このところ、英語でEメールを書く機会が増えてきた。
自分の英語のチェックのためにDeepLなどの世話になっているのだけれど、その有能ぶりに舌を巻くと同時に薄気味悪さも感じている。英文を書いて、左側の窓にコピペすると、さっとブラッシュアップされた英文が右の窓に表示される。たしかに、より自然な言い回しだなと納得することが多い。ネイティブにチェックしてもらっている感じではあるのだけれど、自分の実力以上の文章が出現してちょっと戸惑ってしまう。ほんとうにこれでよいのか。
文章のこなれ具合というのは、音読であろうが黙読であろうが、声にして読んでみて、体に馴染むものを選択しているはずなのに、その身体性なしに滑らかさがやってくるのが腑に落ちないというか、薄ら寒い。もちろん、校正された文章をチェックするのは人間だ。時には誤訳もある。多少の読解力のある英語なら、どの程度正確に翻訳されているかチェックできるが、もし自分の知らない言語でこれをやった場合、その翻訳が正しいかどうかを判断する術がない。逆方向に翻訳したり、違う言語を介在させたりしたとして、正確性は担保されうるのだろうか。軽薄な相互理解という幻想と、修復不能な行き違いが起こる気がしてならない。
この便利さによって、僕らは何を失ってしまうのだろうか。
困った時代になってしまった。
検索窓、翻訳窓に文字を入力し、リターンキーを押すたびに、彼我のコンピュータは発熱し、冷却ファンがゴーゴーと低い音を立てて回る。