連句仲間三人で歌仙をはじめた。仲間といっても、連句歴は僕が一番浅いから、年下の姐御二人から飛んでくるボールをぜいぜい言いながら打ち返している状態。時節柄メールをやりとりして巻を進めている。前の人から送られてきた三句のうち一句を選び、その選んだ句に付けの候補三句をつくり、次の人に回していく。こうしてあみだくじを辿るように一巻の歌仙が進行していく。作った三句のうち二句は反故として捨てられて顧みられることはない。今回、自分用に、この反故も一緒に並べて記録している。なぜこの句が採られ他の句は捨てられたのか。
自分が好きな句を選ぶとは限らない。いくら気に入っても、歌仙のルールから外れるものは捨てざるをえない。前句との繋がりで、ちょっと離れ過ぎているな、とか、近すぎるとか、好きであっても捨てざるをえないものも出てくる。基準になるのはぴったり感、これしかない。つくる側からすると、苦し紛れでつくったものが採られ、えー、これ採っちゃったの、ということもある。
連句って、ほとんど人生のアナロジーではないか。岐路はたくさんあった。なぜそのとき、そのような道を選んだのか、選ぶしかなかったのか。はたまた選ばれたのか。数限りない岐路を経て現在にたどりついているのだ。そう思えば、選ばれなかった反故句たちにも愛着が湧いてくる。連句ってパラレルワールド。そして人生もまたパラレルワールド。選ばれなかったもうひとつの人生を遊ぶことが連句の醍醐味なのかもしれない。