2026年9月8日火曜日

書字計算法

 寝苦しい夜が続いていたので、地球は「熱的死」に向かっているにちがいないと考えた。昔々、この熱死をテーマにしたSFを読んだ記憶があるのだが定かではない。エントロピーが飽和して動かなくなった世界。図書館で、この言葉をキーワードに検索したら『停滞空間』というタイトルの短編集が引っかかってきたので、借りて読むことにした。どっかの図書館の書庫で眠っていたらしい。アイザック・アシモフなんて、懐かしい名前ではないか。自分の読書ノートを探っても、ここ40年間、アシモフの名前は出てこない。さかんにSFを読んでいたのは20代まで遡るらしい。

 この短編集に収められているのは、1950年代の作品。まだ、コンピュータは黎明期でしかない。なのに、AIを思わせるコンピュータが人間のすべての問いに答える「世界のあらゆる悩み」、人が自分で計算することができる能力を有することが奇跡とされる「ナンバー計画」等々、今の時代を予言する小説が連なっている。

 「ナンバー計画」は書字計算法という、僕らのいう筆算の話。その中に、17x23という2桁同士の掛算が出てくる。思わず、紙の上で筆算してみる。問題なくできて一安心。次に出てきたのが5738x7239という掛算。4桁の掛算なんて、随分やってないぞと思いながら、これにも挑戦。指で繰り上がりの数を数えたり、ちょっと苦労しながらやり遂げる。

 お目当ての、僕が熱的死と考えていた小説は含まれていなかったが、頭の体操はできた。次は6桁くらいの掛算に挑戦してみようか。ぼくらは、計算機が叩き出す数字を正しいと信じているが、本当に正しいのか、一度確かめた方がよい。



2026年9月5日土曜日

週2

集団の稽古を週2にしたら、ずいぶん稽古した感がある。
もし、週2の稽古を10週間続けたら、なんか身につくんじゃないかと思えるほど。
片桐ユズルさんが、強調してた「週2マジック」の意味がわかる気がする。

僕の稽古場では基礎しかやらない。
昔々やっていた稽古のリバイバルも多い。
でも、現在地の知見を持って過去にやった稽古をやると、温故知新というべきか、稽古に新しい光を当てられる。故に、闇雲にやっていた稽古に筋道を与えることができるから、参加しているひとには、きっと分かりやすい。僕らが30年かけてやってきたことを3年で伝えられるかもしれない。もっとも、体は保守的で、頭はそれに輪をかけて頑固だから、身につけるまでには、やはり相応の時間がかかる。

それにしても、今ごろになって、なんで海外から人が来るのか?
今週も舞踏女子2名、オーストラリア、アメリカからやってきた。はじまりは、去年のヨーロッパ遠征。ウィーンの会に出てたオーストリア人男子が去年の暮れにフィンランド人舞踏男子を連れてきたのが連鎖して、今年になって毎月のように誰かが訪ねてくる。今月半ばからは田中さんつながりのブラジル人研究者が3ヶ月の予定で京都に来ることになっている。

さて、週2の稽古はどう展開していくのだろう。

2026年9月3日木曜日

更ける

順調に老いていると書いたが、釈然としない。
ふけると言ったほうがしっくりする。
fuketuと入力すると、「老ける」と文字変換されるが、「更ける」も出てくる。
こういう時は古語辞典である。

【老い】
1) 老人となる。
2) 植物などが衰える。枯れかかる。

【更け】
1) 自然に時や季節が深くなる。
2) 年をとる。

(岩波古語辞典)

なるほど。
前言撤回。
「順調に更けている」にする。

2026年8月31日月曜日

整体が消えた 3

 インゴルドやバラッドを読んでいく途中で気づいたのは、それらの本は、僕にとって整体あるいは野口晴哉を理解するための補助線ではないということだった。むしろ、野口晴哉・野口裕之の言説を通してインゴルドやバラッドが描こうとしている世界観を理解しようとしている。

 野口晴哉、さらにいえば野口裕之の教育論はもっと言及されるべき内容を持っている。1980年代中盤、数年に渡り夏季開催された裕之先生の育児講座の内容は、僕らの世代の整体観を形づくる上で大きな役割を果たしたし、同時期に整体協会の本部道場で開催されていた体癖講座もまた、野口晴哉の人間観を解説する素晴らしい講義だった。これらの音源はどこに保存されているのだろう?

 体癖論ひとつとっても、普遍的人間などいない、ひとつの目盛で人の能力は測れないと言ってるわけで、単純化された物差しを使おうとする現代社会に対しての強烈なカウンターになりうる思想だ。裕之先生が展開してきたものは、もっとラディカルかもしれない。つまり、それくらいの可能性を秘めている。であるのに、この潜在力は、他のジャンルと接続することなく、ここまで来てしまった。なぜか?

 野口晴哉を狭義の「整体」に押し込めていたのは僕らだった。そういうことだ。

稽古日程9月〜

9月から集団の稽古を増やします。
火曜日 11時〜13時 生観法基礎 月3回程度の開催になると思います。
随伴行気、観点といった基礎的知識も学べる会にしたいと思っています。
9月1日(火)が初回です。

ブラジルから女性ひとり稽古にやってくる予定で、その方が参加の場合、バイリンガル運用になります。

稽古日程 ↓

2026年8月30日日曜日

8月の読書

日本で一番美しい県は岩手県である* 三浦英之 柏書房 2025
教育とは何か ティム・インゴルド 亜紀書房 2025
私の幕末維新史* 渡辺京二 新潮選書 2025
青年は荒野をめざす* 五木寛之 文春文庫 2008
日本語のために 池澤夏樹編 河出書房新社 2016

青年は荒野をめざす

  60年前に書かれた青春小説を70歳になった僕が読んで楽しめるか?という興味で読みはじめた。絶対読んだことがあると思っていたのに、どうやらリアルタイムでは読んでないらしい。フォーククルセダーズの歌でこのタイトルを覚えていただけなのか。平凡パンチに連載されたものが1967年に出版されている。一般人の海外渡航が解禁されて間がないころの日本の話。二十歳のトランペットを吹く青年がロシア経由でヨーロッパに渡る。当時の青年のファンタジー満載(この小説がファンタジーを作り出した?)の冒険成長譚。思春期の男の子たちは熱中したかもしれないな。旅の最終目的地がポルトガルだなんて、沢木耕太郎の深夜特急と同じじゃないか。楽しめたか? ツッコミどころ満載だけど、ファンタジー小説として、しっかり楽しみました。上手いなあと思ったのは、解説として収められている、植草甚一の文章だったりするのだけれど。



2026年8月29日土曜日

糸瓜

ヘチマの花が咲いた!
百均で買ってくる台所用のスポンジは、マイクロプラスチックとなって下水に流れていく。ならば、それをヘチマで代替しようとこの春から挑戦してきた。種を買ってきて発芽させる。芽が出たと思ったら、虫にやられる。苗になった段階で地植えに変えると、また虫にやられる。こんなことを繰り返しながら、なんとか、鉢植えから一本、地植えから一本、それぞれ蔓を上に伸ばしはじめた。ヘチマの葉はゴーヤに比べると大ぶりで美しい。さて、実をつけるところまでたどり着けるか。

ちなみに、糸瓜は晩夏の季語。先週の筆動法の時間に書いてみた。





2026年8月28日金曜日

順調

目覚めはゆっくりだ。
生理的欲求で目を覚ますのだが、その欲求の現れ方がずいぶんゆるやかになってきた。トイレに駆け込むわけでもなく、慌てて冷蔵庫のドアを開けるでもない。家人が巻いてくれている煙草に火を点け、ゆっくり煙を吸い込んでいく。これが目覚めの儀式。

順調に老いている、と我ながら思う。
行動半径は日に日に縮まってきている。暑さのせいもあるけれど、人の多い街中に出るのは億劫だし、徒歩20分のコープに行くのさえ面倒くさい。石川も遠いが、月一回のことなので頑張って行く。東京千葉はさらに遠い。先日の整体観法講座も欠席。

耳はますます遠くなる。
集団のイベントへの参加にも腰が引ける。かろうじて、三日間の稽古会には出ているが、果たしていつまで続けられるか。耳が遠くなるということは、耳からのインプットはもう十分ですよと体が言ってるわけで、むしろ、集団からは身を引いて、ひとり思索にふける、来る人だけを相手に稽古する段階に入っているように思う。

と言いながら隠居への道は遠い。

2026年8月25日火曜日

日本語のために

ちょうど十年前に河出書房新社から刊行された池澤夏樹編日本文学全集の最終巻。
これは面白い。古本屋で半額で買えるから、今のうちに手に入れておいた方がよい。
先人たちが日本語をどのように成り立たせようとしてきたかという奮闘の記録が500頁に詰め込まれている。どの頁を開いても面白い。






フォルダ

人の人生に自分から踏み込むことはしないが、人の人生がやってくることは、ままある。体の中には過去というフォルダがあって、さまざまな経験の断片が時系列おかまいなしに放り込まれているようで、その中で断片たちは勝手に繋がり、勝手に成長を始めるらしい。

2026年8月24日月曜日

帰還

ここ数年姿を見せなかったヤモリを台所のすりガラスの向こう側に発見。
台所の窓はヤモリの狩場になっていたのに、狩られていた蛾の姿も最近見ない。



2026年8月22日土曜日

マルチリンガル・コミュニケーション

晴風学舎のマルチリンガル・プラットフォームについて考えている。
今は自分が見ているウェブページを、そのまま他言語に翻訳してくれる。
最近、PDFさえホームページ上で変換されることを体験してびっくりした。

マルチリンガルでウェブページを運用する場合、日本語、英語のバイリンガル運用をまず考える。英語以外の言語は付け足しというか、日本語と英語を並列させ、西欧言語であれば、英語の定番から翻訳をすることになる。はたして英語を定番言語として扱うべきなのか、それとも、英語も含め多言語をフラットに扱うべきなのか?

日本語と英語のギャップについては、以前このブログでも書いた。

つまり、英語の定番文章を作ることも、なかなか難しい。
であるのなら、誤訳誤読を前提として、プラットフォームを作って良いのではないかという結論にたどり着く。日本語と他言語に翻訳された文章とのギャップを埋めていくプロセスそのものが、稽古になりうるのではないかということだ。

SNSには翻訳機能を持つものが多い。つまり、日本語だけの人と、ポルトガル語だけの人がいたとして、この2人はそれぞれの母国語だけを使ってSNS上で会話可能になっている。それがはたして会話なのか、見かけ上の会話なのか、こればっかりは実験してみないとわからない。

ここまで書いてきたことはAIの利用を前提としているわけだけれど、AIについては思うところも多々ある。この世界にどのように踏み入っていけばよいのでしょう。

2026年8月13日木曜日

声の記憶

時間と共に風貌の記憶は薄れていく。それに比べると、声の記憶は風化しない。
この歳になると、鬼籍に入ってしまった知り合いの数が増え、電話帳のリストのうち、2割を占めるようになった。亡くなったからといって、電話帳から消すのは忍びなく、(故人)と付け加えて、そのまま入れている。

故人を振り返っていくと、その人を声で記憶していることに驚く。
半世紀も前に亡くなった祖父母の声をちゃんと覚えているし、三十年近く前に亡くなった母親の声の記憶も鮮明だ。その人との近さが反映されているようにも思える。それに比べると、視覚的記憶の方があやしく感じるし、覚えていたとしても、案外、写真の記憶だったりする。

耳は遠くなったが、昔の声はよく聞こえる。

お盆ですね。

2026年8月12日水曜日

旅はつづく

 この夏の課題図書はインゴルドの「教育とは何か」(亜紀書房 2025)。若い友人たちからインゴルドの名前は聞いていたが、著書にあたるのははじめて。文化人類学者インゴルドが旧態依然とした教育システムをデューイの教育論に立ち返って語るという建て付けの本である。原題は、Old Ways, New People、副題がAnthropology and/as Educationとある。

 振り返ると、僕がここにいるのは、1973年秋、デューイ、イリイチ、フレイレの本に出会ったからだと言えなくもない。これらの思想に出会って感動したとか、そういう話ではなくて、この人たちの著書を英語で読まざるをえない環境の中で、強烈な異化感、消化不良感が、以来ずっと続いているといった方が正確だろう。逆説的だけれど、これだけとっても、FWC(Friends World College)で学べてよかったと思えるのだ。

 その異化感と向き合う過程の中で、補助線として現れたのが野口晴哉の成長論、人間論。その補助線がいつのまにか主線に入れ替わってしまったというのが、ここ半世紀の要約である。3人の中でデューイを一番後回しにしてきたから、インゴルドを先導役に、デューイの世界に踏み入っていくのも良いのではないかしらね。

 まだ読みはじめたばかりだけれど、バラッド同様、新しい造語を作りだし、英語の構造そのものに挑んでる感じがあって好感が持てる。



2026年8月7日金曜日

洛句

洛句協会に寄稿した原稿が出ました。
最近はPDFがメールで届くというのががデフォルト。
この原稿と、風韻の原稿と、回り稽古の担当回が一斉に押し寄せてきたのがひと月前。
三つが互いに影響しあうことになった。
それにしても、前がどっちで、どっちが後ろなのか。
混乱の度合いは増すばかりです。

引用した晴哉先生の文章は「大絃小絃」本文では新カナ表記になっているけれど、もともとは、表紙カバーにあるように旧かな。晴哉先生が旧かな世代であったことは、覚えておいた方がよいです。





2026年8月6日木曜日

Road to Brasil 2013 (再掲)

Doho Internationalの田中さんと渡辺さんの三人で、オンラインミーティングを開くようになって半年になる。日本、ブラジル、ハワイを結んでのミーティング。時差があるので、時間の設定が難しかったりするのだけれど、話していると楽しくて、あっという間に2時間経ってしまう。一昨日のミーティングには、野口順哉さんにも参加してもらって、四人で話した。風韻文庫のマルチリンガル版構想なども出てきて大いに盛り上がる。これまでやりたかったけど実現できたなかった諸々が晴風学舎というプラットホームが立ち上がることで動きはじめた感がある。ブラジルの田中さん、「Jardim dos Ventos 風の庭」創立30周年で、秋には本も出るとか。楽しみ。

13年前の、Road to Brasilシリーズ、復活させました。https://dohokids.blogspot.com/search/label/road%20to%20brasil

昨年のヨーロッパ2025と対比させて読むと面白い。

2026年8月5日水曜日

おかのり

 おかのりの苗を分けてもらったので庭に植えてみた。どんどん蔓を伸ばして葉を付けていくのだが、使い方がよくわからなかったので放置していたのだが、ゴーヤと一緒にどんどん上に伸びていって屋根に届きそうなので、いい加減収穫せねばと葉を摘みはじめた。まずは茹でてみる。味見してみると、ちょっとほうれん草に似た味わいで粘りがある。これならおひたしにして鰹節散らせて食べればいけそうだ。たしかに、おかのりとはよくいったもので、海藻の食感。これで毎度の食卓に一品増やせるではないか。8月は、ゴーヤとおかのり、それに佐伯さんから買ってくるナスで乗り越えられそうだ。



2026年8月3日月曜日

自己紹介

ここ一週間くらい、妙にこのブログを見にきてる人が多い気配があったのだけれど、今日、新しい風韻が届いて、その謎が解けました。今月中旬くらいと予告されていた風韻がもう発行発送されてたのですね。ならば、ちょっと、自己紹介しておかねば。

はじめまして角南です。
京都で世界一小さい(おそらく)稽古場を開いています。
38年前、整体協会に本部稽古場が開設されたとき、事務局で働いていたのですが、暇そうにしていたせいなのか、稽古場運営の事務方を任されることになり、以後20年、途中からは、稽古担当も兼ねながら事務局に籍を置いていました。2009年、二足の草鞋はもう限界と無理やり事務方を卒業し、給与のない生活に突入。2015年に拠点を東京から京都に移し、はや11年になります。青年老やすく学なり難しで、70代中盤に突入。そうそう、近年、耳遠くなってコミュ障気味です。以後、お見知りおきを。

今回の風韻に寄稿した原稿の元々のタイトルは「稽古場の冒険」。適当に改変してくださいといって編集部に渡したのですが、予想の上を行ってくれました。原稿の最終行に「おのおの方、準備はできましたか」という脅し文句が入っていたのですが、これもオミット。僕としては、芭蕉の引用も含め、「旅」を裏テーマにしていたのですが、ちゃんと伝わってそうですね。月刊全生からの写真がデカデカと使われている。38年前の秋ですね。竹を構えているのは佐々木正則さん。四半世紀前かもっと前、裕之先生はしきりに「21世紀の整体にしなきゃいけない」とおっしゃっていた。新しい世代の文章を読んでいると、それが「脱整体」というかたちで実現しつつある。期待しかない。






2026年8月2日日曜日

愛宕山

白山稽古会の帰途、京都駅から円町に向かう電車の中から見えた愛宕山の夕焼けが綺麗だったので、円町駅のホームに降りてから写真を撮ろうとしたのだが、ビルに邪魔されてしまった。



2026年8月1日土曜日

8月の稽古

季節は晩夏。
夕方の光は夏の終わりを思わせるものの、気温は下がらないですね。

8月の下旬、ブラジルから女性一名、稽古のために京都にやってきます。
舞踊、舞台を専攻されている50代女性で、3ヶ月滞在の予定とのこと。
個別稽古ばかりだと、こちらがへばりそうなので、稽古パートナーとして、稽古にお付き合いいただける方を募集します。ブラジルの田中さんのところで稽古されてきた方なので、案外、動法はしっかりしてるかも。彼女の踊りの研究と僕らがやってきた稽古がどう繋がっていくのか、一緒に探求してみようとおもいます。

等持院稽古場の稽古日程はこちらでご覧ください。

2026年7月31日金曜日

穿つ

夫婦で会話してると、言葉の意外な誤用を発見することがある。
「そんなうがった見方しちゃいけん」(美作弁)というと、そんな言い回しは知らん(伊予弁?)という。こちらとしては、そういう深読みしすぎた理解の仕方は間違ってると言いたいのだが、調べてみると、この使い方は間違っているらしい。本来、穿った見方というのは、「物事の本質や真相を鋭く見抜くこと」を意味するとのこと。たしかに「穿つ」とは穴を開けるの意であるからして、この方が筋が通る。じゃあなんで、「うがった見方」が、捻じ曲がった見方という意味を獲得していったのか? 文化庁の広報誌にこんな記事があった。→「うがった見方」は,良くないのか。

2026年7月30日木曜日

7月の読書

宮本常一の旅学 観文研の旅人たち* 福田晴子 八坂書房 2022
白鷺立つ* 住田祐 文藝春秋 2025
シオニズム* 鶴見太郎 岩波新書 2025

この暑さは本を読む集注力を削ぎますね。

2026年7月27日月曜日

フィールドノート (補)

フィールドノート1〜5を読んだ妻が一言。
結婚生活もフィールドワークよね。至言です。

ゴーヤ収穫

ゴーヤ第一号収穫。
十日前に小指の先ほどの大きさだった1号が立派なゴーヤに成長していた。
いよいよゴーヤシーズンの始まりです。



フィールドノート 5

 フィールドノートを書くって、どういう意味があるのだろう。当事者であることと、観察者であることを同時並行で行う。巻き込まれながらも。巻き込まれきらない立ち位置を取るってことなのか。巻き込む力が並外れて強力な人の近くにいたから、フィールドノートを書くという行為は、僕にとっての生存術でもあったといってよいのかも。

 フィールドとしての整体協会は、実に多くの経験と考察を提供してくれた。へんな組織であったけれど、日本社会の雛型の要素を色濃く残していて、大げさにいうと、天皇制とはなんだろうということまで考えさせてくれた。

 今回の一連の文章は、なんで僕はこのブログをやってるんだろうという、自分自身への問いから始まったもので、ここまで、だらだらと書いてきたおかげで、少し意味がわかってきました。「生き延びるためのフィールドノート」というと大げさに聞こえるかもしれないけれど、自分を駆動し続けてきたエネルギーの源をたどっていくと、こんな結論にたどり着いた。

 ひとまず、これで、おしまいにします。

2026年7月26日日曜日

フィールドノート 4

 フィールドノートの中身は、どんどん拡張していった。子育てが始まったことで育児日誌となり、稽古場の事務方を担当していたので、稽古場運営日誌的なものも増えていった。サッカー話もでてきたし、振り返ると、コンピュータに関する記事も多い。整体協会は、どんどん背景化していったが、大きな枠組としての存在感は間違いなくあった。

 京都に戻って来て数年経った頃だと思うけれど、知り合った編集者の方から、本を書いてみませんかという提案を受けたことがある。ちょっとその気になって、自分が書いたものの中で-整体関連のものを集めてみた。読みものとしてのつまらなさに自分で驚愕した。もう少しましなものができるんじゃないかと思っていたのに、実につまらなかった。その後、コロナ禍がやってきて、幸いなことに、この話は立ち消えた。

 僕自身、本を書くということを舐めてた。それまで書き留めていたものをコラージュすれば、本の一冊くらいできるんじゃないかと軽く考えていた。だけど、フィールドノートは素材にすぎず、もし作品にするなら、素材を摺鉢ですり潰して、濾過して、それを発酵させるくらいの手順を踏まないとダメだということにだいぶ経ってから気づいた。その編集者の方には、ほんと失礼なことをしてしまったと、今にして思う。

 で、手元にフィールドノートだけが残った。自分用データベースとしてPDFにしてiPadに入れている。B5換算で2000頁。このブログが続く限り、このまま増殖していくことになる。

 もうちょっとだけ続きます。

2026年7月25日土曜日

フィールドノート 3

 宇奈根通信で始まったこの個人通信は、翌年、結婚を機に横浜に引っ越したのちは、あざみ野通信と名前を変え、結局、紙メディアとしては1994年まで続く。結婚、育児、稽古場の始まり、人生で一番慌しかった時期かもしれない。

 その後、インターネットの普及とともに、メールマガジンだったり、ホームページだったり、かたちを変えながらつづき、ここ20年ほどは、ブログという様式で落ち着いている。FacebookとかInstagramとか、いわゆるSNSを試したことはあるけれど、肌に合わず、結局放りっぱなしである。

 ブログの良いところは、読者不明というところ。つまり、僕自身あんまり反応を求めていない。どちらかというと、ネットで公開された自家用データベースというような位置付け。ただ、十年分をネット上で公開する意味があるのかどうか、ちょっとわからなくなって、いまのところ3年分にとどめている。

 そうそう、フィールドとしての整体協会でした。僕が所属していたのは事務局。職員数も15人はいた。本部道場の一階の狭い空間に机を並べて仕事していた。構成員の半分はどっかの会社を定年退職してからやってきた人、残りの半分は生え抜きというか、若い頃から整体協会に関わってきた人たち。片や世間の荒波をくぐってきた年寄り、もう片方は、世間知らずの若輩者たち。これに当時、5、6人はいた二十歳前後の研究生が日常的に顔を合わせる人たちということになる。これに野口家の面々が加わるわけで、なんか、これだけで十分濃厚。

 講習会ともなれば、全国から指導者たちが集まってくるわけで、その当時はまだ元治療家という人たちも大勢いて、それぞれが一城一国の主みたいな強烈な個性の持ち主で、まあ、こんな野獣のような人たちを相手に、まだ30代後半だったダン先生よく講義してたなと思うくらい。バブル絶頂の時代で、整体協会もバブルの中にいた。人間観察してるだけで楽しかった。

もう少しつづけます。

2026年7月24日金曜日

フィールドノート 2

 このブログは40年前の始めたミニコミを起源とすることは、前のポストで書いた通り。整体協会という異世界からのレポートだったわけです。仕事としてやることは、一般企業と変わらない(一般企業で働いたことはないのだが)はずなのだけれど、参与観察する場として、それはそれは興味深かった。まあ、僕の中では、整体協会=日本社会というふうに位置付けていたわけですね。実際には、そんなわけないのだけれど。創刊号(五頁立て)の一頁目だけ画像を載せておきます。いや、初々しい。

つづきます。



2026年7月23日木曜日

フィールドノート 1

 このブログは何なのか。日記でもないし、稽古会の宣伝をする場でもない。うーん、ひとことで言ってしまえば、これは僕のフィールドノート。というのも、このブログの始まりをたどっていくと、40年前、1986年の「宇奈根通信」にたどり着くのです。京都から東京に引っ越し、そこから関西の知人友人たちに送った便りのタイトル。これが元々の元ということになる。じゃあ、フィールドは何ですかと問われると、「異文化としての整体協会」と答えることになる。そう、僕は整体協会事務局に入社するために東京に引っ越したのでした。あれから40年経ってしまった。宇奈根通信はワープロ+コピー+郵便で成り立っていた、当時の言葉でいうミニコミ、今だとZINEとでも呼ぶのか。50部くらい作っていた。

 なんで整体協会が異文化なのかというと、京都で僕が暮らしていたのは、京都の中の英語日本語ちゃんぽん文化圏で、実際には、こっちの方が異文化なのだけれど、整体協会に入るってことは、100%ガチな日本社会に脚を踏み入れるということで、それなりに緊張して入社したのです。宇奈根通信の第一号に、「英語世界から敬語世界へ」というフレーズが出てくるのですが、まさにそんな感じ。しかも、整体協会って、フィールドワークするにふさわしい奥の深い異国だったのです。

つづく

2026年7月22日水曜日

稽古会情報

受付に置かれた稽古会の種類の多様さに驚く。
古式泳法に気韻発生、はたまた2回目の回り稽古。
とうとう米子でも合同稽古会をやるらしい。
そのうち、特別稽古会一覧ページを作らねばと思って、晴風学舎のウェブページを念のため見にいったら、稽古会情報が拡張されていた。→ 晴風学舎の稽古会
これをどう発展させられるのか、注目しておこう。このページから数が2倍に増えたひとつひとつの稽古場たどり着く道筋はまだ作られてないわけですからね。ま、容易にたどり着かれても困るのだけれど…。写メをメールしたら、自動的に各稽古場のページにアップされるといったシステムの構築は難しくないと思うのだけれど。




2026年7月20日月曜日

苦行

日本-オランダ戦が妙心寺での稽古会の初日。
そしてアルゼンチン-スペインの決勝が、これまた妙心寺での稽古会の初日。
嫌がらせか。

アラームかけてないのに4時前に目が覚める。
スペインのサッカーは美しい。
球離れが異様に速い。

ハイドレーションブレイクは、見る側の集注を削ぐ。
おまけにハーフタイムショーだなんて。
ワールドカップ観るのこれが最後かも。

90分で決着つかず延長線へ。
アルゼンチン、ここまでシュートゼロ。しかも、ひとり足りない。
延長後半開始直後にスペイン、20本目のシュートで得点。

最後まで目が離せない。
そのままタイムアップ。
すごい試合だった。

蝉が鳴きはじめている。
今日も暑い日になりそう。

2026年7月19日日曜日

酷暑

明日から三日間、妙心寺での稽古会。
天気予報をみると恐ろしいことになっている。



2026年7月18日土曜日

旅学

 夏のこの時期になると旅心が付くのは、十代の頃、夏休みに入るたびに、リュックを背負って出掛けていた名残なのだろう。流石にこの歳になり、しかも猛暑日が続くと、出掛ける気力も失せ、せいぜいが図書館に行って旅の本を借りてきて読むくらいである。

 宮本常一が観光文化研究所(観文研)を立ち上げたのが1966年で、その活動は1989年まで続いたとある。数十年後、その活動を機関誌「あるくみるきく」を国会図書館に通って読み通し、修論にまとめたものが、さらに一般向けの書籍となって姿を表したのが、この一冊。宮本常一の旅学が、観文研の活動を通して、どのように若者たちを鍛え育てていったか。その過程を観文研に集った元若者たちをインタビューすることで浮かび上がらせている。その元若者たち多くは団塊の世代。ぼくより、ちょっとだけ上の世代にあたる。




2026年7月17日金曜日

ゴーヤ1号

グリーンカーテンとして植えたゴーヤ、今年も順調に葉を茂らせてくれている。
ゴーヤ1号を発見。去年は豊作だったけれど、今年はどうだろう。
苗をいただき、ゴーヤの隣に地植えしたオカノリも屋根に届く勢い。
ヘチマは、のんびり蔓を上に伸ばしてきている。はたして、実を収穫できるくらいまで育ってくれるか。



蹲踞

原稿書きしているなかで、稽古場最初期の動法の稽古、「蹲踞」に触れた。
「蹲踞」ってどうやってたんだっけ、と思い出しながら、この春から再開した動法基礎のコマで、女子2人を相手にやってみることにする。

冷房を入れてるにもかかわらず、3回やると汗が吹き出してくる。夏を乗り切るには、こういう汗をかかなきゃねとひとりごちながら、稽古を先に進める。

まずは、跨ぎの動法。うつ伏せに臥している人に跨り、そこから背中に手が届くくらいまで腰を下ろしていく。そして、またぎかえる。

こういう動きの稽古も楽しいけれど、ちょっとだけ内観を入れてみる。随伴行気をやってみて、どれで引き込まれるように腰が降りていくか。なるほど、同調を用いることで、「自分」という枠を拡げていく、あるいは壊していく。

そうたいした動法はやってないのに、脚の付け根が痛いとか、あれこれおっしゃる。ここでいう筋肉痛って、束になって凝り固まっていた糸が解けていく現象と理解すべし。

夏は汗をかこう。

2026年7月14日火曜日

途中

結局、途中なのだ。
始めと終わりが措定されている故に、その間は、どの時点どの段階であっても途中になる。では、はじめとおわりは、どのように措定されうるのか。

2026年7月9日木曜日

風韻が届いた。

風韻が届いた。
ネット中心に活動していくと聞いていたので、紙メディアでの発信は意外。手作業で郵便物を準備していくのは大変だろうし、郵送費だって馬鹿にならんだろうし、大丈夫か晴風学舎。どれくらいの頻度で発行されることになるのか知らないけれど、紙の安心感はありますね。




2026年7月4日土曜日

R32

ワールドカップR32。
私情が混ざると的中率は下がる。16試合中、的中9試合、56%。
FIFAランキングをそのまま勝敗予想に反映させていれば、もう少し的中率は高かったはずだけど、それでは面白くない。
カープヴェルデ、スペインと2=2で分け、アルゼンチンとは延長戦まで戦う。すごいね。

まだ16チーム残ってる。
R16を飛ばしてベスト4を予想すると、フランス、ブラジル、アルゼンチンの3チームプラス、スペイン、ポルトガル同じグループにいるアメリカをダークホースとして4チーム目に推そう。

【7/6】なんと、ブラジル敗退。この組は、ブラジルとイングランドが戦って、ブラジル勝ち上がりと読んでいたのに、すでに外した。

【7/7】アメリカも敗退。そりゃ、ベルギー本気出すよね。

【7/8】ベスト8確定。R16の的中率62%。結局、ヨーロッパ勢が強い。R8は優勝経験国vs未経験国の闘い。さてどうなる。

【7/12】R8 結局残ったのは優勝経験国だけなんだ。

【7/17】サッカーで一番面白いのは準決勝と相場が決まってるのだが、2試合とも熱戦だった。そう、2日続けて3時半起きで画面に見入っていた。スペイン対アルゼンチン、予想不能です。

2026年7月1日水曜日

稽古日程7月

 日本代表のワールドカップはブラジルに1-2で敗れ終了。
7月は落ち着いて稽古できそうです。

回り稽古も始まっていて、等持院回は先週。
参加者6名プラス付き添い2名、私を含め9名が四畳半に入室。
窮屈になるかと思いきや、意外に大丈夫でした。

この回り稽古の会場となる5稽古会の日程を一覧できるページを作りました。
晴風学舎の稽古場ページが稼働するまでの暫定的運用になります。

足袋の注文の取りまとめも始めました。
今回は、7/12の白山稽古会で締め切る予定です。

等持院稽古場の稽古日程はこちらでご覧ください。

2026年6月29日月曜日

付ける

30年以上、サッカーを見続けているが、日本サッカーの進化は素晴らしい。と、同時に、サッカー解説の進化が素晴らしい。昔の地上波でのサッカー中継では解説者なのか応援団なのかわからない人が喋っていた。パスを付ける、といった表現は昔からあったはずだが、サッカー解説できかれるようになったのは、最近のことかもしれない。

そう「付ける」なのです。連句協会の原稿も、回り稽古もテーマは付ける。このところ、「付ける」のことばかり考えている。パスを付ける場合であれば、パスの受け手は未来に属している。連句の場合は、前の句、つまり過去に付けることになる。同じ、付けるでも方向性が逆。

付けることで、過去の構造は変わらないのに、その存在が変容する。付ければ付けるほど、季節は順の方向に巡っていくのに、集注は遠い過去に向かっていく。不思議な文芸だ、連句は。サッカーだって、そう単純ではない。予め定められたゴールという終点にボールを運ぶという行為が未来に向かうものなのか怪しい。ボールは、ゴールから逆算され逆流してきた今と、後ろからやってきた流れがぶつかる刹那の一点にあるのだから。

6月の読書

ケアと編集* 白石正明 岩波新書 2025
数ならぬ身とな思ひて* 別所真紀子 新人物往来社 2007
神の蝶、舞う果て* 上橋菜穂子 講談社 2026
僕には鳥の言葉がわかる* 鈴木俊貴 小学館 2025
ボケてもいいよ(増補新版)* 村瀬孝生 西日本新聞社 2025

2026年6月18日木曜日

整体が消えた 2

 三日間の稽古会が終わったのに、まだ月半ばであるというのが不思議でしかたない。30年間、京都の三日間が終わって、その月が終わるという日程になじんでいたから無理もない。稽古会のスケジュールも、以前よりゆったりしている。なによりも、会場まで歩いて行けるというのが、ありがたい。徒歩17分。自転車で10分。

 裕之先生の稽古からも、見事に整体が消えた。新しい顔ぶれも増え、これまでとは違った切り口になるだろうなとは思っていたが、僕の予想のはるか上を行っている。これまで40年間積み上げてきたものを、一旦横に置いて、ゼロから晴風に組み替えようとしているかのようだ。建物の壁を消して、動きだけで生成されていくかんじ。すごいな。
 
 月末に回り稽古がやってくるし、同時に、連句協会のための原稿締め切りも近づいている。連句を稽古化して、ついでに原稿のネタにもしたい。こんな都合のよい一石二鳥を目論んでいる。こんな風に考えられるようになったのも、整体が消えたせいかもしれない。

2026年6月13日土曜日

ワールドカップ開幕

ワールドカップが始まった。
とはいえ、今回は無料放送される日本代表の試合は観るかもしれないが、DAZNに入る予定はない。なんせ、あれこれやることが目白押しで、早朝、午前中の時間帯にサッカー観てる場合ではない。今回の楽しみ方は、予想を立てて、その予想と結果を照らし合わせながらダイジェストを観るくらいか。ひとりTOTO。

初日の2試合を事前に占ってみた。僕の見立ては、メキシコ2-0南アフリカ、韓国1-1チェコというもの。グループリーグは、勝つか負けるか引き分けかの3択。メキシコの試合は、勝敗、点数ともズバリ的中。韓国の試合は、後半追加点を上げて2-1で韓国勝利。続けて2日目。カナダ1-1ボスニア・ヘルツェゴビナ、米国3-1パラグアイと予想したのだが、それぞれ、2-1、4-1。米国の勝利は的中。ここまでの的中率50%。まずまずの成績ではないか。

問題は日本に初戦となるオランダ戦。妙心寺での稽古会ともろに被っているではないか。しかも午前5時キックオフ。早起きして、7時まで試合を見て、11時に家を出る。そのまま、夜の11時まで稽古が続くから、とんでもなく長い一日となる。いや、悩ましい。

【追記6/18】
グループリーグ一巡目24試合の予想的中率は24分の11、46%。いくら予備知識が少ないとはいえ、せめて的中率5割は超えるだろうと高を括っていたのだが甘かった。

【追記6/24】
グループリーグ2巡目に入って、強豪国が順調に勝ち始めたせいで、的中率は24分の16、67%に上昇。3巡目の予想は難しくなる。ハイドレーションブレークって酷いね。

【追記6/28】
グループステージ3巡目終了。各チームの思惑を読みきれず、的中率は24分の14、58%にとどまる。ともあれ、日本代表の次戦は対ブラジル。6月で終わってしまうのか、7月に突入出来るのか。30日午前2時キックオフ。2-2、延長PK戦で日本勝ち抜けというのはどうだろう。韓国は敗退したが、ホン・ミョンボは無能ではない。

【追記6/30】
日本のワールドカップはブラジルに1-2で敗れ終了。強くなったけど、これが現在地。これで森保さんも代表監督辞められるね。(続投の報道もあるけれど…。)ここから、日本代表は長い踊り場に入ることになりそう。

2026年6月12日金曜日

回り稽古(継続募集中)

今月21日からはじまる回り稽古、参加者募集継続中です。
テーマも決まったようです。



2026年6月9日火曜日

百花撩乱

玄関に飾ってある中川一政翁の絵葉書「正念場」を「百花撩乱」に入れ替えた。
稽古の帰りぎわ、この「正念場」を見つけ、「うむ、正念場だ」と呟き、自分に気合を入れていた人も何人かいたから、きっと時宜に適った三文字だったのだろう。

昨日、水無瀬の稽古場から戻ってきて、この絵葉書を眺めたとき、そろそろ変える時がきたと思った。では、どれに変えるか。もうこれしかない。

それにしても、一政翁の書はいいなあ。



2026年6月8日月曜日

水無瀬稽古場

水無瀬稽古場にお邪魔してきた。
4月に開設したばかりの、青畳の香りする稽古場。
畳、建具が入る前の段階で一度訪ねてはいるのだが、いや立派な稽古場になっている。

生け花を素材にした稽古。
稽古のヒントをたくさんいただく。

水無瀬神宮で茅の輪くぐりもしてきました。








2026年6月6日土曜日

富山

 北陸新幹線が敦賀に伸びるまで、白山稽古会の会場のある松任までは特急サンダーバード一本でたどり着けた。今では、敦賀、小松で2回乗り換え、やっと松任。時間も細切れにされ、ゆっくり寝てられない。

 一度、在来線で行ってみたいと思っていた時に、北陸二日間のフリーきっぷを見つけた。新幹線開通後、分割民営化された三つの旧北陸線を使った鉄道会社が共同で発行する電子チケット。高架を走る新幹線に比べ、地面の上を走る鉄道は楽だ。一時間余分にかかるが、体への負担は少ない。

 稽古会初日は予定より早く終わったので、東に向かうことにした。金沢は百万石祭りで混みそうなので、一気に富山まで足を伸ばすことにした。富山って、ほぼ降りたことがない。金沢から一時間で富山。駅前の空が広い。路面電車が走ってるのもよい。環水公園まで歩き、世界一美しい?スタバを展望台から見下ろし、また駅まで戻ってきた。

 このフリーきっぷ、結構使い出がある。富山では白エビ天丼も食べたことだし、帰りは福井で途中下車して、ひさしぶりに蕎麦でも食ってから帰ろうと思っている。

 先月は松山の街を歩いたし、その前の月は佐原。知らない街を歩くのは、今でも好きである。





のぐちひろこ個展(再掲)

われらがマメ画伯の個展が京都にやってくる。
これは楽しみ。

6/3〜14 (6/6,7はお休み). at @bench (左京区浄土寺)

なんだか、お知らせブログになってきた。
それだけ、周囲が動いてるということなのですね。


2026年6月4日木曜日

せうそこ#4

9年前の「せうそこ」を読み直しながら、道坂優さんを偲んでいる。




2026年6月1日月曜日

稽古日程更新6月

晴風学舎となって丸2ヶ月経過。
濃厚な日々が続いています。

毎週、同じ時間に稽古するのはよいですね。稽古にリズムが生まれてきます。
入会の受付も一段落。
妙心寺如是院での三日間の稽古会も無事終了。
6月には回り稽古も始まります。

4月以降の変更点
*稽古会費を一部改定します。
*動法基礎を再開します。
*個別稽古と集団稽古各一回を組み合わせた月登録制を設けます。

稽古日程はこちらでご覧ください。

2026年5月31日日曜日

5月の読書

向谷地さん、幻覚妄想って、どうやって訊いたらいいんですか?* 向谷地生良 医学書院 2025
フェイスウォッシュ・ネクロマンシー* 栗原知子 筑摩書房 2026
私の明治時代史* 渡辺京二 新潮選書 2026
会話の0.2秒を言語学する* 水野太貴 新潮社 2025
詩あきんど其角* 別所真紀子 幻戯書房 2016

2026年5月30日土曜日

竹喬美術館

松山から福山へ高速バスで移動。
瀬戸内の島々を空中から眺め、日本は土建国家だなあと思う。
30年後、この橋、この道路は維持されているのだろうか。

福山は都会。ここからJRで笠岡へ。
笠岡に降り立つのは65年ぶりくらいになるのか。
父の同僚が住む笠岡沖の島に海水浴に連れられていった記憶がある。
そういえば、その同僚の名前が、白石さんだっとことをなぜか思い出した。

竹喬美術館は、予想以上に立派な美術館だった。
衣笠絵描き村に居を構えた画家の一人で、その我執がまるで感じられない画風が好きである。






2026年5月29日金曜日

道後温泉

お遍路をはじめた頃、松山にたどり着いたら、市内は一緒に歩くからねと、松山で育った妻に言われてから4年。ようやくそれが実現した。とはいえ、夫婦遍路というのは妙なもので、お大師さまと同行二人で歩くのとずいぶん勝手が違う。なんせ、会話しながら歩くわけで、愛媛の遍路道を歩いているのか、京都の道を歩いているのか判然としなくなる。

今回歩いたのは46番浄瑠璃寺から51番石手寺までの15キロ。その前後の距離を加えると1日の歩行距離は20キロになった。荷物は宿に預けて軽量。登り道の少ない遍路初心者コース。おまけに、石手寺のあとは道後温泉まで歩いて入浴というハイキング遍路。本来なら、このポストも遍路としたいところなのだが、二日続けて道後温泉に浸かったので、このタイトルにした。実際に入ったのは観光客で溢れる本館の隣の椿の湯。地元住民御用達といった風情の温泉。

城山に登り、松山風鯛めしもいただき、友人と旧交をあたためる。たまには、こんな遍路もあってよいだろう。





2026年5月23日土曜日

夏炉冬扇

妙心寺の塔頭を会場とした稽古会三日間を終え一息ついている。
思っていたほどの混乱もなく、むしろ順調といってよいくらいの三日間だった。

さて、どんな環境で連句の会は催されていたのか、別所真紀子の「詩あきんど其角」を読みはじめた。芭蕉門下に入り修行して立机(俳諧師となる)した其角の記録を元に小説仕立てにした一冊で江戸初期の俳諧界がよく描かれている。

俳諧界を支えているのは、裕福な商人層で、それに酔狂な武家も加わる。皆で集まり歌仙を巻き、それを選集にして版木に下ろして印刷配布する。いわば出版人でもあった。俳諧師が職業として成り立つためには、門人がいてパトロンがいてという風な、大きな経済圏が形成されていたわけだ。

俳諧師として立つためには、東西の古典の素養がなければ話にならないわけで、江戸の文化人たちの知的レベルの高さに舌を巻く。それに比べると、古典から切り離された時代に育ってしまったことを今更悔やんでも仕方がないが、十七季と電子辞書が手元にないと何もできないわが身の薄っぺらさに涙するしかない。師匠が古典に親しめ親しめと口を酸っぱくするのもわかる。稽古を深めるには、教養も深めるしかなく、近道はないということなのだ。

つまり、手遅れなのだ。そう言いながら、抜け抜けと稽古場などを開いていているのは、まだ化けの皮が剥がれてないだけの話で、人の上に立って何かを教えようとは露ほども思っていない。同行の仲間に見限られないよう日々精進するしかあるまい。夏炉冬扇とは、役に立たないものとして、芭蕉が自らの俳諧を称したものだが、無論、それは自信の表明でもあったわけで、凡人はこわくてとても使えない。





2026年5月19日火曜日

回り稽古

第一回晴風回り稽古の概要が発表されました。
詳細はこのページのQRコードからご確認ください。

かつて「衣笠絵描き村」と呼ばれていたこの地が、いまや晴風稽古村となってきたことは先月書いたが、早速、この特性を活用した「回り稽古」が発案された。毎日曜日全5回なんて濃密な稽古会に参加しようという猛者はいるのか?
























詳細、参加申し込みは、こちらから




2026年5月17日日曜日

靴の行方は

靴を間違えられやすい人というのはいるのだろうか?
もし、そんな人が居るとすれば、それは私です。

白山稽古会の初日、稽古を終えて、ふるさと館を出ようとしたら、靴がない。正確にいうと、靴が一足残っているのだが、私が履いてきた靴ではない。似たような黒のスニーカーなのだが、puma という買ったことのないブランド。ちなみに、私のはミズノで、ここ数年、同じタイプのスニーカーを履いている。お遍路にも使い、履き潰しては代を重ねている。

窓口の方に事情を話し、その残されたpumaのスニーカーを履いて出る。サイズは25センチで、ちょっと大きいが違和感を感じるほどではない。最近は、足袋+スニーカーという組み合わせもありだから、25センチでもOK。間違って履いてった人も、ちょっと中が広がった24半のスニーカーに窮屈さを感じなかったのではないか。

朝、家を出るとき、一旦は草履を履いたのだが、10メートルほど歩いてからなぜかひきかえし、わざわざ、スニーカーに履き替えた、そのスニーカーなのだ。

翌日もふるさと館での稽古会だったのだが、問い合わせの電話はだれからもなかったという。近隣の方ではなく、どこかからの観光客だったのだろうか? とすれば、私のミズノは、今ごろ、どっか知らない街を歩いているのかもしれない。この、底がフラットで、足袋との相性も悪くなさそうな、このpumaを履いて、私は京都の町を歩くことになりそうだ。ちょっと複雑な気分。

【追記 5/20】月末に松山市内のお遍路を計画中。消えたものと同じタイプのスニーカーをAmazonに注文。

2026年5月16日土曜日

石川県立図書館

やっと来れたぞ石川県立図書館。
噂通りのすぐれもの。訪れる価値あり。
一時間ほど館内を歩いただけなのだけれど、楽。
スロープの使われ方が絶妙。
本に圧倒されることもなく、動線もよく考えられている。
カフェ併設されているし、一日居られるぞ。



2026年5月15日金曜日

連句と筆動法の試み

機は熟したというべきか、筆動法と連句を合体させた会を一度やってみることにします。5月24日(日)11時から3時間、場所は等持院稽古場。筆動法初心者も連句初心者も参加歓迎。なんせ、主宰者が初心者ですから安心して(かえって不安要因か)ご参加ください。定員は5名とします。要予約。事前問い合わせも歓迎です。

最初は長句(五七五)に短句(七七)を付けていく練習くらいからはじめましょうか。それとも、発句を立てて、三つもの(発句・脇・第三)を編むか、はたまた、表六句まで辿りつかせるか。清書は筆動法に則って、などと考えはじめているのですが、こればかりは、蓋を開けてみないことには分かりません。

「筆動法でたどる奥のほそ道」なんて稽古を大井町稽古場でやっていたのは20年も前になるのですね(遠い目)。

2026年5月14日木曜日

連句会

日曜日、月例の連句会に参加してきた。
ふた月続けて参加できることは稀で、夫婦揃って参加するのは、さらに稀だ。

総勢10人の参加者を籤引きで2組に分ける。3時間の会で、丸ごと歌仙を巻くのは難しいので、2回に分けてやることもあるのだが、私のような不定期参加の人も少なくないので、区切りをつけやすい半歌仙や二十韻という様式でやることも多い。この日は、林閒石(かんせき)という人が唱えた「非懐紙」という付けることを主眼にした様式でやってみましょうと先生。月、花の定座は設けず、それらさへなくてもよいという、まことにゆるい様式。

うん、これは、昔、連句の真似事を大井町稽古場ではじめたころ、長句(五七五)と短句(七七)を交互に付けていったようなものだなと合点して始める。とはいえ、生半可に歌仙のルールを知ってしまっているので、ついついルールに気を取られ、純粋に付けることができない。助走に時間はかかったものの、先生の捌きのおかげで、結局、十六句目で挙句とする。

会議室を借りての連句会。もちろん、テーブルと椅子。各自が十七季という連句用の辞書やら電子辞書を手元に置いて句を作っていく。ちょっと前までなら、畳の部屋にデコラのテーブルを並べてやっていただろう。

芭蕉の時代は、どんな環境でやっていたのだろう。
手元に筆と硯を置き、短冊に句をしたためて、捌きの人に手渡していたのか。おそらく机は置いてない。大きな興行の時には、書記役を置いたというのは、どこかで読んだ気もするが、少人数の仲間内での会ではどうだったのだろう。歌仙は残っていても、それがどのような風景の中で生まれてきたのか今ひとつよくわからない。途中で、お茶はのんでいたのか、食事はどうしていたのか。ついつい、こういう枝葉末節な部分が気になってしまう。

いちど、筆動法の時間を使って、連句会もどきをやってみようか。
鉛筆を筆に持ち替えるだけで、生まれてくる句は違ったものになるだろう。

2026年5月5日火曜日

晴風学舎の主文を機械翻訳させてみる 2


数年前だと、Google翻訳をつかうと、「こいつダメだー」という言葉しか出てこなかったが、近年、随分とましになった。でも、もうひと頑張り。ブラウザの翻訳機能として使われているものは、圧倒的にこのGoogle翻訳が多いのではないか。このブログの一番下にも翻訳窓を置いてあるのだけれど、これで読んだつもりになってもらっては困るというの正直なところ。

以下、Googleは【G】、DeepLは【D】、ChatGPTは【C】とする。

まず、「探究」という言葉がどのように翻訳されているか。
これは、組織のありようを表現している文脈の中で使われている。
【G】の"focus on" というのは、まあ、わかりやすい。
【D】の”centered on”というのも、気持ちはわかる。
【C】の"dedicated to"になると、なかなかという感じ。

「場」という言葉には機械翻訳も苦労したようで、
【G】は"space" 、【D】は”source of”【C】は"site"という言葉をそれぞれ選んでいる。こういうキーワードほど多義的ということでもある。

いちばん、難しかったのは「稽古」という言葉。
稽古文化学なんて言葉は、今回つくられた新造語だと思うのだが、そもそも「稽古」という言葉は難しく、というか、含意の多い単語で、”training"という単語ひとつでで代替できるものでもない。”training"であれば、"trainer"と"trainee"という役割分担が前提とされていたり、どちらかというと対面的な関係。一方、「稽古」というと、皆が同じ方向を見ているような印象。

「理」も難しそうですね。なんせ「ことわり」ですから、それに"function"という言葉を当ててしまうと機械論に逆戻りした風で身も蓋も無い。

こうやって、日本語と英語を行き来していると、翻訳しづらい部分を通して晴風学舎の特長が立ち上がってくる。「稽古」「体の理」といった言葉にどれだけ英語で肉薄できるかが、鍵になってくる。ちょっと油断すると、構築物のような英語体系に絡め取られそうになるのだけれど、ここをどう耐え、もっといえば、英語の構造そのものを変えていくくらいの気構えがないと、安易な妥協に終わってしまう。きっと、英語の古典に通じていれば、もっと重なり合う領域は増えてくるのであろうが、いかにも力不足だ。

この週末は、テキストを使った稽古もやることにしよう。

晴風学舎の主文を機械翻訳させてみる 1

この週末、英語で稽古会をやんなきゃいけない。
秋からは稽古のために長期滞在する人もやってくる。
ちょっと自分の英語をなんとかしなきゃならない状況だ。

整体操法という単語を機械翻訳にかけたら、physical  manipulationという訳語が出てきてびっくりしたことがある。たしかに、操法の操にはあやつるという意味があるからして、manipulationという単語が選ばれても不思議ではないのだが、感応法としての操法を目指している者からすると違和感しかなかった。非操作的操法という言葉自体、字義矛盾を抱えていたということになる。

晴風学舎のWebページにいくと、最初に、晴風学舎宣言とも呼べる格調高い文章が現れる。では、これはどのように英語化されうるのか。当然のことだけど、なかなかむずかしい。まず、この文章を機械翻訳(いずれも無料版)にかけて、どのような英語が現れるかみてみよう。

【原文】
一般社団法人晴風学舎は、「身の学」を基軸とし、人間の生を身体を通して探究することを目的とした体育団体です。感覚と運動の関係を重視し、身体を単なる生理的存在としてではなく、思考や文化を生み出す根源的な場として捉え直すことで、新たな「生の知」の創出を目指します。身体文化学・身体教育学・稽古文化学などの学際的観点から、日常的な動作・芸術的所作・呼吸・言葉など、身体の働きの裡にある理を捉えるための相互教育および稽古法の創造と共有の場を開拓することを通じて、広く人間の創造的生を支えるための文化的基盤の形成を図ります。

Google翻訳】
Seifu Gakusha, a general incorporated association, is a physical education organization that focuses on "the study of the body" and aims to explore human life through the body. Emphasizing the relationship between sensation and movement, we aim to create a new "knowledge of life" by re-examining the body not merely as a physiological entity, but as a fundamental space for generating thought and culture. From interdisciplinary perspectives such as body culture studies, body education studies, and training culture studies, we aim to form a cultural foundation that broadly supports human creative life by developing a space for mutual education and the creation and sharing of training methods to grasp the principles underlying bodily functions such as everyday movements, artistic gestures, breathing, and language.

DeepL翻訳】
The Seifu Gakusha General Incorporated Association is a physical education organization centered on the concept of “the study of the self,” with the aim of exploring human existence through the body. By emphasizing the relationship between sensation and movement, and by re-conceptualizing the body not merely as a physiological entity but as a fundamental source of thought and culture, we aim to create a new “knowledge of life.”Drawing on interdisciplinary perspectives such as the study of bodily culture, physical education, and the study of training culture, we seek to establish a cultural foundation that broadly supports human creative life. We do this by pioneering spaces for mutual education and the creation and sharing of training methods designed to grasp the underlying principles of bodily functions—including everyday movements, artistic gestures, breathing, and language.

ChatGPT
The General Incorporated Association Seifu Gakusha is a physical education organization dedicated to exploring human life through the body, grounded in the principle of “learning through the body.” Emphasizing the relationship between sensation and movement, it seeks to reconceptualize the body not merely as a physiological entity, but as a fundamental site from which thought and culture emerge, thereby aiming to generate new forms of “knowledge of living.” From interdisciplinary perspectives—including body culture studies, physical education, and the study of training culture—it endeavors to cultivate and share methods of mutual learning and practice. These efforts focus on grasping the underlying principles within bodily functions, such as everyday movements, artistic gestures, breathing, and language. Through this, the organization aims to establish a cultural foundation that broadly supports the creative life of human beings.

2026年5月2日土曜日

石とゆき交う

千代田路子写真展「石とゆき交う」に行ってきた。
会場の妙心寺退蔵院まで、わが家から17分でたどり着く。
千代田さんとお会いするのは30年ぶりくらいになるのか。
本部稽古場第1期生ですとは本人の弁。
再会の場が、妙心寺であったところが面白すぎる。
10日まで。




2026年4月30日木曜日

4月の読書

国宝*(上・下) 吉田修一 朝日新聞出版 2018
HHH* 河野啓 集英社 2025 2025
勉強しなければ大丈夫 五味太郎・内海陽子 集文社 2016
仙厓 BEST100 ARTBOX* 出光美術館 講談社 2022

地図なき山* 角幡唯介 新潮社 2024
今や哲学者となってしまった角幡唯介。
ときおり出てくるイヌイットの〈ナルホイヤ〉ー何ともいえないーが漂白行の結論のようだ。

分断の八〇年* 徐台教 集英社クリエイティブ 2025
やっと、韓国の現代史に追いついた。そっかー、韓国に左翼はいないんだ。

人間の声で* キャロル・ギリガン 風行社 2025
イニシエーションという単語に役割馴致という訳語を当てる。これだけで革命的です。

2026年4月29日水曜日

筆動法

筆動法
五人の線





2026年4月28日火曜日

広瀬 勉 写真集刊行記念展

室野井洋子さんの写真と出会える、広瀬勉写真集『天沼 矢川澄子・室野井洋子・知久寿焼のアルバム』刊行記念展が京都にもやってくるそうです。


メリーゴーランド京都

会期:2026年6月3日(水)から9日(火)
住所:京都市下京区市之町251-2寿ビルディング5F

千代田路子写真展 at 妙心寺退蔵院

妙心寺で千代田路子写真展をやるとのこと。びっくり。
稽古場とも御縁のある方です。
在廊日問い合わせ中。




2026年4月23日木曜日

衣笠絵描き村

等持院稽古場がある、このエリアは、かつて「衣笠絵描き村」と呼ばれていた。
大正初期から昭和にかけ、京都の周縁地であったこの地域に、自然を求め、画家たちが移り住んできた。残されている当時の写真を見ると、ただの野っ原しか写っていない。堂本印象、木島櫻谷、小野竹喬等々。とはいえ、この地に住みはじめるまで、日本画家の名前などまったく知らなかった。
























櫻谷文庫HPより

私が借りている家屋が、小野竹喬に縁があることなど知らなかった。ごく最近、幼少期をこの近所で過ごした方と話している中で、この家の主が林司馬(はやししめ)という法隆寺の壁画修復に関わった画家であったことを知った。小野竹喬と林司馬は縁戚関係にあるらしい。

晴風学舎がうまれ、この近所が稽古場銀座になってきた。西は御室稽古場(野口順哉)、花園駅近くに花園稽古場(山中一弘)ができ、妙心寺を挟んで、その北側に等持院稽古場(角南和宏)。更に東に行くと西陣稽古場(戸村拓男)があって、すぐ先に寺之内稽古場(棚橋麗子)。東西4キロ、南北1.5キロという徒歩圏内に5箇所稽古する場が集まっている。絵描き村ならぬ稽古村が出現したようなものである。回り稽古常設区だ。

2026年4月20日月曜日

古伊万里

稽古に見えている方から骨董のお店を再開しますとのお知らせをいただいていたので、散歩がてら顔を出すことにした。いい感じの器が並べられていて、つい、古伊万里の湯呑みに手が出てしまう。家に帰って、ふたつ並べてみると、同じ図柄なのに、違った人が絵付けしたことは明らかで、そのおおらかな感じが愉しい。




御用のない方

この掲示の前を通るたびに立ち止まり、はたして、僕のような罪深い人間ほど、この場所に御用があるのではないかしらと考えこんでしまうのです。






2026年4月17日金曜日

五味太郎絵本クロニクル展

五味太郎展をやってることを娘に教えられ、佐倉市立美術館へ。
絵本に使われた原画がフレームに収まって壁に掛けられているのは不思議な気分だが、一点一点が絵画として自立している。五味太郎は50年間描き続けているわけだけれど、僕にとって馴染みのあるのは、初期の頃の作品ですね。壁には絵が描か掛けられ、テーブルの上にずらり50年分の絵本が並べられ、実際に手に取って開くことができる。7月までやっている。
























で、帰ってきて、この家の本棚にこんな本見つけてしまい、つい読みはじめる。



2026年4月16日木曜日

佐原

ひさしぶりの千葉、佐倉。
孫たち上ふたりが小学生になると、昼間は自由時間となる。

鹿島神宮、香取神宮といった歴史の古い神社に1時間半で行けることがわかったので、出かけてみることにした。最初、鹿島神宮を目指したのだが、乗り換え駅佐原駅の改札前が妙に騒がしい。どうやら神社のお祭りにぶつかったらしい。駅前の通りを京都でいえば時代祭風の装束の人たちが行列して歩いている。着飾った子どもたちの姿があって、その隣にはめかし込んだ若いお父さんお母さん。晴れの舞台らしい。この日はなんと、12年に一度の香取神宮の神幸祭の2日目最終日でした。行列の流れに逆行するように歩いていくと、いきなり武者装束の外国人の一団とぶつかる。10人20人ではなく、百人規模の集団。香取神宮は鹿島神宮同様、武芸発祥の地とされている。どうやら門下生一斉集合ということらしい。

























行列見物を離れて、街並み保存地区へ。倉敷の美観地区のような感じ。ど真ん中に伊能忠敬記念館がある。伊能忠敬って、ほんと日本全国を歩いてるのね。70歳を超えるまで歩き続けている。


























徒歩で香取神宮までの4キロの道のりを歩く。
境内前の広場は行列の帰還を待つ人たちで賑わっている。
神社参拝後、香取駅に向かう。よく歩いた。
鹿島神宮は次回ですね。






2026年4月14日火曜日

産まれたて

 晴風学舎のホームページを見にいったら、いきなり「この接続は安全ではありません」と表示されて面食らう。「おーい、大丈夫か〜」と声をかけたくなるけれど、本格稼働して数週間の団体、暖かく見守るしかない。

 誰が構成員かもわからないのは、これまで身体教育研究所の一員として働いていた我々も同じで、これまでの36人と同じ数の整体コンサルタントと呼ばれていた人たちが加わったと言われても、顔も知らない人たちも沢山いて戸惑うばかり。一日も早く、改訂版の全国稽古場一覧を配布してほしい。

 二子玉川に稽古場立ち上げたときは、試行錯誤しながら形をゼロから整備していった。独断専行の上司の意向と稽古場を継子扱いする事務局の規則を擦り合わせていく作業は苦労の連続だったが、稽古場ができて10年後、身体教育研究所が整体協会の中で正式な組織として認知された時でさえ、指導者の数は20名に過ぎなかったから、いきなり70人の組織が生まれて、それを回していくのは、とても大変な作業になる。

 それでも、新しく生まれた組織が、揺らぎながら形を整えていく姿というのは、初々しい感じがあってよい。信用を失わない程度の失敗を積み重ねていけば、3年くらいすれば安定してくるのではないか。

*****

 ここからはお知らせ。水無瀬に新しく稽古場ができました。水無瀬というと、京都と大阪のちょうど中間。JRも阪急も使えるからアクセスは良さそう。水無瀬神宮の駐車場も無料で使えるらしい。担当は由里正行さん。稽古場の開設が、晴風学舎への移行時期と重なってしまったので、身近な人しか、この稽古場ができたことを知らない。いただいた案内をそのまま掲載します。5月くらいには各稽古場の日程がWebページで閲覧できるようになると聞いているので、それまでのつなぎです

















2026年4月10日金曜日

整体が消えた 1

今月に入って、なぜか稽古の感じがちがう。
いったい何がちがうんだろうと考えているうちに、ひとつの答えにたどり着いた。

整体が消えた。
受付簿から整体協会の名前がなくなったことは確かだけれど、それで操法が変わるか? やっていることを整体操法と呼ばず、生観(しょうかん)法と名称は変わったけれど、やってることは同じはず、同じつもりなのに、それでも何かがちがう。

僕はそれほどまで「整体」という言葉に囚われていたということなのか…。
場が変わるとは、こういうことなのか。

2026年4月8日水曜日

Doho International

Doho Internationalは、30年前、今はブラジルにいる田中敏行さん、舞踏の室野井洋子さん(故人)と僕の3人で作ったグループで、最初は「動法プロジェクト」と名乗っていた。30年前、身体教育研究所の本部稽古場で稽古していた仲間である。ただ活動実績はない。三人それぞれ、動法を媒介とした、脱国境的な活動を目論んできた。夢見てきたといった方が実態に近いかもしれない。お互いをハブにして、人の交流が細々と続いてきた。室野井さんが亡くなり、その空白を埋めるように、ここ十年、ヨーロッパでの活動が増えた渡辺恒久さんー裕之先生の英語論文の翻訳者ですーが加わり、新生Doho Internationalとなった。

ブラジル在住の田中さん働きは大きい。ブラジルで暮らし始めて30年を超える。期せずして、サンパウロの大学の身体芸術コースで教科を担当するなかで、少なくない生徒たちを日本に送って来た。その受け入れ先の一人が私ということになる。だれが田中敏行を「発見」したのか、ここは訊いておかなければならない。

ヨーロッパの状況は、昨夏、書いた「飛地と迷子」の通りで、渡辺さんと話してみて、この文章が的外れでないことは確認できた。いろいろ動いている。日本のなかも動いている。なんせ、晴風学舎って生まれたてですから。Doho International的なものの必要性は高まっているように思います。

まずは、日本国内のネットワークづくりから始めようと思います。ご賛同の方、ご協力をお願いいたします。