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2025年7月12日土曜日

正念場

 整体の稽古会のため、毎月、石川に通っている。かれこれ一五年になる。金沢からローカル線で三つ目の松任という駅で降りる。松任は加賀の千代女の生まれ育った土地で、駅の近くに千代女の里俳句館もある。その目と鼻の先に中川一政記念美術館という小さな美術館がある。真鶴にあるものに比べると随分と規模の小さなものなのだが、空いた時間が生まれると立ち寄って、一政翁の作品に触れることにしている。

 この美術館で求めた一政翁の絵葉書をフレームに入れて机の上に置いて日々眺めている。「正念場」と書かれた墨書で九七歳の作とある。一政翁の作品は晩年のものほど素晴らしいのだが、それにしても九七歳の正念場って、いったいどのような正念場なのであろうか。


 ウォークマンが世に出たのが一九七九年のことだから、半世紀近くが経とうとしている。ウォークマンがiPodにとって代わられ、それがさらにスマホに置き換わって、イアホンで音楽を聴くのがすっかり定着してしまった風であるが、その習慣を身につけることなく七〇の歳を超えた。


 ところがである。この歳にしてイアホンをつけることになってしまった。原因は難聴にある。まさか老化が耳に現れるとは十年前には想像もしなかった。至近距離で会話している分に支障はない。ところが大勢の中にいるともうお手上げで、言葉が自分の上を飛び交っているのに、一人だけ無音のドームの中に閉じ込められているようで、まことにつらい。ふたば会に出席することも重荷である。それよりも、雨音が聞こえないのが寂しい。


 このような状況をどう受け止めるべきなのだろう。ここ数年は聴こえづらさという現象を受け入れ適応しようとしてきた。つまり孤独の道を選んで過ごしてきた。たしかに、年取ると共に行動半径は狭まり人付き合いも減ってはくるのだが、はたして、これを唯唯諾諾と受け入れるべきなのだろうか。聴覚補助機能を持つイアホンを使いはじめて気づいたのは、自分は聴くという行いを諦めていたという事実であった。外部補助に頼ることなく生きるという生活信条が逆に廃動萎縮ー使わなければ衰えるーを招いていた。


 それにしても、世界は音で溢れている。騒音だらけといってもよい。イアホンを付けていると、周りの音が均等に増幅され、音の嵐の中に放り出される。ここから必要な音だけを取り出して聞き取っていくなんて、なんと難易度の高い技を駆使して人は生きているのだろう。不思議なものでイアホンを用いて「聞こえる」とわかると、イアホンを外しても、少なくともしばらくの間は音の解像度が上がった状態で「聞こえる」のだ。さて休眠していた聴く力は蘇るのだろうか。それとも静かで平和な世界に引き返すのか。正念場である。


【初出 『会報 洛句』2025/7】 


7/12、時差ボケが抜けぬまま松任へ。美術館を覗いたら、「正念場」の現物が掛かっていた。初見ではないはずなのだが、思っていたよりも小ぶりの作品だった。また絵葉書を買ってしまった。




2023年12月14日木曜日

洛句

 参加させていただいている連句の会の会報に寄稿するようになって一年になる。半年に一度、都合3回、書かせてもらったが、なかなか難しい。基本的に、俳句連句の知識に乏しいから、自分がやってきた稽古との絡みで書いていくしかなく、このブログで日々書いている文章の流用になってしまう。それでも、数十人の異分野の人たち相手に書くことには、多少の緊張感もあるし、編集者とのやりとりから学ぶことも多い。ここまで書いた3回分の原稿をPDFで載せることにした。もし上手くファイルが開けなければ、ご連絡をいただければお送りします。


2023年10月11日水曜日

十三仏行

10月8日、月一回の連句の会が始まり、春屏先生が「今日は十三仏行といういう形式でやってみましょう」と提案された。様式としては比較的最近考案されたものらしく、例えば法事など誰かを偲ぶ場で興行されるという。表五句裏七句+最後は一行空けて長句で終わるという不思議な様式。ご高齢の先生とすれば、私が逝ったら、こんなことでもやってくださいという洒落にちがいないのだが、ごく親しい知人の訃報に触れたばかりの私にとっては、「え、このタイミングでやるか」と驚いた。

連句仲間三人でメールでの文音を巻いていたのだが、最後の挙句の番が回ってきたところで片桐ユズルさんの訃報が届いた。ただし、葬儀は家族葬でやるので他言無用と釘を刺されている。一緒に文音をやっている二人も濃淡あるがそれぞれにユズルさんとは面識があるだけに、ちょっと後ろめたい。

挙句前の句三つの中から
園児らの歌ごゑ響く花の窓
という句を選びーユズルさん、歌うの好きだったしーこれにつづく挙句案三句を提出した。

そよ風に乗り風船の往く
旅立ちの日は春コート着て
卒業写真校門を背に

結果、最初の句が挙句に採られ、この文音「石の道しるべ」は無事満尾。

ハジメさんによれば、最後ユズルさん、「急にイタリアに行くことになった」と話していたそうです。イタリアか〜。

片桐ユズル、享年92歳 2023年10月6日没

2022年12月10日土曜日

俳句をあじわう

参加させていただいている連句会の機関紙『洛句』に寄稿した「俳句をあじわうー筆動法という試み」という文章を転載。このブログで書いてきたものに手を加えたものです。



2022年9月17日土曜日

大型台風接近中

 猪もともに吹かるる野分哉(芭蕉)


2022年5月26日木曜日

筆動法から連句へ

僕らの稽古で筆動法というのがある。お習字の道具立てを使って行う動法の稽古。これについては随分前になるけれど「ぼくが筆動法を稽古するわけ」というタイトルで以前書いたことがあるので、そちらを参照のこと。

漢字というのは点と線で構成されている。この点と線の書き方をひと通り稽古すれば漢字が書けることになる。最初は漢字一文字からはじめ、回を重ねるごとに、半紙一枚に書く文字の数も増えてくる。もう少し沢山の文字を書こうとしていくと、俳句という素晴らしいお手本があることに気づく。そのころには、一度や二度はかな文字も書いてきているから、全紙一枚に五七五の俳句一句を書いて見る。こうして、芭蕉、一茶、蕪村といった江戸時代の俳人が残してくれた俳句を書くという稽古が始まった。「読む」だけでなく「書く」という俳句の鑑賞法のはじまりでもある。

活字として本の上に定着している俳句を、自分が手にした(左手で構える)筆に墨を含ませ(自分で摺ったもの)、しかも動法というルールに則って(書くという意志さえも封じて)、身体を通して和紙の上に移し替えていく。文字通り、全身で俳句を味わいながら書いていく。こうして僕は俳句の世界に踏み入っていった。芭蕉の「おくのほそ道」に出てくる俳句を全て書いてみるという稽古もやった。半年以上かけたのではなかったか。そこから、俳句以前に、連句という広大な世界が広がっていることを知った。

はじめて「猿蓑」を読んだときの衝撃は忘れられない。中身に衝撃を受けたのではなく、そのわからなさ加減に衝撃をうけた。隣同士の句のつながりが、まったく理解できなかったのだ。それでも連句を手本にして書いてみることにした。そして書いたものを壁に貼ってみた。まず発句を適当なところに貼り、次に、脇の句を貼っていく。さて、どこに貼るべきか。発句との距離は、高さは、角度は。脇の貼り位置が決まれば、続けて第三句。同様に、脇との位置関係をあれこれ試行錯誤し場所を決めていく。いってみれば、前の句との関係を空間的配列に置き換えてみるということをやっていたわけだ。

このようにして連句の世界に入って行った。仲間内での実作も多少試みた。でも実際に、連句の現場に足を踏み入れたのは三年前のことである。それはもう恐ろしく、かつ濃密な世界であった。

2022年5月6日金曜日

煩悩

煩悩友に歩く山道

現在進行中の連句のために作った短句。
十年前に四国遍路を発願した頃に比べると、煩悩は随分と減った気がする。つまり、悩むエネルギーが枯渇してきた。悩む力=生きる力とも言い換えることができるから、ここ十年で生きる力が低下してきている。これを老いるという。まことに目出度い。悩む人を見ていると、そんなに生きる力があるんだと羨ましくなる。悩みから逃れようとか、捨てようとか考えない方がよいです。正しく悩む技を身に付けましょう。

2022年4月8日金曜日

パラレルワールド

 連句仲間三人で歌仙をはじめた。仲間といっても、連句歴は僕が一番浅いから、年下の姐御二人から飛んでくるボールをぜいぜい言いながら打ち返している状態。時節柄メールをやりとりして巻を進めている。前の人から送られてきた三句のうち一句を選び、その選んだ句に付けの候補三句をつくり、次の人に回していく。こうしてあみだくじを辿るように一巻の歌仙が進行していく。作った三句のうち二句は反故として捨てられて顧みられることはない。今回、自分用に、この反故も一緒に並べて記録している。なぜこの句が採られ他の句は捨てられたのか。

 自分が好きな句を選ぶとは限らない。いくら気に入っても、歌仙のルールから外れるものは捨てざるをえない。前句との繋がりで、ちょっと離れ過ぎているな、とか、近すぎるとか、好きであっても捨てざるをえないものも出てくる。基準になるのはぴったり感、これしかない。つくる側からすると、苦し紛れでつくったものが採られ、えー、これ採っちゃったの、ということもある。

 連句って、ほとんど人生のアナロジーではないか。岐路はたくさんあった。なぜそのとき、そのような道を選んだのか、選ぶしかなかったのか。はたまた選ばれたのか。数限りない岐路を経て現在にたどりついているのだ。そう思えば、選ばれなかった反故句たちにも愛着が湧いてくる。連句ってパラレルワールド。そして人生もまたパラレルワールド。選ばれなかったもうひとつの人生を遊ぶことが連句の醍醐味なのかもしれない。

2021年4月11日日曜日

連句の会

半年ぶりに連句の会に参加してきた。この会に通うようになって丸2年だが、ここ一年は、コロナ騒動での休会、ぼく自身の事情も重なり、実地に参加した回数は今回が9回目。この間、メールでの文音のグループに加えていただいたおかげで。途切れたという感覚は持たなかった。それでも、ひさしぶりの人が集まっての会は緊張した。初回のときの「脳味噌が捩れた感」(→連句会)には及ばないものの、帰りのバスの中で、うたた寝をしてしまうくらいの消耗感はあった。3時間で半歌仙を巻いてしまう速度に置いてきぼりをくらってしまう。幸い発句を採っていただいたので、肩身の狭い思いをすることはなかったけれど、まだまだ、連句的集注に入れない。

水流れ人も動きて春の雲(和宏)

会が終わって、三条方面へ散歩
行者橋という小さな石の橋を渡った
千日回峰行を終えた行者さんが、入洛するときに最初に渡る橋とのこと
柳の並木が綺麗だった



2019年7月15日月曜日

三度目の連句会

三度目の連句会
六人組の一角に加えてもらい先月の続き
月一回三時間を二回やって歌仙ひとつを巻くペースということは、
10分に一句分づつ進んでいる勘定になる
みなさんどうして、次から次へ句が浮かんでくるのだろう
この速度にまずついていけないし、三時間をひと息でやってしまう密度にもついていけない
あーだこーだとお喋りしながら、お菓子をつまみながら、会は進んでいく
恋の句にさしかかると俄然盛り上がる
女性たちの体力にはとても太刀打ちできない
終わった時には、もうへろへろである
巻いてしまえば、そこに残るのは36行の文字列のみ
残されたのが36行で、その5倍の文字列は捨てられている
大人6人、6時間、のべ36時間が凝縮される
使うのは紙と鉛筆、季寄せに電子辞書
これを大人の遊びと言わずなんと言おうか
今晩も知恵熱出そうだ

2019年6月11日火曜日

肌寒

肌寒という季語が使われている俳句にどんなものがあるか調べてみたら、子規の句ばかりぞろぞろと出てきた

風引くな肌寒頃の臍の穴

芭蕉の句はほとんどなくて、
湯の名残今宵は肌の寒からむ
くらい

筆動法というお習字の道具を使った稽古やってるんだけど、今日は、芭蕉の句をかくことにします

2019年6月5日水曜日

文音

連句会に出席したら知恵熱が出たという話は書いた。
来週が2回目の参加になるのだけれど、ちょっと出るのが怖い。
一度出席しただけなのに審査なしにメンバーに加えてもらえたようで、初心者対象の「文音」をやるのでどうですかとお誘いのメールが先生から届いた。「文音」とは手紙で歌仙を巻くこと。それを今風にメールを介してやるらしい。前句にたいして、長句なり短句なり三句を先生に送り、その中から一句、必要であれば一直と呼ばれている添削を加えて句を確定させていくという手順。なぜこの句を選んだか、なぜここを直したのか、解説とともに先生からメールが返ってくるので、連句初心者には実に勉強になる。

さて一巡目は随分ゆったりしていたものの、二巡目に入ると急に速度があがって、あっという間に順番が回ってきた。さて、僕のところに届いたのが「ダリの絵のゆらりと溶くる針二本」という長句。この句に短句七七をつけなけらばならない。季節はなく雑の句でとある。針二本から「箸」を連想。「左手に椀右手には箸」という句がまず浮かぶ。ゆらゆら、溶けるに棹差すように、体言で止めてみる。二つ目は、「豆つまみあげ煮加減をみる」。これも箸からの連想。うーん、箸から逃れられない。悶々としているところに小杉さんの訃報が届いた。こうなると連句どころではなくなってしまう。でも、頭の片隅に宿題の影が残る。

流れに棹ささないで、もっと流してしまおう。こうしてできたのが、「笹舟に乗せ友を見送る」という短句。最初は友でなく「御霊」としたのだけれど、これではお盆の灯籠流しのようで季節感がでてしまう。最終的に前掲二句と併せ、「笹舟に乗る友に手を振り」として先生に送った。早速、先生からの返信があった。笹舟の句を一直し、次の長句が添えられていた。唸った。
笹舟に乗る友へ手を振り
そろそろと亀仏心の貌を出す  

僕の中では、笹舟に乗っているのは小杉さんであり小杉さんの御霊なのだけれど、それを「仏心」で受けてくださっているのだ。連句おそるべし。

遺影の中の小杉さんはVサインしていた。最後までやるな〜。

2019年4月15日月曜日

連句会

はじめての連句会から帰ってきた日
脳味噌が捩じくれたかんじで、夜中じゅううなされる
このまま脳溢血で逝っちゃうじゃないかと思ったほど
一日たって、ようやく危機は脱したようだが、今度は眠くて仕方ない
参加者の皆さんの速度と密度に圧倒される
先生の捌きはかろやか
三時間ノンストップ
二十韻がみるみる巻かれていく
お手上げ感を経験したのは久しぶりのことだ
俳句の持つ速度感というのは、あんな感じなのか
いやはや