗ったのだが、その混み具合は、まだ旧に復したとはいえないまでも、4月5月の一両にひとりふたりの乗客しか乗っていない異常な空気感のなかで息を潜めて乗っていたことを思うと隔世の感がある。このコロナ騒ぎってなんなんだろう。

五ヶ月のうちの半分留守していたということは、仕事をサボっていたということでもある。コロナ禍の最中で実際に稽古する人数は大きく減ってしまっていたことは事実だが、稽古できる環境を準備できなかったことで、迷惑をかけてしまったこともたしか。これからも、月の三分の一程度は留守することになりそうだが、少なくとも、稽古日程はあらかじめ出せるようにしたいと思っている。

それでも、ひとやま越えたという安堵感はある。

2020年9月20日日曜日

稽古再開(追加)

稽古再開します


下記の日程で稽古会を再開します

eメール、電話等でご連絡下さい

25日〜27日も稽古日にする可能性がありますが、

9/18時点では未定です


22日(火・祝)、23日(水)、24日(木)

11時〜18時


25日、26日も稽古日とします

京都公開講話

9月28日開催の京都公開講話は、事前予約制ですので、参加を検討中のかたは、予めご予約ください。 http://www.keikojo.jp/senyou/announce.html

2020年9月11日金曜日

継続

等持院稽古場の契約、無事更新できました
あと5年間は稽古場として存続できそうです
あっという間の5年間でした
波乱万丈と呼べるくらいです
今年に入ってからのコロナ禍騒動は、この変化に拍車をかけています
夢想していた静かな隠居生活はどこに行ってしまったのでしょう

2020年8月31日月曜日

8月の読書

鹿の王 水底の橋* 上橋菜穂子 KADOKAWA   2019
ソフィーの選択*(上・下) ウイリアム・スタイロン 新潮文庫 1991
日本人の歴史意識* 阿部謹也 岩波新書 2004
じょうぶな頭とかしこい体になるために* 五味太郎 ブロンズ新社 2006
生きるちから、絵本の力* 柳田邦男 岩波書店 2014
一茶句集 金子兜太 岩波同時代ライブラリー 1996

2020年8月19日水曜日

お勉強

整体を学ぶことを「お勉強」にしている人が多くて困る。

そもそも、この「お勉強」というのはなんなのか?
長年の学校教育の中で形成されてきた、インプットの量とアウトプットの量は相関関係にあるという観念のことを揶揄して「お勉強」と呼んでいるのだろうと思う。このマインドセットは相当に強固で、いまの日本の学校教育における決定的弱点になっている。

とはいえ、稽古場が始まったころの自分自身を振り返れば、かなり重度のお勉強主義者だったことにいきあたる。つまり、正解欲しい病なのですね。そのようなマインドセットを自分で毀そう毀そうとしてきた割には、ぜんぜん毀れていなかった。一つのことを学ぶ。なにかができた気がする。すると、翌日、その学んだことをちゃぶ台をひっくり返すように否定される。この繰り返し。これを繰り返していながら、こころのどこかで、「ぼちぼち決定版がでてくるんじゃないのか」と正解を期待している。あるときーだから、稽古場がはじまって十年くらいしたころですーひょっとして、正解って永遠にでてこないんじゃないのか?という疑問が生まれた。

動きのなかだけに真実はあるんだ、というビジョンが観えたのはいつのことだったか。上で書いたような疑問が生まれてから、そう時間が経っていたようには思わない。夢の中だったか、起きているときだったか覚えてないけれど、一瞬だけ、「動いていることが本質なんだ」というビジョン(そう、視覚的なものでした)がやってきて、それはあっという間に消えた。どうにも言語化しづらい体験。稽古が楽しくなったのは、ここからかもしれない。

そう、努力は報われないのです。
といって、努力なしで結果が出るほど、都合のよい世界であるはずもないのです。努力して、随伴行気のチャートを覚えないとなにも始まらないのです。努力を怠ってはいけない。しかし、その努力が報われるかどうかは神のみぞ知る、という世界なのです。困りますね。

「偶然に賭ける」という表現を師匠はしていたように思うのですが、偶然なにかが起こったとき、学びという出来事が立ちあがるのです。

2020年8月17日月曜日

香炉

お誕生日のお祝いにいただいた素焼の香炉
この顔、誰かに似てるんだよな〜

2020年8月6日木曜日

ウイズコロナ

いまだ、マスクを持ち歩く習慣が身に付かない。玄関を出て、だいぶ歩いてから気づき、マスクを取りに家に戻るということを繰り返している。マスクすること自体が苦痛だから、結局、引き篭もることを選んでしまう。

ウイズコロナとかいってるけど、僕らはどのようにコロナウイルスと切り結ぼうとしているのか。感染者の数が日毎増えている状況からすれば、いくら忌避しようと試みても、いつか出会ってしまうことになるだろう。それを前提として暮らしていかないと窮屈になる。その準備として、あらかじめワクチンで体内に抗体をつくっておくという対処法を考えているようだが、変異し続けるウイルス相手に、はたしてどれだけの有効性を持ちうるのか? 第一、ワクチンが出回るようになるまで、どのように過ごしていくのか。

政治は当てにできない。その無能さはコロナ対応の中で突出している。無能であるならなにもやらないでおけばいいのに、繰り出してくる雑な対応策は状況を悪化させるばかりである。雑は無策に劣る。今頃になって、最初は非難轟々だったスウェーデンモデルが見直されているらしいけれど、モデルという言葉が有効性を持つ程度には筋が一本通っている。日本モデルというものは存在しない。見えないものにどう対応するかで民度のレベルは測れるのだろう。怖いのであれば家で布団かぶって寝てればいい。でも、無能な政治の片棒担いで自粛警察をはじめてしまうのは醜悪でしかない。ウイルスを怖がる以前に、村八分になることを恐れているようにみえる。

感染することと発症することは違うし、発症することと重症化することはちがう。なぜそこに違いが出てくるのか。運不運の問題なのか。感染者の総数が抑制されれば医療崩壊を招きかねない重症者の増加を抑えられるというのは正しい。出かける時にマスクを持参するのは、感染者増加のスピードを加速化させないためのエチケットと思うからであって、それ以上でもそれ以下でもない。

仕事中、マスクはしない。それを納得する人だけが来ればいい。理念というより美意識の問題と言ってよい。コロナウイルスによって生命は脅かされる可能性はある。しかし、自らの美意識に殉ずる覚悟のないものがコロナ後の世界を生き延びて行けるとは、とても思えないのだ。

2020年8月2日日曜日

白山を望む

宿の7階の部屋から朝の白山を望む
霞んでいたので、写真はちょっと青色を強調している
白山市に通いはじめて十年を超えるが、
霊峰白山は下から眺めるだけで、一度も登ってない
二度挑戦したのだが、準備不足と天候不良でいずれも実現しなかった
はたして3度目の挑戦はあるのか


2020年7月30日木曜日

7月の読書

ほんのちょっと当事者* 青山ゆみこ ミシマ社 2019
完本・しなやかな日本列島のつくりかた* 藻谷浩介 新潮文庫 2018
脱・筋トレ思考* 平尾剛 ミシマ社 2019
まなざし-盲目の俳句・短歌集* 大森理恵・辺見じゅん編 メタ・ブレーン 2000
宮本常一と土佐源氏の真実*  井出幸雄 梟社 2016
熱源 川越宗一 文藝春秋 2019

網野善彦再読中
網野善彦対談集1 *   岩波書店 2015
日本文化の形成*   宮本常一 ちくま文庫 1994
日本中世に何が起きたか 網野善彦 洋泉社 2006
歴史の話* 網野善彦・鶴見俊輔 朝日文庫 2018
河原にできた中世の町* 網野善彦・司修 岩波書店 1988

2020年7月20日月曜日

ダッシュ

ダッシュはしない
横断歩道に差し掛かって、信号が点滅を始めたら立ち止まる
それが基本

のはずだったのに、最近、ダッシュすることを覚えた
いや、思い出したと言うべきか
ここ三ヶ月に及ぶじーじ業のせいである
いや、お陰である

「じーじ、シッコ〜」
と男の子が叫ぶ
4歳と2歳半
さっと抱き上げトイレに走る
ズボンを下ろし、対面で抱きかかえたまま便座に座らせる
ここまで5秒

まさか今さら瞬発力を鍛えることになるとは
これを機に操法のスタイルも変わってくる、かもしれない

2020年7月18日土曜日

木彫展

山口善史さんの「集注の型」と題された木彫展に立ち寄ってきた
なるほど、彫刻家という人たちは、彫られていない身体の部分も彫っているのだ
目黒区美術館区民ギャラリー 7/26まで
作品に触れてもいいですか?と訊いたら歓迎とのこと
行ってさわってくるべし


2020年6月29日月曜日

6月の読書

新版 みんな言葉を持っていた 柴田保之 オクムラ書店 2018
在野研究ビギナーズ* 荒木優太 明石書店 2019
人口減少社会の未来学* 内田樹編 文藝春秋 2018
学ぶ、向きあう、生きる* 楠原彰 太郎次郎社エディタス 2013
世界まちかど地政学* 藻谷浩介 毎日新聞出版 2018
アーサーの言の葉食堂* アーサー・ビナード アルク 2013
インパラの朝* 中村安希 集英社 2009
また、本音を申せば 小林信彦 文藝春秋 2020
牙* 三浦英之 小学館 2019
日報隠蔽*  布施祐仁・三浦英之 集英社 2018

2020年6月28日日曜日

第3期白誌

4月から再開された白誌に京都三日間の裕之先生の講義が逐語的に載っている。読んでみると実に新鮮で、えっ、こんなこと話してたんだという内容のものばかり。つまり、覚えてない。いや、そもそも、最初から聞こえてない。耳が遠くなったことは、以前、このブログでも書いたが、その聴こえてなさ加減は相当で、こうして文章になったものを読んでみると唖然とするばかりである。そのくせ、稽古したあとで、「今回の稽古は素晴らしかった」などとつぶやいているわけで、ひょっとすると、いやひょっとしなくても、一緒に組んで稽古している人に多大な迷惑をかけているのではないかと思わざるえない。困ってはいるのだけれど、稽古に出ることは、ぼくにとっては生命線でもあるわけで、おやすみするわけにはいかない。今日から3ヶ月ぶりの稽古会、どうなるのかね。

2020年6月24日水曜日

佐倉散歩

なんで佐倉なのかという説明は後回しにして、
兎にも角にも、月の三分の一を千葉佐倉で過ごしている
今回のコロナ禍の嵐を一番受けてしまったのは、結局僕ではないのか

佐倉といってもイメージが湧かない
古い城下町で、近くに印旛沼があって、国立の歴史民俗博物館がある、
といった程度の知識しかないまま、この地に立った

まだ閉じられている施設も多く、街の探検をはじめたのは最近
城址公園は石垣ではなく、土塁でできたお城
その高台の尾根に連なるエリアに古い町が残っている

南側に下ったところに総武線が走り、
北側に下ると、京成線が走る
どちらの線を使っても、東京まで1時間、成田空港まで30分

土地としてはずいぶん昔から栄えていたらしい
地誌を紐解いていて、平将門ゆかりの地であることを知った
一茶も食いつなぐために江戸から下総一円を定期的に回ったという
記述を読んだ覚えがある

車に頼らないと生活しづらいというのが難点だな



















(城址公園の中にある池)















(佐倉市美術館の中に古書店があった)

















(旧式の郵便ポストが街角のあちこちに立っている)

2020年6月19日金曜日

経過報告

4月中旬まで、つまり2ヶ月前まで、今回のコロナ騒動は、等持院に蟄居してやり過ごせばよい、くらいに思っていた。ところが、コロナウイルスの嵐に吹き飛ばされ、6月の後半を迎えた今、この文章を千葉の佐倉という街で書いている。詳しい経緯は書かないけれど、移動自粛の異様な空気のなか、4月後半から、京都と千葉の間を行き来する生活が始まった。今のところ、京都2、千葉1くらいの割合で過ごしているのだが、今後、千葉で過ごす時間がさらに増えていきそうな気配なのだ。しかも、長期戦。直接、だれかがコロナに感染したという様な話ではない全くない。でも、その影響を十分に受けている。移動自体は苦にならない性分なのだが、二重生活ー京都でのしずかな暮らしvsやんちゃな男の子二人に囲まれた生活ーへの適応には苦労している。

今回のコロナ騒動の中、ネットの活用が盛んになっているようだが、その流れに追随する気にはならない。ZOOMを使ったミーティングといったものを何度か経験してみたが、ネットで人には会えないことを確認しただけで、ましてやネットで稽古会するなんて空想もできない。むしろ、リアルに人と会うことの価値というものが上がったように感じている。そして、本当に会いたいという人の数は実は少ないということも。5月は、稽古に来る人も減り、開店休業状態であったから、等持院を留守にすること自体、あまり問題にならなかった。6月になって、ようやく人が戻りはじめた。どれだけ人が戻ってくるか、ちょっとわからない。僕に本当に会いたい、と思ってくれる人がどれだけの数はいるのだろう。

月末には京都に帰り、三日間の稽古会にも復帰します。

2020年6月7日日曜日

ふるさと館

 一年がかりの改修工事を終え、コロナ騒動のあおりで再開館が遅れていたふるさと館が動き出したようだ。冷暖房設備が刷新され、畳も新調されている。板の間が減り、畳敷きのスペースが増え、ちょっと老舗旅館風になった印象。白山稽古会の会場も、来月からふるさと館に戻します。7月は4日(土曜日)、8月は2日(日曜日)、時間割は、10時〜12時を集団稽古、12時半〜16時を個別稽古に割り当てる予定です。



2020年5月31日日曜日

5月の読書

炭焼日記 宇江敏勝 新宿書房 1988
 図書館は再開されたが、図書館に寄る時間もなく出かけることになったので、本棚からこの本を取り出してきて旅行鞄に入れた。随分前に室野井洋子さんからの頂いた本。挟まっていていたメモの文面からすると十年くらい前に送ってもらったらしい。この本の出版は1988年とあるから、身体教育研究所が立ち上がった年である。
李香蘭 私の半生* 山口淑子・藤原作弥 新潮社 1987
宿無し弘文 柳田由紀子 集英社インターナショナル 2020
音楽が本になるとき 木村元 木立の文庫 2020

2020年5月21日木曜日

旧仮名

 背表紙に『療病談義』と書かれたA5サイズの冊子が手元に残っている。中身は整体操法協會発行の『全生』第1号から8号の合本である。発行の日付はとみると昭和25年から28年くらい。つまり、今から70年くらい前、整体協会の前身である整体操法協會が出していた『月刊全生』の前身の機関誌ということになる。第一号のあとがきには、この号は再刊であると記されており、たしかに、巻頭言の日付は昭和22年4月とある。昭和30年代に入ると、『全生季刊』というのも発行されていた時期があり、瀬田に本部道場が建設されたと時期を同じくして、いまと同じ判型の『月刊全生』が発行され始める。

 『全生』と『全生季刊』にはおおよそ十年ほどの時間差があるのだけれど、内容はともかく、使われている日本語に大きな違いがある。前者は旧仮名であり、後者では新かなが使われている。『全生』には、その後、単行本として出版される、『叱り方褒め方」など潜在意識教育シリーズの元になる文章も多く掲載されているのだけれど、それらが旧仮名表記で印刷されている。この十年の間のどこかで、表記法が変わってしまっているのだ。新かなが制定されたのは戦後すぐの昭和21年のようだが、それが広まるまで十年という時間がかかったということなのか。

 僕が晴哉先生の著書に触れたのは、かれこれ40年前になるのだけれど、もちろん、現代仮名遣いで表記されたものだった。いま、こうして、旧仮名で書かれた同じ文章を読んでみると、うん、野口晴哉は旧仮名の人だったのだなと強く思う。


2020年5月13日水曜日

居るひと

 一週間も一緒にいると、ぼくは来るひとではなく、居るひとになる。孫たちにとって、僕は、物珍しい人ではなくなり、新米の下僕という地位が与えられる。いきなり要求される事柄が増え、鼻かめだ、椅子を動かせだ、全く容赦がない。蹴りを入れてくる、挙句は噛みついてくるという狼藉まではじまる。やっていることは主夫業で、洗濯子守くらい。ちいさな洗濯物が物干しにずらっと並んでいる風景は可愛らしいのだが、干す手間は大人ものと同じくらいかかる。それにしても膨大な洗濯物。モノを大量に消費する子育てスタイルには隔世の感あり。ここまで、口は出さない手も出さない、という関わり方できたのだけれど、さて、この先、どうしよう。最初の頃は、カオスに目が回りそうになったが、そのカオスに適応しそうな自分自身がこわい。男の子二人、底無しのエネルギーだ。危険に突っ込んでいく様を見ていると、ほんとこの人たち、無事に成人までたどり着くのかしらと心配になる。今回、頑張って十日いたけれど、やっぱり京都に帰る。

2020年5月10日日曜日

白山稽古会休会

 案の定というか、緊急事態宣言延長されてしまいましたね。サンダーバードも減便だそうです。うーん、今月の白山稽古会は中止にします。予約申し込み大勢入ってますとの連絡いただいていたのですが、申し訳ありません。今回の判断は、コロナ云々ということよりも、私の周囲で不幸があったりして、京都蟄居どころか、関西関東を往き来しなくてはならぬ状況に陥ってしまったというのが大きいです。6月には是非再開させたいと思っています。

 今月5月号の月刊全生に掲載されている晴哉先生と中川一政さんの対談の中に、スペイン風邪について話された部分があるので、読んでみてください。18頁一番上の段です。此処を読ませたいがために、この対談記事を再掲載したとしか思えませんね。普段の風邪の経過のさせ方は、今回のような未知との遭遇における練習問題であったのかもしれません。

2020年5月8日金曜日

宿無し弘文

宿無し弘文』(柳田由紀子著 集英社インターナショナル)を一気読み。スティーブ・ジョブズの師ということで、その名を知られるようになった乙川弘文という禅僧の足跡を追った力作。書籍は本屋で実物を手にしてから買うという流儀なのだが、今回は時節柄Amazonで購入。数年前、この著者の文章(初出は「kotoba」に2012年に連載されたもの)と出会い、婆子草庵という文章を書いたことがある。著者が弘文の足跡を辿る過程で、弘文と同じ時期、永平寺で修行されていた禅僧ーぼくの結婚式の導師を務めていただいた方ーが証言者として現れるのだ。この文章が発表された後も、著者は弘文と交流のあった人たちを訪ねて旅を続ける。そして、ようやく一冊の書籍としてまとめられたのがこの本である。ぼく自身が生きてきた時代と重なり、また前述の禅僧とも縁があったりするので、著者と一緒に旅したような余韻がある。時代でいえば、1960年代から2010年代。地理的にいえば、日本、アメリカ西海岸、ヨーロッパ。ジョブズがインドに行った1974年、ぼくもインドにいたのだな、とか、サンタフェ、タオスといった懐かしい地名も出てくる。勿論、ぼくはジョブズにも弘文にも直接は出会わなかったけれど。現在、ぼく自身は、京都蟄居生活からいきなり引きずり出され、危機の三乗状態。この難局をどうすり抜けていくか、問われてます。そう、やはり最後は「婆子焼庵」なのです。

2020年4月30日木曜日

4月の読書

これからのエリック・ホッファーのために*  荒木優太 東京書籍  2016
水が消えた大河で* 三浦英之 集英社文庫 2019
五色の虹* 三浦英之 集英社 2015
南三陸日記* 三浦英之 集英社文庫 2019
花の命はノーフューチャー*  ブレイディみかこ ちくま文庫 2017

2020年4月21日火曜日

ハイリスク

蟄居のはずが、わけあって関東に来ている
たしかに突っ込んできた感はある
ハイリスク者がなんて無謀なことを、といわれて
一瞬なんのことかわからなかったのだけれど、
高齢、男性、喫煙と三つ重なっているのが私であった
うん、無事京都に帰り着いたら、二週間の自己隔離が必要になるかもしれない

2020年4月18日土曜日

アイボディ

(片桐)ユズルさんが懇意にしている「目の使い方」専門のピーターという人がいて、ユズルさんは、その人が書いた「アイボディ」という本の翻訳本を出したりしている。その英語版が改訂されたので、目下、日本語版にも手を加える作業を続けているユズルさん(89歳)から、手伝ってほしいという声がかかった。改訂されている部分を確認するために日本語と英語の読み合わせが必要とのこと。ぼくも暇なので、お手伝いすることにした。といっても、旧版の日本語を読み上げていくだけ。アイボディにも、そのベースになっているアレキサンダーテクニークについての予備知識はぼくにはない。アイボディは、同調的な観察をもとに技法は組み立てられているらしいのだけど、それを眼球や脳の解剖学的知見に結びつけようとしているから、いざ教えようとするとイメージに依存せざるをえない。そんな印象。「ピーターはできる人だけど、後継者はなかなか育たないでしょう?」と訊いてみると、「そうなんだよ」とユズルさん。毎年、ピーターを日本に呼んで、ワークショップやら個人レッスンを企画しているユズルさんとすると、そのあたりが悩みの種らしい。アイボディが同調的技法を用いているといっても、根本のところの世界観がちがうから、ぼくらの稽古とはすれ違う。内観の稽古を通して結果として視力が改善されてきた経験(去年、運転免許の更新に行ったら、眼鏡不要と言われてしまった)からいえば、高い授業料を払ってワークショップに出るより、稽古に来たほうがよいのに、などと思ってしまうけれど、当面、アイボディ稽古場版をやる予定はない。最近の稽古で取り上げているのは(感覚の)容積空間。これを目でやるとほんと面白く、目の容積空間が捉えられるようになると、それだけで視野が広がる。こんどユズルさんにも教えてあげることにしよう。

2020年4月14日火曜日

わたしたちの「性と文化の革命」2

なんとオンラインで「わたしたちの性と文化の革命」ミーティング。
参加者はミドリさん、ハジメさんとわたし。70〜80年代を共有する高齢者3人。この3人が30年の時を経て集結。去年何回かやって、その後、中断していた。抱腹絶倒の2時間。聴衆がいれば金取れるレベルーもちろん、聴衆がいたら、三人とも良い子になって、話はつまらなくなってしまうことは明白なのだが。それぞれが、恋愛、結婚、離婚、死別等々を経験してきたからこそ話せることってある。人が生まれ育ったフレームから抜け出すことの大変さ。教育をなんとかしようともがいてきたけれど、成果出せなかったという残念な想い。各自、自分の居場所にいたせいか、リラックスして喋ってましたね。

2020年4月12日日曜日

蟄居

今月の頭、金沢での合同稽古会を終えた
覚張さんの気韻の稽古は新鮮で、体の奥の奥が動かされた
遠藤さんの稽古運びも進化して、なるほどと教えられることも多かった
8月末には新しいかたちの合同稽古会も企画している
ただ、そのとき、日本はどんな姿になっているのか

帰ってきて、これでしばらく動けなくなることを覚悟した
案の定、月末の操法講座がキャンセルとなり、ぼくの上京もなくなった
稽古予約のキャンセルも増えはじめ、利用している図書館もその機能を縮小してきた
ゴールデンウィーク明けに、ものごとが正常に復している可能性はなく、
この状態は夏まで、へたすれば秋まで続くことになる
おのおのがた、長期戦を覚悟せよ、です

仕事減るなら、いっそ稽古場閉めて、8年前に挫折した四国遍路をやるのも良い
などと、一瞬妄想したが、どこかの県が県境封鎖を言い始めたので、即却下となった
やはり蟄居である
しかし、この状況が夏まで続けば、すでに余力を失っているこの社会は大きく傷む
都会で一人暮らしする若い友人たちが心配だ
頼れるものは何でも頼れ
生き延びよう

2020年4月8日水曜日

ZOOM

きゅうに周囲からZOOMを入れてくださいという声が届き始めたので、しかたなくiPad miniにインストールしてみた。ビデオ電話ならFaceTimeで娘たちとやりとりしているから似たようなものだろうと、お試しオンラインミーティングに加わってみた。参加者7名。人数分の画面に分割されて、それぞれの顔が見える。話している人の枠が緑色で縁取りされ誰がしゃべっているかわかるような仕組み。低速のモバイル回線で使えるかどうか不安だったけれど、映像はカクカクするものの声ははっきりしているから支障はない。ただ、これでなん時間も話せるかというと、はっきりいって嫌である。一時間ほど付き合ってみたけれど、画面を観ているだけで、かなりくたびれた。これなら、人と会わずに引きこもる方を、きっと選ぶだろうな。音声のみの参加であれば折り合いをつけられるかもしれない。
でも、テレ稽古会は無理だな。


2020年4月6日月曜日

ブランコ

ブランコに乗るなんていつぶりだろう
湯涌創作の森に置いてあった長いつり縄の竹製のブランコ
前は急斜面
思いっきり後ろにさがり、地面から足を離したら、
ヒューっという風の音が聞こえた


2020年3月30日月曜日

3月の読書

識字の社会言語学*  かどやひでのり・あべやすし 生活書院 2010
見えない力*  美内すずえ対談集 世界文化社 2018
晴れたら空に骨まいて*  川内有緒 ポプラ社 2016
空をゆく巨人* 川内有緒 集英社 2018
ユニクロ潜入一年* 横田増生 文藝春秋 2017
クモのイト* 中田兼介 ミシマ社 2019
巧拙無二 甲野善紀・土田昇 剣筆舎 2020
本当の翻訳の話をしよう* 村上春樹・柴田元幸 スイッチ・パブリッシング 2019

おそれる

百年前、人類はスペイン風邪と呼ばれる致死率の高いパンデミックを経験した。ひとつだけ覚えておくべきは、ぼくらはそのスペイン風邪を生き延びた側の子孫であるということだ。もっとも、この百年は、病原菌、ウイルスは駆逐されるものであり、病気は克服されるものであり、人は死ぬべきではないというイデオロギーが力を持った時代であり、結果として、人類は病原菌であれウイルスであれ、それらと出会う機会を極小化することに心血を注いできた。

ぼくらが成長病と呼んでいるものがある。耳下腺炎、麻疹、水疱瘡の3つを主に指すのだけれど、いづれもウイルスが引き起こすものらしい。それらが引き起こす病気を成長病と呼び、成育の過程で罹ることを是とした。この時点で、そのような主張の下に集まっている人間は近代イデオロギーに抗する反社会的勢力とみなされる。そもそもが「風邪の効用」をうたっている集まりである。でもでも、人類はずっとウイルスと共存してきたし、いまもぼくらの体内で多くのウイルスが活動している。

ぼく自身も試されている。人生の半分以上、医療制度の世話なしに生きてきたけれど、この局面においてどうだろう。ぼく自身は、たとえ感染しようが発症しようが自力で経過させていくつもりだ。ここまでやってきたことが、本当に力になるのかどうかが試されている、ともいえる。これでダメだったら(高齢者だし)その程度のものだったんだと笑って逝けばよい。ぼくが怖れるのはウイルスよりも、ウイルス撲滅という錦の御旗を掲げる多数派によって、社会的に指弾されることである。それを避けるため、ぼくは蟄居することを選ぶ。ウイルスよりも正義の方がこわい。

門は施錠せず開けてあります。

(追記)
読書会の友人に教えてもらった「表土とウイルス」というエッセイ、参考になったので、リンクを貼っておきます。
https://synecoculture.org/blog/?p=2640&fbclid=IwAR3aMG0b1mFsiceM86nqEjS5yvqLb6y3QaCm54XnKb7wDYet93hT6wcmXgE

2020年3月26日木曜日

敗北力

コロナウイルスパンデミックの影響がひたひたと近づいてきている。日本に帰国中だったタイ在住の友人はタイに戻れなくなって足留め。来月初めに予定されていたドイツ稽古会も中止。知人が主宰する舞踏舎の公演も中止。近所で若い友人が開いていた小さなレストランは休業…。身近な人たちに、じわじわと影響が出てきている。

グローバリゼーションというモノとヒトが高速度で回転していたものがいきなり止まることで、それと連動していたローカルな動きも急減速してしまった。もともとスローな生活をしている私のような隠居者への影響はいまのところ小さいけれど、それでも、冒頭に書いたように近づいている感は日々増している。外の大きな回転と内の小さな回転の癒着が剥がれ、うちの小さな回転ー経済圏と呼んでもいいのかもしれないーとの関係性が変わってくるきっかけになればよい。

鶴見(俊輔)さんが書いていた「敗北力」のことを考える。ほんと、僕らは負け方が下手だ。負けを認めないで、ずるずると結論を先延ばしにし、その分、再起への体力が失われていく。この習性は日露戦争くらいに形成されたもので、伝統と呼べるほどの長さを持つものではない。この習性に則ってコロナウイルスに対応していくと、今回のパンデミックが収束していったあと、日本だけが貧しくなっていくという未来しか予想できない。19歳の鶴見青年は第二次大戦に日本が負けることを予想した上で米国から日本に帰ってきた。その選択は僕の中で謎としてあったのだが、今だと、その心境を少しだけ理解できる。

2020年3月23日月曜日

大井町稽古場

 横浜稽古場の閉鎖に伴い、小杉さんのあとを引き継いで稽古を担当していた指導者の人たちが大井町稽古場に移ってくるらしい。4月の日程表をみるとかなりの詰まりよう。僕が抜けてしまって以来、空白が目立っていたけれど、一気に解消。いや、さらに埋まっている。

 大井町稽古場は、来年で30周年を迎えるはずだけれど、期間の長短はともかく、多くの指導者たちが担当してきた。覚えているだけで、金井、井上、戸村、江川、伊藤、松井、剱持、角南、奥須賀といった名前が浮かんでくる。身体教育研究所を離れてしまった人もいれば、他処で稽古場を開いている人もいる。担当者がこれだけの数がいて、大井町稽古場を通り抜けてった人の数は、当然のことだけれど、さらに多い。大井町稽古場は、そのような役割を担った稽古場ともいえる。今回、担当者に服部、小泉という名前が付け加わり、岡田、黒沼という動法教授資格者の稽古も入る。本来の大井町稽古場的風景が復活すればよいなと、西の地から応援しています。


2020年3月22日日曜日

こどもアスレチック

月一回やってくる3歳の男の子がいる
等持院稽古場でもっとも若い会員(ちなみに最高齢は89歳)
愉気など後まわしで小一時間一緒に遊んでいるだけなのだけれど、実に新鮮
毛氈からはみ出ないようにグルグル走り回るというだけで稽古になる
毛氈を巻いてトンネルにして通り抜けると言うのが今日の新種目
そう、なんでも遊びにしてしまうのだ
おやこ稽古会で使った新聞紙の筒を取り出してきたら興味津々
足運びの稽古として考案したものなのだけれど、飽くことなく延々とやっている
こどもアスレチックはじめようかな

2020年3月21日土曜日

彼岸

お彼岸なので大阪のお寺に出かけることにした。お供え用の花は用意してある。等持院あらため等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅から嵐電で西院へ。マスク率は高いけれど、電車は思いのほか混んでいる。



阪急・地下鉄線経由で谷町六丁目。お墓参りを済ませ、空掘商店街の昆布屋さんに寄って佃煮を買うというのがいつものパターン。前日仕入れた天六商店街の蟹ラーメンの話は魅力的だったけれど、朝飯抜きで出てきたので空腹が先に立ち、パスタ屋に駆け込む。あとは京都に戻るだけなのだけれど、腹ごなしに少し歩くことにする。北に向かってあるいていると大阪城の案内板。意外に近い。家族連れも結構出ていて、芝生やベンチでお弁当を広げている。



京阪電車で京都に戻ることにした。それならばと京都観光の目玉であるらしい伏見稲荷に寄ることにした。インバウンド客も少ないだろうし、コロナ騒動で人もいないだろう。ところが、である。結構な人出なのだ。家族連れやカップルが大勢いる。これにはちょっとびっくり。ピーク時ってどれだけの人出だったんだろう。



三条京阪まで電車で移動、そこから北白川を目指す。劇団地点の「罪と罰」。半年前にチケット買った時には、予想だしなかった状況なのだが、公演に踏み切った。若い友人そっくりの役者さんが狂言回し的な役で出ていて、気になってしかたなかった。ロシア人俳優がロシア語でやるバージョン(もちろん字幕付きで)を観てみたい。

こうして、普段、経験したこともないくらい長い一日が過ぎていった。ヘトヘト。

2020年3月20日金曜日

詩ってなんだろう

コロナウイルス騒動の中、なぜか詩のことばかり考えている
いや、ずっとずっと前から詩について考えていたような気もする

一年前のちょうど今ごろ、テキストという文章を書いた
30年間書き溜めた文字データの総量と、デジカメ写真一枚のデータ量がなぜ同じなのか
いかにも元電気少年が考えそうなことだ
30年分のテキストデータと一瞬を写し取ったデジカメデータ
両者が同じ量で表されるのであれば、それくらいテキストの抽象度は高いということになる

受け取る人がいてはじめて言葉は伝わる
抽象度の高いテキストから、受け手は、意味だけでなく書き手の運動性を読み取ろうとする
運動性とは、声であり、筆遣いであり、からだ遣いである
ここでやっていることって、その運動性の読み取り方の稽古なのかもしれない
 →「ぼくが筆動法を稽古するわけ(十年前の文章を蔵出してきました)
 →「音読

(つづく)

2020年3月18日水曜日

僕の予言は当たらない

2週前(3/4)こんな文章を書いてブログに載せた
でも、ちょっと引っかかるものがあって公開中止
5人くらいの人の目には触れてしまったかもしれない

ここ2週間の変化は大きくて、ヨーロッパがこんな状況になるとは予想してなかった
ヨーロッパ、アメリカに飛び火すると、経済も大きく揺らぎはじめた
オリンピックはもう中止でしょう
延期って、ただの問題の先送りに過ぎず最悪だ
311の時もそうだったけど、潔く負けを認めることができない社会の頁をめくることは難しい

それにしても、「ウイルスに打ち勝つ」だなんて、なんと傲慢な物言いなんだろう

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僕の予言は当たらない
三年前の今頃、森友問題が出てきたとき、
この内閣は半年後にはなくなってるねと予言したが、
半年どころか、三年経っても存続している

このままだと日本封鎖だね
国内の感染者数は、ここからうなぎ上りに増えていく
一斉休校措置が裏目に出て、多くの労働現場が人手不足におちいる
医療現場も然り
結果として、コロナウイルスの封じ込めは失敗
中国、韓国での拡散はやがて終息に向かい、4月末には終息宣言が出される
日本国内での感染者は爆発的にはふえないが、長期化する
日本からの渡航を拒否する国は増え続け、海外からの訪問者も限りなくゼロに近づく
逆鎖国
物流も滞り、物価は上昇する
中国韓国に続けて日本政府も終息宣言を出すが、だれも信用しない
嘘で招致したオリンピックは、招致した者たちが嘘つきだとバレて中止に至る
期待された経済効果は、まるごと借金に転じる
311後の欺瞞によって進められた滅亡への時計の針は、更に先に進められる

究極の悲観論だけれど心配無用
僕の予言は当たらないことになっている

2020年3月13日金曜日

横浜稽古場

そうか、横浜稽古場、今月いっぱいで閉じちゃうんだ
小杉さんで成り立っていた稽古場だったから、
主亡きあと、こうなってしまうのは、いたしかたない
でも寂しい

思い出ぶかい稽古場
開設前から、出来上がるまで、ずっと現場に通い詰めたし、
出来上がってからも、何度か稽古させていただいた

今から思えば、ずいぶん画素数の低いデジカメで撮った写真が残っている
横浜稽古場のできるまで




連語

同工異曲という文章の最後に、
「整体を語るには、もう詩を書いていくしかないのか」と書いた
書いたあとで、思い出した
もうとおの昔に始まっていたのだった
連語という試みが始まったのは、「動法研究」という指導者間の冊子でのこと
まず、お題が出され、それに対して、三つの稽古用語を連想する
どのように、その言葉が浮かんできたかを短い文章で伝える
これはもう、詩以外のなにものでもない
著作権上問題あるかもしれないけれど、「全体と局処」というお題に応え、
Yさんが出してきたものを無断転載する
整体指導者は詩人を目指す


2020年3月10日火曜日

大きく息を吸う

映画館に行ってきた
数日前の話
きっと空いているだろうという読みは外れ、そこそこ人が集まっている
上映開始
なんだか息苦しい
なに、この息苦しさは?
ひょっとして、過剰消毒?
それとも、観客みんな息を詰めている?
おそらく、その両方だと思うのだけれど、最初の30分つらかった
映画の中身も予想していたより重いー「ジュディ」です
上映が終わり、外に出て大きく息を吸った

2020年3月3日火曜日

新しい時代

コロナウイルスで巷はさわがしい
311直後の街の空気を思い出した
311のあと、僕はどんなことをブログに書いていたのか蔵出してきた
311のときは、「目眩まし停電」だったけど、今回は「目眩まし休校」なのだね

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新しい時代


駅を出て停電で暗くなった道を歩きながら、首都圏の意味も郊外の意味も変わってしまったことを自覚した。数ヶ月の不便で、生活が元に戻ることはもはやない。数千万人の人間が、放射能との共存を否応なしに強いられる世界。まだ誰も経験したことのない、そんな世界にすでに僕らはいる。これまで目隠しをされ、目を背けていたものが突然眼前に現れた。つまり、僕らが抱えていた嘘が露わになった。その嘘を再び塗り込めてしまおうとする力も強く働く。しかし、ここから始めるしかないではないか。新しい時代ははじまったが、旧い時代はまだ終わってはいない。
(2011年03月23日)


いつまでも寒い。何日かまえ、横浜でも雪が降った。冷えびえとした雪だった。地震から二週間、被災地の寒さは如何ほどであろう。計画停電を、ぼくは、「目眩まし停電」と名づけた。原発事故から目をそらさせ、原子力発電なしに都市生活は送れないよという脅しのメッセージ。でも、僕らは気づいてしまった。なんだ、これまでの明るさは不要だったんだ。電車も各停だけで十分じゃないか、と。停電のせいで経済活動は停滞するだろう首都圏の意味はまちがいなく変わる。
福島原発の動向から目が離せない。事故が起こったとき、誰も当事者能力を持てない。東電はもとより、政府もまた当事者能力を持てない。そのことが露わになった。原発はそのような怪物。国民の命を守ろうとしない政府にどのような存在価値があるというのか。各国の大使館が日本在住の自国民にどのようなメッセージを送っているか。この方が、政府発表や国内大手メディア報道より参考になる。なんと悲しいことだろう。
新しい時代ははじまった。じゃあ、どんな時代にしていくのか。
(2011年03月27日)


暴動が起きても不思議のない状況なのに、僕らは大人として振る舞おうとしている。なぜなら、僕らは、すでに自分たちが核の人質であることを理解しているから。暴力的手段に訴えれば、その先は破滅であることを知っているから。では、僕らにどのような表現が可能なのだろう。徹底的に非暴力で、徹底的に美しく、徹底的にたくましい。そのような道を見つけることなしに、新しい時代はやってこない。
当事者能力とはなんだろうと考えている。今回の原発事故でいえば、東電も政府もその当事者能力の欠如を露呈させた。当事者能力を持てない技術なんて怖いじゃないか。ふりかえってわが身をみれば、同じことだ。なにもかも他人まかせ、制度まかせにしてきたではないか。もし、僕らにできることが一つあるとすれば、この当事者能力を育てていくことにあるのかもしれない。新しい時代の担い手のイメージが少しだけ湧いてきた。
(2011年03月31日)


戦後生まれの私は、当然のことだが敗戦を知らない。なのに、いま私が体験している事象はまがうことなく「敗戦」である。一体全体この既視感はどこからくるのだろう。3.11から三週間、街は平静を取り戻してきた。あたかも、暫くすれば、3.11までの日常が戻ってくると信じているかのようだ。でも、そんな日が来るとは思えない。青天の霹靂ではない。きたるべき時が、やってきてしまった。僕らはすでにSFで読んだ不条理の世界の中にある。放射能予報をみてから洗濯物を外に干すかどうか判断する。そんな、へんてこりんな世界。夏場、公園のスピーカから流れてきていた光化学スモッグ注意報のなんとのどかだったことか。この落ち着きのなさとどう共存していくのか。SFで語られていた世界が現実になったとき、僕らはどんな文学を産み出せるのか。試されているのは僕らの文化力かもしれない。
(2011年04月02日)

2020年3月1日日曜日

【参加申込受付中】石川合同稽古会

石川合同稽古会、参加受付中です。
なにげにさわがしい世の中ですが、施設閉鎖にでもならない限り、やります。
(3/1)

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石川合同稽古会の詳細決定しました。
以後、このページで、お知らせしていきます。(2/5)

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石川合同稽古会 2020  4月4日〜5日   (pdf版はこちら

 第3回目の石川合同稽古会を開催します。会場は金沢湯涌創作の森で、今回は、覚張幸子さん(専科動法教授資格者・歌手)を迎えての気韻発声の稽古も予定しています。参加希望者は3月20日までに、申込書に必要事項をご記入の上、お申し込みください。

【日時】

 4月4日(土)
  13時〜16時30分 
   稽古Ⅰ 動法入門〜基礎が進化するとは?*(角南・遠藤)
        *稽古1に限り未会員の方も参加可能です
  17時〜19時30分
   稽古Ⅱ 気韻発声(覚張幸子)

 4月5日(日)
  10時〜13時30分 
   稽古Ⅲ 動法入門〜カタと内観(遠藤・角南)
  
【会場】 金沢湯涌創作の森
    金沢駅より北鉄バス12番湯涌線 湯涌創作の森下車 徒歩8分

【担当】
   遠藤日向(金沢稽古会)
   角南和宏(白山稽古会・等持院稽古場)
   覚張幸子(専科動法教授資格)

【会費】 稽古Ⅰ3500円 稽古Ⅱ3000円  稽古Ⅲ 3500円

【宿泊】 一人一泊 2000円 (シーツ代、宿泊税、朝食用食材を含む)18名限定

【申込】 遠藤 rakuendoh@gmail.com  090-3169-2806
     角南 dohokids@gmail.com   070-5592-0591

 覚張幸子さんについて
 十年以上前のこと、いやもう少し前のことかもしれない。風狂知音のライブを横浜関内のエアジンに聴きにいった。ぼくがまだ事務局の仕事と大井町稽古場での稽古担当という二足のわらじを履いて大車輪で活動していた頃のことである。風狂知音は、覚張幸子(vocal)、田村博(piano)、津村和彦(guitar)の三人のジャズユニット。この人たちの作り出す音楽を通して、音楽とは聴くものではなく「体験」するものであるということを学んだのだけれど、その日のライブは格別で、もう、自分の体がバラバラにばらけてしまうという驚愕の経験をした。風狂知音の音楽には、稽古のエッセンスが覚張さんを通して注入されているので、翌日、裕之先生に、「こんな経験をしたのだけれど、これは整体で可能なのか?」と問いにいったことを覚えている。無論、返事は「そうだよ」というもの。それからしばらくして、僕は二足のわらじを脱ぐという一大決心をするのだけれど、このときの、風狂知音の音楽との出会いがひとつの契機であったことは、ぼくのなかでしっかりと記憶されている。数年前、津村さんが逝き、二人組みになってしまったけれど、風狂知音の活動は続いている。できれば、一度、風狂知音の音楽を金沢で聴いてみたい。(角南記)

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 石川合同稽古会202004 参加申込書 下記内容をメールで送付ください

  1 氏名   
  2 電話番号 
  3 メールアドレス
  4 住所
  5 整体協会の会員ですか?   □はい  □いいえ
  6 希望参加コマ        □稽古Ⅰ □ 稽古Ⅱ □ 稽古Ⅲ 
  7 宿泊を希望されますか?   □希望します  □不要です
                                                                                                                      (  /受付)

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第3回目の石川合同稽古会を開催します。
日程は4月4日(土)5日(日)の両日、会場は金沢湯涌創作の森で、今回は、覚張幸子さん(専科動法教授資格者・歌手)を迎えての気韻発声の稽古も予定しています。
詳細は近日中に発表します。(2/5)

2020年2月28日金曜日

2月の読書

憑依の近代とポリティクス*  川村邦光編著 青弓社  2007
動的平衡ダイアローグ*  福岡伸一 木楽舎  2014
狼の義-新犬養木堂伝*  林新・堀川惠子 KADOKAWA  2019
限界費用ゼロ社会*  ジェレミー・リフキン  NHK出版  2015
今西錦司*  平凡社standard books  2019
未来への大分岐*  斎藤幸平編 集英社新書 2019

2020年2月26日水曜日

同工異曲

 とある編集者と話していて、五十音順にタイトルを並べた用語集のような本造りを示唆された。なるほど!と思って、このブログを含め、これまで書いてきた文章を五十音順に並べてみた。つまり、時系列を取っ払って、タイトルで並べ替えてみた。結構、面白い。100頁ほどの小冊子なら、すぐできてしまいそう。孫を読者として設定したーつまり、おじいちゃんは、こんな風に生きてきたんだよ、と解説するためのー自家本にはできそうだ。古希を記念して、こんな自家本を百部くらいつくってみるのも悪くない。散々書き散らかしてきたから、すぐに50くらい集まるだろうと高をくくってきたのだけれど、意外なことに無いものは無い。いくら探しても、ヌネノの項目が見つけられない。当然のことだけど、整体がらみの文章は多い。ところが、それ以外のものを取り除いて、整体関連のものだけにしたら、どれもこれも同工異曲の文章ばかりで、まったく面白味に欠ける。もう詩を書いていくしかないのか。これは前途多難だ。

2020年2月24日月曜日

へうげもの

「へうげもの」再読中
なんと25巻まで出ているらしい
いったいこれまで、どこまで読んでいたのだろう
12巻まで読み進んで、追いついた
奥付を見ると2011年
つまり、東日本大震災で、止まっていたのだ
でも、秀吉まで死んでしまったあと、話はどのように進んでいくのだろう?


2020年2月14日金曜日

百年という時間 2

最近、どの本を開いても百年前が舞台だ。二十世紀の初頭、1900年〜1920年頃。どうやら日蓮主義者だったらしい曽祖父角三郎さんのことを調べようと開いた「日蓮主義とはなんだったのか」は、明治維新の二年前に生まれた角三郎さんの壮年時代と重なるから当然のことなのだけれど、「近代日本の民間精神療法」もまた然り。そういえば晴哉先生の生まれたのも1911年。「女たちのテロル」で描かれている金子文子が生きたのも、また同じ時代なのだ。今年が2020年だから、ちょうど百年前の時代、日本が帝国主義に足を踏み出していた頃のこと。そして、おどろくべきこと(ほんとは、驚いてはいけない)なのだけれど、その百年のうち、すでに僕は68年生きている。なんだ、百年前って、たった自分より一世代前の話なのだ。このエントリーを(2)としたのは、三十年近く前、同じタイトルで文章を書いていることに気づいたからで、40歳のときの時間、歴史感覚と、60代の今では、ずいぶん違ってきている。年号という時代区分によって、自分自身の時間感覚が日本という国に絡め取られてきたことを痛感することが最近とみに多い。

2020年2月8日土曜日

練る

本部の修養講座から流れてくる人も、ちらほら増えて、この稽古場の空気も少し変わりつつある。去年からはじまった、ダン先生の個人教授に出ている方もあって、その人たちが、稽古のネタを持ち込んできてくれるのはありがたい。行気主体の稽古なのだけれど、ノートに書かれた手順と組み立てを眺めているだけで、なるほど、こういう整体に向かおうとしているのかが、浮かび上がってくる。つまりは、人為を自然化していくという技術。それが美しい。ただ、ノートに記録されている、たとえば、「H2から右肩に繋がるよう脚の体位を取る」といったとき、どのように脚を動かしていけばよいのか、という一点において、体の練られ具合が歴然と現れてしまうし、この最初の一動作の質が、最終的な行気の出来不出来に繋がってしまう。ここがおもしろく、稽古の醍醐味でもある。

2020年2月2日日曜日

寒中見舞い

節分の前に寒中見舞いを…


2020年1月30日木曜日

1月の読書

近現代日本の民間精神療法* 栗田英彦・塚田穂高・吉永進一編 国書刊行会 2019
女たちのテロル* ブレイディみかこ 岩波書店 2019
いぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー* ブレイディみかこ 新潮社 2019
震災風俗嬢*  小野一光 太田出版  2016
銃・病原菌・鉄(下)* ジャレド・ダイアモンド 草思社 2000
犬養毅*  時任英人 山陽新聞社 2002
日蓮主義とはなんだったのか* 大谷栄一 講談社 2019
近くて遠いこの身体(からだ)* 平尾剛 ミシマ社 2014

2020年1月22日水曜日

近代日本の民間精神療法

できるだけ本は図書館で借りて済ますようにしているのだけれど、昨年あたりから、リファレンスの多い分厚い本に挑戦する機会が多くなってしまい、結局、蔵書を増やす結果となっている。こないだ買ってきた「日蓮主義」の本もそうだが、この本も買ってしまうことになるのだろうか。アカデミズムの中で、整体がどのように扱われているのかに興味は勿論あるのだけれど、むしろ、次のような問題意識は、僕自身のものと重なっている。さてお手並み拝見、という感じで読みはじめたところです。

日本近代の科学思想はどのように形成されたのか。歴史的にみるならば、英·米·独·仏·蘭など西欧各国に由来するさまざまな科学思想が、制度化された概念装置がない段階の知的世界へと無秩序な奔流のように流れ込んだことによって形成されたのが、日本近代の科学思想の原型であった。欧米由来のさまざまな科学思想は、翻訳され、紹介され、断片化された形で近代日本の知的世界に移動され、その世界のなかで、欧米においては存在しなかった関係性が作られ、新たな意味が形成された。そこに起きたのは、個々の思想の移植ではなく、個々の思想が互いに関係をもつための新たな言説空間が日本語で形成されたという出来事である。そして、その言説空間では古来の思想と西欧科学思想が混交体を生じ、合理性と神秘性、普遍性と特殊性、近代と前近代、科学と科学外、西欧と日本との往還といった現象がしばしば起こっている。(p.52)




2020年1月9日木曜日

日蓮主義とはなんだったのか

父から受け継いだものを手がかりに、曽祖父角三郎の素性を探ろうとしているのだが、ようとして進まない。家族の伝承として、「朝鮮で犬養毅の身辺警護に当たった」というのがある。等持院稽古場に掛かっている犬養さんの揮毫は、曽祖父に贈られたものであることは間違いがない。どういうかたちで犬養さんと出会ったのかは不明。同郷ということで可愛がってもらった可能性はあるだろう。承政院日記という李氏朝鮮時代の役所の記録に曽祖父の名前を見つけて驚いた。「慶尚北道警察部勤務・警部」とある。1910年、つまり、李氏朝鮮が消滅し日韓併合が行われた年だ。日本帝国主義の先兵として朝鮮半島に居たらしい。しかも警官として。この事実を知るだけで頭ががくらくらしてくる。その後、警察官として国内を転々としたらしい。国立国会図書館のデータベースの中にあった大正6年(1917)の「警察新聞」に深川洲崎警察署長の肩書きでインタビューに答えている。もうとつの手がかりが本多日生の手による「ご本尊」。これも宛名が角南になっている。日蓮宗系の御本尊は真ん中に「南無妙法蓮華経」と大きく書かれ、それを取り囲むように、ありとあらゆる神仏の名前が書かれているのだけれど、ひとつ完成させるのにえらく労力がかかりそうなのだ。こんなもの偉い坊さんが、一介の信徒にわざわざ書いて渡すか? どう考えても、角三郎さん、日蓮主義に深く関わっていたとしか思えない。おまけに、まったくの偶然なのだけれど、亡くなった父が最晩年を過ごしたのが国柱会の運営する老人ホームだったりする。五年前にこれにつながることを「日蓮宗のことなど」と題して少し書いているのだけど、調査はなかなか進展してこなかった。ここにきてやっと手がかりになりそうな本と出会った。昨年出版された『日蓮主義とはなんだったのか』(大谷栄一著 講談社)。今年の読書はここから始めます。600頁に及ぶ大著。

【追記1】近代の人名はアジ歴で検索するのが一般的です、と知人に教えられました。なるほど。

【追記2】第五章まで読み進んできました。(1/14)「日蓮主義はどのように天皇主義と接続したのか?」というのがずっと疑問としてあったのだけれど、セイロンの仏教復興運動家であるダルマパーラという僧が1902年に来日した折、田中智学と面会し、「セイロンの歴史の言い伝えとして、約2500年前、インド王族の高級貴族五百名が海を越えてどこかに行った」という話を伝えたとある。智学は、この貴族を神武天皇と解釈し、みずからの国体論に取り込んだ。(p.159) 

【追記3】手元においてじっくり読むべく、MARUZENにて新刊購入(1/17)



2020年1月6日月曜日

公開講話

公開講話(本部稽古場・京都研修会館)は3回シリーズで行われていて、未会員の方が参加できるのは、1月、5月、9月のみになっています。京都開催分は28日14時からです。事前予約が必要です。申し込みは身体教育研究所(03-3708-2088  info@keikojo.jp)まで。


2020年1月1日水曜日

謹賀新年

明けましておめでとうございます
「今年は仕事するぞ」という気分で新しい年を迎えました