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2023年5月2日火曜日

150歳

 高知での二泊三日の遍路行を終え、空路、千葉に移動。佐倉で三日間孫たちと遊び、さらに二子玉川へ。こんな周回コースを思いついた私はいったい何者なのだ。

 二日間の研修。顔ぶれは少しづつ入れ替わってきているけれど、稽古場創設以来のメンバーもしぶとく残っている。二人組の稽古。二人の年齢を足してみるー20年間事務局やっていたので、みんなの年齢はだいたい把握している。150歳越えのペアが二組。すごいなと思う。しかも嬉々として稽古してる。長老と呼ぶしかない人たち。二人足して100いかなければ若手。100越えて、やっと中堅どころ。稽古場はじまって、今年で35年。

 新しい稽古が提示されたとする。それでも、その新しい技法は基礎のひとつとして立ち現れる。そして、出現した新しい基礎によって、旧来の基礎とされて来たものは刷新され、新たなレイヤーを得て重層化していく。そして新たな生成の種となる。「基礎が進化する」とは、こういうことを云うのか。

 二子玉川から新横浜へ。乗り換えソフトで調べると、見慣れないルートが表示される。あざみ野経由でも、長津田経由でもなく、なぜか自由ヶ丘、大岡山経由。首都圏の交通事情は年々変化しているようだ。電車に乗る生活から離脱して、はや7年を過ぎた。

2022年3月5日土曜日

聴く稽古

月末三日間の稽古は「聴く」稽古でもある。おそらく稽古時間の半分は講話に充てられているから、その時間、僕はひたすらかすかに聴こえてくる師匠の声に耳を傾ける。基本、師匠の声は小さい。ピンマイクとアンプで拡大された声もなかなか僕には届かない。音のかたまりとしてやってきても、それが言葉として像を結ばない。断片的に聴こえてくる単語から、何について話されているのか類推していくしかない。まるで、圧倒的に語彙の少ない人間が外国語の海に放り出されたようなものである。僕の中にある三十年分の膨大なデータベースに照らし合わせて、内容を察そうとしていくのだが、無力である。もう、師匠の話は十分聞いたから、もういいではないかという兆なのだろうか。それでも三日間出ると、新しい発見があり、実際、身体も変わっていくから、苦行とはいえ、この稽古会を外すわけにはいかない。そもそも、この稽古会に出るために居を京都に移したのだから。かすかに聴こえてくる声をBGMに妄想の世界に入っていくことも多い。でも、全体的な集注感だけは増している。これもまたたしかなのだ。

2022年2月23日水曜日

千の抽斗(ひきだし)

ふたむかし前のことだ。日曜日に本部稽古場でやっていた初心者向けの稽古会に顔を出したことがある。そのぬるさに驚いた。動法をすっ飛ばして稽古している。「放し飼いにしている」と師匠は笑っていたが、動法なしの内観なんて宝の持ち腐れではないかと憤慨した覚えがある。

自分がたどった道筋をなぞるように教えていこうというのは、教える者の習性みたいなものかもしれない。まず動法ありき。動法なき稽古場はありえない。これは今でも正しい。基本はすり足であり、坐法であり臥法である。だが、それをいっと最初に持ってくる必然性があるのかどうか、今となっては、ちょっとあやしい。

千の抽斗があったとしても、普段使いしているものは十にすぎず、この十個を組み合わせながら日々稽古していることに愕然とする。人に適わせてふさわしい抽斗を開ければいいものを、知らぬ間に開ける抽斗の数が限られてきて、開ける順番も自分がたどった道筋をなぞろうとしている。ひとつの稽古を深めるといえば聞こえはいいが、その実、習慣性というループにはまっている可能性も大いにある。

せっかく千の抽斗があるのだから、組み合わせはもっともっと自由であるはずなのに。

2019年12月13日金曜日

双というOS

京都でものんびり暮らしているはずなのに
チェンマイにいると、のんびりの度合いが一桁増す
いったい、京都では何を思い煩わって暮らしているのだろう
おもしろいことに、ノイズのレベルが低くなると、
普段、捉えきれていない肝腎の事柄が、不意に浮き上がってくる
あるいは、降りて来る

双という世界観
それを表現する技
それを体験する稽古法
すべて此処にある
門をくぐれば、此処は技の世界
技を磨くとは受動の集注を学ぶことで、
外の世界にリーチアウトしようという欲求は消え、
我々は姿を消す
双の世界観を求めている人たちはいるらしい
はたして、その人たちは、此処を発見できるのだろうか
いや、そのような世界観を心底求めている人たちに発見されるほどに、
僕らは受動の技を磨くことが出来るのだろうか

2016年10月18日火曜日

土俵

昨夏、本部で独法がはじまった
その頃からダン先生の稽古の中味も変わってきた
ぼくら相手の稽古が独法・双観法への仕込みの場になってきた

突然、ロイ先生が亡くなり、
その後を引き受けることになり、
修養講座という制度をつくりだした
修養講座で試されているのは、むしろ整体指導者だろう
整体指導者が整体を自分の言葉で話す稽古でもある

どうすれば、これまでロイ先生がやられていたことと、
身体教育研究所でダン先生が追求してきたことを並列させるか
これはなかなか大変な仕事である

稽古場は28年の歴史のなかで、独自の言語空間を形成してきた
それは、ダン先生による野口晴哉解題といえるものだが、
整体協会全体のなかでは共有されてはこなかった

最近、公開講話で感受性という言葉が多用されている
いうまでもなく、整体協会的にいえば、晴哉先生の語彙に属するものであり、
整体を語る上でのキーワードのひとつである
どうやらダン先生は、晴哉先生の語彙を媒介にして、
言葉が通じなくなっていた二つのグループがコミュニケートできるよう
共通の土俵をつくる作業をはじめたらしい
一朝一夕でできる仕事ではない

あたらしい世代
修養講座、独法・双観法で学んだ世代が指導者になるまで最低でも5年はかかる
そこまでは面倒をみるつもりでいるらしい
とんでもない負荷であることは間違いないが、その負荷をさらなる技の進化に転じてしまう
そこが、わが師のとんでもないところである
70代のダン先生を目撃するために、こちらも、もうひと頑張りせねばと思う

2016年4月6日水曜日

きまらない

このブログは半ば自分の備忘録として書いているのだが、「稽古覚書」として稽古してきたなかで気づいたこと、覚えていることをメモしていくことにします。

【きまらない】
稽古会がはじまっても、まだやることが決まらない、そんなときがある。毎度ではない。そんなときは、皆の前で話しながら、同時になにをやるかを考えている。それでも決まらないときは、決まらないまま、エイっと、誰かを前に出す。「xxさん出てきてください」と声をかけると、スッと前に出てくる。その僅かな空気の動きが初動となって稽古がはじまる。問題なのは、誰を前に出すか、ということ。大井町稽古場でやっていた頃、スズキくんという、当時まだ学生だった若者がいて、随分、彼には助けられた。空気が動く人と、そうでない人がいるのだ。これで、空気が動かなければ、もう八方づまりである。ただ、土壷にはまりかけたことはあるが、落ちたことはまだない。

【正座】
正座はいまでも苦手である。ひとの話を聞きながら座っている時というのは、すぐ足がしびれてくる。いまでも公開講話2時間はつらい。ところが、話す側に回ると全然平気なのだ。おっ、あいつ痺れてきたな、くらいの余裕を持って眺めている。自分がつらくなってきたら、そこで休憩を入れればいいという余裕のなせる技なのか。

【サピア=ウォーフ仮説】
ユズルさんの傘寿のお祝いのときだったか、稽古場でやっていることを話ししたら、「ダン先生はトランスパーソナルのことをやりはじめたのね」、という反応が返ってきた。トランスパーソナルという言葉の前提になっているものは、もちろん、パーソナルという言葉であって、はじめに「個」ありきということだ。言語によって、その前提となるものが異なることを痛感した。「言語によって世界の切り取り方が異なる」というサピア=ウォーフ仮説というのがあるらしいが、いまでは昔の理論として忘れさられているとのこと。えっ、どこがだめなのと僕など思ってしまうのだが、このあたりの経緯をどなたかご教示いただければありがたい。

2015年9月21日月曜日

四畳半でできること

お茶室のような稽古場があればよいなと思っていた
平屋建であれば尚よい
贅沢な望みである
ところが、お茶室ではないけれど、それらしき建物が見つかった

稽古スペースは四畳半
この限られた空間でどこまでの稽古が可能か
チャレンジしがいのある課題である

毛氈一枚の上で操法はできる
定員3名とすれば、連座にもぴったりだ
坐法臥法が稽古のベースになるだろう
じゃあ筆動法はどうか?

大井町稽古場での最後の稽古が筆動法だった
おくのほそ道の序の部分を三人一組で手分けして書いてみた
四畳半で筆動法の稽古をするという空想がはじめて湧いてきた

・坐法臥法
・カタと同調
・連座
・筆動法

稽古会のかたちがだんだん見えてきた






















fudedoho on 2015.9.20

2015年8月9日日曜日

先月末の筆動法は松井さんに代わってもらったので、二ヶ月ぶりの筆
今回テーマは晩夏の季語である
意外ではなかったが、シーンとした静かな空間が出現した
*本部独法に参加した人の話を聞き、再び「動法の時代」の到来を予感

2015年8月6日木曜日

はじめに臥法ありき

先に臥法が発案され、
それだと、普通の座り方だと負けてしまうから、
次に坐法がつくられたのです
だから臥法坐法漫画も臥法を先に描いています
と戸村さんに教えられ、なるほどそうだったのかと腑に落ちた

いまでこそ、みんな普通に稽古着を着て、普通に坐法・臥法をしている
最近稽古をはじめた人など、この伝統が百年も前から続いていると思うかもしれない
しかし、本部稽古場がはじまる1988年以前、それらは存在しなかった
大勢の人間が繰り返し繰り返し行うことで、坐法臥法はひとつの伝統として定着しつつある

どの段階で坐法・臥法が発案され、
どの時点で僕らは稽古着を着はじめたのか
そもそも、みんな最初から足袋を履いていたのか?
28年も経つと、このようなことすら時系列で捉えられなくなってきている

はじまりを知る人間はやがていなくなる
そのとき、この坐法・臥法を行う風景が残っていたならば、はじめて
定着した、といえるのだろう


*本部道場で修養講座がはじまったとき、「臥法は稽古場にとっておいて下さい」などと了見の狭い意見を述べましたが撤回します。整体協会の共有財産として浸透させていきましょう。

*わけあって、独法講座冒頭の講話部分だけ音声で聞いた。身体教育研究所の公開講話と共通する部分が多かったのだが、この講話で述べられたことが、今後の整体協会の「標準」となる。と同時に、その「標準」たることを裕之先生は引き受けられたことになる。そういう意味で、エポックメーキングな講習会である。

2015年7月28日火曜日

中年独身稽古人

稽古場の制度設計をしていた時から、
これは、勉強を続けていくためのものであって、
職業人を育てるためのシステムではない
ということは明らかであった

そして案の定というか、
まったくそのように機能して、
結果として、多くの中高年独身稽古人を生み出すことになった
これだけあれば、別に、おひとりさまの人生も悪くない、
と思わせてしまうのは、稽古場の罪な部分である

ただ、整体というのは、
かつて、裕之先生が「整体三代」という言葉で表現されていたように、
家庭という現場を通して伝わっていくものでもある
家庭生活における「絶望」を経験しながら、ヒトは整体人になっていく

私自身、今となっては、独身者と似たような境遇にある
さて、これから先どうしようと思った時、
いかに稽古を継続できるかを、まず第一に考えてしまう
こうなったら、最後まで食らいついていきますぜ、
みたいなノリで、周回遅れの長距離走者を気取ることになる

2015年7月1日水曜日

京都へ

白山稽古会から京都に移動
毎月末三日間行われている京都稽古会に参加してきた
前回来たのは、なんと2012年の10月のことで、ほぼ3年ぶりのことになる

はたして三日間体力は保つのか?
というのが課題だったが、夜の男組特訓を含めフル参加
半歩前進ですね

久しぶりに会う顔も多く、
変わらないねと言われたり、爺さんになったねと言われたり、
とにかく付き合いの長い人が多いから
まずは、お互い生き延びていることを喜び合う

皆さんすごいよね
この稽古会が始まって、四半世紀が経つはずだけれど、
初期メンバーの多くが、25年間通い続けている
若い男性諸君が多いのも心強い

とりもなおさず、それだけの魅力があるということで、
いつかアリ先生が、
継続して稽古しているひとたちの半数は、
ダン先生はいったいどこへ向かおうとしているのか、
私たちを何処に連れて行こうとしているのか、
半ば観客のように、半ば保護者のように見つめながら、
稽古につきあっているのではないか
という説(かなり意訳してる気がするが)を述べていたが、
私自身そんな感じで、言葉を変えれば、毒食わば皿までの世界

こうして、稽古経験の総和が次世代に繋がる力となる

2015年5月22日金曜日

前にすすむ 2


大井町の控室に坐って稽古が始まる時間を待っている。だれも現れない日が2回あれば、大井町引退を決めている。私自身この引退勧告を待ち望んでいる節もある。事務局を離れ、稽古場指導者として独り立ちして丸6年、これで七年目に入るわけだが、ここまで生き延びて来られたのが不思議である。この間、311があり、身近な人達が逝き、多くの出来事がありすぎた。組織を回す立場から離れていたから対応できたともいえる。ようやく身の回りのことが片付いたと思ったら独りになってしまった。これから先も稽古を離れることはないだろうが、拠りどころとしてきたこの場所から離れる時はいずれやってくる。


淡い期待を裏切るようにAさんがやってくる。普段、私の稽古に出たことのあまりないのにと苦笑する。「愉気&活元運動ー稽古場スタイル」という名称の稽古をはじめたのは最近のことだが、ここ2年くらいやってきた「活元運動以前」「合掌行気以前」の発展形の稽古である。「活元運動以前」「合掌行気以前」だと準備運動、あるいは、掌が合わさるところまでが稽古の9割を占めていて、活元運動や合掌行気そのものをやり込むところまで辿り着かなかった。古株のAさんにはぴったりの稽古かもしれない。結局、1対1の稽古会になり、再現法で邪気吐きを行うところからはじめ、最後は活元操法までたどりついた。終わった時の静寂感。さすがに、年季というものはある。話は変わるけれど、今後、整体協会は、自分たちの活動のなかで活元運動をどう位置づけていくつもりなのだろう?


稽古会の総量ということを考えてみる。無論、体験を量で捉えることなど不可能に決まっているけれど、例えばの話です。稽古量を測るため、「容積x時間x質」という計算式を立ててみる。これだと一体、何次元の話になるのか? これは独りの量だから、稽古会の総量というのは、それが人数分合わさったものとなる。では、どうすれば、稽古会の総量を増やせるのか? まず、ひとりひとりの総量を増やすこと。次に、総体量が増えるようなシステムを作っていく。具体的にいえば、ひとりひとりが良いものに触れ、また、できるだけ多くの人が師匠直接の薫陶を受けられるようにし、その邂逅が実りあるものとする準備を整える、等々。無論、稽古する人間も増えてほしい。なぜ総量にこだわるかというと、絶滅危惧種である整体部族を存続させたいからである。生物もそうだが、言語でいえば、毎年、数千という言語が消滅しているという。ひとつの言語を存続させていくために必要な最低人数というものがあるらしく、たしか、千人くらいの集団が必要とされているのではなかったか。


ここを終の棲家ときめたお姉様方と、早く本部で直接裕之先生の指導を受けたいという若者たちで大井町稽古場は構成されている。前者は高齢化が進んで先細っている。後者は補充が進まず、これまた先細っている。深刻な問題なのだが、こればかりは、我が身の不明を恥じる他ない。稽古の総量ということを考えたとき、若者は早い段階で裕之先生の薫陶を受けた方がよい。ただ、体ができてないのに先走って宝の持ち腐れとしては勿体ない。大体、みなさん先走るし、裕之先生の若者好き(この気持もよく分かる)が仇となることもある。


ここでまた脱線してしまうのだが、アメリカの刑務所ビジネスがすごいことになっているらしい。服役している囚人を使ったコールセンターなんてのもあって、これまでインドなどにアウトソーシングしていた業務を刑務所で法外な低賃金でやらせ、莫大な利益を上げている企業があるという。TPPが締結されて米国流のビジネスモデルが、グローバリゼーションという名目で、これまで以上に日本に流入してくることになれば、いったいどのような労働環境が出現してくるのだろう。考えるだに恐ろしい。そのような流れに諾々と従わない生命線となるのが身体であり、私たちがやっている稽古だと思っている。

あれ、なんの話を書こうとしていたんだっけ。そうそう、いかに前に進むかという話。続きは後日。

2015年3月30日月曜日

同型転質

■昨夏、ロイ先生が亡くなって以来、本部道場での愉気法講座、活元指導の会は休会のままである。晴哉先生以来続いてきた整体協会の伝統が失われてしまうことは、ちょっと淋しい。愉気法にせよ活元運動にせよ、整体の基本というべきもので、少なくともそれらの様式はなんらかのかたちで残すべきだろう。■今は「カタと同調」という名称に統一してしまったが、数年前に大井町ではじめた「合掌行気以前」「活元運動以前」という稽古は、それぞれ、合掌という形に至るまでの経路、活元運動にける準備運動とは何かを動法的内観的に、つまり稽古場的に検討を加えたものである。■稽古用語で「同型転質」というものがある。つまり、形は変えず、その質を変えるの意。これに対して「転型同質」は、形は変わっても質は変わらない。これって、理念の話ではなくて技法の話で、例えば、邪気吐きひとつとっても、一つの様式ながら、百通りの吐き方が可能であるということを言っている。■稽古場ができた四半世紀前だと、「転型転質」の様相で「稽古」というジャンルを打ち立てようとしていた気がするが、すでに稽古という考え方は十分に浸透してきたから、やや先祖返り的な、従来の様式に則った、じっくり合掌行気するような稽古会をやろうと思っている。

2015年3月13日金曜日

生きていくには技がいる

稽古場は「大人の躾けの場」である
という言いかたをこれまでしてきたが、ちょっと飽きてきた
これからは、「生きていくには技がいる」ってことを学ぶ場である
と言い方を変えることにしよう

躾けなし、技なしが是とされてきた大きな理由は、
もう、生理学にあるとしか思えない
機械論的身体観、脳中心主義と言い換えてもよい
なんかこう、構造が線形なのだ
単純化して言ってしまえば、
スイッチのオンオフ、インプットーアウトプット、刺戟ー反応
そういった関係性

ところが、実際の人間の身体というものは、そんなふうにはできてない
感覚、集注といったものに目を向けていかない限り、
自分の体と付き合うことさえむずかしい
立ち上がってしまった人間というのはなかなかやっかいな存在なのだ
そう、生きていくには技がいるのだ

2015年3月8日日曜日

春だ!

今日の大井町筆動法


2015年1月22日木曜日

大井町稽古場の壁が黒い理由

大井町稽古場の壁はなぜか黒い
天井、柱まで黒く塗られていて、大工さんが泣いた
という話も残っているくらい

重い引き戸を開けて中に入ると、
一瞬暗闇に迷い込んでしまったように感じるくらいで
屋内は暗い

この暗さに文句言いながら長年稽古してきたわけだが、
なぜこの壁が黒く塗られていたのか
その理由が今日解明された


















昨年末、目黒の額縁屋さんで野口紘子さんの個展が開かれた
観に行ったとき最初に目に入ってきた作品
あれっ、作風変わったのかしらと感じた作品
その絵が大井町稽古場の壁に掛けられたのだ

黒い壁を背に宙に浮いているかのようだ
大井町稽古場ができて23年目になるのだが、
この日のために、この壁は黒く塗られていたのだ

だれが黒く塗らせたかって?
言わずもがなです

***

このsunajiiブログをみにきて下さる人は増えてきたのだけれど、
大井町稽古場ブログもありますからねw

2015年1月11日日曜日

書き初め

さて、年が明けて初めての筆動法
恒例の「今年の一文字」を探ってみる
毎度のことだが、意外な字が立ち現れてくる
去年は「寧」だった


「背」という字が「北の月」であったとは、
これまで考えたことなかったな

2014年12月3日水曜日

時間割

月刊全生の巻末に掲載されはじめた修養講座の時間割を眺めていると、身体教育研究所が始まった頃の時間割を思い出す。当時(1988〜)の稽古場というのは週4日集団稽古をやっていて、そこに10種類の稽古種目(動法、行気、脱力動法、活元運動、感応動法、相互行気、内観的愉気、気韻、筆動法、あとひとつ思い出せない)を順繰りに組み込んでいくというものだったから、時間割を組み立てていくのは、なかなか大変だった。修養講座で取り入れられた単位制というアイデアも稽古場でやろうとしていたものだが、開催場所の数が多かったのと、それに対応する人力不足で実現しなかった(言い訳w)。

修養講座に出ている人の話を聞くと、なかなか活気があるようで、担当者一人ひとりの解釈の違いが、整体というものの幅を広げているようだ。百花繚乱。勉強している人にとっては面白いだろうし、一方、担当している先生方には、すごい鍛錬の場になっているのではなかろうか。D先生の色に染まっていく速度がちょっと早過ぎるんじゃないのと思わないわけではないが...。

最近の私の稽古はすべて「カタと同調」という名称で済ませてしまっているけれど、稽古場でやってきたいろんな種類の稽古を集約していった結果、「カタと同調」にたどり着いたというだけで、必要に応じて、もとの細分化された稽古に立ち戻れるというのは、25年間稽古してきた賜物だろう。この集注と拡散を往き来する運動性というものを自分の中で如何に保つかが課題だな〜。

身体教育研究所の公式HPが出来る前、非公式サイトを運営していた。どこかに痕跡が残ってないか辿ってみたら、いまでも閲覧可能な状態にあるらしい。リンク切れの部分もあると思うがご参考までに。2001年バージョンのようです。http://dohokids.com//skk/skk.html

2014年11月4日火曜日

この秋の大井町筆動法
テーマは七夕、野分と続いたのでどうしようか
と思案の末、今月は「栗」を選択
さて、どんな俳句があるのかしらと探してみたら意外に少ない
柿の句は山ほどあるのにね
やはり、色彩的に地味だからかもしれない
一通り選んでみたものの、なにか物足りない
そうだ、良寛さんに栗を詠み込んだ歌はないかしらと
探してみたらありました

月よみの光を待ちてかへりませ 山路は栗のいがの落つれば(良寛)



2014年10月13日月曜日

臥法

ロイ先生が亡くなって二ヶ月
本部道場ではじまった稽古会風なコマ割りが話題に上がる
整体協会の総監督がダン先生になったことで
整体指導室と稽古場の関係はこれから先どのようになっていくのか
確かに一組織二制度で活動してきたのに頭が同じになっちゃった、というのは妙である
このあたり皆さん気になるらしい

人が行き来することで風通しがよくなれば
それはそれで喜ばしいことだと思うが、
かといって、これまで別々に活動してきたものが慌てて一つになるとは考えにくいし
また、その必要もないだろう
十年先、二十年先の、次の世代のことは分からないけれど

稽古場でやっていることを極論すれば
接触以前に焦点を当てているところだろう
手を触れて、そこから何かがはじまるのではなく、
触れる前に何が行われるべきかの追求

整体指導者って坐るのが仕事なわけで、
坐法でなくても、それぞれ工夫をしてきているはず
鍵になるのは臥法だろう
たとえば操法を受けに来た人に臥法を求めるかどうか
これがあるかないかで、指導者と会員との関係性はまるで違ったものになる

臥法は稽古場にぜひとも取っておいてもらわねば
次、ダン先生に会った時にお願いしておこう