2023年7月24日月曜日

同調

 五十代の十年、お茶の稽古に通った。月2が基本だったが、月1のこともあれば、数ヶ月、間がが空いたこともある。最初は二人で習いにいっていたが、途中からは、先生との一対一の稽古になった。結局、基本だけで終わり、お茶の広大な世界のほんの一部に触れただけで終わってしまったが、得難い経験をさせていただいた。先生役を買って出て頂いた、橋松枝さんには感謝しかない。この間、一度だけ、「茶室が茶を点てる」、という経験をした。もちろん、亭主の席に座し、お茶を点てているのは私なのだが、自分が点てている感じは全くなくて、お茶室が点てているとしか表現のしようがない、そのような経験だった。こんなふうに操法ができればと、切に思った。

 関東に暮らしていたころは、風狂知音の音楽も横濱エアジンに聴きに行っていた。僕が整体指導者への道に足を踏み出すきっかけを作ってくれた存在でもある。このことは、3年前、石川合同稽古会に覚張さんを呼んだ時、こんな風に書いた。↓ 

覚張幸子さんについて
 十年以上前のこと、いやもう少し前のことかもしれない。風狂知音のライブを横浜関内のエアジンに聴きにいった。ぼくがまだ事務局の仕事と大井町稽古場での稽古担当という二足のわらじを履いて大車輪で活動していた頃のことである。風狂知音は、覚張幸子(vocal)、田村博(piano)、津村和彦(guitar)の三人のジャズユニット。この人たちの作り出す音楽を通して、音楽とは聴くものではなく「体験」するものであるということを学んだのだけれど、その日のライブは格別で、もう、自分の体がバラバラにばらけてしまうという驚愕の経験をした。風狂知音の音楽には、稽古のエッセンスが覚張さんを通して注入されているので、翌日、裕之先生に、「こんな経験をしたのだけれど、これは整体で可能なのか?」と問いにいったことを覚えている。無論、返事は「そうだよ」というもの。それからしばらくして、僕は二足のわらじを脱ぐという一大決心をするのだけれど、このときの、風狂知音の音楽との出会いがひとつの契機であったことは、ぼくのなかでしっかりと記憶されている。数年前、津村さんが逝き、二人組みになってしまったけれど、風狂知音の活動は続いている。(2020/3/1)

     指導者の道に入ったはよいのだが、なかなか、お茶室で、あるいは、風狂知音のライブで経験したような出来事が操法の場で出現することは稀だった。いや、これまでなかったと言ってよい。ところが、それが突然やってきた。師匠に教わった手順通りやっただけなのだが、相手の背骨に触れるだけで、自分の背骨がのたうちはじめたのだ。言ってみれば、脊椎同士の活元運動。あとは、もう、その流れが導くままについていくだけ。同調とはこういうことなのだ、局処と全体との関係性とはこうなのだ、ということを身をもって体験する出来事だった。ブレークスルー!。これまで、「同調する」ことを稽古の中であれこれやってきたけれど、甘かった。本当に他者と同調できるためには、とんでもない体力が求められるのだ。逆にいうと、自分の体力に応じた同調しか出現しないということでもある。かなり怖い世界でもある。

2023年7月21日金曜日

地底旅行

  生涯読んだ本の中で10冊を挙げろと言われたら、まず最初にジュールベルヌの地底旅行を挙げるだろう。小学生の頃読んだ本だが、ここから、僕の冒険心に火がつき、「コンチキ号漂流記」へと雪崩れ込んでいく。小学生になった孫にも読ませてみようと、どんな版があるのか図書館の児童書の棚を物色してみた。岩波少年文庫に収められているのだが、どうみても小学校高学年向け。僕自身が小学生の時の読んだのは、子供向けに編集された図絵満載のもので、ちゃんと原作を読んだわけではない。

 この岩波少年文庫版の地底旅行、夏の課題図書として読んでみることにした。まず、その分量に驚いた。400頁を超えている。探検をはじめるまでの話の部分がなかなか長く、ようやく160頁に辿り着いたところで地底に入っていくのだ。アイスランドの火山口から地底に入り、イタリアの火山口から地上に戻ってくるというストーリーは記憶している。僕が幼少期に読んだものも、基本的なところは、ちゃんと押さえたものであったらしい。ただ、イタリアの火山の名前をエトナ山と記憶していたのだが、原作によるとストロンボリであった。

 この原作が書かれたのが1863年。日本でいえば江戸末期、明治維新以前のことなのだが、ヨーロッパでいえば、産業革命を経た、まさに科学技術勃興期の勢いの中で書かれた小説なのだ。僕がこの本を読んだのは、1960年前後ではなかったか。科学技術立国が謳われた時代でもあった。



2023年7月14日金曜日

古道具

 人の書庫の整理を頼まれてやっていると、思わぬ骨董品に出会うことがある。
先月の掘り出し物はスライドプロジェクタ。こういうジャンクを目にすると、つい捨てられるのは可哀想と貰ってきてしまうのが、元ラジオ少年の悲しいさが。60年代?のスライドプロジェクター。Birdie Fujiとある。

 かつてポジフィルムで写真を撮っていた時期がある。押入れの奥から、まだデジタル化できてないスライドを引っ張り出してきてプロジェクターに装填してみる。ランプはちゃんと点く。1980年代の画像がスクリーン上に映し出された。それにしても発熱がすごい。

























 そして、手廻しレコードプレーヤー。小さな紙の箱から出てきたのは、プラスチック製のちゃちいプレイヤー。GDM(Graded Direct Method)の教材レコード2枚も同梱されている。鉄の針をレコード盤の上にに落とし、黄色のツマミを回してみると、針と直結された振動板から、かろうじて聴き取れるくらいの音量でEnglish through Picturesのテキストの音声が聞こえてくる。

 はて、どうしたものか。だんだん、わが家が古道具屋みたいになってきた。


2023年7月2日日曜日

糀ブーム

 4月にやった石川合同稽古会のオプショナルツアーで鶴来に行った連れ合いが、鶴来の糀屋さんで糀を手に入れたところから、わが家の糀ブームがはじまった。正確にいうと、3月に人生初の味噌作りをやったから、すでに糀ブームは始まっていたのかもしれない。甘酒にはじまり、塩糀、醤油糀、玉ねぎ糀といった調味料づくりが続き、今は応用編の水切り豆腐の塩麹漬け、甘酒漬けに移行してきた。料理全般なんにでも自家製糀調味料を使っている。目に見えるかたちで醤油瓶の醤油が減ってきて、美味しいのはよいが、これは塩分の過剰摂取になっているのではと心配になるほどである。鶴来からやってきた糀はあっという間に底を尽き、京都の糀屋さん、松任の糀屋さん、スーパーの棚で見つけたみやここうじと、あれこれ試し、また最初の鶴来の糀屋さんに舞い戻ってきた。わが家の糀ブームは一過性のものでなく、一気に定着してしまいそうである。



2023年6月27日火曜日

6月の読書

オーラル派 秋山基夫 私家版 2023

歴史の屑拾い 藤原辰史 講談社 2022

原発とジャングル 渡辺京二 晶文社 2018

 去年亡くなられた渡辺京二 さんの原発とジャングル 。これに収められている「原初的正義と国家」に深く同意。と、これだけでは何のことかわからないので、少しだけ引用。「従って私が心がけたいことは、国民国家に拘束されぬ、そして依存しない個人であろうとする心構えを常に保ち続けることである。そして自分の個としての生を、自分が属するとされる国家の興亡や利害と全く関係のない、自分の責任でしか築けないともに生きる仲間"との関係に求めたい。」(p.61)

嫌われた監督 鈴木忠平 文藝春秋 2021
100年前の世界一周 ワルデマール・アベグ ボリス・マルタン 日経ナショナルジオグラフィック社 2009
AI監獄ウイグル ジェフリー・ケイン 新潮社 2022

2023年6月23日金曜日

稽古着生活

 夏になると稽古着生活を断念する、というのが、これまでの通例だったのだけれど、今年は継続中。薄い生地で稽古着、稽古袴、そして襦袢をつくってもらったことが大きい。これまでは、稽古用と普段用の二種類くらいしかなく、その落差がけっこう大きかった。今年は、これに外着用の稽古着が加わり、あれこれコーディネートが可能になった。稽古着でおしゃれなんて、これまで考えたこともなかったのだけれど、気分に応じて稽古着を変えてみるということが可能なのですね。浴衣から稽古着に着替える中間段階でTシャツに袖を通すことはあるけども、ほぼ24時間、和服で過ごすようになった。もっとも、稽古着生活=和服生活ではなさそうだ。着流しスタイルはどうも性に合わないというか落ち着かない。つまり、袴は常に穿いている。この袴というのが結構謎です。レトロモダンと言えなくもないけれど、その実、もっと先を行っている気がしてならない。暑さはここからが本番。さて、稽古着で猛暑を乗り越えられるのだろうか。