2020年5月21日木曜日

旧仮名

 背表紙に『療病談義』と書かれたA5サイズの冊子が手元に残っている。中身は整体操法協會発行の『全生』第1号から8号の合本である。発行の日付はとみると昭和25年から28年くらい。つまり、今から70年くらい前、整体協会の前身である整体操法協會が出していた『月刊全生』の前身の機関誌ということになる。第一号のあとがきには、この号は再刊であると記されており、たしかに、巻頭言の日付は昭和22年4月とある。昭和30年代に入ると、『全生季刊』というのも発行されていた時期があり、瀬田に本部道場が建設されたと時期を同じくして、いまと同じ判型の『月刊全生』が発行され始める。

 『全生』と『全生季刊』にはおおよそ十年ほどの時間差があるのだけれど、内容はともかく、使われている日本語に大きな違いがある。前者は旧仮名であり、後者では新かなが使われている。『全生』には、その後、単行本として出版される、『叱り方褒め方」など潜在意識教育シリーズの元になる文章も多く掲載されているのだけれど、それらが旧仮名表記で印刷されている。この十年の間のどこかで、表記法が変わってしまっているのだ。新かなが制定されたのは戦後すぐの昭和21年のようだが、それが広まるまで十年という時間がかかったということなのか。

 僕が晴哉先生の著書に触れたのは、かれこれ40年前になるのだけれど、もちろん、現代仮名遣いで表記されたものだった。いま、こうして、旧仮名で書かれた同じ文章を読んでみると、うん、野口晴哉は旧仮名の人だったのだなと強く思う。