等持院稽古場がある、このエリアは、かつて「衣笠絵描き村」と呼ばれていた。
大正初期から昭和にかけ、京都の周縁地であったこの地域に、自然を求め、画家たちが移り住んできた。残されている当時の写真を見ると、ただの野っ原しか写っていない。堂本印象、木島櫻谷、小野竹喬等々。とはいえ、この地に住みはじめるまで、日本画家の名前などまったく知らなかった。
【櫻谷文庫HPより】
私が借りている家屋が、小野竹喬に縁があることなど知らなかった。ごく最近、幼少期をこの近所で過ごした方と話している中で、この家の主が林司馬(はやししめ)という法隆寺の壁画修復に関わった画家であったことを知った。小野竹喬と林司馬は縁戚関係にあるらしい。
晴風学舎がうまれ、この近所が稽古場銀座になってきた。西は御室稽古場(野口順哉)、花園駅近くに花園稽古場(山中一弘)ができ、妙心寺を挟んで、その北側に等持院稽古場(角南和宏)。更に東に行くと西陣稽古場(戸村拓男)があって、すぐ先に寺之内稽古場(棚橋麗子)。東西4キロ、南北1.5キロという徒歩圏内に5箇所稽古する場が集まっている。絵描き村ならぬ稽古村が出現したようなものである。
