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2026年5月5日火曜日

晴風学舎の主文を機械翻訳させてみる 2


数年前だと、Google翻訳をつかうと、「こいつダメだー」という言葉しか出てこなかったが、近年、随分とましになった。でも、もうひと頑張り。ブラウザの翻訳機能として使われているものは、圧倒的にこのGoogle翻訳が多いのではないか。このブログの一番下にも翻訳窓を置いてあるのだけれど、これで読んだつもりになってもらっては困るというの正直なところ。

以下、Googleは【G】、DeepLは【D】、ChatGPTは【C】とする。

まず、「探究」という言葉がどのように翻訳されているか。
これは、組織のありようを表現している文脈の中で使われている。
【G】の"focus on" というのは、まあ、わかりやすい。
【D】の”centered on”というのも、気持ちはわかる。
【C】の"dedicated to"になると、なかなかという感じ。

「場」という言葉には機械翻訳も苦労したようで、
【G】は"space" 、【D】は”source of”【C】は"site"という言葉をそれぞれ選んでいる。こういうキーワードほど多義的ということでもある。

いちばん、難しかったのは「稽古」という言葉。
稽古文化学なんて言葉は、今回つくられた新造語だと思うのだが、そもそも「稽古」という言葉は難しく、というか、含意の多い単語で、”training"という単語ひとつでで代替できるものでもない。”training"であれば、"trainer"と"trainee"という役割分担が前提とされていたり、どちらかというと対面的な関係。一方、「稽古」というと、皆が同じ方向を見ているような印象。

「理」も難しそうですね。なんせ「ことわり」ですから、それに"function"という言葉を当ててしまうと機械論に逆戻りした風で身も蓋も無い。

こうやって、日本語と英語を行き来していると、翻訳しづらい部分を通して晴風学舎の特長が立ち上がってくる。「稽古」「体の理」といった言葉にどれだけ英語で肉薄できるかが、鍵になってくる。ちょっと油断すると、構築物のような英語体系に絡め取られそうになるのだけれど、ここをどう耐え、もっといえば、英語の構造そのものを変えていくくらいの気構えがないと、安易な妥協に終わってしまう。きっと、英語の古典に通じていれば、もっと重なり合う領域は増えてくるのであろうが、いかにも力不足だ。

この週末は、テキストを使った稽古もやることにしよう。

晴風学舎の主文を機械翻訳させてみる 1

この週末、英語で稽古会をやんなきゃいけない。
秋からは稽古のために長期滞在する人もやってくる。
ちょっと自分の英語をなんとかしなきゃならない状況だ。

整体操法という単語を機械翻訳にかけたら、physical  manipulationという訳語が出てきてびっくりしたことがある。たしかに、操法の操にはあやつるという意味があるからして、manipulationという単語が選ばれても不思議ではないのだが、感応法としての操法を目指している者からすると違和感しかなかった。非操作的操法という言葉自体、字義矛盾を抱えていたということになる。

晴風学舎のWebページにいくと、最初に、晴風学舎宣言とも呼べる格調高い文章が現れる。では、これはどのように英語化されうるのか。当然のことだけど、なかなかむずかしい。まず、この文章を機械翻訳(いずれも無料版)にかけて、どのような英語が現れるかみてみよう。

【原文】
一般社団法人晴風学舎は、「身の学」を基軸とし、人間の生を身体を通して探究することを目的とした体育団体です。感覚と運動の関係を重視し、身体を単なる生理的存在としてではなく、思考や文化を生み出す根源的な場として捉え直すことで、新たな「生の知」の創出を目指します。身体文化学・身体教育学・稽古文化学などの学際的観点から、日常的な動作・芸術的所作・呼吸・言葉など、身体の働きの裡にある理を捉えるための相互教育および稽古法の創造と共有の場を開拓することを通じて、広く人間の創造的生を支えるための文化的基盤の形成を図ります。

Google翻訳】
Seifu Gakusha, a general incorporated association, is a physical education organization that focuses on "the study of the body" and aims to explore human life through the body. Emphasizing the relationship between sensation and movement, we aim to create a new "knowledge of life" by re-examining the body not merely as a physiological entity, but as a fundamental space for generating thought and culture. From interdisciplinary perspectives such as body culture studies, body education studies, and training culture studies, we aim to form a cultural foundation that broadly supports human creative life by developing a space for mutual education and the creation and sharing of training methods to grasp the principles underlying bodily functions such as everyday movements, artistic gestures, breathing, and language.

DeepL翻訳】
The Seifu Gakusha General Incorporated Association is a physical education organization centered on the concept of “the study of the self,” with the aim of exploring human existence through the body. By emphasizing the relationship between sensation and movement, and by re-conceptualizing the body not merely as a physiological entity but as a fundamental source of thought and culture, we aim to create a new “knowledge of life.”Drawing on interdisciplinary perspectives such as the study of bodily culture, physical education, and the study of training culture, we seek to establish a cultural foundation that broadly supports human creative life. We do this by pioneering spaces for mutual education and the creation and sharing of training methods designed to grasp the underlying principles of bodily functions—including everyday movements, artistic gestures, breathing, and language.

ChatGPT
The General Incorporated Association Seifu Gakusha is a physical education organization dedicated to exploring human life through the body, grounded in the principle of “learning through the body.” Emphasizing the relationship between sensation and movement, it seeks to reconceptualize the body not merely as a physiological entity, but as a fundamental site from which thought and culture emerge, thereby aiming to generate new forms of “knowledge of living.” From interdisciplinary perspectives—including body culture studies, physical education, and the study of training culture—it endeavors to cultivate and share methods of mutual learning and practice. These efforts focus on grasping the underlying principles within bodily functions, such as everyday movements, artistic gestures, breathing, and language. Through this, the organization aims to establish a cultural foundation that broadly supports the creative life of human beings.

2026年4月23日木曜日

衣笠絵描き村

等持院稽古場がある、このエリアは、かつて「衣笠絵描き村」と呼ばれていた。
大正初期から昭和にかけ、京都の周縁地であったこの地域に、自然を求め、画家たちが移り住んできた。残されている当時の写真を見ると、ただの野っ原しか写っていない。堂本印象、木島櫻谷、小野竹喬等々。とはいえ、この地に住みはじめるまで、日本画家の名前などまったく知らなかった。
























櫻谷文庫HPより

私が借りている家屋が、小野竹喬に縁があることなど知らなかった。ごく最近、幼少期をこの近所で過ごした方と話している中で、この家の主が林司馬(はやししめ)という法隆寺の壁画修復に関わった画家であったことを知った。小野竹喬と林司馬は縁戚関係にあるらしい。

晴風学舎がうまれ、この近所が稽古場銀座になってきた。西は御室稽古場(野口順哉)、花園駅近くに花園稽古場(山中一弘)ができ、妙心寺を挟んで、その北側に等持院稽古場(角南和宏)。更に東に行くと西陣稽古場(戸村拓男)があって、すぐ先に寺之内稽古場(棚橋麗子)。東西4キロ、南北1.5キロという徒歩圏内に5箇所稽古する場が集まっている。絵描き村ならぬ稽古村が出現したようなものである。回り稽古常設区だ。

2026年4月14日火曜日

産まれたて

 晴風学舎のホームページを見にいったら、いきなり「この接続は安全ではありません」と表示されて面食らう。「おーい、大丈夫か〜」と声をかけたくなるけれど、本格稼働して数週間の団体、暖かく見守るしかない。

 誰が構成員かもわからないのは、これまで身体教育研究所の一員として働いていた我々も同じで、これまでの36人と同じ数の整体コンサルタントと呼ばれていた人たちが加わったと言われても、顔も知らない人たちも沢山いて戸惑うばかり。一日も早く、改訂版の全国稽古場一覧を配布してほしい。

 二子玉川に稽古場立ち上げたときは、試行錯誤しながら形をゼロから整備していった。独断専行の上司の意向と稽古場を継子扱いする事務局の規則を擦り合わせていく作業は苦労の連続だったが、稽古場ができて10年後、身体教育研究所が整体協会の中で正式な組織として認知された時でさえ、指導者の数は20名に過ぎなかったから、いきなり70人の組織が生まれて、それを回していくのは、とても大変な作業になる。

 それでも、新しく生まれた組織が、揺らぎながら形を整えていく姿というのは、初々しい感じがあってよい。信用を失わない程度の失敗を積み重ねていけば、3年くらいすれば安定してくるのではないか。

*****

 ここからはお知らせ。水無瀬に新しく稽古場ができました。水無瀬というと、京都と大阪のちょうど中間。JRも阪急も使えるからアクセスは良さそう。水無瀬神宮の駐車場も無料で使えるらしい。担当は由里正行さん。稽古場の開設が、晴風学舎への移行時期と重なってしまったので、身近な人しか、この稽古場ができたことを知らない。いただいた案内をそのまま掲載します。5月くらいには各稽古場の日程がWebページで閲覧できるようになると聞いているので、それまでのつなぎです

















2026年4月10日金曜日

整体が消えた?

今月に入って、なぜか稽古の感じがちがう。
いったい何がちがうんだろうと考えているうちに、ひとつの答えにたどり着いた。

整体が消えた。
受付簿から整体協会の名前がなくなったことは確かだけれど、それで操法が変わるか? やっていることを整体操法と呼ばず、生観(しょうかん)法と名称は変わったけれど、やってることは同じはず、同じつもりなのに、それでも何かがちがう。

僕はそれほどまで「整体」という言葉に囚われていたということなのか…。
場が変わるとは、こういうことなのか。

2026年4月6日月曜日

稽古とはを稽古する

 38年前、整体協会に「稽古」という概念を導入したのが裕之先生だった。先日、身体教育研究所としては最後の公開講話が京都研修会館であったのだが、そこで語られ、また実習されたのもまた、「稽古とは」ということであった。稽古とは「考える」ことであり、古とは「いにしえ」である。つまり、稽古とは「いにしえについて考える」ことなのだ。

 坐法臥法は、いうまでもなく、身体教育研究所で定められた様式であり、これやらないやつはモグリと言われる程度には浸透している。その坐法臥法を明日の予定を考えながらやってみる、昨日の出来事を思い浮かべながらやってみる。僕らにとって「前」とはどっちなのかを指し示す重要な稽古で公開講話は締めくくられた。「稽古とは」を稽古したことになる。

 晴風学舎が立ち上がった。そう、僕らは「稽古するひと」の集まりなのです。

2026年4月3日金曜日

春爛漫

春爛漫。
桜の名所は行かねども、散歩途中の花で満足。

切りすぎてダメにしてしまったかと心配していた庭の木槿が芽吹いていた。


晴風学舎の看板も掛けました。

家の中には雛人形。旧暦でいうと、今日はまだ2月16日。