家の片付けは「遅々として」という形容詞付きながら進んでいる。モノを減らすというのは、次なる移動に向けての準備でもあるわけだが、モノが減ってくると、空間の快適性はまちがいなく増す。つまり居心地がよくなってきて、移動へのモティベーションは減じてくる。面白いものですね。
ずいぶん昔の話だけど、ある連れ合いを亡くして間がない女性と会ったとき、彼女の輪郭、ことに表情がフワフワと揺らいでいて不思議に思った記憶がある。後になって、人の輪郭というのも、ある安定した関係性のなかで定まるもので、人生の過渡期にあって、それは不定位化するのだということに気づかされた。今、私に起こっている事象も同様なのだ、きっと。
前稿で「失せもの現れず」などと書いたせいか、クレジットカードを失くしてしまった。梅雨って、忘れ物が多くなる季節ではあるのだが、これまでの例だと、大概出てくる。数年前、整体協会の会員証を2回続けて落っことしたことがあり、警察から事務局に連絡が行って恥ずかしい思いをしたことがある。が、今回は出てきませんでした。今、再発行の手続き中。