わが家の宗派は日蓮宗の一派になるらしいのだが、これまた父が入っていた老人ホームの運営母体が国柱会という日蓮宗の流れをくむ宗教法人だったこともあり(宮沢賢治が入信していたことで知られている)、このところ日蓮宗のことが少し気になっている。どうして日蓮宗が天皇国家主義に繋がり、そこからテロリズムが生まれるのか? 『血盟団事件』を読んでも、この飛躍は十分には理解できなかった。ただ、311後の政府の対応など、テロリズムの温床を作っているようだし、その後の福島・沖縄をめぐる天皇と政府の微妙な緊張関係の中に、現代と1920〜30年代との相似形も浮かび上がってきて、ちょっとそら寒いものを感じている。
現役官僚が書いたという『東京ブラックアウト』では今上天皇を登場させ、国民が天皇に請願する権利についても触れている。今上天皇の国民に寄り添う姿勢には頭が下がるが、その天皇にすがるしかない国民が暮らす民主主義国家というのは、一体どのような国家なのだと思ってしまうし、エリート官僚が天皇への請願法を指南せざるを得ない現状に愕然とする。君側の奸という言葉も未だ死語ではないということだ。父の遺品(曾祖父から伝わったものだろう)のなかに
本多日生というお坊さんの書いた曼荼羅を見つけた。調べてみると仏教の近代化に尽力した日蓮宗の僧とあり、関連人物に田中智学ー
国柱会の創始者ーの名前が出てくる。なにこのループ感。おまけに
五一五事件で暗殺された犬養毅の揮毫まで残されていたりして、なんだか日蓮宗を介して日本近代史と接続している妙な感覚があるのだ。