2019年12月13日金曜日

双というOS

京都でものんびり暮らしているはずなのに
チェンマイにいると、のんびりの度合いが一桁増す
いったい、京都では何を思い煩わって暮らしているのだろう
おもしろいことに、ノイズのレベルが低くなると、
普段、捉えきれていない肝腎の事柄が、不意に浮き上がってくる
あるいは、降りて来る

双という世界観
それを表現する技
それを体験する稽古法
すべて此処にある
門をくぐれば、此処は技の世界
技を磨くとは受動の集注を学ぶことで、
外の世界にリーチアウトしようという欲求は消え、
我々は姿を消す
双の世界観を求めている人たちはいるらしい
はたして、その人たちは、此処を発見できるのだろうか
いや、そのような世界観を心底求めている人たちに発見されるほどに、
僕らは受動の技を磨くことが出来るのだろうか