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2021年4月21日水曜日

節目

千葉通いが始まって丸一年

一年365日のうち121日、つまり一年の三分の一を千葉で過ごしたことになる

孫たちと過ごした一年ともいえる


孫たちにとって、僕は闖入者

行き来はあったものの、ジージは、たまに来る人

そういう存在だった

急に、一緒に過ごす時間が増えた

緊急事態に子供たちも緊張していたが、

僕にしても、いきなり、新しい環境に放り込まれることになった

最初の数ヶ月、勝手の違う台所で食器を何枚割ったことか

そんなジージが居る人として認められるまで同じくらいの時間がかかった


小さい人たちとの付き合いは大変だ

本気出さないと舐められる

お前は王子さまか?と向かっ腹が立つこともある

そのくせ、すぐ膝の上どころか肩にまでよじ登ってくる

男の子とは、動き続けるいきものだった

1年経ったら、二人だった男の子が三人に増えた


丸一年の節目

ちょっとひとやすみ


2020年12月23日水曜日

ジグザグ

京成佐倉の駅に降り立ち、娘孫たちの住む家に向かう。京都を出て5時間と少々。坂道を登りながらいつも不思議に思う。数週間前、この街を出たあとも、ここに住む人たちの日常は営まれていたのだと。家に着く。孫たちが、おかえり、という言葉で出迎えてくれる。あたりまえのように、荷物を2階に運び、所定の場所に置く。こんな生活がはじまって8ヶ月になる。

 「二つの家庭を持つ男」といったタイトルは、週刊誌の記事かテレビドラマの中だけの話で、現実にそんなことが可能であるとは思ってなかった。二箇所それぞれに妻子がいて、家庭生活を営むって至難の技のように見える。往き来する本人は混乱しないのか。どっちかが本当で、もうひとつは仮なのか。京都には自分の稽古場があり、ここ5年の間に形成された落ち着いた生活がある。一方、千葉に来ると、三人の男の子に囲まれたカオスの生活に放り込まれる。

常に時差ボケの中に身を置いている感じなのだ。千葉に行けば、前回終わったところから時を刻みはじめようとするのだが、子どもたちは数週間分成長していて、僕の知っている子どもたちはすでにいない。二、三日かけ、時計を早回しして、現在に追いついていく。京都に戻ってきても同じ。つまり、僕は、地理的空間を移動しているのみならず、タイムトラベラーとなって、過去に着地し、そこから時間を早回しして現在に追いつき、また、過去に向かって移動する。こういうジグザグな動きを繰り返しているのだ。 

ジグザグ
日本語でいえば紆余曲折
これも、今年を表象する言葉、だな

2020年12月18日金曜日

成田街道

佐倉滞在最後の日。皆出かけてしまったので、僕もお散歩。歴博を目指して家を出たのだが、途中、進路を東に取り成田街道を少し歩いてみることにした。 

佐倉は佐倉城を中心に発展してきた街のようで、高台にある佐倉城から西に伸びる台地の頂上の部分を尾根伝いに古い街並みが続いている。 佐倉宿を東に行けば、酒々井宿を経由して成田に至る。二車線ほどの狭い道路だが、バスも走っていて市民の生活道路といった風。市に記念物として指定された古い商家などもところどころ残っている。順天堂大の始まりとなった、順天堂記念館があり、その隣には小ぶりな順天堂医院などもある。

このまま一時間歩けば酒々井にたどり着くのだが、近くに本佐倉城跡があったことに気づき、進路を北に取る。 ゆるい坂道を下り、隠れ里のような集落を抜けると15世紀にきづかれた本佐倉城跡にたどり着く。城に登ると北に視界がさっと開け、筑波山も遠望できる。往時なら、この近くまで印旛沼が広がっていて、湖を往く舟が見えたのかもしれない。そこから、八幡社、将門口ノ宮神社を経由して帰ってきた。家を出て3時間、途中、蕎麦屋に立ち寄った以外歩き詰め。ほぼ10キロの長い散歩になってしまった。