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2008年4月22日火曜日

お茶を稽古する

 長く生きていると、じつにいろんなことが起こる。五十歳すぎてからお茶を習い始め、それが四年たったいまも続いているなどということは、かつての自分からは空想もできなかったことである。最初の二年は、杉浦くんと二人で月二回、せっせと橋さんのところに通った。盆点前で、袱紗さばきにはじまり、お茶の点て方を一通り教わった。むさくるしい男二人を前に、橋さんには、ご苦労をおかけしたが、こちらも、お茶と毎回かわるお菓子を目当てに通っていたようなもので、小さな子供が、お菓子食べたさにお茶のお稽古に通ったという話を笑えない。盆点前とはいえ、お茶の基本的な所作はすべて含まれているわけで、通しでやるとなるとなかなかむずかしい。もともとなにかを覚えようという意欲が乏しく、そのうえおさらいなど一切やらないので、一年たっても二年たっても上達したという自覚をもてない。稽古場では動法を教える立場であるのに、橋さんの前では、「ちゃんと脇を張って」などと叱られてばかりである。叱られる心地というのは、なかなかよい。


 それでも半年を過ぎ、一年が近くなり、ひととおりの点前を終えると、今度はお茶会を開きなさいと言い渡されることとなる。デパ地下のお菓子売り場に、客に出すお茶菓子を買いに行くところからはじめ、客を迎え、その前でお茶を点て、喫していただく。私が呼んだのは自分の家族であったとはいえ、緊張しまくり、それでなくてもあやうい所作を飛ばしまくる。ほとんど学芸会の児童状態。亭主の役を務めたとはいえ、脇に橋さんがいなければ成り立たなかったお茶会であった。


 お茶会が終わると、今度は稽古の場がお茶室に移る。盆点前と同じよと言われるものの、盆点前でやったことではまるで歯が立たない。厳しい。水屋で茶道具の用意をして、それらをお茶室の中に運び込むところからして難題つづき。ただ手順が複雑になるぶん、点てられるお茶の味は歴然と変わる。お茶の世界における音というのは、じつに不思議で、お茶碗に茶筅をコツリと当てる、柄杓を水蓋の上に、コッと置く、柄杓からお茶碗にお湯を注ぐ、あるいは客がゴクリとお茶を飲み干す。このような一連の音によって、風景が進んで行く。最初聞こえていた屋外からの人の声、車の音が遠のいてゆき、静かな集注の世界に入っていく。はじめがあり、途中の展開があり、そして終わりがやってくる。これがお茶の醍醐味なのかもしれない。


 動作がつかえる時がある。時々ではなく始終ある。手順がうろ覚えということもあるが、たいがい何か違うことをやろうとしている時に止まる。しかたなく、そこでしばし佇んでいると、「こっち」という道が見えてくる。そっちに動き出すと、「ああ、こっちなのだ」と体がついて動いていく。そうはじめに流れありきなのだ。流れの中に自分の所作がぴたっとはまると、すらすらといく。どうしてこれが整体でできないんだと、つくづく思う。


 お茶室に入って一年もたたないうちに、杉浦くんは名古屋に稽古場を開くことになり、以後、橋さんと一対一の稽古になった。それからすでに二年がたつ。

1998年4月3日金曜日

群馬の友

 ■新幹線から一人で降りてきた娘の表情はさすがに硬かった。一時間の道のりとはいえ、たったひとりの新幹線の旅は心細かったはずだ。娘はその朝収穫したばかりという卵を二つ大事そうに持ち帰った。ハムスターの小屋からペットヒーターを取り出し(その直後、春の寒波が襲い、ハムスターは震えていた)、それを紙の箱に入れ、簡易の孵卵器をこしらえた。35度の温度で3週間暖め続けると雛が孵るという。卵が有精卵であるという保証はないが、雛が孵る日を待っている。


■私たち家族が竹渕さん夫婦を群馬に訪ねたのが3日前。竹渕さんと私は20年来の友人ということになるが、竹渕さん夫婦は8年前、百姓をするために群馬の田舎に入り、以来、田圃や畑を借りながら農業を続けている。2年ほど前からは鶏も飼いはじめ、最近、竹渕さんから送られてきた卵の味に感動した妻と娘にせがまれて、今回の訪問が実現した。娘にとって、家では飼ってもらえないイヌやネコがいることが魅力だったらしい。鶏舎に入り鶏に餌を与え、卵を収穫し、その卵を丁寧に拭き箱詰めしていく。今年から借りたという栗林を案内してもらい、イヌを連れて近所を散歩する。そして夜は車で15分ほどのところにある温泉へ。ふわふわした土の感触が心地よく、人工物の少ない風景が目に優しい。


■私たち夫婦は都合で一泊しかできない。子供同士のキャンプで何日か親元を離れたことはあるが、これまで親から離れようとしなかった娘である。しかし、動物たちと過ごす魅力が不安を上回ったらしく娘は居残りを決めた。二泊三日のホームステイ。


娘の荷物の中に竹渕さんからの手紙が入っていた。「楽しい3日間をありがとう」とある。子供のいない竹渕さん夫婦にとって、娘の存在はいい刺激になったらしい。ずいぶん気遣ってくれた様子が記されている。十歳にもなると親子関係も難しくなってくる。そういう時期に、親以外に信頼できる大人がいることを子供に伝えておくことは大切だろう。三者三様の波紋をそれぞれの中に残し、春の三日間は過ぎていった。