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2026年6月29日月曜日

付ける

30年以上、サッカーを見続けているが、日本サッカーの進化は素晴らしい。と、同時に、サッカー解説の進化が素晴らしい。昔の地上波でのサッカー中継では解説者なのか応援団なのかわからない人が喋っていた。パスを付ける、といった表現は昔からあったはずだが、サッカー解説できかれるようになったのは、最近のことかもしれない。

そう「付ける」なのです。連句協会の原稿も、回り稽古もテーマは付ける。このところ、「付ける」のことばかり考えている。パスを付ける場合であれば、パスの受け手は未来に属している。連句の場合は、前の句、つまり過去に付けることになる。同じ、付けるでも方向性が逆。

付けることで、過去の構造は変わらないのに、その存在が変容する。付ければ付けるほど、季節は順の方向に巡っていくのに、集注は遠い過去に向かっていく。不思議な文芸だ、連句は。サッカーだって、そう単純ではない。予め定められたゴールという終点にボールを運ぶという行為が未来に向かうものなのか怪しい。ボールは、ゴールから逆算され逆流してきた今と、後ろからやってきた流れがぶつかる刹那の一点にあるのだから。

2026年5月14日木曜日

連句会

日曜日、月例の連句会に参加してきた。
ふた月続けて参加できることは稀で、夫婦揃って参加するのは、さらに稀だ。

総勢10人の参加者を籤引きで2組に分ける。3時間の会で、丸ごと歌仙を巻くのは難しいので、2回に分けてやることもあるのだが、私のような不定期参加の人も少なくないので、区切りをつけやすい半歌仙や二十韻という様式でやることも多い。この日は、林閒石(かんせき)という人が唱えた「非懐紙」という付けることを主眼にした様式でやってみましょうと先生。月、花の定座は設けず、それらさへなくてもよいという、まことにゆるい様式。

うん、これは、昔、連句の真似事を大井町稽古場ではじめたころ、長句(五七五)と短句(七七)を交互に付けていったようなものだなと合点して始める。とはいえ、生半可に歌仙のルールを知ってしまっているので、ついついルールに気を取られ、純粋に付けることができない。助走に時間はかかったものの、先生の捌きのおかげで、結局、十六句目で挙句とする。

会議室を借りての連句会。もちろん、テーブルと椅子。各自が十七季という連句用の辞書やら電子辞書を手元に置いて句を作っていく。ちょっと前までなら、畳の部屋にデコラのテーブルを並べてやっていただろう。

芭蕉の時代は、どんな環境でやっていたのだろう。
手元に筆と硯を置き、短冊に句をしたためて、捌きの人に手渡していたのか。おそらく机は置いてない。大きな興行の時には、書記役を置いたというのは、どこかで読んだ気もするが、少人数の仲間内での会ではどうだったのだろう。歌仙は残っていても、それがどのような風景の中で生まれてきたのか今ひとつよくわからない。途中で、お茶はのんでいたのか、食事はどうしていたのか。ついつい、こういう枝葉末節な部分が気になってしまう。

いちど、筆動法の時間を使って、連句会もどきをやってみようか。
鉛筆を筆に持ち替えるだけで、生まれてくる句は違ったものになるだろう。

2026年1月30日金曜日


【月刊洛句202601】

2025年7月12日土曜日

正念場

 整体の稽古会のため、毎月、石川に通っている。かれこれ一五年になる。金沢からローカル線で三つ目の松任という駅で降りる。松任は加賀の千代女の生まれ育った土地で、駅の近くに千代女の里俳句館もある。その目と鼻の先に中川一政記念美術館という小さな美術館がある。真鶴にあるものに比べると随分と規模の小さなものなのだが、空いた時間が生まれると立ち寄って、一政翁の作品に触れることにしている。

 この美術館で求めた一政翁の絵葉書をフレームに入れて机の上に置いて日々眺めている。「正念場」と書かれた墨書で九七歳の作とある。一政翁の作品は晩年のものほど素晴らしいのだが、それにしても九七歳の正念場って、いったいどのような正念場なのであろうか。


 ウォークマンが世に出たのが一九七九年のことだから、半世紀近くが経とうとしている。ウォークマンがiPodにとって代わられ、それがさらにスマホに置き換わって、イアホンで音楽を聴くのがすっかり定着してしまった風であるが、その習慣を身につけることなく七〇の歳を超えた。


 ところがである。この歳にしてイアホンをつけることになってしまった。原因は難聴にある。まさか老化が耳に現れるとは十年前には想像もしなかった。至近距離で会話している分に支障はない。ところが大勢の中にいるともうお手上げで、言葉が自分の上を飛び交っているのに、一人だけ無音のドームの中に閉じ込められているようで、まことにつらい。ふたば会に出席することも重荷である。それよりも、雨音が聞こえないのが寂しい。


 このような状況をどう受け止めるべきなのだろう。ここ数年は聴こえづらさという現象を受け入れ適応しようとしてきた。つまり孤独の道を選んで過ごしてきた。たしかに、年取ると共に行動半径は狭まり人付き合いも減ってはくるのだが、はたして、これを唯唯諾諾と受け入れるべきなのだろうか。聴覚補助機能を持つイアホンを使いはじめて気づいたのは、自分は聴くという行いを諦めていたという事実であった。外部補助に頼ることなく生きるという生活信条が逆に廃動萎縮ー使わなければ衰えるーを招いていた。


 それにしても、世界は音で溢れている。騒音だらけといってもよい。イアホンを付けていると、周りの音が均等に増幅され、音の嵐の中に放り出される。ここから必要な音だけを取り出して聞き取っていくなんて、なんと難易度の高い技を駆使して人は生きているのだろう。不思議なものでイアホンを用いて「聞こえる」とわかると、イアホンを外しても、少なくともしばらくの間は音の解像度が上がった状態で「聞こえる」のだ。さて休眠していた聴く力は蘇るのだろうか。それとも静かで平和な世界に引き返すのか。正念場である。


【初出 『会報 洛句』2025/7】 


7/12、時差ボケが抜けぬまま松任へ。美術館を覗いたら、「正念場」の現物が掛かっていた。初見ではないはずなのだが、思っていたよりも小ぶりの作品だった。また絵葉書を買ってしまった。




2023年12月14日木曜日

洛句

 参加させていただいている連句の会の会報に寄稿するようになって一年になる。半年に一度、都合3回、書かせてもらったが、なかなか難しい。基本的に、俳句連句の知識に乏しいから、自分がやってきた稽古との絡みで書いていくしかなく、このブログで日々書いている文章の流用になってしまう。それでも、数十人の異分野の人たち相手に書くことには、多少の緊張感もあるし、編集者とのやりとりから学ぶことも多い。ここまで書いた3回分の原稿をPDFで載せることにした。もし上手くファイルが開けなければ、ご連絡をいただければお送りします。


2023年10月11日水曜日

十三仏行

10月8日、月一回の連句の会が始まり、春屏先生が「今日は十三仏行といういう形式でやってみましょう」と提案された。様式としては比較的最近考案されたものらしく、例えば法事など誰かを偲ぶ場で興行されるという。表五句裏七句+最後は一行空けて長句で終わるという不思議な様式。ご高齢の先生とすれば、私が逝ったら、こんなことでもやってくださいという洒落にちがいないのだが、ごく親しい知人の訃報に触れたばかりの私にとっては、「え、このタイミングでやるか」と驚いた。

連句仲間三人でメールでの文音を巻いていたのだが、最後の挙句の番が回ってきたところで片桐ユズルさんの訃報が届いた。ただし、葬儀は家族葬でやるので他言無用と釘を刺されている。一緒に文音をやっている二人も濃淡あるがそれぞれにユズルさんとは面識があるだけに、ちょっと後ろめたい。

挙句前の句三つの中から
園児らの歌ごゑ響く花の窓
という句を選びーユズルさん、歌うの好きだったしーこれにつづく挙句案三句を提出した。

そよ風に乗り風船の往く
旅立ちの日は春コート着て
卒業写真校門を背に

結果、最初の句が挙句に採られ、この文音「石の道しるべ」は無事満尾。

ハジメさんによれば、最後ユズルさん、「急にイタリアに行くことになった」と話していたそうです。イタリアか〜。

片桐ユズル、享年92歳 2023年10月6日没