稽古場は「大人の躾けの場」である
という言いかたをこれまでしてきたが、ちょっと飽きてきた
これからは、「生きていくには技がいる」ってことを学ぶ場である
と言い方を変えることにしよう
躾けなし、技なしが是とされてきた大きな理由は、
もう、生理学にあるとしか思えない
機械論的身体観、脳中心主義と言い換えてもよい
なんかこう、構造が線形なのだ
単純化して言ってしまえば、
スイッチのオンオフ、インプットーアウトプット、刺戟ー反応
そういった関係性
ところが、実際の人間の身体というものは、そんなふうにはできてない
感覚、集注といったものに目を向けていかない限り、
自分の体と付き合うことさえむずかしい
立ち上がってしまった人間というのはなかなかやっかいな存在なのだ
そう、生きていくには技がいるのだ