2025年2月13日木曜日

宇宙の途上で出会う 3

フレインの戯曲に寄り道し、映画「オッペンハイマー」をAmazonで見直しつつ、ようやく序章を終える。ぼくのお遍路のようによろよろと進行中。

引用していけばきりがないけれど、とりあえず次の二つ。

それによって彼(ボーア)は「私たちは理解しようとしている自然の一部である」という彼が量子力学の教訓の核心であるとみなすものにたどりついたのだ。(p.48)

つまり、通常の「相互作用」が相互作用に先立って個別のエージェンシーが存在すると仮定するのとは対照的に、内部作用の概念は、個別のエージェンシーが先行するのではなく、むしろその内部作用を通して出現すると認識するのである。(p.55)

と、こんな風に議論は進んでいくのだ。
ちょっと、面白くないですか?



2025年2月9日日曜日

宇宙の途上で出会う 2

新刊本到着。
図書館本で3章160頁まで読んでいた。
その続きから再開しようとしたのだが、なんと読めない。
え、なんで? と訝ったのだが、つまりこういうことらしい。
お前は、この本のページをまだめくってないのだから、最初から読まなくてはならん。
そんな風に本に指令されているかのようなのだ。
たしかに納得できる言い分ではある。
つまり、読書体験とは、1頁1頁順番に紙をめくり手垢を付けていく行為なのだ。
指令に従って、最初の頁から読みはじめた。
1回目の時よりも、言葉がスッと入ってくるような気がする。

序章において、バラッドはマイケル・フレインの戯曲『コペンハーゲン』を俎上に上げる。1941年、ハイゼンベルグはコペンハーゲンに住むボーアを訪れ、原子爆弾製造に関わる重要な会話がなされたとされる。この逸話を元に書かれた戯曲。安易なアナロジーは何も産み出さないことを読者に伝えんがために、この戯曲を取り上げているのだが、ボーアとハイゼンベルグがどのような関係にあったのかという基礎知識を得るための、この戯曲に寄り道することにした。





2025年2月5日水曜日

十年

 寒中見舞いに「第二次京都暮らし十回目の新年です」と書いて、そうか、十年前はまだ横浜で暮らしていたのだと思い至った。自分が十年前、どんな状態にいてどんなことを考えていたのか。当時のブログー私的備忘録を読んでみる。妻を看取り、父を看取り、寂しくなって冬の寒さが堪えていたらしい。「ダナン」(2月9日)という項目で暖地への脱出を計画し始めている。「前にすすむ」シリーズを書き始めたのは5月のことで、この年の9月に京都に引っ越してるなんて予想もしていなかった。怒涛の一年、いや十年の幕開けだった。

2025年1月30日木曜日

1月の読書

学生を戦地に送るには* 佐藤優 新潮社 2017
長大作-84歳現役デザイナー* ラトルズ 2006
ひとが生まれる 鶴見俊輔 筑摩書房 1972
アメリカは内戦に向かうのか* バーバラ・ウォルター 東洋経済新報社 2023
怪物に出会った日* 森合正範  講談社 2023
新村スケッチブック* 日高由仁 新宿書房 1989
宇宙の途上で出会う カレン・バラッド 人文書院 2023

2025年1月25日土曜日

宇宙の途上で出会う

某公立大で教えるHさんに教えてもらった一冊。
今年一年かけて読んでいくつもり。
一部9900円。重さ900グラムの大著。
お試しに府立図書館から借り出して読み始めた。
刺激的かつ難解。
人文哲学系の用語と物理学の用語が同じ頻度で出てくる。
人文哲学系の用語はなじみがなく難解。
意外に自分が理系であることを知る。
貸出期限内に読み通すことは困難。
よって自費購入に踏み切る。
ただ買ってしまうと、返却期限のある図書館の本を優先して、
積読コーナーに追いやられる危険性がある。
実際、その様な本は一冊二冊ではない。

主役はニールス・ボーア。
一世紀前を生きたデンマーク人理論物理学者。
1962年没とあるから同時代人ともいえる。

ニュートンの古典物理学の用語で内観的身体技法は語れない。
では、量子力学の用語では可能なのか?
壮大なテーマに挑むことになる。
こうご期待。
一緒に読んでくれる人も募集中。



2025年1月22日水曜日

禁糖2025

禁糖つつがなく終盤へ。
普段の食事から、コーヒーとちょっとした菓子類が欠けるだけのことで、いつもとさほど大きくは変わらない。でも、ずいぶん真面目に食と向き合っている感はある。いかんせん腹が減る。今年はチーズ類をよく食べている。近所のパン屋さんのチーズチーズチーズというフランスパン生地の上にチーズ数種類おいて焼いたものがあれば満足。
先週末の白山稽古会もおにぎりフランスパンで乗り切った。
今週いっぱいで終える予定なのだが、昔のような我慢する感じがまるでなく、つまり、お祭り感を欠く禁糖ということになる。ま、こんなものか。

【追記 1/27】
禁糖終了。途中、味噌の仕込みなどもして充実。
腹部第2を乱すものとしてスマホがあることは間違いなく、禁糖と並行してスマホ断ちをすべきかもしれない。現代人には、こっちの方が大変だな。

2025年1月12日日曜日

なじむ

寝床から抜け出す前に自分のお腹に触れてみる。
え、もう禁糖なの?
腹部第2調律点が右手薬指でなじめば該当者となる。
うーん、去年より2週間もはやい。
おまけに来週末は白山稽古会がある。
とはいえ、2週間の禁糖生活に入れば、なんかの行事と重なることは避けられない。
で、いきなり禁糖開始。

では、なじむって、どういう感じなのか?
これを英語で説明できるのか?
日本語でだって説明はむずかしいぞ。
なじみの稽古って、稽古会の最初期からやっている。
二者が掌同士を合わせて、そのなじみを崩さないように、転がったり起き上がったりしていた。

同調の感じと言い換えても、伝わりづらい。漢字語だからなのか。
日常生活で使うとすれば「なじみの店」といったところ。
「なじみの店で食事する」とgoogleに問うと、Eat at a familiar restaurantと返してくる。
なじみをfamiliarと訳すのは、そう外れてはいない。つまり、すでに知っていること。
身体集注に入った時の「なつかしさ」というのは、忘れていたかもしれないけれど、すでに知っていた感覚。僕なんか、そのなつかしさに、いつも泣きそうになる。
からだに出会うとは、そのような経験。

禁糖に入ると、食い意地が張ってくる。
まずは、火鉢で餅を焼こう。