いまここで、こういうことをしていることの始まりを探っていくと、1973年から75年にかけての海外での経験にたどり着く。岡山の田舎から、ポッとアメリカに飛び、次、インドで過ごし、日本に戻ってきて京都で暮らしはじめた。この数年の間に自分自身が攪拌され、ぐちゃぐちゃにされた。このような状態から、どのように自分自身を再構成していくかという試行錯誤が半世紀近くたった今に至るまでつづいている。つまり、テーマが、その時の自分の能力では解決するに大きすぎ同化吸収できなかったものがライフワークになっていく。きっとそういうことだ。
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もっとも、なにかが毀されるためには、まず毀されるべきなにかが形成されていることが前提になる。ひとはどのように、自分自身を形成していくのだろうか。そのような疑問を抱いていたときに出会ったのが、野口晴哉の育児論。おそらく、この育児論・成長論と出会っていなければ、ここまで整体に深入りすることはなかっただろう。僕が整体協会の事務局で働きはじめたのは1986年のことなのだが、最初に任されたのが、裕之先生の育児講座の受付だった。妊娠期に始まり思春期に至るまでの子どもの成長を、整体的視点で講義された。1日3時間x14日間というマラソン講座だった。
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身体教育研究所が誕生したのは1988年。当初は整体法研究所と呼んでいた。整体の技術を伝承していくには、なにが必要なのか、それを追求するために設立された。追求には稽古というスタイルが採られた。つまり、「いにしへについてかんがえる」。稽古は、とりもなおさず、学びというものが、どのような過程を経て生成されていくのかの追求でもあったといえるだろう。そして、整体の体っていったいなんなんだ、という問が最初に置かれる。
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このように、自分自身の半世紀をふりかえってみると、異文化教育ー育児講座ー身体教育という流れに乗って、いまにたどり着いている。もちろん、これは私のたどってきた道筋がそうであったというだけのことで、いま一緒に稽古している人たちは、またそれぞれの流れの中に身をおいた結果、それぞれの今にたどりついたということになる。生きるというプロセスに身体というものが不可欠である以上、身体教育はだれにとっても開かれているジャンルといえる。
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これまで、このブログで書いてきたことは、多かれ少なかれ、上に挙げた事柄とリンクしている、というか一断面を切り取ったものの集合体が、このブログであるといえる。ただ、それぞれの断片がどのように繋がっているのかは見えづらいし、僕自身、ちゃんと見えてなかったように思う。しばらくの間、この断片を繋げていく作業をやってみようと思う。