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2025年2月18日火曜日

SKIMA

4年前、コロナ禍の真っ最中、リモートで稽古したベルリン在住のダンサー/コレオグラファー、Lina Gomezさんから、そのときの稽古にインスパイアされ、「SKIMA」という作品が出来上がったというメールをいただいた。こんな風に作品化できるんだと、ちょっと感動。オンラインだけで、まだ本人とはお会いできてないのだけれど、この夏会えることを期待している。

https://vimeo.com/user21474509/skima





2024年10月30日水曜日

10月の読書

中学生から知りたいウクライナのこと* 小川哲・藤原辰史 ミシマ社 2022
 発行年は2022年。戦争が始まったのが2月。3月に小川哲 と藤原辰史 がオンラインで対談。その対談をベースに#ミシマ社 が書籍にしたのが6月。そのスピード感には畏れ入るしかない。その本を発行から2年経った2024年に読んでいる。戦争は継続中で終わる気配はない。本書を通しウクライナの歴史を知ると近隣の大国に翻弄され続けている朝鮮半島との類似性に目がいく。そこに北朝鮮兵士がウクライナに送られるというニュース。まるでベトナム戦争をなぞるような展開ではないか。住んでいた土地を追われる人々。外貨稼ぎのため大義のない戦争に駆り出される兵士たち。もの言えぬ市民たち。なんとも辛い。

隣の国の人々と出会う 斎藤真理子 創元社 2024
 말 マル(言葉)、글 クル(文)、소리 ソリ(声)、시 シ(詩)、サイ 사이(間)という章立てでできあがっている160頁ほどの本。正方形に近い判型で手触りが良い。文法的には近い韓国語と日本語なのに体の文法はまるで違う。二つの生きた言語の間を往き来することで得た経験と知見が肌理の細かい配慮の行き届いた文章でしるされている。「韓国文学の中心にあるもの 」の時もそうだったが斎藤真理子 さんの本を読むと、もう一度超長期中断中の韓国語学習に挑戦したくなってくる。
 
ニッポン茶室ジャーニー 藤森照信・はな 淡交社 2024
マリリン・トールド・ミー* 山内マリコ 河出書房新社 2024
経済と人間の旅 宇沢弘文 日本経済新聞社 2014
コモンの「自治」論* 斎藤公平・松本卓也編 集英社 2022

2022年10月13日木曜日

AI時代の言語学習 1

 勢い余って、語学学校見学の申し込みをしてしまった。いえ、あくまで「見学申し込み」です。耳は遠くなり目はかすみ、着実に老化が進み、しかも、コロナの影響でマスク着用がデフォルトになっているこの状況で、はたして語学クラスへの参加って可能なのだろうか? 四十年ぶりに韓国語熱が再燃していることはたしか。これも、「韓国文学の中心にあるもの」を読んだせいである。でも、なんで、韓国語クラスに一気に跳んでしまうのか、自分でもよく理解できてない。七十になって、思っていたよりも残された時間は長いかもしれないとふと思ってしまったことが後押ししていることは間違いなさそう。

 韓国語の辞書など、とおの昔に手放してしまった。ただ、40年前と語学学習の環境は様変わりしている。インターネットのせいであるというか、お陰であるというか。翻訳サイトをつかえば、日本語を入力すると、すぐに韓国語が出力され、読み上げてくれさえする。至れり尽くせりというほかない。韓国映画だっていくらでも観ることができる。こんな環境があれば、独習だって可能だろう。オンラインレッスンという道もある。ただ、それらが身体性を欠いている限り、メインの学習法に据えようがない。

 ともかく明日見学行ってくる。

2021年12月25日土曜日

英語版

英語版をはじめよう(より正確にいうと再開ー以前試みたことがあるが挫折)と思った動機の8割は、今年、ZOOMを使ったオンライン稽古をやったことに由来する。英語話者にとって、整体に関する情報は少ない。身体教育研究所関連でいえばゼロである。

近年、Google翻訳にせよ、DeepLにせよ、機械翻訳の精度が格段に上がったことは間違いない。しかし、たとえば、僕がこのブログに載せている整体、稽古関連の記事を機械翻訳で英語話者(日本語でないという意味です)が読んだ場合を想定すると、かなり悲惨な光景しか思い浮かばない。誤解を助長する結果さえ考えられる。(お前だって、誤解しているだろうという突っ込みは、ここではなし)。そうなると、機械翻訳の助けを借りて、自分で仕上げていくしかない、というのが今時点の結論。しかし、問題は山のようにある。

まず、固有名詞に定着した訳語がないのが困る。整体協会はSeitai Kyokai, Seitai Associationくらいか。一般名詞としての整体も流通しているけれど、野口晴哉のSeitaiも固有名詞として、かなり定着している。身体教育研究所が難しい。そのままShintai Kyoiku Kenkyushoでは問題は解決しない。そもそも身体と教育という既知の単語を組み合わせた「身体教育」という言葉を使い始めたのは、日本において僕たちが最初かもしれない。1990年くらい。身体x教育。ありそうでいて誰も使ってなかった。これ自体、謎だ。

体育はPhysical Educationと訳される。おそらく、Physical Educationという単語を日本語訳したものが体育なのだろう。じゃあ、身体教育にはどういう訳語が充てられるべきなのか? アカデミズムの世界では、体育と同様、身体教育にもPhysical Educationという訳語が使われている。実に安直だ。故に、身体教育研究所をInstitute of Physical Educationとは訳したくない。つまり「身体」はどう訳されるべきなのだろう。

月刊全生には、いまでも晴哉先生の英訳文が巻末に掲載されている。「白誌」に載っている裕之先生の講義録が英訳されるのはいつのことなのだろうか。

2021年7月9日金曜日

稽古場的日本語

ここ2ヶ月オンラインで稽古しているLinaさん宛に、「ZOOMで稽古は可能か?」を訳して送ってあげようと、まずはGoogle翻訳に下訳をお願いしてみた。昔に比べると随分マシになっているとはいえ、そのままでは使えない。元の文章で主語が曖昧になっているせいでもある。これを手直ししてメールすることにした。英語で手紙を書くこと自体ずいぶん久しぶりだ。Gmailって文法的な誤りを指摘してくれるのね。これには、ちょっと驚いた。

機械翻訳が進化したことは認める。下訳の役にも立ってくれる。日本語の主語を明確化すれば、より正確な英語にしてくれる。しかし、稽古場的表現をどのように翻訳してくれるのだろう。ちょっと試してみる。例えば、こんな具合。上段が日本語、下段がgoogle翻訳。

後頭部から目を入れて、その目を顔の裏側に届かせてください。
 Put your eyes on the back of your head and bring your eyes to the back of your face.

実際、このような日本語をぼくらは違和感なく使っている。しかし、よくよく考えると、日本語ネイティヴにとっても、なかなかすごい日本語なのだ。翻訳された英語の文章を読んで、さほどの違和感を感じないところがぼくらの問題であるといえなくはないのだが、これを字義通り解釈しようとすると、とんでもない情景が浮かんでくる。極端な話、目をえぐり取って、それを後頭骨に押し付け、頭部を貫通させて目の奥に押し込む、といったホラーな風景を想像する人が現れたとしても不思議ではない。

それはあんまりなので、日本語を変えてみる。

後頭部に風を感じ、その風を顔の裏側まで届かせてください。
Feel the wind on the back of your head and let it reach the back of your face.

この方が、だいぶマイルドで、日本語ネイティブにとっても、こんな日本語だと、きっとわかりやすい。英文もだいぶましなかんじ。でも、ここでfeelという動詞を使ってしまうと、この先、厄介な問題が出てくる。万事がこんな調子。考えてみると、ぼくらは、長い時間をかけて内観的身体語という言語空間をつくりあげ、この言葉が通用する範囲を広げようとしてきたのだ。もちろん、「古典」を参照しながら。

2021年7月1日木曜日

ZOOMで稽古は可能か

狭い稽古場に三脚に載せたiPadを持ち込みZOOMを起動する。手元のiPhoneの画面には翻訳ソフト。この時点で稽古会としてはすでに大減点。やむおえずはじめたリモート稽古。相手はベルリン在住のコロンビア出身のダンサー・コレオグラファー。本当ならアーティスト・レジデンシー・プログラムで今頃京都ライフを楽しんでいるはずだったのに、コロナ騒動でなんとオンライン・レジデンシー・プログラムになってしまったとのこと。語彙矛盾ではないか。

さて、ZOOMで稽古は可能か? 
限りなくノーに近いイエスとでもいうか、いくつかの前提条件が整えば、かろうじて稽古は可能かもしれないというのが、ここ一ヶ月半試行錯誤してたどり着いた結論。しかし、ほんとのところ実に心許ない。

前提条件 その1 すでに稽古に触れたことがある
 今、一緒に稽古しているLさんは、サンパウロにあるPUCという大学の出身。そこで、田中敏行さんのクラスに出た経験がある。十年も前のことらしいけれど…。彼女が僕のところにたどりついたのは、そもそも田中さんの経由。彼女と話したり、作品を見せてもらった限り、稽古との親和性はありそうだし、動法からヒントを得ている部分もうっすらと感じられる。いずれにしても田中さんのところでの経験なしに、オンラインでの稽古は考えられない。今、「空気」に関心があるとのことなので、「見えないものに集注する」という稽古から始めた。

前提条件 その2 複数人の人が向こう側にいる
 初回は1対1でやってみたのだが、「あ、こりゃだめだ」ということがすぐわかった。画面越しのface to faceというのは駄目ですね。稽古にならない。苦肉の策として、お互いに相棒を用意することにした。こっちも二人、向こうも二人というスタイル。これで、少し稽古風景らしくなった。こちら側でデモンストレーションをやり、それを向こうでもやってもらう。チェック役がいるだけで、全然違ってくる。田中さんの元生徒が何人かベルリンに居るらしい。田中組おそるべし。

前提条件 その3 いつかリアルな場での稽古できるという可能性を有している
 この先、リアルな場で一緒に稽古できるという保証はまるでない。しかし、それを前提としないことには、やってられない。隔靴掻痒感が強すぎる。つまり、オンラインだけで稽古が完結することはありえない。はたして、こちらが意図していることが、どれだけ伝わっているか確認する機会がいつかやってくることをお互いに祈念しない限り無理。

ZOOMで稽古するくらいなら、自己隔離の期間が必要としても、生身の体をこっちに運んだほうが良策のように思えるのだけれど、そういうわけにもいかないらしい。オンライン・レジデンシー・プログラムはあとひと月続く。

2021年5月16日日曜日

その後

【オンライン稽古、その後】

2回やってみた
初回は1対1で60分
二度目は、双方、パートナーをお願いして2対2で90分
いや、草臥れる
リアルの稽古であれば、沈黙=空白ではない
それがオンラインだと沈黙=空虚に感じてしまい、 
その空白を埋めようと、ひたすら喋ってしまうのだ
稽古会として成立させるためには、2倍3倍、いやもっと力がいる
二度目やった晩など、稽古を終えたあと、疲労困憊して10時間コンコンと寝てしまった
やはりカメラは魂を吸いとってしまうのだろうか


【紙メディア その後】

A4裏表一枚で作ってみた
5月5日発行の等持院通信ゼロ号
縦書き横書きが混在
次は手書きをどう使っていくか
等持院稽古場、白山稽古会の受付に置き、 
千葉にも持ってきて、娘つながりの人たちに渡し、
10日で20部ほどが人の手に渡ったことになる
月末にかけて、もう少し増えたとしても発行部数30か
私信ではないのだけれど、受け取ってもらえるかどうか、 
どう読んでもらえるのか、若干の緊張感が自分の中にうまれる
なつかしい感覚
PDFをメールで送ることもできるのだけれど、それは敢えてやらない

2021年5月9日日曜日

リモート稽古

あー、とうとうリモートで稽古をすることになってしまった。某基金のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムを通して、昨年の今頃京都で3ヶ月過ごす予定だったベルリン在住の演劇、振付をやっている、そもそもがサンパウロの大学PUCで田中さんのクラスに出ていたアーティストが相手。プログラムはコロナ禍で一年延期。今年になっても、人の移動は制限されたままで、結局、「レジデンスオンライン」という、クエスチョンマークが頭の中で点滅する扱いでプログラムが始められることになったとのこと。ついては、オンラインレッスンをやってもらえないかとのリクエストが届いた。なにが可能なのか? どちらかというとzoomを使ったオンラインレッスンには否定的なスタンスでここまできたけれど、話を聞いてみると、アーティストたちが置かれている状況が気の毒になって、重い腰を上げることにした。 

 しかししかし、リアルに向き合って稽古することが当たり前のものを、空間を共有できないオンラインでできるかというと不可能という言葉しか思い浮かばない。厚さ1メートルのガラス越しに向き合っている気分。まず、手取り足取りという方法論が成り立たない。見て真似してという視覚だのみの方法の有効性は信用できない。ちいさな画面を覗き込むだけで内観性の大半が失われてしまう。むしろ、聴覚音声言語+テキストを前面に押し出した方が、可能性があるんじゃないかと思い始めている。そうなると、今度は、言葉ーおそらく英語ーの問題が表にでてくる。実に悩ましい。 

 まずは三脚を購入することから始めることにした。

2021年1月24日日曜日

1977年

来週、ユズルさんの「忘れてもいいように」のオンライン読書会をやるというので、ちょっと覚え書きを作っておこうと、ユズルさんとの歴史を紐解いていった。巻末の年表によると、ぼくとユズルさんの付き合いは1976年の一般意味論大セミナー(フレンズ世界大学)にはじまっている。ぼくが東京に移る1986年までの10年が第一期。そこから、ほぼ30年空いて、2015年、ぼくが京都に戻ってきてからが第二期。ここでは、第一期について書こうと思うけれど、年齢でいえば、角南青年24歳、ユズルさん46歳からの十年間ということになる。いまや、68歳と90歳。

一般意味論大セミナーのチラシとか残ってないかしらと、デジタル化してある1976年のノートを見ていくのだが、いっこうに出てこない。ひょっとして翌年なのかもしれないと1977年のノートをめくっていくと(実際にはスクロースするわけだけど)チラシが一枚出てきて、その一番下に一般意味論大セミナーが予告されている。いきなり、年表の訂正が必要になってしまった。

ついでに、もう少し下までスクロールしていくと、こんなのまで出てきた。「学校を超える教育論」? まったく記憶から抜け落ちている。そのまま突っ走っていれば、教育業界で飯が食えるようになっていたかもしれない。これまで開いたことのないノート。読み返しているうちに、ユズルさんとのことは吹っ飛んで、1977年にタイムワープしてしまった。4月には三里塚、6月には韓国、7月に一般意味論の合宿があって、8月にはヤマギシの特講、GDMのセミナーに続けざま出て・・・。川嶋先生の活元会に出はじめたのもこの年らしい。いったいどうやって生活を回していたんだろう。もう混沌の極み。

こういう混沌の年にユズルさんと出会っているのでした。






2020年4月14日火曜日

わたしたちの「性と文化の革命」2

なんとオンラインで「わたしたちの性と文化の革命」ミーティング。
参加者はミドリさん、ハジメさんとわたし。70〜80年代を共有する高齢者3人。この3人が30年の時を経て集結。去年何回かやって、その後、中断していた。抱腹絶倒の2時間。聴衆がいれば金取れるレベルーもちろん、聴衆がいたら、三人とも良い子になって、話はつまらなくなってしまうことは明白なのだが。それぞれが、恋愛、結婚、離婚、死別等々を経験してきたからこそ話せることってある。人が生まれ育ったフレームから抜け出すことの大変さ。教育をなんとかしようともがいてきたけれど、成果出せなかったという残念な想い。各自、自分の居場所にいたせいか、リラックスして喋ってましたね。

2020年4月8日水曜日

ZOOM

きゅうに周囲からZOOMを入れてくださいという声が届き始めたので、しかたなくiPad miniにインストールしてみた。ビデオ電話ならFaceTimeで娘たちとやりとりしているから似たようなものだろうと、お試しオンラインミーティングに加わってみた。参加者7名。人数分の画面に分割されて、それぞれの顔が見える。話している人の枠が緑色で縁取りされ誰がしゃべっているかわかるような仕組み。低速のモバイル回線で使えるかどうか不安だったけれど、映像はカクカクするものの声ははっきりしているから支障はない。ただ、これでなん時間も話せるかというと、はっきりいって嫌である。一時間ほど付き合ってみたけれど、画面を観ているだけで、かなりくたびれた。これなら、人と会わずに引きこもる方を、きっと選ぶだろうな。音声のみの参加であれば折り合いをつけられるかもしれない。
でも、テレ稽古会は無理だな。


2016年1月31日日曜日

1月の読書

みんな彗星を見ていた* 星野博美 文藝春秋 2015
老いの道づれ* 沢村貞子 ちくま文庫 2014
今までにない職業をつくる* 甲野善紀 ミシマ社 2015
小笠原流礼法入門* アシェット婦人画報社 2007
農福連携の「里マチ」づくり* 濱田健司 鹿島出版会 2015
水のなまえ* 高橋順子 白水社 2014
ええ音やないか* 橋本文雄・上野昂志 リトル・モア 1996
ドラグネット 監視網社会* ジュリアン・アングウィン 祥伝社 2015
オンライン・バカ* マイケルハリス 青土社 2015
夕暮れの時間に* 山田太一 河出書房新社 2015
 孫引きになってしまうけれど、この本の「作家をめぐる本 ー チェーホフ、カフカのことなど」という一章に納められたカフカの言葉ー「予期しない訪問を邪魔だと感じるのは、どう見ても弱さのしるしです。予期されぬものを怖れて逃げることです。(略)奇蹟を逃れて自己限定に走るーこれは退却です。生活とは、とりわけものととともにあること(略)これを避けてはいけない。あなたはいつでも好きなときに来ていいのです」

2016年1月2日土曜日

謹賀新年

【大晦日】鐘の音が聞こえてきたので、高石くんが餞別にくれた白金カイロを懐に入れ、等持院の鐘楼に行ってみることにした。行列ができていたので、その後ろに並んでいたら97という数字が書かれた紙切れをくれた。除夜の鐘を撞けるらしい。さすがに、お年寄りは少なく、家族連れが多い。順番が来る前に、どこからともなくカウントダウンがはじまった。順番が回ってきたのは、零時を5分ばかり過ぎた頃、二人のお坊さんに先導され鐘をつくことができた。生まれてはじめての除夜の鐘撞き。後ろにまだ20人くらいは並んでいたから、108つにはこだわらないのかもしれない。その足で六請神社へ。お参りをし、お神酒をいただいて帰宅。

【元旦】午前中、池田先生がカニを届けてくれた。これがまた立派なカニで、これはとてもひとりでは食いきれない。戸村さんを誘ったら来てくれるというので、鍋の支度をして待つことにする。西陣稽古場は距離的には近いが、そう往き来があるわけではない。戸村さん、おせちのお重を持って現れる。男二人、蟹に食らいつく。食事のあと、広縁で火鉢に載せたお釜のお湯で茶を点てる。なかなかよい正月ではないか。

【二日】新海さんを一乗寺に訪ねる。アレキサンダーのお仲間たちの新年会のようだ。昨年8月、新海さんにかけた電話がつながってなければ、こうして京都に戻ってくることもなかった、かもしれない。そう思うと不思議だし、みどりさんやダスターといった旧友たちと喋っていると、30年間の関東暮らしが幻のようにも思えてくる。帰って来たら、娘からラインがあり、西葛西の妹夫婦宅を訪ねて来ているという。妹夫婦に姪っ子、そして娘夫婦で盛り上がっている様子。動画でつながり、オンライン新年会となる。