2021年11月30日火曜日

11月の読書

源氏物語1* 有朋堂書店 1927
見知らぬ島への扉* ジョゼ・サラマーゴ アーティストハウス 2001
縁食論* 藤原辰史 ミシマ社 2020
アフター・カルチュラル・スタディーズ* 吉見俊哉 青土社 2019
水族* 星野智幸 岩波書店 2009
江戸という幻景* 渡辺京二 弦書房 2004

2021年11月26日金曜日

ネット記事から

 娘から教えてもらったネット記事。
ひさしぶりに爽やかな文章を読んだ。
整体の技術を学ばなかった者の「強み」が、インタビュアーの問題意識とうまくシンクロして引き出されている。成長病と僕らが呼んでいるウイルス由来の病気は、ワクチン接種の広まりによって罹患する機会が減っている。そんな時代に、人間はどのように成長していけるのだろうと考えていたのだけれど、「ワクチンすらも利用して、今の時代に則した体育のあり方を考えることができるかもしれない」(後編)という次世代の言葉はたくましい。「なんだか野口晴哉を身体のアナキストとでも呼びたくなってきました(笑)」というインタビュアーのセンスも素晴らしい。

2021年11月22日月曜日

源氏物語

源氏物語は読んだことがない。
来月、「源氏物語読み合わせの会」というのを覚張さんがやるのというで、あわててテキストを探しはじめた。読むのであれば、旧仮名のものがよいだろう。覚張さんに訊いてみると、「私は古本屋で見つけた大正時代に出版されたものを拡大コピーして使っている」とのこと。国立国会図書館のデジタルアーカイブを探ってみると、出てくるは出てくるは。一種類ダウンロードして印刷してみた。次に京都市図書館のデータベースを当たり、出版年が古そうで、かつ貸出可能なものを探し、予約したら、有朋堂書店大正15年発行の「源氏物語1」が早速届いた。大正15年というと1926年、つまり95年前に刊行されたものだけれど、すこぶる状態はよい。つくりもしっかりしている。当時の活字文化のレベルの高さがわかる。古典を声に出して読んでみる、聴いてみる。これは興味深い体験ができそうだ。関心のある方は是非。



2021年11月12日金曜日

石川合同稽古会(第7回)

石川合同稽古会も7回目となります。
今回は、再び湯涌創作の森が会場となります。
参加ご希望の方は担当者までご連絡ください。
その際、参加希望日、宿泊の要不要をお伝え下さい。

12月4日(土) 13時〜18時半 遠藤日向x佐藤朋弥
12月5日(日) 10時〜15時半 角南和宏x佐藤朋弥

会費  一日五千円

遠藤 rakuendoh@gmail.com  076-299-5424
角南 dohokids@gmail.com   075-465-3138

2021年11月1日月曜日

QRP

  十代の頃はラジオ少年で、半田ごて片手にアンプを作ったり、ラジオを自作したりしていた。真空管の時代である。十代後半に入ってからは、もっぱらアマチュア無線。受信機は買ってもらったものを使っていたが、送信機は自作。

 アマチュア無線用語でQRPというのがある。送信出力を絞ることを意味していて、どれだけ小さな出力で、どれだけ遠くの人と交信できるかを競う。既成の高性能高出力の機器で遠くの人と話せるのは当然のことで面白くない。僕はこのQRPというのが大好きで、自作した小出力の電信専用の送信機で深夜、海外の友を求めて電波の世界に遊んでいた。もっぱら使っていたのは、電離層の反射を利用して遠くと通信できる短波帯。フェージングという作用の影響で受信レベルが高くなったり低くなったり、聴こえてくるモールス信号の音程も揺らぐ。

 二十代に入り、実際に自分の脚で旅するようになってから、アマチュア無線への関心はピタリと止み、以後、再開することもなかった。今に繋がっているものとすれば、電波のように目に見えないものへのロマンであったり、未知の土地への好奇心であったということになる。全然、工学系ではなかったな。ミニマリストの素養は昔からあったわけだ。

冬到来

  月末三日間二〇時間の稽古会を耳が遠いというハンディにもめげず(今号の特集です)終えた。ひとつ壁を乗り越えた気分。これで十月も終わり。今年もあと二ヶ月で終わりだ。スーパーに行けばオセチ注文の受け付けがはじまり、文具屋には来年の手帳が並ぶ。まったく信じられないというか、時間の流れが加速している。緊急事態宣言が解除されたこともあり、人も再び動きはじめた。十一月に入れば、紅葉目当ての観光客が京都に押し寄せてきそうだ。すでに兆候は現れている。修学旅行生の姿も増え、行きつけの蕎麦屋の前には行列ができ、道を走っている車の数も増えた。

 娘のところの三男坊が生後十三ヶ月(整体における育児の区切り)を無事通過したので、一年半で二十回を数える僕の千葉通いも一区切り、のはずなのだが、はたして目論見どおりいくのかしら。たしかに、娘ひとりで男の子三人の世話をしていくのは大変で、僕が行くと子守三昧。一歳児の子守を六時間まかせられるジージの存在は、娘のママ友たちには信じがたいそうだが、別に特別な術を使っているわけではない。ただ子守が3日続くと、さすの僕もバテてしまう。大体月半に行って、帰ってくると下旬に差し掛かっていて、あっという間に月末三日間の稽古会がやってくる。その稽古会が終わると、何日もしないうちに、今度は石川行が待っている。十日続けて一箇所にいることがない生活。外の世界がスローダウンしている間、僕は動き続けていた。外の世界が動き始めた今こそ、静かな暮らしを取り戻したいのだが、はて。