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2026年4月6日月曜日

稽古とはを稽古する

 38年前、整体協会に「稽古」という概念を導入したのが裕之先生だった。先日、身体教育研究所としては最後の公開講話が京都研修会館であったのだが、そこで語られ、また実習されたのもまた、「稽古とは」ということであった。稽古とは「考える」ことであり、古とは「いにしえ」である。つまり、稽古とは「いにしえについて考える」ことなのだ。

 坐法臥法は、いうまでもなく、身体教育研究所で定められた様式であり、これやらないやつはモグリと言われる程度には浸透している。その坐法臥法を明日の予定を考えながらやってみる、昨日の出来事を思い浮かべながらやってみる。僕らにとって「前」とはどっちなのかを指し示す重要な稽古で公開講話は締めくくられた。「稽古とは」を稽古したことになる。

 晴風学舎が立ち上がった。そう、僕らは「稽古するひと」の集まりなのです。

2023年5月2日火曜日

150歳

 高知での二泊三日の遍路行を終え、空路、千葉に移動。佐倉で三日間孫たちと遊び、さらに二子玉川へ。こんな周回コースを思いついた私はいったい何者なのだ。

 二日間の研修。顔ぶれは少しづつ入れ替わってきているけれど、稽古場創設以来のメンバーもしぶとく残っている。二人組の稽古。二人の年齢を足してみるー20年間事務局やっていたので、みんなの年齢はだいたい把握している。150歳越えのペアが二組。すごいなと思う。しかも嬉々として稽古してる。長老と呼ぶしかない人たち。二人足して100いかなければ若手。100越えて、やっと中堅どころ。稽古場はじまって、今年で35年。

 新しい稽古が提示されたとする。それでも、その新しい技法は基礎のひとつとして立ち現れる。そして、出現した新しい基礎によって、旧来の基礎とされて来たものは刷新され、新たなレイヤーを得て重層化していく。そして新たな生成の種となる。「基礎が進化する」とは、こういうことを云うのか。

 二子玉川から新横浜へ。乗り換えソフトで調べると、見慣れないルートが表示される。あざみ野経由でも、長津田経由でもなく、なぜか自由ヶ丘、大岡山経由。首都圏の交通事情は年々変化しているようだ。電車に乗る生活から離脱して、はや7年を過ぎた。

2013年10月21日月曜日

day 23-25 Ubatuba

海の近くの宿泊施設で合宿を
というのでやってきたのがUbatuba
サンパウロから250キロくらい離れた大西洋に面したリゾート

ところが
休憩を入れ6時間かけて辿り着いたのが
ニューエージアンの巣窟のようなコミュニティ
しかも、ここの人たちも一緒に稽古する、らしい
おいおい最後の最後でこれかい?
まあ、自分の過去に落とし前をつけろという天の配剤、
と前向きに考える他ない

http://curadoresdaterra.com.br/home.html



二日目午前中に稽古
テーマは「度合」と決めていた
田中さんのところで稽古したとき、
触れたときの度合が足らず、
手が止まらないー深さが出ないー同調しない
という課題が見えていたから、これだけはやっておきたかった
手の甲に集注するー手を遠くから動かすー遠くからちからをもってくる
といった実習を混ぜながら、最後は接触内観点のところまで
やや力技ではあったけども持ち込んだ
相手を操作しようとせず、
カタを持って人との接触を図る稽古のことを動法と呼びます、
という主旨は伝わったのではないか

日英葡西4ヶ国語が飛び交い、
参加者の国籍も日本、ブラジル、ベネズエラ、コロンビア、アルゼンチンにまたがる
こんな多国籍な稽古会というのも珍しい
ここのスタッフ4人を加えたものにしては上出来だったとしておこう


そして海
ここの管理人をやっている男はヨットマン(本職は歯科医)で、
http://taoboat.blogspot.com.br/
自分のヨットで大西洋を渡ったこともあるという
丸太をくり抜いて造ったカヌーで彼のヨットまで案内してもらった
縄文山田くんに引き合わせたいくらいだ
静かな湾内を、この夏初体験したSUPでいく人をみると
親しみを覚えてしまう
大西洋の水に浸かったのは15分ほどだったが、
結構塩っぱかった



田中さんともゆっくり話ができた
ブラジルに渡って19年、
この発展途上の若い国に「動法」の土壌を着実に広げている
今回、来てみて、実際に人が動くことの大切さを改めて感じている

2013年10月14日月曜日

day 17 ワークショップ at Sesi

ワークショップと稽古会はどう違うのか
この風景だと、とても稽古会とは呼べないな
終わってから足袋の裏をみたら汚れひどかった
まあ、床に対する考え方が違うから仕方ないのだけれど

参加者は数えてみたら16名
休憩を入れて3時間
時折、日本語で話しはじめてしまい、
通訳役のジュリアーノのキョトンとした顔をみて
それに気づく場面が何回かあったくらいで
基本英語で会を進めることができました

今日のテーマは手を封じる
皆さんなかなかセンス良い
空気に集注するなんてのもちゃんとわかってくれた
どうやらサンパウロ市内で違うグループを相手に
もう一度やる予定になっているらしい

http://www.danca-acontecimento.com/oficinas



2013年10月12日土曜日

day 16 Embu 二日目

午前中は屋内で「合掌行気以前」、午後は公演に向けた田中さんの稽古を見学。稽古は屋外の土舞台。鳥が鳴き、池鯉が跳ね、横で寝そべっている犬がくしゃみする。なんだか、昔、山姥を作っていた頃を思い出す。室野井さん、竹平さんをブラジルに呼んで、"山姥2015"とかやればよいのに。夕方には、Piracicabaというここからは160キロくらい離れた街に移動し、明日午前中ワークショップをやることになっているらしい。今晩自分がどこに泊まることになるのか、その日にならないと分からない状況も楽しいものだ。ブラジル入りして四日目、肉の一切れも食ってない。ヨーロッパでの食べ過ぎを調整中といったところ。

2013年10月9日水曜日

day 6 ドイツ稽古会

ドイツ稽古会の写真が参加者から送られてきたのでupしておきます
画質が悪く、適当にぼけているので丁度いい具合
稽古中は一緒に稽古に入ることが多く、写真を撮る余裕がなかった
これは最終日の「合掌行気以前」の稽古のものですね



2013年10月7日月曜日

day 11 パリ稽古会

昨日の日曜日の午後予定されていたパリ稽古会無事終了。少人数ながら縁あって集まってきてくれた人たちと一緒に2コマ稽古することができた。「つられて動く感覚」を理解してくれるか不安だったのだが、どことなくわかってくれたみたい。フランスでの日程もほぼ終了。それにしても、パリから50キロ離れた田園地帯で三日間過ごせたのはありがたい。ここの農園主が自力で建てた屋敷の一室に泊めてもらい、ここの農園で採れた野菜を食すという、これ以上ない贅沢をさせていただいている。明日夜にはブラジルに向けて移動します。

2013年9月30日月曜日

day 3 栗の木

稽古会初日
出だしは少しばかり緊張した
でも、始まってしまえば前に進むしかない
三年半ぶりの再会となる人たちも多数
でも老けこんだ感じの人はおらず、なんだか自分だけ歳取った気分
「右手左手」の稽古から入ることだけは予め決めていたのだが、
それに「離れる感覚」「両肘への集注」を混ぜていくことで稽古に奥行きが生まれた
最後は坐法に持ち込んで一日目の稽古終了
日本語、ドイツ語はもちろん、それにスペイン語、イタリア語、英語も加わる
年2回開催されている会とはいえ、積み重ねの力というのはすごいもので、
グループとしてのレベルは随分上がっている
そのことに素直に感心してしまった

会場の中庭に栗の木が植えられていて、
あてがわれた二階の部屋の窓からよくみえる
この時期だと実をいっぱいつけていて、10月に開催された時には、
落ちてきた栗の実を稽古会の参加者が収穫してたこともあったのではないかな

 

2013年9月24日火曜日

day -3 稽古場の25年

 パリでも稽古会をやることになったことはすでに報告済みですが、その会を準備してくださっているNさんから、当日どんな話をするのか、どんな稽古をするのか、事前に教えてほしいというリクエストが届いている。「doho」がはじめてフランスで紹介される会になるわけで、たしかに、事前にある程度の情報がないと主催者・通訳者としては困るにちがいない。この点、ドイツの会は長年の積み重ねがあるから楽ですね。
 さてどこから書いていくべきか。まず身体教育研究所25年の歴史からとき起こすことで、自分たちがどこを目指しているのかが明らかになるのではないか。そうすれば、自ずと当日の稽古の中身も定まってくるのではなかろうか。以下は試稿。

******

 整体は割に早い段階からヨーロッパに入ってきているようです。整体協会の古い機関誌ーzenseiといいますーなどを読んでいますと、40年くらい前、整体協会の創始者である野口晴哉先生ご存命の頃から、すでに、津田さんという方を中心にヨーロッパで整体が広がっていた様子が伺えます。津田さんは合気道もよくされた方のようですが、それ以外にも、ヨーロッパに留学していた音楽家を通しての広がりもあったようです。その晴哉先生は1976年にお亡くなりになり、その後を、晴哉先生のご子息たちが引き継ぎ、今日に至るまで整体協会の活動は続いています。

 私の師匠は野口裕之(Hiroyuki)先生ー晴哉先生の次男にあたられる方です。晴哉先生がお亡くなりになった後、三男の裕介(Hirosuke)先生と一緒に、本部講師として指導者育成、会員指導に当たられてきました。今からちょうど25年前、1988年のことになりますけれど、裕之先生は本部講師を辞め、「整体法研究所をはじめます」と宣言しました。この整体法研究所は何年かあとになって、「身体教育研究所」と名前を変えることになります。この研究所が創設されたとき、たまたま私が一番身近にいたものですから、身体教育研究所の運営・マネージメントを任されることになってしまいました。以後、4年前に指導者として独立するまで、身体教育研究所の運営に携わってきました。

 じゃあ、どうして、裕之先生は身体教育研究所なるものをはじめたのか? 野口晴哉という人は「天才」と呼ばれた人です。天才というのはやってみせることはできるが、それを説明できないーあるいは敢えてしない。学ぶ側は大変です。つまり、弟子たちは、見よう見まねで真似しようとするが、自分がやっていることに確証がもてない。これは、私なども整体を学び始めて30年以上たってしまいましたが、確証の持てなさ加減は同じです。指導者を育てる立場だった裕之先生にとって、これは切実な問題であったに違いありません。裕之先生は晴哉先生の技を理論体系化する役割を担わされていた訳で、それが、身体教育研究所の出発点です。

 整体というと、活元運動、愉気、整体操法といったものを思い浮かべることが多いと思いますが、身体教育研究所の活動が始まって、これらに「動法(doho)」と「内観(naikan)」が加わります。動法とは「身体を動かしていく理(ことわり)」です。1911年生まれの晴哉先生と、戦後生まれ(1945〜)の我々は、身体の捉え方=身体観が異なっているのではないか、故に、異なった原理で体を扱っていたのではないか、という仮説からこの動法研究ははじまりました。年数にして一世代、僅か30年ほどの違いに過ぎませんが、この間、社会環境は大きく変化し、日本でいえば、戦後ー高度成長期を経ることで生活環境そのものが大きく変わりました。伝統的なものが打ち捨てられ、いわゆる生活の西洋化が進んだ時代でもありました。時代によって身体観は変化し、身体観の変化によって、身体の使われ方は変化する。野口晴哉研究からはじまった動法研究は身体観の研究に転じていきます。

 現代を生きる人間にとっての身体観は科学的医学的身体観と呼びうるものでしょう。これはフランスにおいても日本においても共通しているのではないでしょうか。国民国家の誕生以来、そして工業化の進行とともに、外からの物差しで人間を測ることが常態化し、人はその客観的とされる数値によって形成される姿を内面化してきました。人は自由に感じることができるといわれても、その感じることが既に社会化されているのです。科学的思考の本家ともいえるフランスではどうなのでしょう? 文化の伝承というものを考えたとき、それを支えているのは共有された身体観ということになります。この「身体観」「動法」研究の成果は裕之先生の論文にまとめられていますので参照してください。 

 私たちが行っている「動法」というのは、狭義には日本人の間に伝わってきていたであろうとされる「身体観」を学ぶことと言えるでしょう。同時に、それは科学的医学的身体観以前のー前近代の「身体観」を学ぶことでもあります。私たちが25年間稽古してきた「動法」がフランスで紹介されることにどのような意義があるのか私にはわかりません。ただ、Nさんとのご縁で今回パリで稽古会が実現することのなったことを私自身とても嬉しくおもっています。これまで自明と思ってきた自分の身体の見方を問い直す機会になればと思います。


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と、ここまで書いてはみたものの、言葉足らずというか、トンチンカンな感じは否めない。少人数の会なので、ここまで大上段に構える必要もないのかも。続きはドイツで考えることにしよう。

2013年8月12日月曜日

パリ稽古会

9月末のドイツ稽古会につなげて、パリでも一日だけ稽古やることになりました
そのチラシが届いたので(若干の間違いあったので訂正済)お知らせします
やはり、野口整体というくくりになるんですね
フランス語よくわからないのですが、どういう説明になっているのでしょう?
定員15名ということらしい
ドイツの場合、参加者の大半が日本人なので通訳なしでやってますが、
パリの部は通訳が間に入ることになるので、アウェイ感十分な会になりそう
予めどのような話をするのか知らせて下さいとのことなので、
夏休みの宿題として現在取組中